ワイルドカード5巻第14章おうさまのおうまもⅥその5

                       G・R・R・マーティン


3ブロック路地を進んだところで、ようやく騒音から遠ざかったように思え、荒い息を落ち着けたところで、本屋に続く地下室のドアの前に立っていることに気づいた。
しばしためらいはしたが、大勢の駆けるような喧騒が通りの向こうから響いてくるのを耳にして、心を決めた。
飛び込んでみると、中はひんやりとして静寂に包まれており、安堵のあまりスーツケースを降ろしたところで、足をもつれさせてセメントの床に座り込んでしまい、
背を壁にもたれかけ、耳をすますと、空災サイレンは聞こえず、やっと静まったようだった。
それでも遠くからクラクションと、救急車と思しきサイレンの音と怒りの響きを帯びた叫びは遠くからかすかに響いてくる。
そのとき右の方からわずかな足音のような音が耳に入った。
そっちに視線を据えて「誰かいるのか?」と声をかけてみたが、戻ってきたのは沈黙のみ。
暗く陰鬱な地下室から確かに物音が聞こえたのだ。
トムはそれを確かめるべくそろりそろりと分け入っていった、積み重なった箱の陰から弱くくたびれきったような呼吸音が確かに聞こえてきているのを確認してから首をかしげ思案してから、それ以上近づかず、ドアのところまで戻って、テレキネシスで箱を一突きしてのけると、箱の山が崩れて、段ボールが破け、中の「MORE DISGUSTING JOKER JOKES(唾棄すべきジョーカーの存在)」というペーパーバックが雪崩をうって、驚きと不平とともに痛みを訴える声が、箱の陰からあがったので、トムは微かな動きのある箱の、上に重なる箱を素手で脇に除けてやると。
「やめて傷つけないで」本の下から訴えるような声が響く。
「誰も傷つけやしないさ」トムはそう答えながら、破れた箱を動かし、床に散らばったペーパーバックをどけると、胎児のように丸まり、頭を守るべく、手で頭を抱えた男が、本に半ば埋もれて姿を現した。
「ここに出ておいでよ」
「何もしないから」床にいる男の薄く囁くような声がさらに続く。
「隠れていただけなんだ」
「僕も隠れに来たんだよ、心配ない、出ておいでよ」
そう答えると、動きには何か違和感がつきまとっていたが、身じろぎしつつ、  手足を広げ、足元にうずくまったままで警戒しながら恐る恐る声を返した。
「あまりいい見栄えじゃないんだ」それは薄いかさかさいうような声であった。
「かまやしないさ」重心が傾いたような動きで痛みをこらえながら明かりの下に姿を現した。
その姿をよく見ると、嫌悪よりも押し寄せるような憐れみが、突然沸いてきた。
地下室奥のかすかな明かりですらも、いかにジョーカーの身体がいびつにに歪められているかを照らし出していたからだった。
一方の脚は他方に比べて長く、間接が3節になって逆向きに繋がっているため、膝があらぬ方向に曲がっていて、もう片方の脚もまともに見えるが、つまさきが内に反って曲がってしまっている。
右の手首からは、無数の小さく退化した腕の房が瘤のごとくぶら下がり、肌はつやのある黒、骨を思わせる白、赤銅がパッチワークでちりばめられたような按配で、もとの人種さえ定かではなかった。
その中で、顔のみが普通で、青い瞳と金髪を備えてむしろ美しいといっていいものであり、映画スターをすら思わせるものであったが、
「僕はミッシュマッシュっていうんだ」
その美しい顔の唇は動かず、その青い清浄な瞳にも生気はない、そこでボタンが外されたシャツの腹部に、猿のように皺の入った小さな第二の顔が潜んでいて、恐る恐る覗っているのに気づいた。
そしてその顔はあざを思わせる紫色をしていて、トムが思わず表情に嫌悪をにじませてしまったのに気づき、顔をそむけて言葉を発した。
「ごめんなさい」さらに重ねて呟いた「ごめんなさい」と。
「何があったんだ?」トムは尋ねずにはいられなかった。
「どうしてここに隠れてるんだい?」
「見たんだ」ジョーカーが語り始める。
「やつらが、ナット(常人)たちが、ジョーカーを捕らえて、打ちすえていたんだ、だから僕もそうされるのが怖くなって逃げ出したんだ、みんなジョーカーのせいだと言っていた、だから家に戻ろうとしたんだけど・・」
「どこに住んでるんだい?」
湿ってくぐもった響きの笑い声が響いて、小さな首をねじってそむけた視線を戻し、トムを見据え答えた。「ジョーカータウンだよ」
「そうか」ばつの悪い思いをトムは感じずにいられなかった。
そうだ、ジョーカータウンだ、他にどこがあるというのだろうか。
「数ブロック先だな、連れて行くよ」
「車でもあるの」そのミッシュマッシュの問いに、
「いや」トムが答えた、「歩かなくちゃね」
「あまりうまく歩けないんだ」不安げなミッシュマッシュの声。
「ゆっくり行くさ」そう言い聞かせる、戻ることになるが、
前に進むことになるだろう、そう思えてしまったのだ。