ワイルドカード5巻「不滅ならざるもの」その4

                   不滅ならざるもの
                   ウォルター・ジョン・ウィリアムス              
展望デッキに降り立ち、バーに立ち入ると、ハイラム・ワーチェスターが部屋の真ん中に
一人で立ち尽くしていた、青白い顔、うつろな目をして突然振り返って拳を振り上げ
ながらも・・・
ハイラムはしばし誰だかわからないようにモジュラーマンを見つめていたが、突然腑に落ちた
と見えて、拳を下ろし、ようやくそのおもてに笑顔を張り付かせた。
「そうだ、元に戻せたらと確かに願ったっけな」
アンドロイドは微笑みとともに応じた。
「さぞ不可解だったことでしょう」と答え
「当然の反応です」と付け加えた。
「そういってくれると話が早い」ハイラムはそう答えつつ、蓄音機のブリキのホーンから響くような
耳障りきわまりない忍び笑いを漏らした。
「とはいえ、死の世界から生還されたお客さまというのは中々お目にかかれるものではござい
ません、まずはエーシィズ・ハイで喉を潤され、それからお食事はいかがでしょうか」
そう答えてハイラムが脇によくと、店内は閑散としており、ウォールウォーカー並びに2人の
従業員が目に入るのみであった。
「ありがとう、ハイラム」そう答えて敷居をまたぎバーに脚を踏み入れると、懐かしさとでも呼べる
感触、暖かく故郷に帰ったような心地に包まれて、初めてあったにも係わらず、思わずバーンダー
に微笑みかけ、「ゾンビ*(カクテル)を頼む」とオーダーを告げていた。
それを耳にしたハイラムがバーテンの後ろで、息を飲むような気配が伝わってきた、
そこでファットマン(ハイラムの通称)に視線を移してたずねてみた。
「問題でもおありですか?」
ハイラムは神経質な笑みを浮かべてかろうじて答えた。
「いや問題ないさ」ボウタイを直し、額の汗を拭うようにしながらのしぐさは何かをとりつくろうようであり、
かなりの努力が必要にすら聞こえる重い口調に思えた。
「しばらくはここに君のパーツがあったんだよ」
「頭なんかほぼ無傷で、今にでも喋りだすかに思えた、そいつを眺めては、君の造物主が現われて、
組みなおしてくれたらと願っていたものさ」
「あのお方は慎重な方で、公の場に出ることは好まれませんが、パーツが戻ってくるとなったら、さぞ
お喜びになられることでしょう」
淀んだ暗い目を見開きながらハイラムはようやく答えた。
「すまない、盗まれてしまったんだ、おそらく見世物を生業にしている山師の仕業と
検討はついちゃいるのだが」
「それを聞いたらあのお方はがっかりなさるでしょうね」
「ゾンビでございます」バーテンの声に
「ありがとう」と応じ、バーの隅に飾ってあったハートマン上院議員の写真が、中央の目立つ場所に移してあるのに気がついたところでハイラムの言葉が飛び込んできた。
「モジュラーマン、ここで失礼してよろしいかな」ハイラムは慌てた様子で付け加えた。
「そろそろ厨房に戻らなければ、時間とRognons sautes au champagne ロニョン・ソーテ・オ・シャンパーニュ (腎臓のソテー、シャンパーニュ風)は待っちゃくれないんでね」
「さぞかし美味であることでしょう・・・
ディナーでロニョン(腎臓)を振舞っていただけるかもしれませんね、楽しみです」
アンドロイドがそう答えると、ハイラムは巨体を揺らしながらキッチンに向かっていった、やはり様子がおかしいように思える。
受け答えのすべてがぎこちなく思えるのだ、そうまるでゾンビを相手にしているかのごとくに・・・
そんな言葉が脳裏をよぎるくらいに、うつろな雰囲気が漂ってくる。
まるでその巨体の内側から、何かが彼を蝕んでいるのではないか、と思わせるほどモジュラーマンが記憶しているハイラムとは異なっている。
トラブニセク博士もそうだった、すべて何かがおかしいのだ。
寒気が渦のごとく精神を充たしていく・・・
記録されていたメモリーに、サイバネティックなバイアス(歪み)がかかっているとしたら、知覚自体にもバイアスが生じることもありうる、だとしたらこれはシステム状の欠陥にすぎない、おそらくトラブニセク博士はなんらかのミスをしたのだ。
だとしたらまた吹き飛ぶこともありうるのではないのか・・・
