ワイルドカード7巻 その16

        ジョージ・R・R・マーティン
             午前9時


「トーマス・ダウンズという名のレポーターに用がある」
ジェイがそう言うのを受付嬢は疑わしげに見ている。
ロームとガラス張りのデスクに座りなれた生え抜きなのだろう。
受付デスク自体はハイテクに対応した仕様ながら、
<エーシィズマガジン>のオフィスは予想よりも古めかしく、
5番街666にあるビルの二階分を借り切っているが、
ジェイはこれまで地下鉄から眺めるたびに
ペレグリンの睦言を暴くことで荒稼ぎしたのだろう、と思ったものだった。
「ディガーは本日出社しておりません」受付嬢がそう応えた。
受付嬢の後ろの壁には、ジャンピング・ジャック・フラッシュがクローム鋼の
板に焼き付けた<マガジン>のロゴが掲げられていて、
辺りを見回すと、
訪れた名高いエース達の姿が、
ロームの灰皿の中の紫のガラスで象られていたり、
4年間の間動き続けている永久機関の中で回り続けていたり、
真鍮の板に浮き彫りにされている者もいた。
「どこにいけば会える?大事な話があるんだが」
ジェイがそう尋ねると、
「申し訳ございません」受付嬢がさらに続けた。
「そういった情報はお伝えしておりません」
「じゃ誰に聞いたらいいんだ?」ジェイが重ねて訊ねた。
「アポがないと」受付嬢が生真面目に応えるのを、
「俺はエースだぜ」とジェイが茶化すと、
受付嬢が笑いをかみ殺そうとしながらも、失敗しながら応えた。
「そのようですね」
ジェイは辺りを見回しつつ、指で銃のかたちをつくりながら、
長いクロームと革のソファーを指差すと、
<ポン>という音とともにそいつは姿を消した。
(そういえば新しい長椅子が必要だった)
そう考えながら
「俺の姿を真鍮に刻むかな」
そう受付嬢に尋ねると、
「ミスター・ロウボーイならいかがでしょう」
そう言いながら受話器を持ち上げて応えてくれた。


編集部の区画は幾つかの間仕切りで区切られた狭い小部屋が殆どだったが、
大きな個室はちゃんとした壁とドアがあって、ビルの外側に配置されている。
真ん中には窓の無い大きなスペースがあって、
たくさんの華やかな色の鉢植えが置かれ、
ミューザックに乗るように、
身なりの良いスタッフたちがコンピューター端末に向かい忙しく立ち働いており、
すべてが清潔で秩序だっていて、ジェイには反吐が出るように思える。


