ワイルドカード7巻 その11

       ジョージ・R・R・マーティン

             午後9時

アパートは店じまいした印刷屋を見下ろす二階にあった。
世紀を経た鉄骨作りの建物が川を遮るかたちで建っていて、
扉のところには、消えかけた判読しにくい文字で、
かろうじてブラックウェル印刷会社と読み取れる。
窓ガラスを透かして見ようとしたが、
灰色に塗られているかのようで、
中まで見えはしない。
両手をブレザーのポケットに突っ込んで、
ゆっくりと歩道を歩いてみると、
二階に上る通路は二箇所あることが見て取れた。
建物の後ろに鉄製の非常用の梯子が備えてあり、
窓の外の方にそいつを下ろして上っていけそうであり、
ベルを鳴らしてみることもできそうだ。
二階の窓からは明かりが伺える。
通りに面した方に回り込んで、鉄枠のドアを
見たが、こちらには呼び鈴といったものは
見当たらない。
親指で軽く突いてみると、
キーキー音を立てて、
鍵が外れたようだった。
こいつは都合がいい。
とばかりに中に入ると、
狭い階段の下にでたようだった。
室内には黴とプリンターインクの匂いが
漂っていて、
天井からは裸電球がぶら下がっている。
そいつを微かに揺さぶってみると、
蛾が離れて、回りを飛び回り、
電球が熱を放って明るく輝いた。
おそらく古い配線に対し電圧が強すぎて
負荷がかかっていたのだろう。
ともあれ灯りは無事点いて室内は充分
見て取れる。
蛾の一羽が電球に飛びついて落ちていき、
足元で燻りつつも、
まだまたたいているその羽が、
剥き出しの木の床に描かれた刺青のように
思える。
そいつを踏みしめると、
パリっと音を立て崩れていった。
(サーシャがこんな風に厄介ごとに飛び込んで
いなければいいのに)と考えながら、
上に続くドアが開けられて、
「上がってくるのかい」と声がかけられてきた。
それは女性の声で、ジェイにはそれが誰の声だか
わからなかったが、
彼でないことは間違いない。
上を眺めながら訊ねた。
「サーシャを探している」と。
そうして階段を上って行った。
かなり痛んでいるため、慎重に注意を払いながら、
「サーシャはいないよ」
すると二階に現れた女性が階段の一段に足をかけ、
微笑みながら応えた。
「ずっとあたし一人だよ」
そうして口を尖らせながら舌なめずりしているようだ。
赤いワンピース型下着を身に着けているが、
下着は履いていないようで、
黒く薄い恥毛が、その開いた脚の間から見て取れるでは
ないか。
肌はハイラムいうところのカフェオーレ色といった感じの
明るい茶色で、
背中に流されている髪は黒くもつれていて、
ワンピースよりも長く伸びている。
下の方はというと、ジェイがこれまで見たこともない見事な
ものであり、
「おいで」と声をかけてきた。
そして挑発的により強い口調で繰り返した
「おいでなさい」と。
ジェイは抗うように周りを見回しはしたが、
結局視線を逸らすことはできずにいて、
(そういえばジューブがいっていたっけな。
サーシャはハイチ人の娼婦だか男娼と同居してると)
飢えた目をして細い針をもった刺客の待ち構えて
いるのを予想していたものだったが、これは想定外の事態と
いえるだろう。
固唾を呑んで、ほぼ裸になった女性の姿を眺めていたが、
Ahその……」
ようやく言葉をついだ。
「サーシャは……」
「サーシャはあたしにあきたってよ。
あたい、Eziliエジリィっていうのよ」
そうして手を上げて示しながら微笑んだ。
「俺はジェイ・アクロイド、クリサリスの友人だ」
そして付け加えた。
「サーシャの友人でもある」そしてさらに続けた。
「彼と話さなければならないんだ、あの人のことを。
もちろんクリサリスのことだが……」
ジェイはそう言いながら階段を上って行った。
エジリィは耳を傾け、
頷いて微笑んでいる。
ジェイはあと二段というところまで近づいたところで
さらに頷き返した。
エジリィの瞳はその下着同様の色に輝いているではないか。
黒い虹彩の周りが紅く濡れた色で縁取られているのだ。
「その目は・・」思わず動きをとめて口に出していた.
エジリィが近づいてジェイの手をとり、
その脚の間に挿しいれた。
身体の熱が伝わってきて、
指には、そのコーヒー色の肌の下の湿り気が感じられる。
そうして指が中に入り込んでいくに従い、
彼女は吐息を漏らし始めた。
互いが溶け合うように感じる中、
彼女が最初の絶頂に達しながらも、
熱に浮かされたように手をはさんだ腰を振り、
それから飢えた子供のようにジェイの手を口のところまで
もっていき指を舐め、
そこに滴った液体をすすっている。
ジェイにはもはや言葉もない。
そうしてその瞳に沈んでいったのだ。

