「ワイルドカード」5巻第7章

                 おうさまのおうまも・・・Ⅲ
                   G.R.R.マーティン

フックロードの外れ、緑色に脂ぎったニューヨーク湾にかなり面したところの廃品置き場。
そこにきたトムは、南京錠を素早く外し、鎖が張り巡らされた高いフェンスのゲートを開け放ち、乗ってきたホンダをブリキ屋根の小屋の傍らに停め、腕を組み腰掛けてその小屋を見つめていると過去の記憶の歯車が巻き戻ってくるように思える。
そこはまだこの廃品置き場が操業中だったときに、ジョーイ・ディアンジェリスが父ドムと一緒に暮らしていた小屋なのだ。
土曜の午後はここに入り浸り、決まってPTAの焚書から救い出した古いジェットボーイコミックをジョーイと読みふけったものだった。
向こうに見える車庫は、今ではデモリッション・ダービィ・サーキット(スタント・カー・ラリー)の王者になったジョーイ・ディアンジェリスが、かつて働いていた場所だった。
彼らがまだここを去る前に、あのジャンクの山の麓で、ぼくとジョーイはフォルクスワーゲンビートルのフレームに、装甲板を溶接してはじめのシェルをつくったんだった、その後ドムが亡くなり、ジョーイは廃品回収業を廃業して、ぼくがここを買い取った。
それからジャンクの下に塹壕も掘った、それは初めはたいしたものじゃなかったさ、それでもグリースまみれながら、隠れ蓑ぐらいにはなったんだ。
車から出て、潮風を吸い込む、まだ寒い、型崩れした茶のスゥエード・ジャケットのポケットに深く手を差し入れずにはいられない。
水上に目をやると、ごみ運搬船がゆっくりと通り過ぎるところだった。
周りを飛び交うカモメが、羽音をたてて群がる蠅のよう。
朝もやのせいか、自由の女神の輪郭はかすかに見えるものの、
マンハッタンは消えうせたかのように姿を隠している。
消えて見えようが、そうでなかろうが、それはそこに存在し続けている。
晴れた夜には、明滅する明かりが尖塔を浮かび上がらせるさまがうかがえることだろう。

ホーボーケンやジャージー木賃宿や、いまや6桁の数にまで増殖した狭苦しく立ち並んだ分譲マンションだって、工業用地に立てられたのものだったのだ。
トムの所有している土地とて、もともと工業用地であり、周りには輸出入の倉庫、汚水処理場、廃棄された石油精錬所などに囲まれていたが、スティーブ・ブルーダーはそれでもかまわないと言い放った。
ウォーターフロントに面している以上、開発の要となることだろう。
だから廃品置き場を売りに出すよう考えろといってきたのだ。
彼は投資家として、ホーボーケンやウィーホーケンの安宿を、マンハッタンの労働者向けの分譲マンションとして高く売り飛ばし、その利鞘で巨万の富を得てきていた。
次はベイヨーンというわけだ,そして十年のうちには、工業地帯は完全に廃れ、宅地造成に道を譲ることになる、そうなってからでは手遅れなのだと。
子供のころからそういうスティーブ・ブルーダーの高圧的な態度がいやでいやでたまらなかった、それなのに今は彼の言葉が耳に心地よくすら感じる。
廃品置き場を根こそぎ売りにだすように提案され、その額を聞いたときには、くらくらするような感情に襲われ、その誘惑に抵抗するだけでやっとだった。
そうしてようやく誘惑を頭から振り放った後に「お断わりだね」という言葉を搾り出したのだ。
「売るのじゃなくて、開発のパートナーというならかまわないよ、僕が土地、あんたがノウハウをだして、利益はフィフティフィフティならばかまわないとうことさ」
ブルーダーはゆっくりと鮫が作ったような残忍な笑顔で答えた。
「見ためほどはまぬけじゃないようだな、タッドベリ、それとも
誰かに入れ知恵でもされたんじゃなけりゃたいしたたまだ」
「ちょっとは利口になったのかもね」トムの舌鋒は鋭さを増していた。
「さぁどうする、イエスかノーか、けつをまくる(腹をくくる)か尻尾をまく(逃げ出す)か、どっちだ,アスホール(けつ野郎)」
「ビジネスのパートナーをアスホール呼ばわりするのは関心しないぜ、ウィンプ(弱虫野郎)」
ブルーダーはそう言い放つやいなや手をのばし、主導権を握ろうとするかのように、トムの手を硬く握りしめたが、今度はトムもひるまなかった。
そんな物思いにふけりながら、ふと腕時計に目をやると、あと1時間ほどでブルーダーが銀行員を連れて現れる時間になっている。
それが堅実なやりかただ、ローンも返済できるし、利用限度を超えてしまったクレジットの枠もなんとかなるだろう。
そして区画整理がはじまり、夏までにはジャンクは跡形もなく片付けられ、分譲されてビルが立ち並ぶという寸法だ・・・