角にあるロウボーイのオフィスにはコンピューター端末は無くて、
華やかな色もなく、ミューザックも流れてなくて、
木と革が目に入った、そして色のついた大きな窓が二つあって、
そこからマンハッタンの稜線が見渡せる。
ジェイがそこについたときには、
ミスター・ロウボーイはまだそこに着いていないようで、
周りを見回していると、
額に入った写真が壁にかけられているのが目に付いた。
色の薄れた白黒の写真には、
ジェットボーイが、生彩を欠いたノームといった感じの、
萎びた小柄の男と握手する様が映し出されている。
そこでようやくロウボーイが現れた。
「それは私の祖父でして」
そう語り、さらに言葉をついだ。
「祖父とジェットボーイはもちつもたれつの関係でして」
そうしてロウボーイは中指と人差し指をクロスさせてみせた。
ロウボーイは、ジェイよりいくらか背の低い男で、
三つ揃いの白いスーツに、淡い色のシャツに黒いニットタイを身に
着けている。
「どうしてジェットボーイはあんたの爺さんを信用したんだろう」
ジェイはつい尋ねていた。
「ああ、つまりですね、ジェットボーイはお金というものを持て余して
いて、どう使うかなんてことに関心がなかったのです、かつてのエースが
皆そうだったようにね」
そしてようやく手を上げて名乗った。
「私がボブ・ロウボーイです、ディガーを探しておられるとか?」
間を置かずに自分で応えた。
「残念ですが私はお役に立てません」と。
そして首を振りながら続けた。
「ディガーが当社随一のレポーターであることは間違いありませんが、
いわば鉄砲玉でして、昨日コーヒーをオフィスで飲んでからの消息は
私どもにも掴めていない有様でして」
「あんたんとこではそれをどう考えているんだい?」
「心配には及びませんよ」
妙な自信を持ってさらに続けた。
「前もそんなことがありましたが、その時は一週間ぐらい行方をくらまして
いましてね、出社した時にはハウラーの隠し子のスクープを掴んでいましたから」
「そうだといいがな」
ジェイがそう言うと、
「私の秘書にメモを渡しておけば、そいつをディガーに渡すことは可能です」
ロウボーイがそう請け合い、
ジェイはロウボーイに、自分でも探してみると伝えてから、秘書にメモを渡して
しばらく物思いに耽っていたが、
「ミスター・アクロイドですね?」という女性の声で我に返った。
その女性は襟の開いた真っ白のシャツにジーンズ、細かいストライプの入ったグレイの
ベストを着込んだ20代後半といった感じの若い女性で、
標準よりも短めの髪に、丸い眼鏡の縁がちょこんと載っている。
「マンディから長椅子の話は伺いました、あなたはポピンジェイ(めかし屋)ですね」
そしておずおずと片手を差し出してきた。
爪は手早く切りそろえたように見える。
「その呼び方は好きじゃないんだ」
ジェイがそう応えると、その女性は申し訳なそうに応じた。
「ああ、そうでした、あなたのファイルにそう書いてあったのを読んでいたと
いうのに、つい忘れてしまって、失礼をお許しいただけますと幸いです。
私はJudy Scheffelジュディ・シェッフェル、クラッシュと呼ばれています」
「クラッシュだって?」
つい尋ね返していた。
「由来は聞かないでください。
私はディガーの助手を務めているのです、私ではいかがですか?」
そしてクラッシュはベストのポケットから鍵を取り出して、言葉をついだ。
「ディガーのオフィスのキーです、さぁどうぞ」
そうして案内された部屋はロウボーイの部屋の三倍はあって、
エーシィズ誌での彼の待遇が感じられるものだった。
壁がきちんとあり、ドアもあって小さな窓が一つ付いている、そしてしっかりと
施錠されていた。
西側の壁には、いつ雪崩れ落ちてもおかしくないパンパンに詰め込まれた本棚、
窓の傍には、パソコンの載った作業台があってコーナーの一角を占めており、
その隣の壁には掲示板があって、
ジェイの知らない人々の写真が貼り付けてあった。
「誰なんだこいつらは?」
ジェイがそう尋ねると、
クラッシュがドアの方を窺いながら応えた。
「とっておきのエース、という奴のようですね」
そして付け加えた。
「未来のためにとってあるそうです、ディガーが新しい
エースを見つけ出すたびに驚いてはいませんか?
いつも近くにいた、とは限らないということです」
「公表されていないエースということだな。
どうやってエースであることを見抜くのだろう?」
ジェイは写真を眺めながら尋ねた。
「ジョーカータウンクリニックに何らかの情報源が
あるのじゃないかしら」
クラッシュはディガーのデスクの上のメモの類を
どけて、そこの端に腰を下ろしてから訊ねた。
「ディガーは何らかのトラブルに巻き込まれているのですね?」
「そう思うかい?」
ジェイはそう尋ね返して、
載っていたペレグリンのカレンダーの入った箱をどかしてから
回転椅子に腰を落ち着けると、クラッシュが話し始めた。
「昨日の朝のことでした。
党大会の記事をまとめていて、
エースの代議員に対するニュースをソニーのWatckman小型携帯TVで
見ていたのですが、そのニュースの途中でクリサリスの死が
報じられた途端、みるみる青くなったのを覚えていますから」
「二人は親しかったようだな」
そしてジェイは付け加えた。
「あるいは恋人だったのかもな」
「単に悲しんでいただけではなくて」
そしてクラッシュは思い切ったように言葉を搾り出した。
「恐れて、そう恐怖にかられていたようでした。
<行かなくては>そう一言叫んで飛び出していったのです。
私が、<いつお戻りになられますか?>と聞きはしましたが、
まったく聞いていないようで、
後でマンディから聞いたのですが、エレベーターを待つ時間も
惜しいとばかりに階段を駆け下りていくのを見たそうです」
ジェイはディガーがこのまま闇に消えてもかまわない、と思いながらも
できるだけおくびに出さず訊ねていた。
「ダウンズは弓と矢を使った殺しの記事を書いていなかったか?」
「いいえ、エーシィズ誌は単なる犯罪事件を取り上げてはいませんから」
「クリサリスに関して、誰かを恐れている、といった話はしていなかったかな?」