ワイルドカード7巻 その13

   ジョージ・R・R・マーティン

       午後10時
  

       「お眠り」
そう囁いたエジリィの声を聞きながら、
ジェイはすでに強い眠気に襲われていた。
なんとか抵抗しようと試みはしたが、
身体が柔らかいカーペットに沈み込んで
いくように感じる。
目は閉じようとし、
穏やかに漂っている。
ここに至り、どれだけ疲れていたかを
思い知らされることになった。
微笑みながら見下ろしているエジリィの
腹部の感触を手で感じながら。
灯りをつけようとすらしない。
それなのにカーテンの向こうに遮られている
筈の外にある街灯の明かりが感じられてならない。
エジリィの乳首は大きく暗くて、
ほろ苦く甘いチョコレートの味を思わせてならず、
手を伸ばし、脇腹に触れると、
エジリィの指が手首を掴んで、
「駄目よ」というが響いて、
「目を閉じて、お眠りなさい、坊や、
夢を見るの」という囁き声が重ねられ、
眉に口付けするのを感じ、
Ezili je rougeエジリィ・ジュ・ルージュの夢を」
という言葉を耳にしながら、
ジェイの一部はやばい状況だと騒ぎ、
一方で構わないとも思えている。
娼婦だとするなら、金が目当てだろうか。
またもやそれもどうでもよく思えてくる。
高くつこうとも、それだけの価値があるだろうと
思えている。
「一晩幾らだ?」
まどろみながらそう囁いていた。
エジリィが笑い声を立てている。
可笑しげでありながら、
明るくリズミカルに笑っている。
額をだらりと垂らし、
慰めるかのように指を動かしながら、
部屋は暖かくも暗く、
目を閉じると・・世界が流れていってしまうように思える。
ジェイに触れるエジリィの指は感極まったようで優しく、
それでいて小声で呟き続けている。
「一晩中、一晩中」と。
何かおかしいことを話しているかのように。
一方で開いたドアの向こうからも、
何か音が聞こえている。
さらさらいう衣擦れのような音が。
誰か他にいるのだろうが、
ジェイにはもはやどうでもよくなっている。
暖かい、眠りの海を、
漂って、沈みつつあるのだから、
おそらく今夜は、あの悪夢を見ることもないだろう。
そこで大きな音を立ててドアが開かれた。
「誰かいるのか?」と大声が響き渡った。
歩道からの灯りを顔に感じて、
意識が引き戻されてきて、
目の前に手をかざしながら、
ふらふらと起き上がると、
指越しに、ドアの傍に立っている男が目に入った。
Shitくそったれ」
そうこぼしながら、
自分がどこにいるかを思い出した。
エジリィは足元に崩折れながら、
フランス語で何かをがなりたてている。
ジェイにはフランス語はわからないが、
英語に近い言葉を拾い上げ、
その口調からだいたいの意味は掴み取った。
鈍い騒音に後ろを振り返ると、
今しも寝室のドアの陰から暗い人影が立ち去るところで、
(子供だろうか)そう思い。
(背骨の捩れた猫背の男かもしれない)
そうも考えもしたが、あの灯りではそこまではっきりとは見てとれず、
ドアはいきおいよく閉められてしまった。
「もう我慢できない」玄関口からも声が聞こえてきた。
それはかすれて震えた声だった。
エジリィが口角泡を飛ばし、フランス語でその声の主を詰っている。
「わからないんだ」そうして懇願しているではないか、
「もう待てない、キスしておくれ、必要なんだ、お願いだから」
聞き覚えのある声だった。
長いすに飛び乗って、
手探りでランプを探し、
ようやく明かりをつけることができた。
「結局わかっちゃいないんだよ」
それはサーシャの声だった。
「黙りな、うすのろ」
エジリィが英語でののしり返している。
サーシャがゆっくりと振り返り、ジェイの方を向いて、
「あんた」
その声を聞きながら、ようやく自分が裸であることを思い出した。
脱いだ服は部屋中に散乱しているではないか。
ズボンは長椅子の背にひっかかっていて、
トランクスはランプシェイドの上に掛けられたかかちになっており、
靴下と靴は見当たりはしない」
エジリィもまた全裸のようだ。
もちろんサーシャに目はないが、
それに問題のないことはジェイも弁えている。
「俺だよ」そう声をかけながら、
ランプシェイドのところのトランクスをひったくって履いたが、
何と声をかけたらいいか思いあぐねている。
(すまない、あんたと話があって来たんだが、彼女の尻があまりにも
魅力的だったもんでな)
いやそんなことが言えるはずもない。
ともあれサーシャはテレパスだから、
そんなことは先刻承知のはずだが。
「臆病者」エジリィはサーシャを罵り続けている。
「弱虫、なんであんたにキスしなけりゃならないんだい。
あんたにゃその価値すらない」
ジェイは幾分驚きをこめてエズリィを見ていた。
これもエズリィの一面なのだ、と思いながら。
おそらく娼婦が客に対してはけして見せない顔なのだろうが。
裸のまま、両拳を腰に当て怒りを顕わにして。
そこでジェイは、初めてエズリィの首に大きく無骨な茶色い瘡蓋の
ようなものがあるのに気付いた。
何か性病を患っているのではなかろうか。
例えばエイズのような。
そういえばエズリィはハイチ人だそうじゃないか?
どうにもバツの悪さを感じてならない。
「シャツはどこだったっけ?」
と搾り出した声には、思ったより怒りが滲んでしまったとみえて、
エズリィとサーシャが共にジェイに視線を向けてきた。
エズリィはまだフランス語でもごもご言っていたが、
裸足に気付いたのか、ベッドルームに入って、
バタンとドアを閉めたあとに、ガチャリと鍵をかける音が響いてきた。
サーシャは泣きそうな顔をしている。
(目はなくともそいつはわかるというものだ)
サーシャは沈むように椅子に掛け、
目がないながら、顔をジェイの方に向けて訊ねてきて、
「それで」苦々しさを滲ませて続けた。
「何が望みなんだ?」と。
ジェイはズボンと格闘しながらも、
どうにも居心地の悪さを拭いきれずにようやく言葉を
搾り出した。
「エルモを探している」
そう言いながら何とかズボンの間に脚を突っ込み、
チャックを閉めていると、
「皆エルモを探しているんだ」
そうサーシャがこぼしてきた。
サーシャがこんなに顔色を無くし、汗まみれで取り乱して
いるのをみたことがないほどだ。
「何か頼まれて出てったきり、戻っちゃこなかったぜ」
ヒステリー一歩手前といった甲高く感情的な声だった。
「戻ってこなくて幸いだった、そこにいたら吊るし上げを
くらっただろうからな」  
どうにも靴下が片方見当たらず、
見つかった方をポケットに放り込んで、
靴を履こうと長椅子に掛けた。
長椅子は新しく、ワイン色のビロードで革張りされており、
おそろしく高価に見える。
(そういえばこのアパートをじっくりと見たことはなかったな)
床は雪のように白いディープパイル地で覆われており、
見渡すとキッチンがあって、
銅板張りのポットに、青銅色の解凍機能付冷蔵庫と、
小さな部屋には不似合いな普通の二倍はありそうな大きな電子レンジが
あり、
リビングには手の込んだ図形が床から壁一面ぐるりを覆う高価そうな、
ジェイの知らない抽象画がかかっていて、
(おそらくハイチのものに違いあるまい)
左側にはロフトがあって細かく区切られた寝室が、
5つだか6つはあるようだ。
「ここは何なんだ?」困惑して訊ねていた。
「あんたにゃ関係ない」そしてサーシャは言葉をついだ。
「どうしてそっとしておいてくれないんだ?」
「質問に答えてくれたらそうするよ」
その言葉はサーシャの怒りに火を注いだようだった。
「いやだ・・もう待てないといったじゃないか。
出てってくれ、キスが必要なんだ……
いてほしくないと言ってるんだ、ほっといてくれないか?」
こんなサーシャを見るのは初めてだった。
「何があった?」そして訊ねた。
「何にかかわっちまったんだ?」
サーシャの怒りは落ち着いたのかくすくす笑いながら続けた・・
「そうとも、ワインより甘いキスだ」
ジェイは立ち上がってしかめっ面を返すと。
サーシャは激しい調子で繰り返した。
「エジリィはベッドだとたまらないものがあるだろうが、
付き合いが長い分、あんたじゃ俺の一晩には及ばない」
「サーシャ、あんたの夜の営みのことはどうでもいい。
エルモを探しださなきゃならないんだ。
俺の知らない情報がある。
そいつを聞き出すことで、
クリサリス殺しの犯人につながるかもしれないんだ」
サーシャはその細い鉛筆を思わせる口ひげを微かに振るわせて
応えた。
「誰が殺したかわかってるじゃないか?カードを残していったんだろ?
そうとも、あんたにもわかってるだろ、あいつだとも……」
サーシャの言葉に、何か違和感を感じながら応えた。
「たしかに死体の横にスペード、エースのカードはあったが、
だからといって、ヨーマンが犯人だという決め手もない、奴は……」
「奴だ」
サーシャが怒りで脚を振回しながら言葉を割り込ませてきた。
「ヨーマンさ、奴がやった、殺したのは奴だよ、ポピンジェイ。
そうとも、奴は戻ってきたんだ、あいつを見たんだ」
そこでジェイは聴き返していた。
「見ただって?」
サーシャは興奮を滲ませ頷いてから応えた。
「ブライトンビーチの、母さんの所だ。
奴は俺を探しに来たんだ、エルモも探していると言っていた」
「なぜだ?どうしてクリサリスを殺さなきゃならない」
サーシャは用心深く室内を見回してから、
誰も聞き耳を立てていないのを確信してから、
屈んで耳に口を寄せ囁いた。
「あの人は本名を知ってしまったんだ」
くすくす笑いながら続けた。
「聞きたいかい?知ってるんだよ。
それともこのまま帰っちまうか?」
「あんたも知ってるのか?」
サーシャは激しく頷いてから応えた。
「直接口にしはしなかったが思考が読めたんだ。
それと知ったら・・俺も殺されていただろうな。
どうだい?」
「教えてくれないか?」
「このまま俺から手を引いて、俺を煩わせないと約束
してくれないか、愛の営みを邪魔しないと……」
「約束しよう」
幾分いらだち紛れなジェイの言葉にサーシャはようやく
応えた。
「ダニエル・ブレナンだ、さぁ出てってくれ」
ジェイは一度振り向きはしたがドアのところに行き、
ドアを開け外に出ようとした。
その時サーシャは寝室のドアの前で膝をついて、
目のない頭を床にこすり付けて懇願し続けていた。
その魔性のキスを。