そんな思いを胸にバーを出、ウォールウォーカーに駆け寄った、ウォールウォーカーは30過ぎの黒人で、エーシィズ・ハイに勤めている一見特徴のないように思える人物ながら、ワイルドカードによって壁や天井を自在に歩く能力を得ており、富裕であるか、裕福であったことを匂わせるかなり高額と思われる、覆い隠す用途とは程遠いドミノ(顔半分を覆うタイプ)マスクを着用している。
もちろん本名を知るものもあるまいが、ともあれ楽しげなそぶりを示してアンドロイドが近づいていくと、彼は顔を上げて微笑みつつ声をかけてきた。
「やぁ、モド・マン、調子はよさそうだね」
「ご一緒してよろしいですか?」
「人を待ってるんだが・・」その口調には軽い西インド諸島のなまりが滲んでいる。
「ちょっとの間ならかまわないよ」
モジュラーマンが腰を落ち着けると、シェラ・ポーターのグラスの縁から立ち上る視線、そしてウォール・ウォーカーは言葉をついだ。
「あれ以来だな・・そう吹っ飛んで以来だ」そう口にだしてから身震いするように首を振ってから続けた
「まったくひどい有様だったな、モン(旦那)」
その言葉を聞きながらすするゾンビは、味覚器官を通して破滅を思わせる虚無の響きを脳裏に漂わせた。
「あの夜、何があったかを話していただけませんか?」
そこでアンドロイドのレーダーは、視界の隅に、悩ましげな体の、ハイラムがバーを一瞥してから、かつ立ち去るイメージをとらえた、それにウォール・ウォーカーの声が重なる。
「かまわんが、憶えてないのかね?」
そして不審げに確認してから語り始めた。
「まぁあれは事故と呼べるだろうな、俺はそう思うぜ、あんたはジェインをアストロノマー(天文学者)から救おうとした、そこにクロイドが割り込んだかたちになったのだから・・」
「クロイドって、あのクロイドですか?」
「そうだ、ウィルスをばらまいていると噂の御仁さね、あのときは確か・・金属をぐにゃぐにゃにできる力を備えていたそうだが、何をとちくるったんだか、そいつをアストロノマーに使おうとしたところで、コントロールを失い、あんたにそいつをみまっちまったのさ、それであんたはインドのゴミ男みたいにぐにゃぐにゃになっちまって、催涙ガスの煙に包まれたのさ、モン(旦那)、そのわずか後に吹き飛んだってのがあらましさ」
モジュラーマンは数秒の間、可能性を推し量るため静止していたが、そこで疑問を口にした。
「アストロノマーは金属の身体なのですか?」
「いいや、しなびて脆弱なただの老人だ」
「それじゃ、どうしてクロイドは何の効果も期待できない相手に力を使おうとしたのでしょうか?」
ウォール・ウォーカーは手を振り上げて打ち消すように答えた。
「皆持てる力を振り絞っていたんだよ、モン(旦那)、催涙ガスで溢れ、灯りも消えてたから、まぁいわば育ちすぎた象が闇雲に暴れたようなものだったかもな・・・」
「それでクロイドは、私にしか効果を及ぼせない力を使った、というのですね・・」
ウォール・ウォーカー肩をすくめたのみで答えず、他に二人いて聞き耳を立てていた客も席を立ち、バーを出た、そこで別の問いを口にすることにした。
「ジェインとはどんな人でしたか?その、わたしが助けようとしていた女性とのことですが・・」
ウォール・ウォーカーは目を丸くして答えた。
「それも憶えちゃないのか」
「どうやらそのようです」
「あんたが守ろうとしていた娘だよ、モン(旦那)確かウォーター・リリーと呼ばれてたようだがね」
「ああ」ようやくアンドロイドのこころに灯りが灯るような、わずかな揺らぎが生じた、これが安堵というものだろうか、その名前なら知っている、ようやく記憶がつながったのだ。
「クロイスターでの騒ぎのときに会いました、わたしの記憶にはあの娘の名はただリリーと記録されていたのです・・」
「じゃ巨大猿が脱走したときの記憶はないと?」たずねてきた通りだ、それ以降会った記憶はない、ならばその人にあえば何らかの糸口が得られるのかもしれない、そう思えてきたのだ。
「たしかここで働いてたときはさ、モン(旦那)皆ジェイン(ジェイン・ダウ<Jane Daw>とは本来名無しを意味する名称)と呼んでたもんだったがね。」
それでもないよりはましだ、私には名前はないのだから突然そんな想いがアンドロイドの精神を浸した。
モジュラーマンというのは、商標や渾名であってボブにサイモン、それにマイケルといったありふれた名ですらないのだ。
