ワイルドカード5巻第14章おうさまのおうまもⅥその4

               おうさまのおうまも・・・Ⅵ

                 G.R.R.マーティン 

ホランドトンネルからわずか4ブロック離れたところのカナルストリートで、立ち往生の列ができている。
後部の窓に臨時ライセンスを張り出してあるシルバーグレイのジャガーの後ろで列が動かなくなった、運ちゃんがクラクションを鳴らしてみると、どこか遠くからもクラクションが鳴り響くが、その音も空災サイレンと交じり合ったのみ。
後ろには錆びにまみれた(年代もの?)シボレーのヴァンが甲高い音を立てて急停車してから、忙しなく繰り返し繰り返しクラクションを鳴らし始めたときた。
運ちゃんが窓から顔を突き出して何かを叫んでいる、トムには理解できない言葉だが意味は明白だ、ヴァンの後ろにも長い車の列が見て取れ、運ちゃんがまたクラクションを鳴らしてから振り返ってまじまじとトムをみつめて、自分のせいじゃない、と弁解し始めた、そんなことはトムにもわかっているが、ともあれ「ここで待つよ」と声をかけ必要のない気もつかわなければならなかった。
バンパー同士が触れそうなほどに混み合っていて、引き返したくても、身動き一つとれない体たらくだ。
トムはドアを開け放って中央分離帯に立ち、カナルストリートを見渡すと、見通せる限り渋滞の列で、後ろにもさらに渋滞の列が伸びていっているようだった。
交差点の信号が、赤から青、黄色と変わってはいるが、1インチたりとも車の列が動くことはない。
オープンカーの窓から漏れ出るミュージック、ラジオや歌の奏でる不協和音の全てが、クラクションと空災サイレンを際立たせているにも係わらず、ラジオからは何の情報も流されていないのだ。
シボレーのヴァンの運転手がトムの後ろに出てきて、「警察はどこ行きやがった?」とあごの弛んだあばた面を震わせてぼやいている、何かに当り散らしたいのだろう、確かに、警察の姿はどこにも見えない。
どこかで女の子が泣き叫ぶ声が立ち、サイレンのように高く鋭く響きはじめたとき、トムは恐れとともに悟った。
これはただの交通渋滞なんかじゃない、もっとずっとまずいものなのだ。
タクシーに戻ると、運ちゃんがこりずにハンドルを叩きつづけていたが、もはやクラクションはブロードウェイの舞台から降りたかのように鳴りを潜めていて、「クラクション壊れたね」と運ちゃんが説明し始めたところで「ここで降りるよ」と告げると。
「払い戻しなしよ」との答えが返ってくる。
「Fuck You(知るものか)」とその口調にうんざりしながら悪態をつきつつ、スーツケースとショッピングバッグを後部座席から運ちゃんに降ろさせて、カナルストリートを徒歩で進むことにした。
するとシルバージャガーの後部に乗っている50代くらいの着飾った女性が「何がおこってんだろうね」と声をかけてきたのを、肩をすくめてやりすごす、車から出ている人も少なくないようだ。
メルセデス450SLに乗った男が、片足を路上に放り出したかたちで、セルラーフォンを掴み「911(日本でいうところの110番)がつながらねぇ」とぶつくさ呟いていて、その周りに人だかりができつつあるようで、「ポリ公はどうした」とこぼす男もいる。
トムが交差点のところまで来ると、大体家の屋根ぐらいの高さまで、ヘリが滑空して降下してきているのに気づいた、ローターが埃を巻き上げ、吹き飛ばされた新聞紙がその煽りを受けて、どぶでばたばた音を立てている。
かなりの高さのはずなのに鳴り響くローター音に辟易しながらぼやきが口をついででた。
「ぼくはあんなにやかましくはなかったぜ」何となく滑空しているヘリの異様がタートルのそれを思い起こさせてしまったのだ。
スピーカーからは何かパチパチという音が響いていたが、路上の騒音にかき消されて聞き取れはしなかった。
ジャージーのナンバープレートの着いた白いフォードのピックアップからにきび面の10代くらいの少年が屈がんで出てきて「警備兵だ」と叫び「警備兵のヘリだ」と重ねてヘリの方に手を振り出す。
ヘリのブランブランというローター音に、クラクションとサイレンの音が混じり合ったなかから、拡声器より漏れ出てくる叫び声がようやく聞き取れてきて、ようやくクラクションが鳴り止んでくれた。