ワイルドカード7巻その14

       ジョン・J・ミラー

         午後11時


チッカディーはバワリーの中心に位置し、
その外装は質素で味気ない石灰が
用いられているのみで、
看板もなければ、店らしい天蓋もなく、
その存在を示すドアマンすら置いていない。
チッカディーは宣伝の必要のない、
口コミのみの店なのだ。
ブレナンは何も持たずに踏み段を上っている。
弓矢はレンタルボックスに預けてきた。
待合室には雄ゴリラを思わせるサイズの筋肉質な
ジョーカーがいて睨みをきかせてきて、
顔をよせてジーンズやTシャツの匂いを嗅ごうと
したが、
あまり待たされずにすみ、
中からドアが開いて招き入れられた。
(チッカディーを訪れる数多の客は概ね満足し、
ここを楽園とたたえるのだろうか)
そう考えながら中に入ると、
Twelve-Finger Jake十二本指のジェイクが
Greeting Parlor軽食パーラーの隅でピアノを
弾いていて、
J(ジョーカー)-ジャズと彼が呼んでいる、
12本の指を駆使して複雑なコードで超弱拍の
ミュージックを正確に叩き出している。
椅子やソファーにいる男たちは、ほぼ三つ揃いの
高価に思えるスーツに身を包んでいて、女性と
会話に興じている。
店にいる女性たちは人種や肌の色は様々ながら、
皆一様に美しいが、
ここがジョーカータウンであるからには、
何か変わったところがあるに違いあるまい。
そこでドアの脇に立っていたブレナンに、
ナットのホステスが近づいてきた、いや
少なくともガーターベルトにパンスト、
ハイヒールに身を包んだその姿は、
ジョーカーの特徴を覆い隠していて、
ナットに見える、というべきか。
ともあれチッカディーの女性たちは
一筋縄ではいかないといえよう。
「あら、こんにちは、私はLoliローリィよ、
何か御用かしら?」
そうかけられた声に、ブレナンは頷いて応えた。
「男を一人探している」
「女なら色々いるけれどね、白い肌、黒い肌、
茶色い肌の女も、男はちょっとねぇ」
「そういうのじゃなくて、友達を探しに来たんだ」
そして口早に付け加えた。
「レージィ・ドラゴン、っていうんだが」
「あら」ローリィが頷いて、
ブレナンの腕に腕を絡めて、
ヒップを押し付けてきた。
歩くたびに、シルクに覆われたその太ももが
ブレナンにこすりつけられてくるではないか。
「それだったらマリリン・モンローのマスクを
つけたほうがいいだろうな」
何とかそう応えたブレナンにローリィが応えた。
「それもそうね」と。
十二本指のジェイクの敏捷な指の奏でるリズムと
13人の女のさざめく声に50人はいる、おそらく
男であろう声が重なって、
幻惑わせられているように感じながらも何とか
パーラーを通り過ぎて、
階段を上り、通路を進んだところに、
ブレナンと同じメイ・ウエストのマスクを被った
二人のワーウルフに警護された二枚扉で閉ざされた
部屋があって、
ワーウルフの一人が声をかけてきた。
「何だ?」
それにブレナンは頷いて応えて、
「安心してくれ、ドラゴンに用事があるんだ」
と言葉を継ぐと、
「あんた一人でか、どうなんだ」
ブレナンは肩を竦めて応えた。
「俺はどちらでも構わんが」と応えると。
ワーウルフがぶつぶつ言っていたが脇にどいて、
ブレナンとローリィは中に入れた。
中には大きな部屋が広がっている。
内装は想像通りの豪華なもので、
壁の半分は金と銀のペイズリー柄の壁紙が
張られていて、残り半分は鏡張りになって
いて、
実際よりも室内を広く見せている。
ふかふかの長椅子に、ずんぐりした
クッションが載っていいて、
店中に散らばっている長椅子は店の女や、
壁同様に洗練されたスーツに身を包んだ
男達で全て占められていて、
その一つには物憂い表情の裸の女性が
横たわっており、
女性の身体、豊満な胸、つややかな脚、太ももの
間のつなぎ目、そして長椅子には、コカインと
思しき粉がラインを描いていて、
男達が群がり、鼻を鳴らしている。
他にはトレイを持った女性もいるが、
そのトレイの上には飲み物と、
粉や錠剤の入った小さな銀色のボウルが
載せられているではないか。
そこでローリィが、
「また後でね」と言いおいて
すぅっと放れていった。
レージィ・ドラゴンは店の隅に掛けていて、
茎の長いグラスを持ってちびちびやっていて、
ブレナンが見ていると、
綿毛に被われた細身の黒い女から白い粉を
薦められても断っている。
「何の用だ?」そして近づいてきたブレナンに
そう声を掛けてきた。
ドラゴンは若い、東洋系の小柄でありながら
良く搾られた身体の男で、
紙を折って動物を作り、
それを生きているように操る能力をもった
エースだが、
面白くもない、といった面持ちを崩さない。
「あんたはやらないのか?」
ブレナンの言葉に肩をいからせて、
立ち上がりかけたが、
椅子に戻り腰を落ち着けて尋ね返した。
「こんなところで何をやっているんだ、
カウボーイ」と。
それはブレナンがかつてフィストに潜入
していたときに使った名だった。
ブレナンは肩を竦め応えた。
「愉しいパーティーのようだな。
お開きになってないのが残念だが」
そうしてドラゴンに視線を据え訊ねた。
「どうなってるんだ」
ドラゴンはたっぷりと間をおいてから応えた。
あいつだよ」視線で、背が高く痩せぎすの
やつれたと言った感じの、
白いリネンのズボンにジャケットとシャツを
合わせた装いの男を示して続けた。
Quinn the Eskimoクイン・ザ・エスキモー、
本名はトーマス・クインシーで、シャドー・
フィストの科学部門のトップだ。
特殊な効果を及ぼす合成麻薬の開発を専門に
している男だ」
「新製品を試したか?」
そうブレナンが訊ねると、
ローリィがクインの傍にいき、彼と話しているのも
ブレナンの視界に入ってきた。
クインは微笑んで、
青い粉の入った小瓶を渡していて、
ローリィはそれを吸い込んで、
胸を揉みしだき始め、
粉同様の青い色に変わっていったではないか、
クインとその周りの男達はそれを見て微笑んでいたが、
その内の一人がクィンに促され、ローリィの胸に吸い付くと、
ローリィは目を閉じて壁にもたれ、
達したようだった、強烈なオルガズムに、
「何が起こったんだ?」そうブレナンが訊ねると。
ドラゴンは肩をすくめて応えた。
「新製品のデモンストレーションといったところだろうさ。
客もそいつを見に来ているんだ。
それで何の用があってここに来たんだ?」
ブレナンはドラゴンに視線を向けて応えた。
「友達が殺されたんだ、ドラゴン、聞いているだろ?」
「クリサリスか?」
ブレナンは頷いた
「この街のフィストが絡んでのいざこざだと聞いている」
ドラゴンは首を振って応えた。
「フィストに殺す理由はないと思うがな」
「あんたにも仁義はあるだろうし、話せないというなら、
他の人間に聞くまでだ、例えばフェイドアウトとか」
「そいつはお勧めできない、あんたは奴によく思われちゃ
いないからな」
ブレナンは肩を竦めて応えた
「それならそれで構わない」そして続けた。
フェイドアウトが応えるか・・さもなければフィストが
血で購うことになるだけだ」
ドラゴンがゆっくり立ち上がり、注意深く囁いた。
「ここでは勘弁してくれないか、
これでも俺はここのセキュリティーチーフなんだ」
ブレナンはメイ・ウエストの仮面の奥で微笑んで、
そして応えた。
「俺もあんたを標的にはしたくない。
だからフェイドアウトに、話がある、とそう伝えて
くれたらそれでいい」
互いに視線をそらせずにいて、
ブレナンは視線を据えたまま、そのまま部屋を出ることに
なった。
するとワーウルフの一人が声をかけてきた。
「それでどうなった?
誰か連れて行かないのか?」
「そうだな」ブレナンはそう応え、同時に
マスクをとって見せ、そいつに放ってよこした。
マスクを抱えて目を白黒させているワーウルフ
ブレナンは続けた。
「連れて行こうか?」
「どうした」もう一人のワーウルフが怒りをあらわに
つっかかってきた。
「俺も見ただろ」
「それもそうだ、あんたも殺さなければ公平じゃないか」
ワーウルフは身の危険を感じながら、
ブレナンが出て行くのを見守っていた。

そうして祈らずにはいられなかった。
あれが誰の顔だか知らないことを。
そうすれば、
見なかったことにしておけるだろうから、と。

ワイルドカード7巻 その15

                ジョン・J・ミラー
               1988年7月19日
                  午前2時


地下は淀んだ空気の吹き溜まりであり、
カビと腐臭で満ちている。
そこはクリサリスによって、パレスの秘密の入り口として造られたが、
使われなくなって久しく、
ブレナンの持つ懐中電灯の放つ光のみの暗闇と、
パレスに向かうブレナンの立てる稀な音のみの静寂。
それだけに支配されている。
一度通ったのみで、
そこで蠢く音をかつてブレナンは確かに聞いたように思えたが、
クリサリスが語りはしない以上それまでで、
今はその好奇心を満たしている余裕はない。
地下道は建設途中のトンネルにつながっていて、
そこから暗い地下貯蔵庫につながっている。
そこにはアルコールの入ったケースが積まれ、
大量のアルミニウム製ビール缶に、ポテトチップに
プレッツェル、ポークリングといったジャンクフードの
詰め込まれた段ボールで満たされており、
ブレナンはその間を縫って音も立てず進み、それから
上に上がるとパレスの一階に出て、
ブレナンはそこで待っていた。
見えも匂いもしないが、ともあれパレスに何者もいない
ことを確認してから、
通路に出て、クリサリスのオフィスを目指し、
そのドアの前に立ったが、
どうにも中に入るには気が進まない。
そこの壁にはクリサリスの血が飛び散ったのに違いなく、
クリサリスの死んだことは疑い無いとわかっているというのに、
クリサリスは多くの秘密を抱えてはいたが、
臥所を共にしたブレナンには共にする秘密が幾らかあった。
そのクールな外見の下には孤独な女性がいたということだ。
その孤独な魂を愛していたわけではないが、愛せたのではないか
という思いはある。
その思いが、
古傷を開き血が流れるような痛みを伴って蘇ってくる。
クリサリスのオフィスの暗く静寂に満ちて魅惑的なさまが
思い起こされてくる。
床には高名な東洋のカーペット、そして床から天井までを
占める壁にはクリサリスのいつも読んでいた
革張りの本で埋められた本棚が、
硬い樫と革に覆われた家具があって、
暗い紫のヴィクトリア調の壁紙も張られていて、
室内は、クリサリスの纏っていたエキゾチックなフランジパニと
よく飲んでいたアマレットの香で満ちていた。
平和そのものといった室内が、
死と破壊で塗りこめられてどう変わったか見たくはないが、
見なければなるまい。
息を深く吸って整え、
ドアの前に張られたテープを剥がし、
オフィスに入った。

