ワイルドカード5巻第14章おうさまのおうまもⅥその3

               おうさまのおうまも・・・Ⅵ

                 G.R.R.マーティン 

ミュージアムを出たところで、ほぼ正午になっていた。
右手には緑のスーツケース、左手にはショッピングバッグをぶら下げて、まばゆい日の光に目をしばたたかせつつ、バワリーの通りを用心深く付けられていないのを確認しながら、早足で闊歩する。
通りにはまったく人影はないが、それでも気づかれずにあとをつけるのは、さほど難しくないように思えてならなかったのだ。
3ブロックほど進んだところで、一人であることをかなり確信しつつも、外科手術を受けたと思しきジョーカーや、手の込んだ面を付けたジョーカーが散見され、可能な限り距離を置くよう心がけた。
それでも歩き続ける。
確かなことは、現金が思いのほか重く、モジュラーマンの首が、驚くほど軽かったということで、2度ほど立ち止まり、持ち手を変えなければならなかった。
ファンハウスに着いたところで、スーツケースを置いてバッグも下ろし、注意深くあたりを見回して、誰もいないのを確認してから、カエルのマスクを剥きとって、ウィンドブレーカーのポケットに押し込んだ。
ファンハウスは施錠されたままで、ドアに貼られた[無期限休業中]の断り書きともに暗く沈んで見える。
ザヴィア・デズモンドが入院したからで、新聞でそれを知ったトムは、かなり落ち込まざるをえなかったし、自分が急に老け込んだようにすら感じられてならなかったのを思い出し、険しく神経質な表情となり、うろうろしながらタクシーを待った。
車の往来は少なく、待つ時間は長く、不安は増すばかりで、気持ちが休まらず、出くわした浮浪者をどかすために50セント渡したり、デーモンプリンスをあしらった3人のパンク達に、スーツケースを嘗め回すように見られたが、みすぼらしい格好から一稼ぎにも値しないと判断してくれたようでことなきを得、そこでようやくタクシーがつかまった。
イエローキャブの後部座席に滑り込んで安堵の息をつき、ショッピングバッグを横に置いて、スーツケースを足元に置き膝で抱え込んでから「ジャーナルスクエアに頼む」と行き先を告げた、そこからは別のタクシーを拾ってベイオーンに戻るつもりだったのだが。
「駄目、駄目、駄目ね」暗い瞳と浅黒い肌をし、覚束ない言葉をかえしてきた運ちゃんの前に掲示されている免許証に目をやると、パキスタン語らしき言葉が表示されているときた。
「ジャージー行かないね」
ジーンズのポケットからくしゃくしゃの百ドル紙幣を取り出す「これでどうだ」
と突き出すや否や、運ちゃんは破顔して満面の笑みで意見を翻した。
「ならいいね」さらに付け加えた「ジャージーも快適よ」
そう答えて車を発信させた、これで家に帰れるだろう。
窓を開け、風に頬をさらし、膝がスーツケースに馴染んだところで、遥か遠くの上空から空を切る騒音が轟き、耳をつんざいたのだ。
「なにごとあったか?」それに困惑げな運ちゃんの声が重なった。
「まるで空襲警報だな」前に寄りかかりつつ答えところで、警報を思わせるサイレンがもう一つ今度は近くから鳴り響き始め、皆々車を路肩に寄せ、明るく、何事もないように思える空を見上げ、囁きあった。そこで今度は少し遠くからもう一つのサイレンが2つのサイレン同様に響き始める。
その互いに重なるサイレンの響きを耳にしたトムは「くそったれが」と思わず呟いていた。
それはあの日を思い出させたからだった、ジェットボーイが死んだあの日も、空襲警報が鳴り響いて、無防備な都市に、ワイルドカードウィルスがばらまかれたのだ。
「ラジオをつけてくれないか」トムが頼むと、
「ごめんちゃい、壊れて動かないね」という答えが返ってきて
「なんてこった」さらに悪態を重ねながら「ともかくホランドトンネルに急いでくれ」と告げると、
運ちゃんは赤信号もかまわずにスピードを上げてかっとばしてくれたのだった。