クラッシュは首を振って否定した。
「誰かに関して書いた記事で、特に恨みを買っていた、ということは?」
ペレグリンでしょうね」
クラッシュは即答してのけた。
タキオンが酔って話したことを記事にしたということで、ペレとタキオン
だいぶお冠だったと聞いています」
ドクター・タキオンは、ジェイが腕相撲で勝てるとふんでいる六人の一人にカウント
されているくらいの腕力の持ち主で、
ペリに関しては確証はないとはいえ、アトランタには来ていたはずだった。
「ヨーマンに関しては書いてなかったと?」
クラッシュが頷いて応えたところで、さらにジェイは尋ねていた。
「オーディティはどうだい?」
クラッシュは少し考え込んでから応えた。
「何年か前に記事は書いていました、ディガーは<これでピューリッツアが狙える>と
言っていましたが、ロウボーイが釘を刺して立ち消えになったようです」
「なぜだい?」
ジェイがそう訊ねると、クラッシュはきまり悪げに応えた。
「又聞きですので推測になりますけれど、オーディティがジョーカーだからじゃないでしょうか。
ロウボーイはよく<読者はジョーカーの記事など読みたがらない>と言っているそうですから」
「記事にならなかったことをオーディティが恨んでいると?」
「少なくともディガーが恨まれることはないかと」
ジェイはつい不機嫌な声で尋ねた。
「ディガーが出かけた先に心当たりがないのか?」
クラッシュはまた首を振って応えた。
「私にわかるのは戻っていないということだけです。
6回も留守電をいれましたが、向こうからはかかってきていないのですよ」
「つまり電話には出ていないということだな、まぁベッドの下で震えているということも
ありうるだろうけれど」
(死んでいるということもありうる、血の海に沈んで脳漿を撒き散らしていて、出られない
のかも)
ジェイはそう考えながら、
「確かめた方がいいか」
思わせぶりにクラッシュに視線を向けていた。
「そういやさっき俺のファイルがどうこう言ってなかったか?」
「言いました」クラッシュが察したと見えて即座に応じた。
「全てのエースのファイルがありますよ」
ジェイはパソコンを示しながら尋ねていた。
「あんただったらそいつが見れるんだな?」
「パスワードがあれば、誰でもどこのパソコンからも読むことは
可能です」そして続けた。
「許可がないと、勝手にアクセスしたらクビにされます」
「問題にもならんさ」ジェイは請合っていた。
「ディガーが生きていたら、むしろ感謝されるだろう」
クラッシュは少しの間考え込んでいたが、意を決して立ち上がり、
パソコンを覆っていた埃除けを外し、パスワードを打ち込んでいた。
「Noseだって?」ついジェイは訪ねていた。
クラッシュは肩を竦めて応えた。
「ディガーのパスであって、私のじゃありませんから。
どのファイルをご覧になりますか?」
「クリサリスを殺した相手は怪力の持ち主だろう、
それが可能な相手を先ず知りたい」
「全員だしていたら大変なことになりますから。
テレパシーやテレキネシスを除いた肉体的能力を備えた相手に絞りましょうか?」
「そうしてくれ」
ジェイがそう応じると、クラッシュの指がキーボード上を滑らかに動いた。
「エースだけですか、ジョーカーはどうしましょう?」
「エーシィズ誌はジョーカーを扱わないんじゃなかったのか?」
「エーシィズ誌はそうですが、他の情報源からの情報もあるのです、
例えばSCAREやプレスによる科学的なものや日報のものまでクリップ
されていますから」
「人間の頭蓋を潰せる腕力があるなら、
エースだろうがジョーカーだろうがRutbaga食虫植物でも問わないさ」
「さすがに食虫植物のデータはありませんが」
検索条件を打ち込んでクラッシュが応えた。
「319件ヒットしました」
クラッシュは楽しげに続けた。
「これでも通常の人間よりも腕力が強く著名な者に限られます。
このままプリントアウトしますか?」
「さすがに容疑者が319人もいちゃ扱い辛い。
もう少し狭められないか?」
「わかりました、死者は省いてかまいませんね」
「死者に容疑はかけられんだろうから」
そうジェイが同意すると、クラッシュは打ち込んで応えた。
「302件になりました」
「あまり変わらんな、活動区域とかで絞れないかな」
ジェイは少し考え込んでから己で応えた。
「いや、それじゃ駄目か」
「どうしてですか?」クラッシュが訊ね返してきた。
「それでも70人か80人絞れますよ。
デトロイトティールにシカゴのビッグママ、カンザス
ヘイメイカーとか、それでは駄目なのですか」
「そうだ」そしてジェイは続けた。
「地域じゃなくて、クリサリスに会ったことのある者として
絞るべきなんだ、ビリー・レイとかジャック・ブローンとか
他所の人間も含まれるから」
ゴールデンボーイは確かにそうですね」そして続けた。
アトランタからなら来れますね、ディガーはよくWeenie臆病者と
言ってからかっていましたから」
「言葉尻だけなら除外してもかまわないわけだが」
クラッシュの肩に手を置いたが、クラッシュは気にもしていない様子
だったのでそのまま続けた。
「曖昧な検索条件だが絞れるか?」
「問題ありません」
「よろしい」ジェイはそう応えてさらに続けた。
「犯罪歴や精神疾患の有無、逮捕歴も含めてくれると助かる。
容疑も含めてくれてかまわない・・クリサリスかパレスに関係するならばね・・
ジョーカータウンやその近くに住んでるなら尚いい・・下イーストサイド、
リトル・イタリィ、チャイナタウンにイーストヴィレッジ、その辺りも・・
できるかい?」
「できると思います」そう応えたクラッシュの肩を励ますように揺すりながら
促すと、
終わったとみえて、クラッシュは椅子に深くもたれ、伸びをして応えた。
「これでよし」と。
通信音が響き渡る中、クラッシュが説明し始めた。
「302人からさらに条件のあった人間で容疑を絞りこみます。
逮捕歴、精神状態、クリサリスとの係り、地理的用件の4つで、
そして容疑の強さを横に*印で表してみました」
「いいぞ」
ジェイはそう思わず答え、印刷機から滑りでてきた紙を手にとった。
まだ暖かい紙には19人の名が記されていた。
 