そこに広がる光景は想像を越えていた。
大きな樫のデスクは部屋の真ん中まで移動していて、
黒い革張りの椅子は砕け散り、
壁を覆う本棚は壊れ、本が床に散らばっていて、
客用の椅子も叩きつけられたようにばらばらになり、
木製のファイルキャビネットはひっくり返され、ファイルが
床や壊れた家具の間にばらまかれている。
ことにひどいのは飛び散った血で、
壁紙のところにはかろうじて見える程度ながら、
普段座っているデスクや椅子のある場所の壁、
その低い場所にまで跳ね飛んでいるのだ。
その破壊されたさまを目にしたブレナンの内に
怒りが湧き起ったが、
その怒りを抑え、
胃の辺りにまで押し込め、
針のようになるまで努めた。
今は感情に溺れているときではないのだ。
それを搾り出すときが後でくるだろう。
今は冷静と冷徹な知性が必要なのだ。
まだ何が重要な証拠だかわかりはしないが、
後で組み合わせることができるようにと、
全てを可能な限り記憶することにした。
そうして室内を記憶に留め、
そこを後にすることにした。
街路の下を通るトンネルでといえど誰にも
見られるわけにはいかない。
新鮮で綺麗な空気が恋しくてならない。
町に出ればそれらが溢れているだろう。
地下の出口につながる階段に向かおうとした
ところで、何か物音を耳にした。
声、というか囁き声が前方の暗い吹き抜けから
響いてくるではないか。
「ヨーマン」そうはっきり聞き取れた。
背筋を這い伝うように声が響いてくる。
「待っていたのよ、私の部屋に来て、
そこで待っているわ、私の狩人を」
それはあの人の声だった。
クリサリスのほぼ英国風のアクセントそのものだ。
しばし立ち尽くしていたが、
もはや闇の中に何も動く音がせず、何者がいるのも感じられない。
ブレナンは幽霊などというものを信じてはいないが、
ワイルドカードならばあらゆることが可能となる。
もしくはクリサリスが殺されていないということもありうる。
全てが手の込んだ詐術であり、何か深い事情があって、
クリサリス自身によって仕組まれたということもありうるではないか。
何であれ、確かめねばなるまい。
腰のホルスターからブローニングハイパワーを抜き出して、
猫のようにしなやかに音を立てず、上階を目指した。
クリサリスの寝室のドアは開け放たれている。
jamb脇柱の陰から室内を伺うと、
中にはすでに先客の姿があった。
侵入者が何かを探しているようで、
室内がどうなろうが構わないとみえて、
天蓋付ベッドはひっくり返され、
マットレスはずたずたにされている。
ヴィクトリア朝の額も風雅に縁取られた鏡も
壁から剥がされて、
銀色の欠片が砕かれて床に散らばり、
いつもナイトスタンドの脇にあったデカンターも
割れて床に散らばっていて、
そこにはフェンシングの面をつけた姿が覆い被さる
ようにいて、ブレナンが不意をついて室内に入り、
そして損なわれたベッドにまで進むと、
クリサリスが衣装ダンスとして用いている
ウォークインクローゼットにその巨体を
突っ込んでいるところだった。
その顔は繊細で美しくありながら、
ひどい痛みが張り付いたようにも見える。
床にまで届く黒い外套の下の巨体は歪で
ずんぐりしており、
その下に何かが蠢き、
腹や胸のある辺りが捩れのたうち、
まるで蛇で満たされているように思える。
侵入者は少しの間動きを止めて、
銃を構え視線を向けているブレナンを
見つめ返した。
「オーディティだな」
そこでようやくブレナンが舌鋒を切った。
「誰だ貴様?」
「知らないとは思うが、ヨーマンと呼ぶがいい」
しばしの沈黙の後、オーディティは応えた。
「皆知っている、ここで何をしている?」
「俺もそいつを聞きたいのだがね」
「皆で探している」
そこでようやくブレナンは表情を歪め警告の言葉を
発していた。
「そのぐらいにしておけ」と。
「何だと?それは警告か?」
ブレナンは銃を向けたまま彫像の如く身じろぎもせず、
氷のような言葉を搾り出した。
「警告などではない、友人の寝室に押し入っている奴が
いて、そいつが友人の死にかかわりがあるかもしれないと
して、
そいつが口を割らないとしたら、
警察に引き渡しはせず、
殺すこともありうる。
それだけのことだ」
「やってみろ」
オーディティがそう応えたがブレナンは何も応えずにいると・・
女の声がため息を漏らした。
「クリサリスの死になど係わりはないし、知りもしない、
探し物があるだけだ、そいつでクリサリスが脅迫していた、
警察が見つける前にそいつを取りに来ただけだ……」
ブレナンは疑わしげに応えた。
「脅迫だと?金が目当てだというのか?」
オーディティは頷いて返したが、
突然の傷みに喘ぐように顔面を歪め、
膝をつき、腕で腹を押さえながら、
再び顔を上げた。
痛みに叫ぶような表情のままで、
「Christ何てことだ」
ブレナンはそう呟かずにはいられなかった。
オーディティは激しく抑えきれない痛みを抱えているが、
ブレナンにはどうすることもできはしない。
そこで憐れなジョーカーに手を延ばしたが、
その手は振り上げられたオーディティの手によって払われて
しまい、


そうして様子を見守っていた。
女の顔が喉の辺りにまで移動して、
背中から移動してきた他の、
黒ずんで筋張った顔に代わるのを、



そうして新たな顔が、
疑いの目を向けている。
まだ移動しきらないまま、
まだ呻き終えないままに、
ブレナンはジョーカーが立ち上がり,
ベッドの傍の脚を掴み投げつけるのを
予想して、
それを避けつつ弾丸を叩き込んでいた。
急所に当たったとは思っていなかったが、
やはりゴールを目指すフルバックのように猛烈な
勢いで突進してきた。
おそらく板を叩きつけたような衝撃のあろうタックルを
かわし、強力な相棒をその胴体に叩き込んだ。
そこでか細く思える腕に掴まれたが、
その腕は見た目よりも遥かに強く、
壁に叩きつけられることになった。
衝撃が歯に響き背中が痛んでならない、
銃を床に落とし、転がすことになったが、
装飾の施されたナイトスタンドを何とか掴み、
力の限りオーディティにぶつけていて、
スタンドは砕けたが、
手は震え、握ることもままならない始末だ。
オーディティはというと全くこたえていないとみえて、
ブレナンを再び掴みにかかってきた。
ブレナンはその手を掻い潜っていたが、
手が痺れ、感覚が戻らない。
そうしているうちに背中に壁を感じたところで、
オーディティが怒りに顔を歪ませて迫ってくる。
再び腕を振り上げたところで身を捩り、
壁にそって動いて、
その一撃をかわすと、
肩に近いところの壁に空洞を刻むことになった。
ブレナンは横に動きながら、
かつて天蓋の一部であった支柱を掴み、
大きすぎるが野球バットのイメージで振り下ろし、
丁度腎臓の上辺りを激しく打ち据えることができた。
痛みより強い怒りでオーディティは咆哮したが、
ブレナンは再び柱を投げつけ、砕けるに任せた。
「Christくそっ」
ブレナンはそう悪態をつかずにいられなかった。
オーディティが腕を掴み捻りにかかってきたのだ。
感覚のないことはわかっているが、
何とか身を捩ってかわし廊下に出た。
背に炙るような痛みを感じながら、
「逃がすものか、この野郎」「逃がさない!」
オーディティが叫んでいるが、
その声ははっきりと聞き取りづらいものだった。
おそらく二人だかが争っているのだろう。
ブレナンは深く息をして呼吸を整え、
その場を離れることにした。
(骨は折れていないが、背中は打撲しているだろうし、
直るのを待つというわけにもいくまい。
騒ぎに気づいた警察も駆けつけてくるだろうから)
階段を上り、屋根に出て、
そうしてオーディティの言葉を反芻しながら思わずには
いられなかった。
(クリサリスは情報の対価を戯れに要求することはしても、
金品のために他人を脅迫することなどけしてなかった。
それなら何故オーディティは嘘をついたのか?
それならばクリサリスのクローゼットで、
本当は何を探していたというのだろう?)と。

ワイルドカード7巻 その16

        ジョージ・R・R・マーティン
             午前9時


「トーマス・ダウンズという名のレポーターに用がある」
ジェイがそう言うのを受付嬢は疑わしげに見ている。
ロームとガラス張りのデスクに座りなれた生え抜きなのだろう。
受付デスク自体はハイテクに対応した仕様ながら、
<エーシィズマガジン>のオフィスは予想よりも古めかしく、
5番街666にあるビルの二階分を借り切っているが、
ジェイはこれまで地下鉄から眺めるたびに
ペレグリンの睦言を暴くことで荒稼ぎしたのだろう、と思ったものだった。
「ディガーは本日出社しておりません」受付嬢がそう応えた。
受付嬢の後ろの壁には、ジャンピング・ジャック・フラッシュがクローム鋼の
板に焼き付けた<マガジン>のロゴが掲げられていて、
辺りを見回すと、
訪れた名高いエース達の姿が、
ロームの灰皿の中の紫のガラスで象られていたり、
4年間の間動き続けている永久機関の中で回り続けていたり、
真鍮の板に浮き彫りにされている者もいた。
「どこにいけば会える?大事な話があるんだが」
ジェイがそう尋ねると、
「申し訳ございません」受付嬢がさらに続けた。
「そういった情報はお伝えしておりません」
「じゃ誰に聞いたらいいんだ?」ジェイが重ねて訊ねた。
「アポがないと」受付嬢が生真面目に応えるのを、
「俺はエースだぜ」とジェイが茶化すと、
受付嬢が笑いをかみ殺そうとしながらも、失敗しながら応えた。
「そのようですね」
ジェイは辺りを見回しつつ、指で銃のかたちをつくりながら、
長いクロームと革のソファーを指差すと、
<ポン>という音とともにそいつは姿を消した。
(そういえば新しい長椅子が必要だった)
そう考えながら
「俺の姿を真鍮に刻むかな」
そう受付嬢に尋ねると、
「ミスター・ロウボーイならいかがでしょう」
そう言いながら受話器を持ち上げて応えてくれた。


編集部の区画は幾つかの間仕切りで区切られた狭い小部屋が殆どだったが、
大きな個室はちゃんとした壁とドアがあって、ビルの外側に配置されている。
真ん中には窓の無い大きなスペースがあって、
たくさんの華やかな色の鉢植えが置かれ、
ミューザックに乗るように、
身なりの良いスタッフたちがコンピューター端末に向かい忙しく立ち働いており、
すべてが清潔で秩序だっていて、ジェイには反吐が出るように思える。