「引き返しなさい・・・」
誰かが叫び返すと、ヘリはさらに低空に降りてきて、ヘリの脇に描かれている州警備隊のエンブレムが見て取れるまでとなったところで、拡声器がさらに唸りをあげた。
「・・・閉鎖されている、繰り返す、ホランドトンネルは閉鎖されている、速やかに引き返しなさい」
ヘリがトムの上空を横切って、巻き起こった突風によって埃と土煙が舞い上がり、思わず手で顔をかばった。
「トンネルは閉鎖されている」遠ざかるヘリからさらに警告が響く。
「マンハッタンを出ないでください、ホランドトンネルは閉鎖されている、速やかに引き返しなさい」
2ブロックに及ぶ立ち往生の列最後尾までいったヘリは、高く舞い上がって一度旋回してから離脱し、空の黒い点となって姿を消してしまった為、残された人々はお互いに困惑して顔を見交わすしかなかった。
「あたしは違う、アイオワから来たんだから」太った女性が抗議の声をあげ、自分は無関係だと主張し
始める、その気持ちはわからないでもないが、と思ったところで、ようやく警官が現われた。
パトカーが2台、慎重に歩道を通って割り込み、黒人の警官が降りて交通整理をはじめたのであった。
そこでようやく1人か2人がおとなしく車に戻ったが、残りは警官を取り囲んで一度に詰問し始め、
残りの人々は、車を捨て、ホランドトンネルを目指して殺到し始めた。
トムはバッグの重みにあえぎ、冷や汗をかきながら、ゆっくりとその流れに従った。
すると疲れ果てヒステリー状態に見える女性が千鳥足でトムを追い越したところで、また上空にヘリが現われ、人々をさえぎるべく、拡声器から再度引き返すように警告を発し始めたのだ。
戒厳令だって」そうトラックのドライバーが運転席から怒鳴りはじめると、人々は彼の周りに群がり、トムもその流れの壁の中に押し込まれたかたちになった。
トラックのドライバーは押し寄せてくる人々を後輪の方に押しのけながら言葉を発した。
「CB(Citizen Band:短波無線の一種)で聞いたんだが」さらに言葉を継ぐ。
戒厳令が宣言されて封鎖されたのはホランドトンネルだけじゃない、橋もトンネルも、マンハッタンフェリーも全部だ、誰一人マンハッタンから出れはしないんだ」
「そんな」トムの後ろの男がハスキーでむき出しの恐怖をにじませた口調で呟き。
「そうだ、きっとワイルドカードだ」
「みんな死ぬのよ」その声におされたかのような老女の声が被さるように続いていく。
「46年のときもこうだった、あたしゃ見たんだ」
「ジョーカーどもだ」三つ揃いのスーツを着た男の声がさらに続く。
「バーネットの言うとおりだ、正常な人間と一緒に暮らさせるべきじゃなかった、やつ等がばらまいたに違いない」
「違う」トムは思わず叫び返していた「ワイルドカードは伝染しない」
「それじゃ、このざまは何なんだ?!」
「潜伏してたんじゃねぇのか」トラック運転手の怒鳴り声にCBラジオの雑音が
混じり合った悪夢のような声が続く。
「くそったれなジョーカーどもが、行く先々で撒き散らしているに違いないんだ」
「ありえない」トムはが反論すると。
「ジョーカー愛護家ってか」誰かが叫びを叩きつけてきた。
「うちにゃ赤ちゃんが待ってるのよ」若い女性のうめくような声が被さってくる。
「落ち着いて」トムがなだめようとしたが、もはやどうにもなりはしなかった、
手の施しようもありはしなかった。
人々の叫び、泣き喚く声がちまたに満ちて、あまたの方向に弾けるように駆け
始めた。
誰かに強く弾かれて尻餅をついたトムは、脇に押しのけられたかたちになり、スーツケースをはなしそうになったが、かろうじてしがみついてこらえ暴徒たちの蹄にかかりながらも、なんとかバッグも引きずり込んで車輪の間、トラックの下に転がり込み、嵐の過ぎるのを待つことにした。
なかば朦朧とした意識の中で、「こいつは正気の沙汰じゃない」そんな思いにとらわれたところで、ヘリがカナルに戻ってきたのが目に入る。
トムの周りに群がっていた暴徒の姿を認めて、鎮圧の要があると判断したのだろう。
路上に催涙ガスの缶が投下され、黄色い煙を撒き散らし始めたのだ、トムは身を翻してトラックの下から出て、飛び込んだ路地を闇雲に駆け始めたのだった。