どうしてこんなに早く来てしまったんだろう・・・思い出に浸るためなのか・・・
たしかにここには過去の大切な思い出がたくさんつまっている・・だがそれは過ぎ去ってしまった思い出に過ぎないのだ。
すべては変わる・・トマス・タッドベリはリッチな男になるんだぜ。
トムは小屋の周りをゆっくりと一周して、途中ですりきれたタイヤを蹴りつけた。
そこでそいつを持ち上げるよう心で念じてみた。地面から5フィートまで持ち上げたところで、回転して止めてみせる。
8フィートのところでタイヤはふらつきはじめ、11フィートのところで落ちてしまった、悪くない。
十代のころ、シェルの中に潜りこむ前は、素手でタイヤを持ち上げて一日中遊んだものだ。
そのころ人生は、確かに自分自身のものだったのだ。
タートルには多くのものが奪われてきたのだ、ほとんど全てといっていいだろう。

「ジャンクヤード(廃品置場)を売るだって?」それがジョーイに相談したときに返ってきた第一声だった。
「正気か?橋を焼かなきゃ上陸を許すというもんだぜ、
あの塹壕がみつかったらどうするつもりだ?」
「地面に穴があいてるだけじゃないか、迷ったとしても5分か10分、どろをかけて埋めてしまって、それでお終いさ」
「シェルはどうする?」
「シェルなんかもはやない」そこでくぎり意を決してトムは続けた。
「かつてシェルと呼ばれていたくず鉄がころがっているだけのことだ、<おうさまもおうまもけらいも右往左往>ってね、もう元にはもどらないんだ、夜陰に乗じて持ち出して、すっきり河に沈めるだけのはなしさ」
「化けてでるぜぇ」ジョーイが嘆息して続けた。
「いったいどれだけの金をこのくそったれなでか物につぎこんだか、ってこの前ぼやいていたんじゃなかったか?」
その言葉をうちけすかのごとく頭をふって、ビールを腹に流しこんだ。
そういやジョーイの頑固なビールっ腹も順調に育ち、腕の皮もたるみ、髪にもごま塩状の白いものが目立ちはじめ、ますますドムに似てきたようだ。
そうしているとまた記憶が巻き戻されてくる。
そういやあれは、ジョーイの髪がまだ真っ黒だったころのことだったっけ。
あのときジョーイは、それまで首元に皮ひもでぶらさげていたプルタブの代わりに教会の鍵をぶらさげて、安っぽいカエルのマスクを被ってタートルとともにジョーカータウンへ出向いたっけ。
そこでアルコールにひたっていたタキオンが立ち直れるようたきつけたのだ。
あれからもう23年の時が流れている。
タキオンは変わりはしはしないが、ジョーイも年老い、自分ももはや無茶をするには年をとりすぎてしまったのだ。
すべてはかわってしまった、タートルは死に絶え、トム・タッドベリの人生がこれから始まるのだ。
岸辺を散策していると、壊れて積み上げられた車の山の、その数え切れない割れたヘッドライトが、見つめる盲目の目のように思えてくる。
そこで見つめる生きた視線といえば、もやの奥に潜む、年老いて肥え太った灰色ネズミのものぐらいだろう。
内装の剥げ落ちたヴィクトリア調のソファと安全のため扉を外してある古びた冷蔵庫の列を2つ超えたところに、大地の継ぎ目であるかのような四角い金属プレートが突然姿を現した。
かなり重いものであることは周知のごとくというやつだ、集中し
巨大な輪でつりあげるようイメージし見つめてみる、3度めでようやく浮き上がり、その下の暗いトンネルが顕になった。
穴の淵に腰掛け、注意深く暗闇に身を投じる。
下に足がついたところで、壁を手探りし、そこに吊るしてあるフラッシュライトを点灯すると、冷たく湿った塹壕の下に、トンネルが姿を現した。
そして静寂とともに旧型のシェルが浮かび上がる。
いずれ始末せねばなるまいが、それは今日でなくてもいいだろう。
銀行員としたところでジャンクをひっかきまわしはするまい、彼らには、ここは資本でしかなく、紙のサインひとつで右から左に流される、そんな空虚なものでしかないのだ。