角にあるロウボーイのオフィスにはコンピューター端末は無くて、
華やかな色もなく、ミューザックも流れてなくて、
木と革が目に入った、そして色のついた大きな窓が二つあって、
そこからマンハッタンの稜線が見渡せる。
ジェイがそこについたときには、
ミスター・ロウボーイはまだそこに着いていないようで、
周りを見回していると、
額に入った写真が壁にかけられているのが目に付いた。
色の薄れた白黒の写真には、
ジェットボーイが、生彩を欠いたノームといった感じの、
萎びた小柄の男と握手する様が映し出されている。
そこでようやくロウボーイが現れた。
「それは私の祖父でして」
そう語り、さらに言葉をついだ。
「祖父とジェットボーイはもちつもたれつの関係でして」
そうしてロウボーイは中指と人差し指をクロスさせてみせた。
ロウボーイは、ジェイよりいくらか背の低い男で、
三つ揃いの白いスーツに、淡い色のシャツに黒いニットタイを身に
着けている。
「どうしてジェットボーイはあんたの爺さんを信用したんだろう」
ジェイはつい尋ねていた。
「ああ、つまりですね、ジェットボーイはお金というものを持て余して
いて、どう使うかなんてことに関心がなかったのです、かつてのエースが
皆そうだったようにね」
そしてようやく手を上げて名乗った。
「私がボブ・ロウボーイです、ディガーを探しておられるとか?」
間を置かずに自分で応えた。
「残念ですが私はお役に立てません」と。
そして首を振りながら続けた。
「ディガーが当社随一のレポーターであることは間違いありませんが、
いわば鉄砲玉でして、昨日コーヒーをオフィスで飲んでからの消息は
私どもにも掴めていない有様でして」
「あんたんとこではそれをどう考えているんだい?」
「心配には及びませんよ」
妙な自信を持ってさらに続けた。
「前もそんなことがありましたが、その時は一週間ぐらい行方をくらまして
いましてね、出社した時にはハウラーの隠し子のスクープを掴んでいましたから」
「そうだといいがな」
ジェイがそう言うと、
「私の秘書にメモを渡しておけば、そいつをディガーに渡すことは可能です」
ロウボーイがそう請け合い、
ジェイはロウボーイに、自分でも探してみると伝えてから、秘書にメモを渡して
しばらく物思いに耽っていたが、
「ミスター・アクロイドですね?」という女性の声で我に返った。
その女性は襟の開いた真っ白のシャツにジーンズ、細かいストライプの入ったグレイの
ベストを着込んだ20代後半といった感じの若い女性で、
標準よりも短めの髪に、丸い眼鏡の縁がちょこんと載っている。
「マンディから長椅子の話は伺いました、あなたはポピンジェイ(めかし屋)ですね」
そしておずおずと片手を差し出してきた。
爪は手早く切りそろえたように見える。
「その呼び方は好きじゃないんだ」
ジェイがそう応えると、その女性は申し訳なそうに応じた。
「ああ、そうでした、あなたのファイルにそう書いてあったのを読んでいたと
いうのに、つい忘れてしまって、失礼をお許しいただけますと幸いです。
私はJudy Scheffelジュディ・シェッフェル、クラッシュと呼ばれています」
「クラッシュだって?」
つい尋ね返していた。
「由来は聞かないでください。
私はディガーの助手を務めているのです、私ではいかがですか?」
そしてクラッシュはベストのポケットから鍵を取り出して、言葉をついだ。
「ディガーのオフィスのキーです、さぁどうぞ」
そうして案内された部屋はロウボーイの部屋の三倍はあって、
エーシィズ誌での彼の待遇が感じられるものだった。
壁がきちんとあり、ドアもあって小さな窓が一つ付いている、そしてしっかりと
施錠されていた。
西側の壁には、いつ雪崩れ落ちてもおかしくないパンパンに詰め込まれた本棚、
窓の傍には、パソコンの載った作業台があってコーナーの一角を占めており、
その隣の壁には掲示板があって、
ジェイの知らない人々の写真が貼り付けてあった。
「誰なんだこいつらは?」
ジェイがそう尋ねると、
クラッシュがドアの方を窺いながら応えた。
「とっておきのエース、という奴のようですね」
そして付け加えた。
「未来のためにとってあるそうです、ディガーが新しい
エースを見つけ出すたびに驚いてはいませんか?
いつも近くにいた、とは限らないということです」
「公表されていないエースということだな。
どうやってエースであることを見抜くのだろう?」
ジェイは写真を眺めながら尋ねた。
「ジョーカータウンクリニックに何らかの情報源が
あるのじゃないかしら」
クラッシュはディガーのデスクの上のメモの類を
どけて、そこの端に腰を下ろしてから訊ねた。
「ディガーは何らかのトラブルに巻き込まれているのですね?」
「そう思うかい?」
ジェイはそう尋ね返して、
載っていたペレグリンのカレンダーの入った箱をどかしてから
回転椅子に腰を落ち着けると、クラッシュが話し始めた。
「昨日の朝のことでした。
党大会の記事をまとめていて、
エースの代議員に対するニュースをソニーのWatckman小型携帯TVで
見ていたのですが、そのニュースの途中でクリサリスの死が
報じられた途端、みるみる青くなったのを覚えていますから」
「二人は親しかったようだな」
そしてジェイは付け加えた。
「あるいは恋人だったのかもな」
「単に悲しんでいただけではなくて」
そしてクラッシュは思い切ったように言葉を搾り出した。
「恐れて、そう恐怖にかられていたようでした。
<行かなくては>そう一言叫んで飛び出していったのです。
私が、<いつお戻りになられますか?>と聞きはしましたが、
まったく聞いていないようで、
後でマンディから聞いたのですが、エレベーターを待つ時間も
惜しいとばかりに階段を駆け下りていくのを見たそうです」
ジェイはディガーがこのまま闇に消えてもかまわない、と思いながらも
できるだけおくびに出さず訊ねていた。
「ダウンズは弓と矢を使った殺しの記事を書いていなかったか?」
「いいえ、エーシィズ誌は単なる犯罪事件を取り上げてはいませんから」
「クリサリスに関して、誰かを恐れている、といった話はしていなかったかな?」
クラッシュは首を振って否定した。
「誰かに関して書いた記事で、特に恨みを買っていた、ということは?」
ペレグリンでしょうね」
クラッシュは即答してのけた。
タキオンが酔って話したことを記事にしたということで、ペレとタキオン
だいぶお冠だったと聞いています」
ドクター・タキオンは、ジェイが腕相撲で勝てるとふんでいる六人の一人にカウント
されているくらいの腕力の持ち主で、
ペリに関しては確証はないとはいえ、アトランタには来ていたはずだった。
「ヨーマンに関しては書いてなかったと?」
クラッシュが頷いて応えたところで、さらにジェイは尋ねていた。
「オーディティはどうだい?」
クラッシュは少し考え込んでから応えた。
「何年か前に記事は書いていました、ディガーは<これでピューリッツアが狙える>と
言っていましたが、ロウボーイが釘を刺して立ち消えになったようです」
「なぜだい?」
ジェイがそう訊ねると、クラッシュはきまり悪げに応えた。
「又聞きですので推測になりますけれど、オーディティがジョーカーだからじゃないでしょうか。
ロウボーイはよく<読者はジョーカーの記事など読みたがらない>と言っているそうですから」
「記事にならなかったことをオーディティが恨んでいると?」
「少なくともディガーが恨まれることはないかと」
ジェイはつい不機嫌な声で尋ねた。
「ディガーが出かけた先に心当たりがないのか?」
クラッシュはまた首を振って応えた。
「私にわかるのは戻っていないということだけです。
6回も留守電をいれましたが、向こうからはかかってきていないのですよ」
「つまり電話には出ていないということだな、まぁベッドの下で震えているということも
ありうるだろうけれど」
(死んでいるということもありうる、血の海に沈んで脳漿を撒き散らしていて、出られない
のかも)
ジェイはそう考えながら、
「確かめた方がいいか」
思わせぶりにクラッシュに視線を向けていた。
「そういやさっき俺のファイルがどうこう言ってなかったか?」
「言いました」クラッシュが察したと見えて即座に応じた。
「全てのエースのファイルがありますよ」
ジェイはパソコンを示しながら尋ねていた。
「あんただったらそいつが見れるんだな?」
「パスワードがあれば、誰でもどこのパソコンからも読むことは
可能です」そして続けた。
「許可がないと、勝手にアクセスしたらクビにされます」
「問題にもならんさ」ジェイは請合っていた。
「ディガーが生きていたら、むしろ感謝されるだろう」
クラッシュは少しの間考え込んでいたが、意を決して立ち上がり、
パソコンを覆っていた埃除けを外し、パスワードを打ち込んでいた。
「Noseだって?」ついジェイは訪ねていた。
クラッシュは肩を竦めて応えた。
「ディガーのパスであって、私のじゃありませんから。
どのファイルをご覧になりますか?」
「クリサリスを殺した相手は怪力の持ち主だろう、
それが可能な相手を先ず知りたい」
「全員だしていたら大変なことになりますから。
テレパシーやテレキネシスを除いた肉体的能力を備えた相手に絞りましょうか?」
「そうしてくれ」
ジェイがそう応じると、クラッシュの指がキーボード上を滑らかに動いた。
「エースだけですか、ジョーカーはどうしましょう?」
「エーシィズ誌はジョーカーを扱わないんじゃなかったのか?」
「エーシィズ誌はそうですが、他の情報源からの情報もあるのです、
例えばSCAREやプレスによる科学的なものや日報のものまでクリップ
されていますから」
「人間の頭蓋を潰せる腕力があるなら、
エースだろうがジョーカーだろうがRutbaga食虫植物でも問わないさ」
「さすがに食虫植物のデータはありませんが」
検索条件を打ち込んでクラッシュが応えた。
「319件ヒットしました」
クラッシュは楽しげに続けた。
「これでも通常の人間よりも腕力が強く著名な者に限られます。
このままプリントアウトしますか?」
「さすがに容疑者が319人もいちゃ扱い辛い。
もう少し狭められないか?」
「わかりました、死者は省いてかまいませんね」
「死者に容疑はかけられんだろうから」
そうジェイが同意すると、クラッシュは打ち込んで応えた。
「302件になりました」
「あまり変わらんな、活動区域とかで絞れないかな」
ジェイは少し考え込んでから己で応えた。
「いや、それじゃ駄目か」
「どうしてですか?」クラッシュが訊ね返してきた。
「それでも70人か80人絞れますよ。
デトロイトティールにシカゴのビッグママ、カンザス
ヘイメイカーとか、それでは駄目なのですか」
「そうだ」そしてジェイは続けた。
「地域じゃなくて、クリサリスに会ったことのある者として
絞るべきなんだ、ビリー・レイとかジャック・ブローンとか
他所の人間も含まれるから」
ゴールデンボーイは確かにそうですね」そして続けた。
アトランタからなら来れますね、ディガーはよくWeenie臆病者と
言ってからかっていましたから」
「言葉尻だけなら除外してもかまわないわけだが」
クラッシュの肩に手を置いたが、クラッシュは気にもしていない様子
だったのでそのまま続けた。
「曖昧な検索条件だが絞れるか?」
「問題ありません」
「よろしい」ジェイはそう応えてさらに続けた。
「犯罪歴や精神疾患の有無、逮捕歴も含めてくれると助かる。
容疑も含めてくれてかまわない・・クリサリスかパレスに関係するならばね・・
ジョーカータウンやその近くに住んでるなら尚いい・・下イーストサイド、
リトル・イタリィ、チャイナタウンにイーストヴィレッジ、その辺りも・・
できるかい?」
「できると思います」そう応えたクラッシュの肩を励ますように揺すりながら
促すと、
終わったとみえて、クラッシュは椅子に深くもたれ、伸びをして応えた。
「これでよし」と。
通信音が響き渡る中、クラッシュが説明し始めた。
「302人からさらに条件のあった人間で容疑を絞りこみます。
逮捕歴、精神状態、クリサリスとの係り、地理的用件の4つで、
そして容疑の強さを横に*印で表してみました」
「いいぞ」
ジェイはそう思わず答え、印刷機から滑りでてきた紙を手にとった。
まだ暖かい紙には19人の名が記されていた。
 