Braun、 Jack         Golden boy          *
Crenson、 Croyd       The Sleeper         ****
Daringfoot、 John      Devil John          ***
Demarco、Earnest       Ernie the Lizard       **
Doe、John           Doughboy          ***
Johnes、 Mordecai      The Harlem Hammer      **
Lockwood、William。Jr、   Snotman           *
Man、Modular         N/A             *
Morkle、Doug        N/A             **
Mueller、Howard       Troll           ***
O‘Reilly、Rahda      Elephant Girl        *
Ray、William        Carnifex           *
Schaffer、Elmo       N/A             *** 
Seivers、Robert      Bludgeon           ***
Name unkown        Black Shadow         **
Name unknown      The Oddity          **
Name unknown        Starshine           *
Name unknown        Quasiman          ***
Name unknown     Wyrm           ****

「いかがかしら?」クラシュの得意げな声に、
ジェイは冷静に応じ、
「まだ始まりにすぎんさ」
そしてリストを見せながら続けた。
「皆ディガーとも係わりがあるのだな?」
クラッシュは紙を慎重に眺めながら応えた。
「そうですね、ビリィ・レイなら、ディガーが
地上最強の男、という記事を書いたときに、
ゴールデンボーイやハーレム・ハマーと比べたら
二軍クラス>、と書かれて頭にきていた、と聞いています、
レイが犯罪に手を染めた、というのは考えにくいですけれど」
そしてパソコンの電源を切って続けた。
「彼もアトランタにいましたからね」
「そうだな」ジェイはそう応えて続けた。
「彼はハートマン上院議員ボディガードだからな」と。
そして紙を丸めて胸ポケットに仕舞い込んで、
さらに訊ねていた。
「ディガーの住所、それと君の電話番号も頼む」と。
役得というものかもな。
そう密かに思いながら。