河川に投棄する時間ぐらいあるだろう、慌てる必要などないのだ。
ふと二代目のシェルに目をやると、ディジー(雛菊)とピースシンボルが目に入る。
そいつを見つめていると当時は確かであった理想や熱狂的な歌声が蘇ってくるが、かつては鮮明だったシンボルも、今では削れて消えかかっている。
3月のワシントン、このシェルのスピーカーで、「Make Love Not War」を大音響で流していて、ジーン・マッカーシーがこの上に立って、20分にわたって熱弁をふるった。
そしてホルタートップにジーンズの若く魅力的な娘たちが、シェルのトップに立つチャンスを狙っていたっけ、その中の一人、コーンフラワー矢車菊)を思わせる青い瞳、腰まである癖ひとつないブロンドの髪を額のところでインディアン風のヘアバンドでまとめた娘のことが忘れられない、シェルの周りを一周して、タートルへの思いを語り、ハッチを開けて中に入れてほしいとささやいたのだ。
せまいシェルの中でお互いの手足を丸めて額を寄せ合い、瞳を見つめあう、そんな展開があったかもしれない。
噂通りジョーカーであったところでかまいはしなかっただろう、なにしろ彼女はタートルに思いを寄せていたのだから・・・
そのときの僕には、それは場違いな幸運にしか思えなかった、だからシェルを開きはしなかった、だってそうだろ、あの娘が望んでいたのはタートルであって、ただのトム・タッドベリじゃなかったんだから・・・
今あの娘はどうしてるだろう、今ではあの頃と同じくらいの歳の娘がいて、その娘を見てあの夜のことを思い出しているのだろうか・・・
冷たい金属板のうえの消えかかった別のピースシンボルのうえに指を滑らせながらさらに物思いは続いていった。
あのときは何かができると信じていたんだ、ムーブメントの一部であることで、戦争をとめ、弱きを救うことができる、そんな反ニクソン運動の一部であることが心地よく、ニクソンによる国家の敵リストのトップに記される日々は誇りですらあったんだ。
      それがいまでは・・  おうさまのおうまもけらいも・・・ だ。見る影すらない・・・
塗装されたシェルの向こうには、さらに大きく、より新しい無地のシェルがあって、そいつのときはだいぶひどいめにあったっけ。
あのいかれた連中に砲撃をあびせられたときにできたへこみの前に佇んでいると、そのあと数週間は耳鳴りが続いたことが思い起こされてくる。
そういえば、この右下、装甲板の4インチ下には手形が残っている、マスコミがスカルプトレスと名づけた性悪エースと闘ったときの記念に残しておいたのだ、あの娘は魅力的ながらかなりやっかいな相手だった、なにしろ金属だろうが石だろうがかまわず、触れるだけで流体化して形をかえてしまうのだ、そうして銀行にかってに入り口を作り上げて忍んでまわっており、いわば時の人と呼べるいきおいだった。
そいつをタートルがつかまえて警察に引き渡したのだ、とはいえあの娘は、どこでも好きなだけ出入りができるのだから、どうやって留置するのだろうか、などと考えていたら、意外な解決法が準備されていて驚いたものだ、彼女は恩赦を受け入れ、それと引き換えにジャスティスデパートメントメントのエースとして働くようになったのだ、そのときは狐につままれたように感じたもんだった。
この二代目シェルと三代目シェルには、ほとんどパーツは残っていない、フレームと装甲板はあるが、カメラに電子機器、ヒーターにファンといった内装と呼べるものはほぼ取り外されている、こいつらを揃えるのはずいぶん高くついた、新しく買い揃える余裕などあろうはずもない、だから次のシェルにそっくり流用したのだ、それをあのタキスのあほたれどもがこともなげにエアロックから放り出してしまって一巻の終わりとなった、まだそれらを購入した際のローンすら終わっていないというのに・・・