Braun、 Jack         Golden boy          *
Crenson、 Croyd       The Sleeper         ****
Daringfoot、 John      Devil John          ***
Demarco、Earnest       Ernie the Lizard       **
Doe、John           Doughboy          ***
Johnes、 Mordecai      The Harlem Hammer      **
Lockwood、William。Jr、   Snotman           *
Man、Modular         N/A             *
Morkle、Doug        N/A             **
Mueller、Howard       Troll           ***
O‘Reilly、Rahda      Elephant Girl        *
Ray、William        Carnifex           *
Schaffer、Elmo       N/A             *** 
Seivers、Robert      Bludgeon           ***
Name unkown        Black Shadow         **
Name unknown      The Oddity          **
Name unknown        Starshine           *
Name unknown        Quasiman          ***
Name unknown     Wyrm           ****

「いかがかしら?」クラシュの得意げな声に、
ジェイは冷静に応じ、
「まだ始まりにすぎんさ」
そしてリストを見せながら続けた。
「皆ディガーとも係わりがあるのだな?」
クラッシュは紙を慎重に眺めながら応えた。
「そうですね、ビリィ・レイなら、ディガーが
地上最強の男、という記事を書いたときに、
ゴールデンボーイやハーレム・ハマーと比べたら
二軍クラス>、と書かれて頭にきていた、と聞いています、
レイが犯罪に手を染めた、というのは考えにくいですけれど」
そしてパソコンの電源を切って続けた。
「彼もアトランタにいましたからね」
「そうだな」ジェイはそう応えて続けた。
「彼はハートマン上院議員ボディガードだからな」と。
そして紙を丸めて胸ポケットに仕舞い込んで、
さらに訊ねていた。
「ディガーの住所、それと君の電話番号も頼む」と。
役得というものかもな。
そう密かに思いながら。



    

ワイルドカード7巻 その17 

          ジョン・J・ミラー

            午前9時


ブレナンはベッドの脇のナイトスタンドに置かれた電話の
立てる不協和音で目を覚ました。
ホテルの部屋で、寝乱れて垂れ下がっているベッドに
腰をかけ電話を取りながら、
強張った肩とひりひり痛む背に呻きをもらした。
オーディティによって壁にぶつけられた痛みが残って
いるのだ。
「もしもし」と話すと、
「おはようございます、ミスターY]と返されてきた。
それはトライポッドの声だった。
「見つけましたよ、ご依頼のブラジオンという名の御仁をね」
「さすがだな」ブレナンはにこりともせずに応えて続けた。
「それでどこにいる?」
「Uncle Chowder‘s Clam Bar<チャウダー親父の蛤料理>の
ところにある店です」
トライポッドがそう応えると、 
「了解した」
ブレナンはそう応えて電話を切ったが、
しばしベッドの端に腰掛けたまま動かずにいた。
まだ昨晩の疲れと痛みが尾を引いているだけではない。
そうジェニファーとの連絡もとれていないことが圧し掛かった
ように思える。
これまでにあまりにも多くの友や愛する人を失ってきた。
もはやこれ以上誰かを喪うことに耐えるには年をとりすぎた
とでもいうことなのだろうか。
注意深く立ち上がって、じんじん痛む背中と肩を伸ばしてみたが、
(くそったれが)そう呟かずにはいられなかった。
どうにもうまくいかない、以前と同じではないのだ。
やはり休息が必要だろうが、
時間がない。
食事も必要だろうし、
そんなことより何よりこたえるのが、
やはりジェニファーがいないことで、
その感情がどうにもならないということなのだ。
着替えながらも、弓は持っていかないことにした。
この肩の状態ではうまく引き絞ることはできないだろうから。
ブローニングももはやない。
オーディティと格闘した際に落してしまったのだ。
(いいさ)そう己に言い聞かせる
素手でブラジオンを相手にするのも悪くない
幸先がいいというものだ)と。


トライポッドは、ビルの漆喰が塗られていないむきだしに
なった煉瓦壁にもたれかかっていて、
ネオンの看板が、一階にあるレストランの<チャウダー
親父の蛤料理>という名を示している。
山高帽と杖を持った軟体動物が棒のように細い脚で踊り
ながらピンクのネオンで彩られ微笑んでいて、
壁には杭の突き出た錆びたフェンスがついていて、
そこから地下に向かう階段につながっている。
そしてフェンスには6本指の手が描かれた看板がボルトで
留められていて地下を指し示していた。
やはりここはジョーカータウンということなのだろう。
Squisher`s basement<スキッシャーのお膝元>か。
ブレナンは地下の店名を読み上げてからトライポッドに視線を
向けて尋ねた。
「ブラジオンはまだこっちにいるのだな?」と。
「見張っていましたからね」ジョーカーが応えた。
ブレナンは頷きながらジーンズのポケットから札束を取り出して、
20ドル札を2枚トライポッドに手渡した。
「スキッシャーではナットはいい顔をされませんぜ」
ブレナンはマスクの下で微笑んで応えた。
「忠告に感謝する」と。
そして階段を降りていった。


<スキッシャーズ>は飲み食いするジョーカーで溢れていて、
洗剤に零れたビール、吐瀉物を混ぜ合わせたような独特な匂いで
満たされている。
灯りはというとぼんやりと薄暗いが、
ブレナンが入っていくと、回転椅子に座った常連客の視線の
向けられたのがはっきりとわかった。
ブレナンが近づいていくと、会話が途切れ、
通り過ぎると話し始めるのだ。
(トライポッドの言った通りだな)
ここは厳密にいうならばジョーカーの吹き溜まりであり、
彼らにとってそれが居心地の良さにつながっているのだろう。
バーによくある酒のボトルの積まれた棚の向こうには今まで見た
ことのない程大きな水槽があって、
暗く淀んだ水面に何かが浮かんでいるとみえて、
水面が波打ち、
何者かの頭が浮かび上がってきて、
冷たく瞬きもしない瞳でブレナンを見つめているではないか。
「ここはあんたのような奴の来る場所じゃないぜ」
ようやくそのジョーカーが口を開いた。
顔は青白く、丸い頭に髪はない。
魚のような口に尖った歯が並んでいるではないか。
「ナット野郎が、あんたナットだろう、俺はそう言ったんだ」
「客の一人に用がある」
スキッシャーはその魚眼で睨みながら応じた。
「何の用があるってんだ?」
「あんたには関係ない」
座っているジョーカー達がざわめきはじめた・・・
「ここは俺の店だぞ」スキッシャーが言い募る・・
「ここで起こることに関係ないことはあるまい」
そしてそう言うと水槽内を見つめ、骨のない腕を
突っ込んで何かを掴んだ。
橙色の鱗が煌いて、スキッシャーは小魚を口に
放り込み、
二度噛んでから飲み込んで見せ、
再びブレナンを睨みつけている。
ブレナンはポケットからスペードエースのカードを出して、
そのジョーカーに示して見せた。
スキッシャーは目を細め、
触手のついた長い手をしなやかに伸ばして、
ブレナンからカードを奪い取ると、
顔の前でまじまじと見つめてから、
無言で水面下に沈みこんでいった。