    

ワイルドカード7巻 その17 

          ジョン・J・ミラー

            午前9時


ブレナンはベッドの脇のナイトスタンドに置かれた電話の
立てる不協和音で目を覚ました。
ホテルの部屋で、寝乱れて垂れ下がっているベッドに
腰をかけ電話を取りながら、
強張った肩とひりひり痛む背に呻きをもらした。
オーディティによって壁にぶつけられた痛みが残って
いるのだ。
「もしもし」と話すと、
「おはようございます、ミスターY]と返されてきた。
それはトライポッドの声だった。
「見つけましたよ、ご依頼のブラジオンという名の御仁をね」
「さすがだな」ブレナンはにこりともせずに応えて続けた。
「それでどこにいる?」
「Uncle Chowder‘s Clam Bar<チャウダー親父の蛤料理>の
ところにある店です」
トライポッドがそう応えると、 
「了解した」
ブレナンはそう応えて電話を切ったが、
しばしベッドの端に腰掛けたまま動かずにいた。
まだ昨晩の疲れと痛みが尾を引いているだけではない。
そうジェニファーとの連絡もとれていないことが圧し掛かった
ように思える。
これまでにあまりにも多くの友や愛する人を失ってきた。
もはやこれ以上誰かを喪うことに耐えるには年をとりすぎた
とでもいうことなのだろうか。
注意深く立ち上がって、じんじん痛む背中と肩を伸ばしてみたが、
(くそったれが)そう呟かずにはいられなかった。
どうにもうまくいかない、以前と同じではないのだ。
やはり休息が必要だろうが、
時間がない。
食事も必要だろうし、
そんなことより何よりこたえるのが、
やはりジェニファーがいないことで、
その感情がどうにもならないということなのだ。
着替えながらも、弓は持っていかないことにした。
この肩の状態ではうまく引き絞ることはできないだろうから。
ブローニングももはやない。
オーディティと格闘した際に落してしまったのだ。
(いいさ)そう己に言い聞かせる
素手でブラジオンを相手にするのも悪くない
幸先がいいというものだ)と。