ときに親しみをこめて「モド・マン」と呼ばれることはあっても、それは短縮形ではあっても、本当の名などではありはしない。
精神に悲しみと思しき感覚が漂い押し寄せてくるが、気を取り直して尋ねた。
「ジェインさんとは今どこで会えるでしょうか?尋ねたいことがあるのです」
苦笑ともいうべき含み笑いと共にウォーカーは答えた。
「誰も知るものはない、この街から消えうせちまった、表舞台から降りちまったんだろう、噂じゃクロイドの被害者を治療できる唯一の存在といわれちゃいるがね」
「本当ですか?」
「まぁ噂だけだろうな」
「そうなのですか」
その事実は絶望の渦となってアンドロイドのこころに重くのしかかるが、それがなんだというのだ、己を四散させたクロイドが、今度は街中に死をばらまいているのだから・・・
それなのにクロイドのなしたことを覆し、癒しうると言われている存在は行方をくらませており、ハイラムとトラヴニセク博士の様子はおかしく、アリスは結婚しているときているのだ・・・
そんな気持を胸に秘め、ウォーカーに視線を移して注意深く声をかけてみた。
「これは何かの冗談でしょうか・・」そのはずなのだが堰を切ったように言葉が迸り出た。「だとしたらその理由が知りたいものです・・」それは深刻な響きを伴って
いたが、何とかしめくくった「そうでないと気が滅入ってなりませんから」
アンドロイドが口にした事柄は予想外だったと見えて、ウォーカーは目を丸くしていたが、ようやく答えた。
「モン(旦那)、俺にゃ難しいことはわからんがね」とはいえその口調には同情が滲んだものだった。
「事実はともかくこうだよ、モド・マン、クロイドはブラック・クィーン(死)をばら撒いており、ウォーター・リリーは逃亡を続けていて、戒厳令がしかれたまんまってことさ」
そのときキッチンから叫びが飛び込んできて会話に被さり遮った。
「どこにいったか知るものか、くそったれが」それはハイラムの声だった。
「出ていったんだからな」
「探してるんだろ?」激しい音が響き渡りかきけした。
フライパンがぶちまけられでもしたのだろう。
「知らん、知らん、もう出て行っていやしないんだ」
「そんなはずはない」
「おいてかれたんだろうぜ」
「ジェインはいるんだろ」
「もういやしない」
「信じられるものか」
さらにフライパンがばら撒かれた音のあとで
「出ていけ、ここから消えうせろ」
絶叫にまで高まった声とともに、キッチンから突然現われたハイラムは、
シェフのユニフォームを着たアジア系の男にすがりつかれながらも、ドア
の外に一押しで放り投げてのけ、男は重さを持たぬ羽のように漂い、ドア
の向こうに跳ね飛ばされた。
そうしてレストランには沈黙が立ち込められ、ハイラムの荒い息のみで充
たされ、殺気だった雰囲気を漂わせ、客を睨みすえたのち、オフィスに引っ込んだ。
そこで客の一人が急いで勘定を済ませて立ち去り、もう一人の骨ばった身なりの良い衣服に身を包んだ茶色い髪の男が居心地悪げに「ガッデム(ちくしょうめ)」と悪態をついてから「ここにこれるようになるまで20年かかった、それがようやくこれたらこのざまときた」と愚痴をこぼし始め、モジュラーマンが、ウォール・ウォーカー
に説明を求めるよう視線を移すと、漆黒の男は悲しげに微笑んで返した。
「あれじゃ格式もなにもあったもんじゃないというものさ」
その言葉を聴いてアンドロイドは安堵に包まれた。
やはり今日のハイラムはおかしいのだ。
プログラムの異常などではなかったということだ。
そこでワイルドカード記念日における可能性を検証してみることにした。
「クロイドがアストロノマー(天文学者)のために動いていたという可能性はありませんか?」
「あのワイルドカード記念日にかね?」ウォール・ウォーカーが興味をそそられた様子でのってきた。
「たしかに、雇われ稼業だから・・ありえる話だが、アストロノマーは自分の取り巻きすら始末してのけて、血の海を展開してのけた、ってー話があるくらいだから、我々と一緒に殺されかけたとしても手のものである可能性はあるわけだ」
「クロイドに関して、どういったことをご存知ですか?」
笑顔とともに返事が返された
「モン(旦那)、壁に耳ありだよ」
その警告を振り払い重ねて尋ねた。「どういった外見なのですか?」
「今どういう姿なのかはわからないんだ、外見も能力もしょっちゅう変えているから