そしてブレナンが周りを見回すと、
客たちは突然飲み物に対する関心が高まった
ように口をつぐんで、
隅の暗い一角で、ブラジオンが一人で座っている
のに気がついた。
ブラジオンだというのはすぐわかった。
ブレナンがブラジオンに会ったのはタイムズ・スクエア
混乱と喧騒のさなかで、おおよそ二年前であり、
一度でしかなかったにも関らず、
容易に忘れられないだけの印象があったのだ。
ブラジオンは身長7フィートの襞と傷のある顔の醜い男で、
筋肉と骨が捩れて鋏状になった右手を持っている。
初めて見たときよりもやつれたようで、
ぶかぶかの服に、
肌は染みだらけ、髪は長く薄汚れたまま、
何も見えていないといった様子で、独り言を呟いていたが、
ブレナンが近づくと、
黄色く濁った白めに赤い静脈が浮き出て焦点を結んだとみえて、
ブレナンが憐れみとも嫌悪とも着かない表情でみつめていると、
「何が望みだ?」と長い沈黙の後にようやく声をかけてきた。
「クリサリス殺しの件についてだよ」
ゆっくり区切るようにそう訪ねると、
ブラジオンはその病的な目に火花を散らしたような光を宿しながら
話し始めた。
「そうとも」
その声はしわがれたものだった。
「俺だよ、あの腐れ***の売女をおれがやったのさ。
一杯おごってくれるなら話してやるぜ」
「まずはどうやって殺したかだ」
ブラジオンはその鋏になった右手を持ち上げて応えた。
「こいつで頭を潰してやったんだ、銃も、ナイフも必要ない、
この手でことたりるからな」
ブレナンの顔に嫌悪が滲み、目に軽蔑の光が宿りはしたが、
酔ったジョーカーはそれに気づいた様子はない。
「どこでだ」
ブレナンはそっと訪ねた。
「何がだ?」
「どこで殺したかと聞いているんだ」
「酒場だとも」まごちきながらさらに続けた。
「バーの床で俺の**をぶちこんでやったのさ」
目に病的な光を宿し笑いながら続けた。
「そうとも死んだのを確認してから頭を潰したんだ」
「Scumこの屑が」
ブレナンは硬く引き結んだ口からその言葉を搾りだしていた。
「なぜそんな嘘をついたか聞かなければ貴様を殺すことができるのだぞ」
ブラジオンは目を白黒させながら、何を言われたかわからずにいたが、
ようやくその濁った頭にその言葉が染みこんだとみえて、
立ち上がり、叫び声を上げながらテーブルをブレナンの方に押しやったが、
ブレナンはなんなくかわし、テーブルは床を削ったにとどまった。
ブラジオンは叫びながら鋏を振り回してきたが、
ブレナンはゆったりとそいつをかわしつつ、手首を掴んで肩に担ぎ、
ブラジオンを床に叩きつけると、
そうして店のジョーカー達が雲の子を散らしたようになって、
ブレナンが椅子を掴んだところで、
スキッシャーが水槽から上がってきて、
「水槽があるのだぞ」激昂して叫んだ。
「ガラスが割れたらどうする」
ブラジオンは壁際に追い詰められて、恐怖と痛みを湛えた瞳でブレナンを
見つめていたが、
ブレナンが掴んだ椅子を振り、ブラジオンの腹に叩き込むと、
水から上がった魚のように口をぱくぱくさせていて、
再び椅子を叩きつけると、バーのスツール三本に背中を
ぶつけて、
それから弱弱しく立ち上がろうとしたが、
筋肉がたるんだかのように動けずにいて、
ごぼっという音とともに血の塊を唇から吐き出して、
弱弱しく手を振り回し始めた。
ブレナンが構わず三発目を叩き込むと、
ブラジオンは椅子を抱たままえ、背中に筒状の金属の冷たさを感じていて、
身体から伸びた脚が極端に捩れた抽象絵画ように見える。
「殺したのは貴様じゃないだろ?なぜそう吹いて回ったんだ?」
ブレナンがそう低い声を絞り出すと、
「仕事が欲しかったんだ」
ブラジオンは喘ぎながら語りだした。
「誰もいなかったんだ・・誰もチャンスをくれやしなかった。
フェードアウトかフィストの誰かの耳に入ったなら、
チャンスをくれると思った、ただチャンスが欲しかっただけなんだ」
「そんなことのために嘘をついたというのか」
ブレナンはそう低い声で呟きながらも、割り切れない思いを感じずにはいられなかったが、
その思いを押し殺して何か手がかりを掴まねばならないと思い直し視線を据えて言葉を搾り出した。
「俺はクリサリスの友人で、殺した犯人を捜しているんだ、憶えて置け」と。
そしてスペードエースのカードをブラジオンの上に落として、
バーを後にすることにした。
ブレナンがドアを目指すと、客の一人がブラジオンから革のジャケットを剥ぎ取ろうとでもしたのだろう。
バーにブラジオンのじたばたする音と震えた声が響き渡った。
憐れな啜り泣くような声が。