トライポッドは、ビルの漆喰が塗られていないむきだしに
なった煉瓦壁にもたれかかっていて、
ネオンの看板が、一階にあるレストランの<チャウダー
親父の蛤料理>という名を示している。
山高帽と杖を持った軟体動物が棒のように細い脚で踊り
ながらピンクのネオンで彩られ微笑んでいて、
壁には杭の突き出た錆びたフェンスがついていて、
そこから地下に向かう階段につながっている。
そしてフェンスには6本指の手が描かれた看板がボルトで
留められていて地下を指し示していた。
やはりここはジョーカータウンということなのだろう。
Squisher`s basement<スキッシャーのお膝元>か。
ブレナンは地下の店名を読み上げてからトライポッドに視線を
向けて尋ねた。
「ブラジオンはまだこっちにいるのだな?」と。
「見張っていましたからね」ジョーカーが応えた。
ブレナンは頷きながらジーンズのポケットから札束を取り出して、
20ドル札を2枚トライポッドに手渡した。
「スキッシャーではナットはいい顔をされませんぜ」
ブレナンはマスクの下で微笑んで応えた。
「忠告に感謝する」と。
そして階段を降りていった。


<スキッシャーズ>は飲み食いするジョーカーで溢れていて、
洗剤に零れたビール、吐瀉物を混ぜ合わせたような独特な匂いで
満たされている。
灯りはというとぼんやりと薄暗いが、
ブレナンが入っていくと、回転椅子に座った常連客の視線の
向けられたのがはっきりとわかった。
ブレナンが近づいていくと、会話が途切れ、
通り過ぎると話し始めるのだ。
(トライポッドの言った通りだな)
ここは厳密にいうならばジョーカーの吹き溜まりであり、
彼らにとってそれが居心地の良さにつながっているのだろう。
バーによくある酒のボトルの積まれた棚の向こうには今まで見た
ことのない程大きな水槽があって、
暗く淀んだ水面に何かが浮かんでいるとみえて、
水面が波打ち、
何者かの頭が浮かび上がってきて、
冷たく瞬きもしない瞳でブレナンを見つめているではないか。
「ここはあんたのような奴の来る場所じゃないぜ」
ようやくそのジョーカーが口を開いた。
顔は青白く、丸い頭に髪はない。
魚のような口に尖った歯が並んでいるではないか。
「ナット野郎が、あんたナットだろう、俺はそう言ったんだ」
「客の一人に用がある」
スキッシャーはその魚眼で睨みながら応じた。
「何の用があるってんだ?」
「あんたには関係ない」
座っているジョーカー達がざわめきはじめた・・・
「ここは俺の店だぞ」スキッシャーが言い募る・・
「ここで起こることに関係ないことはあるまい」
そしてそう言うと水槽内を見つめ、骨のない腕を
突っ込んで何かを掴んだ。
橙色の鱗が煌いて、スキッシャーは小魚を口に
放り込み、
二度噛んでから飲み込んで見せ、
再びブレナンを睨みつけている。
ブレナンはポケットからスペードエースのカードを出して、
そのジョーカーに示して見せた。
スキッシャーは目を細め、
触手のついた長い手をしなやかに伸ばして、
ブレナンからカードを奪い取ると、
顔の前でまじまじと見つめてから、
無言で水面下に沈みこんでいった。