その二台のさらに奥の暗がりのなかにあるのはもっとも古いシェル、すなわち最初のシェルだ。
厚い装甲版が溶接されていながら、もとのワーゲンビートルのシルエットは損なわれていない。
1963年、こいつですべてが始まったのだ。
中は暗くて息苦しくて、なんとか1回転できる程度の広さで、後のシェルほど快適なものじゃなかったさ。
外からの明かりに照らされて、白黒画面のTVモニター一式が見える、ワーゲンのボディ内部には、二十数年を経た電線に真空管があるが、それらは無傷のままで使用にはたえる、ただ絶望的なまでに時代遅れなだけなのだ。
そいつを沈めるなんていうことは、たとえ先のことだとしても、例えようのないほど恐ろしいことのように思え、身震いすら感じてならない。
そうだ・・このシェルにはとくに強い想い出がつまっているのだ。
こいつをじっと眺めていると、様々なことが思いおこされてくる、どう活躍したか、どうやって建造し、どうテストしてとか、そしてどう飛ばしたとかが。あれははじめてニューヨーク上空を飛ばしたときのことだった。
火事を発見し、女性を助けおろした。
それだけのことなのに、遥か時がたった今でも、目を閉じると、あの人の服を彩った鮮やかな色がまざまざとよみがえってくる、道路に助け下ろしたときに、あの人の着ていた服は、すでに炎に舐めつくされてしまっていたのだ。
「手は尽くしたじゃないか」自分の声が虚空にこだました。
「多くの人も救ったじゃないか」その声に応えるかのように、何かが動き回る音が耳に入ってきた、おそらくネズミだ、ネズミに言い訳してどうなるというのだろう。

不規則に並べられた3台のシェルは、もはやスクラップにすぎない、河底がお似合いなのだ。
それでいいのか、そんなジョーイの言葉が悲しく思い起こされてくる。
鍵を後ろのポケットから取り出して弄んでいると、おかしな考えが浮かんできて、思わず笑いがこみ上げてきた。
20年以上の月日のあいだ、ずっとシェルゲーム(*1)を続けていて、豆はでてこなかったが、だったらシェル自体を豆の缶にかえてしまえばいい、それだけのことなのだ。


ティーブ・ブルーダーは45分後に現れることになっている、皮のドライビンググローブとバーバリのコートを身につけて、2人の銀行員とともに、リンカーンタウンカーに乗ってくることだろう。
そこで上がる収益について一席ぶって、銀行員どももそれをあげそやすだろうが、そこにいれあげるジャンクヤードラット(廃品ネズミ)一匹のことなど気にもとめてはいないのだ。

そして午後には書類にサインし、ヘンドリクスンズ(*2)でともに祝杯をあげることになるのだろう、あのくそったれなヘンドリクスンズで・・・