ワイルドカード7巻 その18

         ジョージ・R・R・マーティン

             午前11時
 
  
ディガーの部屋は、ウエストヴィレッジ、Horatioホレイショに
あるエレベーターの無いアパートの5階にあり、
通りに面した場所には公園があって、
シャツを肌に貼り付けた十代の若者がバスケットに興じて
いる。
ジェイが立ち止まってその光景を眺めていたのはほんのしばらくの
ことだった。
その内女性は二人きりで、些か侘しいものだった・・・
そしてビルの戸口にある階段には鬚の剃り跡の目立つ強面の男が
腰掛けていて、
Rheingoldラインゴールドの缶を持って飲んでいた。
ジェイが上ろうとすると、
立ち上がってドアの前に立ちふさがって、
「ここに何の用だ?」
そう言い放った男はジェイより3インチ程度背が高いが体重は
50ポンドは余分にありそうで、
盛り上った右上腕筋に鷹のタトゥー、片方の耳に金の輪っかを
ぶらさげているときたものだ。
「ディガー・ダウンズを探している」とジェイが言い放つと、
「帰ってないぜ」
「そいつは自分で調べるさ」
「五体満足じゃすまなくなるぞ」
ジェイはそうして押し問答しながら嫌になる感覚を堪えて訪ねた。
「何か問題でもあるのか?」と、
その男は持った缶を握りつぶして答えた。
「貴様自身がそうだといっているんだ」
ジェイは使われていない地下鉄にこいつを飛ばすという誘惑に
駆られつつももっと単純な手を使ってみることにした。
「何が起こったか知りたいだけなんだ]
そう言って、ポケットから札を数枚出して見せた。
「それならミスター・ジャクソンに聞くといい」
「ミスター・ジャクソンがどいつだか知らないんだがね・・」
男が応えた。
「ならTen-spot(10のふだ:10ドル札の意)でどうだ、
そうすりゃたちどころだぜ」
10ドルですむなら願ったり叶ったりといったところか。
ジェイは10ドル札を広げて、薄くて硬い男の手に捻じ込んでいた。
「来な、あまり手間はかけられんからな」
入り口の通路は小さく暗い。
中に入ると、
呼び鈴の下に郵便受けがあって、
そこから男が手探りで鍵をとりだした。
そしてダウンズの部屋の呼び鈴を鳴らしたが返事はなかった。
「ディガーに用があったとしてもだな」
そうぶつぶつ言いながら、中の保安扉を開けて続けた。
「さっきも言ったがな、やっぱりいないぜ」
ドアを通り抜けると手すりが視界に飛び込んできて、
「血の跡が見たいならそこに4つだか5つ着いてるぜ。
俺は通るたび見ないようにしてるがね」
「何が起こったか話すまでに、一体何回質問したらいいの
だろうな?」
「おいおい、誰だって知ってるこったぜ、ここに警官が乗り込んで
きたなんて話はな、あんたポストは読んでないのか?
二人殺されたって話さね」
Oh shit(なんてこった)!」
ジェイは胃の底に冷たい塊があるように感じながらそう呟いていて、
「ダウンズなんだな?」そうようやく言葉を被せると、
Nah違うね、Mrs Rosensteinミセス・ローゼンシュタインだった、
ダウンズの向かいの住人さね、それに管理人のJonesyジョンジーだ」
「とどのつまり」逸る気持ちを抑えながら、
「殺されていたと?」そう言って促すと、
「どうだかな」と返された言葉にいかにも驚いたというように、
「違うのか?」そう訊ねると、
Nahありゃ違うだろ、なんせばらばらに切り刻まれていたんだ、二人ともだぜ、
チェーンソウをもったNutcaseまともじゃない奴が滅茶苦茶に
破壊したって感じだった、俺もそいつを見つけた一人だったんだぜ、
Godくわばらくわばら、あんたも自分で見たら吐き気が抑えられんだろうな、
昨日の朝早くに、家に帰ってきたら、玄関前に転がっていてまともに見ちまったんだ、
Fuckまったくたまったもんじゃない。しかももう少しで踏んじまうとこだった、なんせ血溜まりに覆い隠されていたからな、
肉屋のゴミ箱もかくやという有様だった。
無造作に散らばっているって感じだ、わかるだろ?
脚で踏みかけてようやくそいつが何か気づいたのさ」
前屈みになって話す男の口から酒の饐えた匂いを感じていると、
「ジョンジーの貌だった、しかも全部じゃない、半分だけが、
おそらく手摺りの辺りから落ちてきたんだろうな、残りは4階の踊り場のところに
転がっていたからな、どうしてそんなことになったかしったこっちゃないが、
腹は切り裂かれて、中身がよれよれになったクーパーの玄関マットに飛び散ってたんだぜ、
手はそいつを押し戻そうとするようなかたちで固まっていて、
ありゃ何て言ったかな、そうだ腸だ、そいつが5階まで散らばっていたんだ。
こっちはミセス・ローゼンシュタインだったというわけさ、あんな長いなんて知りたくも
なかったがね」そこで男は肩を竦めてみせて、
「警察は死体を片付けていきはしたが壁に飛び散った血はそのまんまでね、大家も
新しい壁紙を張らねばなるまいて、半年は我慢しなきゃならんだろうがね」
「それじゃダウンズはどうなったんだ?」たまらずそう口を挟むと、
Fuckくそ何度も言ってるじゃないか、帰ってないのさ。
警察は鍵も調べていたようだったが、かかったままだったという話さ。
あのFuckingくそ雑誌に載せる話でも集めてたんだろうぜ。
まぁ出た先で家の方で事件があった日にゃ目も当てられんだろうがな、
とんだお笑い草だ」
「ひどい有様には違いないがね」そう応えながらも、
人が死んでいるのだ、ディガーとて笑いごととは思うまいが。
そう思いつつ。
「そういやNewark city jailニューアーク市留置所に行ったことはあるか?」
そう声をかけ、
Fuck No(あるわきゃないだろ)」
そう怒気を含んだ言葉が返されたところに、
「それじゃよかったな」こともなげにそう言って、
「一晩過ごしたことがあるが、本当にひどいとこだったぜ」
そう駄目押ししつつ指を向け、
しゃっくりを思わせる<ポン>という音が響くと同時にそこには
ジェイ一人になっていた。
ジェイは階段を見上げ、微笑みつつ、
まったく無駄な時間をすごしたものだ。
ともあれこんなことをしていたらいつか訴えられる日がくるかもな。
そう自嘲しつつ、
これでよし、
と己に言い聞かせ、
三階の踊り場に残された赤茶けた染みに目を留めていた。
三階と四階の間にある木製の手摺にも飛沫は散っていてるが、
特にひどいのは四階の壁で、
二箇所に亘り赤黒い縞になって壁紙が消えかかってすらいる。
おそらく出血したまま壁を背にして逃げようとしたところで
手を振り回してつけたといったところか。
それもまだどうやら序の口だったらしい。
5階の踊り場ときたら身体だかその一部だかで壁一面が赤黒く
なっていて、カーペットもまるで血に浸されたように赤黒く
染まっていて、廊下に飛び散った血が蕁麻疹か何かのように
思え、
上を見上げると天井に出ることのできる跳ね扉があるが、
そこにすら染みが飛び散っているのだ。
そうして現場を見渡しながらも、ジェイは昨日クリスタル・
パレスで見た惨状を思い起こし、あれもひどかったがこっちは
滅多切りといったところか、などと不謹慎にも考えていた。
確かにあの喧しい男の言ったとおりの惨状だ。
<ウエスト・ヴィレッジチエーンソウ虐殺>なんて見出しを
ポスト紙ならつけるのではなかろうか。
ともあれ比べてみるならば、クリサリスの方はほとんで出血
していなかった、バラウスに僅かばかりの血痕がついていた
くらいか。
壁にも少し散ってはいたが、これに比べれば殆どなかったと
言っていいくらいだろう。
どちらも凶悪な犯罪であることは間違いないにしてもクリサリスの
身に起こったこととはまったく一致するところはありはしないのだ。
あえていうならどちらも胃がむかつくくらいか。
そう内心ぼやきながらディガーの部屋のドアを見つめていた。
確かに仰せの通り鍵はかかっているが、
ジェイならばばね仕掛けの鍵ならばクレジットカードを使うように簡単に
開けられるし、この手の安全錠もお手の物とはいえ、
ピッキング道具と10分もあれば開けられるというものだろう。
ジェイは慣れた手つきと具合の良いピッキング器具の助けもあって、
なかなかしっかりした鍵ではあったが、
ついにガチャッという音と同時に扉は開いて、
チェーンがついてはいるが、どうやら見たところそいつは駆けられて
いないようで、警察の非常線も貼られていない、ということは中から
ロックされていたことを意味する。
そこで中を一瞥したジェイは、
Oh shitなんて有様だ!」と呟いていた。
中は相当にとっちらかっていた、というよりひどく荒らされていた、
という表現が相応しい有様だった。
そこでジェイは用心しつつ中に入ってみると。
中はあらゆるものが放り投げられ潰されたといった状態で、
死体か、もしくはその一部でもあるではないかと身構えて
入りはしたものの、
リビングはそこでブリザードでも巻き起こったかのように
散らばった紙で床が覆われていて、古めかしいZenithゼニス社の
console televisionディスプレイモニターが床にたたきつけられた
ようでガラスを散らばらせている中、古いLPのようなものを
踏んでしまい割ってしまっていた。
そこで寝室を見てみるとベッドは真っ二つになっていて、
シーツは切り裂かれ、破れたマットの中身が散乱し、背表紙
から真っ二つにされた本も散らばっていて、
キッチンは腐ったジャンクフードで覆われていて、食べ残しに
虫がたかってしまっている。
食器棚はすべて叩き割られていて中身は乱雑に散らばっていて、
古くて大きい冷蔵庫がリノリウム張りの上に鎮座していて、
ジェイが屈んで調べてみると、
鋼鉄のドアにまでギザギザの裂け目がついていて、
Jesus Christなんてこった!」
と悪態をついて立ち上がり、
振り向いてリビングを見返すと、窓に格子がついているのに
気づいた。
この手のアパートの窓に格子が嵌められているのはけして
珍しくないとはいえ、全ての窓に鋼鉄の格子が嵌められていて、
タイル張りのバスルームの窓にまで嵌められいるのだ。
しかもそれはここ一年に施されたように新しく思えるものだった。
つまりディガーは身の危険を感じてこれをつけたのではなかろうか、
そうクリサリスと同じように。
つまり鍵をかけておくだけでは充分ではないと考えたということ
ではなかろうか。
とはいえ窓も鍵がかけられていたにも関わらず、そいつはこの部屋に
入れたということになる、もっともジェイ自身は鍵を開けて正面から
入ることができたのだが。
勿論壁をすり抜けることができたなら話は別だが。
そこでジェイはスペードエースのカードが置かれているのではないかと
探し回ってみたが、見つけることはできなかった。
ヨーマンは確かに非常な男かもしれないが、彼の殺し方はプロの手際で
あり冷徹なまでに効率を重んじたものだ。
これはどちらかといえば人の所業というより獰猛な獣が暴れまわった
ように思える。
ジェイには容易くその殺し屋の人物像が想像できていた。
そいつはおそらく口から泡でも吹いて手当たり次第に破壊の限りを
尽くしていたに違いない。
それからジェイは最後に室内を念入りに調べていて、ベッド脇の床に
有名人達の身の上や、ヴィクトリア風の下着に身を包んだ女がぼんやりと
写されている表紙の作者不明のペーパーバックに混ざって何冊かのノートが
あるのに気づいた。
5冊の内一冊はましな状態に復元することができた。
背表紙に結線が貼られていたノートで、散らばったページをつなぎ合わせる
ことができたのだ。
そこでハードカバーの本が目について、三冊、いや4冊分のパーツといった
ところか、ともあれ急いで判別できる部分には目を通しておいた。
一冊などは大きく斜めに切り裂かれていたがあらかた読むことはできた。
ノートには日付を振られていて、ジェイはディガーのマットの残骸に慎重に
腰を落ち着け、
最近の日付のついているものを開いた、ディガーが最後に書き残したものは
<パーク・アヴェニューの農夫>というもので、
8歳の女の子がパーク・アヴェニューにある父の別荘の床一面にミニチュアの
農園を作り上げたというものだった。
その農園には模型の家に、川も描かれていて、草におもちゃの車やトラックも
もあって、農地の周りには電車も走っていて、家畜たちは本物に見えるほどだった。
牛などは4インチ程度ながら、小さくてかわいい牧羊犬や子豚などがcockroache
油虫サイズで再現されている。
小型の農夫の染みだらけの顔には動物たちを愛する気持ちまでそっくり縮めた
ように思えるほどだった。
もちろんジェイとて8歳のJessica von der Stadtジェシカ・フォン・
デル・シュタットが何らかの容疑者だと思っているわけではないから、意識を
本来の関心に戻すことにした。
そうクリサリスの殺され方についてだ。
何らかの口封じか。
それとも愉快犯の仕業か。
チェーンソーは使われたかそうでなかったか。
それから大統領候補を護衛しているエースの経歴や、胸を舐めるように写した
ペレグリンの経歴写真を写した人間の連絡先やハイラムのチョコレートマンゴー
パイのレシピやらミストラルが父から初めて飛び方を教えてもらったときの
話やらを最後に目に留めてから、
しまいにはうんざりして放り投げ、何かに突き動かされるようにこの部屋を後にした。
いたたまれない思いを胸にいだきながら。