ね、お分かりかな、モン(旦那)、いわばワイルドカー(荒馬)だな、最後にみかけられたときに、ボディガードだか、とりまきだかと一緒だったということだが、どっちがそいつで、どっちがクロイドだかもわからなかったくらいだから、そのときは髪を染めたアルビノ(白子)の姿のうえ、目が影で覆われていたいたという話で、そのもう一人は若い見栄えの良い男だったということだが、ここ数日誰もその姿をみちゃいないんだ。
だからワイルドカードの作用で、また別の誰かになっていることもありうるし、もはや疫病をばらまいていないこともありえるだろうね」
「それでは非常事態は解除されたのですか?」
「そうもいえるが、一方ではそうでないともいえる、ギャングどもの抗争は続いたままだからね」
「それもまた初耳です」
「それに選挙のことも拍車をかけてるようだ、誰がどう係わっているかなんてことは知らんがね」
そこでレーダーが、オフィスからでてきたハイラムをとらえたが、不安げにバーを一瞥してからまたすぐにひっこんでしまった。
その姿を、モジュラーマンの右肩ごしに認めたウォール・ウォーカーは、一言言い添える気になったようだった。
「ハイラムは具合が悪いようだね」
「どうも様子がおかしいように思えてならないのですが」
「経営がうまくいっていないんだよ、エースといってもさほど珍しくなくなったところで、ワイルドカード記念日の虐殺ときてさらにエースの客足が遠のいてしまったんだから、それにWHOのツアーにも係わっていて、そこでも色んな血なまぐさい目にあったすえの失敗だったと聞いている・・
モン(旦那)すまないね、色んな事情が複雑に絡み合っているんだよ」
「お気になさらないでください」アンドロイドがそう答えると、
「とはいっても、クロイドには困ったものだ、ジョーカーにブラッククィーン(死)が街中に溢れ返ったのは事実だし、今のところはだが、お仲間のエースたちの目をかいくぐって逃げおおせてるんだから」
「わたしはエースではありません、ただのマシンです」
「モン(旦那)は飛べるだろ、常人以上の力もありゃ、エネルギーボルトまで撃てる、それでどう違うというんだ?」
「それはそうですが・・・」
そういいかけたところで、何者かがバーに入ってきた、
レーダーがとらえたその姿は、あまりにも奇妙ないでたちであったため、頭部を動かし、直接視認してみたところ、茶色い髪とひげが足首まで伸びた異様な風体で、首にはぶら下がった十字架が髪の間からわずかに確認でき、汚れたTシャツに膝下で切られた青いジーンズに身を包んでいるが、脚は裸足のまま。
とはいえ尋常ならざるとはいえ、ワイルドカード感染の兆候はまったくうかがい知れない。
そんな男がとぼとぼ歩いて近づいてきたので、モジュラーマンがその瞳を覗き込むと、オレンジ、黄色、緑といった異なる虹彩がともに渦巻いて、射的の的のように見え、不恰好な手に、薄く毛深い指があり、片手に6オンス(約148g)のコーラのボトルが握られている。
「これはほってはおけないな」ウォール・ウォーカーはそう話して
「失礼してよろしいかな」と丁寧に断りをいれてきたので
「ではまたのちほど」と答え促した。
テーブルに歩み寄った毛深い男は、ウォーカーを認めて口を開いた。
「あんたを知ってるぜ」
「俺を知ってるってか、平たいの」
モジュラーマンはバーに戻って、もう一杯ゾンビを頼んだ。
するとハイラムが現れて、靴着用の原則を持ち出してその男に退去を促した。
そうしてその男はコーラの瓶を肘にねじ込まれてウォール・ウォーカーに連れ出されたはずだった、そのねじこまれた瓶が皮下注射器を思わせて印象に残っていたのだ、そのはずなのにアンドロイドの目は空っぽの瓶が残されていることに気づいてしまったのだ、そう空っぽの器のみが・・・
そしてバーは無人になり、ハイラムの苛立ちと失意は頂点に達したと見えて、その
感情はバーテンにまで感染し蝕んでいるように思えたため、一言断りをいれて、そこを後にすることにした。
もはやゾンビを頼むことはないだろう、その味は、あまりにも深く失意の感覚と結びついてしまったのだから・・・











*この場合のゾンビはゾンビカクテルのことで、ラム酒にオレンジジュースやレモンなどの柑橘類を加えたもの。
もちろん一般的には魔術で動かされた死体、もしくは生気のない人のことを例えて指すことも・・・