ワイルドカード5巻第2章 おうさまのおうまも……1  その2

ジョーイがトムを見つけたのはまだ宵闇の時間で、彼は朽ちかかった桟橋にもたれかかり、ヴァン・カル埠頭の水面に映る月の光を見ていた。
そこには彼の家から通り一つ隔てたところに公園があり、彼はそこで生まれ育ったといっても過言ではない、子供のころからそうだった、何かあると、常にトムは慰めを求めてここに来ていたものだ。
小学校の時から友達で、昼も夜も共にいた、実の兄弟ではないが、兄弟以上の付き合いなのだ、彼の行動はジョーイにはお見通しだった、スタテン島からの明かりが、巨大なタンカーの停泊している真っ黒で油臭い水面を照らし出す中、案の定そこにトムはいた。
後ろから近づく足音を聞きつけたトムは、肩越しに振り返りながらも、それがジョーイであることは見るまでもなくわかっていた。
「駄目だったんだな」ジョーイの声。
「毎度のことさ」トムが答える。
「くそ銀行家どもときたら」とジョーイがこぼす。
「まぁまぁ、彼らの言い分は正当だよ、僕は借金が多すぎるんだから」トムがなだめに回る。
「なぁタッヅ、それでいいのか?」ジョーイは重ねて尋ねた。
「あれからどれくらいになる?」

「そうだな」トムがあいまいに答える。
「時々考えることがあるんだ」そう続けたトムの言葉をジョーイがさえぎる
「考えたって何になる?」
「わかっちゃいるさ」水辺にむけていた視線をジョーイに移して笑顔で答える。
「精一杯やったよな」
「どういう意味だ」
トムは答えずに語り始めた。
「今でも最後のシェルのことが忘れられない、赤外線ズームレンズ、4基の巨大モニターに小型のモニターは20基、テープデッキにグラフィック・イコライザーまで備え、全てを指先で操作できるコンピューター制御された、いわば芸術品とも言える代物だった。
こいつを仕上げるのに4年間、稼いだ金をつぎ込み、世間の人間が夜と余暇と週末と呼ぶ時間を費やして作業してきたんだ。
それでどうなった?使えたのはたった5ヶ月だ、タキオンのくそったれな親類どもが、実に無造作に宇宙空間に放り捨ててしまったんだぜ。」
「だからどうだってんだ、昔のシェルをごみ捨て場から引っ張り出して修理して使やぁいいじゃねえか」
ジョーイの提案にトムは忍耐を振り絞って返す。
「5台目をやつらに奪われた後に、4台目を使ったところが、焼き討ちをかけられて爆裂四散ときた、破片を見たければ、<エーシィズ>誌を買えばいい、でかでかと載っていたからな、それから2人して、使えるパーツを寄せ集めて、それでようやくましになったのが、初代のシェルのみだった」
「そうだったか?」はぐらかすジョーイの声にトムが答える。
「そうだったよな?基盤すら据えられていない、全てワイアー操作の代物で、カメラは死角が多く、モニターは白黒で旧式なうえ、20年の歳月にくたびれ果てた真空管にガスヒーター装備、換気に至っては最低最悪といった代物だった、そいつをジョーカータウンから引っ張りだしたのは9月だったかな、はっきりとは憶えちゃいないが、真空管がやきついていて視界も最悪な上戻すのがやっとこといった体たらくだった」
「それでも修理したじゃないか」
「そうじゃない」トムは荒げかけた声を鎮め、振り返って続けた。
「僕が言いたいのはだな、こいつが僕の最悪な人生のシンボルそのものだということなんだ、
そこで考えちまったんだ、これにつぎこんだ資金、時間と労力、これを表の人生に振り分けていたら僕の人生はどうなっていただろうかってね。
なぁジョーイ、僕はもう43で独り身、おまけに持ち家にがらくた置き場まで所有しちゃいるが、どっちも完全に抵当に入っちまってるときた。まったくお笑い種だよな。
今日銀行であった女性、確かミス・トレントっていったっけか、左腕の薬指に指輪はしていなかったから、思わず誘いたいと思わせるような魅力を備えていて、いやいやそんなことはどうでもいい,僕より十は若くてもおそらく3倍の収入は得ているだろう、その女性の目に浮かんだ表情を僕は見ちまったんだ、それは何だと思う、週40時間真面目にビデオとパソコンを売って働いてきた男が向けられた視線は<憐れみ>の視線だったってわけさ。」
「そんなわからずやのズベ公がどんな目で見ようが関係ねぇじゃないか。」
とりなそうとするジョーイの言葉を遮ってさらにトムは続けた。
「当然だろうな、彼女の目の前にいる男が、実はタートルだなんて知るすべもないんだから、しかもその僕の人生の最良の部分たるシェルは、アストロノマー<天文学者>とその戦闘員どもの手で焼け焦げて暗転し、残った僕のわずかな部分もこうして息絶え絶え、死んでいてもおかしくなかった」
「まだ死んじゃいないだろ」ジョーイの声を意に関せずトムは続けた。
「むしろ運が良かったのかもな」トムは熱に浮かされるようにさらに続けた。
「くそったれなまでに幸運だったんだ、僕はずっとあれに囚われていたんだからね、そうさ清々するってもんさ、まるごと川の底に葬られちまったってわけだ、場所がわかったところで、溺れずにそこまで行くのは不可能だし、ハッチをあけるはおろか、近づくこともできはしない。
たとえハッチがあけられたとしても、水が流れ込んでお陀仏って寸法さ。」
「忘れられるもんかね」ジョーイが返す。
「忘れるさ」トムが答える。
「こころのどこかにいつもひっかかっていた、こうなることをどこかで僕は望んでいたんだ、僕を影にしていたシェルは吹き飛び、僕自身は生き延びた、これは僥倖だよ、幸運といわずして何というだろうね、ハドソンの底にうなぎを友にした鉄の墓標が築かれ、新しい僕が産声をあげたんだぜ」
「はたしてそうかな」そのジョーイの言葉にトムはむきになって答える。
「それでいいのさ、たとえ家を売れて金が工面でき、新しいシェルをつくれたところで、タキオンのはとこだか、アストロノマーの弟だかが現れて、小便ひっかけて台無しにするのが落ちってものさ、そうなりゃ今度こそ生命はないだろう、そしてたとえ生き延びたとしたところで、シェルを失い、住む家もない、そこまでして何が残るっていうんだ」
ジョーイにはトムの本心が痛いほどわかっていた、ともに過ごした日々は伊達じゃない、目をじっと見据えて語りかけた。
「かもな、だけどそれだけじゃないだろ」
「僕は子供だったんだよ、こまっしゃくれた餓鬼にすぎなかったんだよ」
その目をまっすぐに見返してトムはさらに続けた。
「一人分の人生でも人はつらくて持て余すっていうのに、僕はどうして二人分の人生をジャグルして生きようなんて考えてしまったんだろうか」頭を振ってさらに続けた。
「終わりにするんだ、世間はタートルが死んだなんていってるじゃないか、安らかに眠らせてやればいいんだ」
「そうはいうがな、タッヅ」肩に手を回して語りかける。
「恥ずかしい話なんだが、うちの坊主はタートルのファンなんだぜ、そうなりゃうちの坊主を嘆かせることになるんだよ」
「ジェットボーイは僕のヒーローだった、ジェットボーイですら死んだんだ、通過儀礼のようなものさ、ヒーローもいつかは死ぬもんさ」
ジョーイにはその声が、トムが自分に言い聞かせているように聞こえてならなかった。