そしてブレナンが周りを見回すと、
客たちは突然飲み物に対する関心が高まった
ように口をつぐんで、
隅の暗い一角で、ブラジオンが一人で座っている
のに気がついた。
ブラジオンだというのはすぐわかった。
ブレナンがブラジオンに会ったのはタイムズ・スクエア
混乱と喧騒のさなかで、おおよそ二年前であり、
一度でしかなかったにも関らず、
容易に忘れられないだけの印象があったのだ。
ブラジオンは身長7フィートの襞と傷のある顔の醜い男で、
筋肉と骨が捩れて鋏状になった右手を持っている。
初めて見たときよりもやつれたようで、
ぶかぶかの服に、
肌は染みだらけ、髪は長く薄汚れたまま、
何も見えていないといった様子で、独り言を呟いていたが、
ブレナンが近づくと、
黄色く濁った白めに赤い静脈が浮き出て焦点を結んだとみえて、
ブレナンが憐れみとも嫌悪とも着かない表情でみつめていると、
「何が望みだ?」と長い沈黙の後にようやく声をかけてきた。
「クリサリス殺しの件についてだよ」
ゆっくり区切るようにそう訪ねると、
ブラジオンはその病的な目に火花を散らしたような光を宿しながら
話し始めた。
「そうとも」
その声はしわがれたものだった。
「俺だよ、あの腐れ***の売女をおれがやったのさ。
一杯おごってくれるなら話してやるぜ」
「まずはどうやって殺したかだ」
ブラジオンはその鋏になった右手を持ち上げて応えた。
「こいつで頭を潰してやったんだ、銃も、ナイフも必要ない、
この手でことたりるからな」
ブレナンの顔に嫌悪が滲み、目に軽蔑の光が宿りはしたが、
酔ったジョーカーはそれに気づいた様子はない。
「どこでだ」
ブレナンはそっと訪ねた。
「何がだ?」
「どこで殺したかと聞いているんだ」
「酒場だとも」まごちきながらさらに続けた。
「バーの床で俺の**をぶちこんでやったのさ」
目に病的な光を宿し笑いながら続けた。
「そうとも死んだのを確認してから頭を潰したんだ」
「Scumこの屑が」
ブレナンは硬く引き結んだ口からその言葉を搾りだしていた。
「なぜそんな嘘をついたか聞かなければ貴様を殺すことができるのだぞ」
ブラジオンは目を白黒させながら、何を言われたかわからずにいたが、
ようやくその濁った頭にその言葉が染みこんだとみえて、
立ち上がり、叫び声を上げながらテーブルをブレナンの方に押しやったが、
ブレナンはなんなくかわし、テーブルは床を削ったにとどまった。
ブラジオンは叫びながら鋏を振り回してきたが、
ブレナンはゆったりとそいつをかわしつつ、手首を掴んで肩に担ぎ、
ブラジオンを床に叩きつけると、
そうして店のジョーカー達が雲の子を散らしたようになって、
ブレナンが椅子を掴んだところで、
スキッシャーが水槽から上がってきて、
「水槽があるのだぞ」激昂して叫んだ。
「ガラスが割れたらどうする」
ブラジオンは壁際に追い詰められて、恐怖と痛みを湛えた瞳でブレナンを
見つめていたが、
ブレナンが掴んだ椅子を振り、ブラジオンの腹に叩き込むと、
水から上がった魚のように口をぱくぱくさせていて、
再び椅子を叩きつけると、バーのスツール三本に背中を
ぶつけて、
それから弱弱しく立ち上がろうとしたが、
筋肉がたるんだかのように動けずにいて、
ごぼっという音とともに血の塊を唇から吐き出して、
弱弱しく手を振り回し始めた。
ブレナンが構わず三発目を叩き込むと、
ブラジオンは椅子を抱たままえ、背中に筒状の金属の冷たさを感じていて、
身体から伸びた脚が極端に捩れた抽象絵画ように見える。
「殺したのは貴様じゃないだろ?なぜそう吹いて回ったんだ?」
ブレナンがそう低い声を絞り出すと、
「仕事が欲しかったんだ」
ブラジオンは喘ぎながら語りだした。
「誰もいなかったんだ・・誰もチャンスをくれやしなかった。
フェードアウトかフィストの誰かの耳に入ったなら、
チャンスをくれると思った、ただチャンスが欲しかっただけなんだ」
「そんなことのために嘘をついたというのか」
ブレナンはそう低い声で呟きながらも、割り切れない思いを感じずにはいられなかったが、
その思いを押し殺して何か手がかりを掴まねばならないと思い直し視線を据えて言葉を搾り出した。
「俺はクリサリスの友人で、殺した犯人を捜しているんだ、憶えて置け」と。
そしてスペードエースのカードをブラジオンの上に落として、
バーを後にすることにした。
ブレナンがドアを目指すと、客の一人がブラジオンから革のジャケットを剥ぎ取ろうとでもしたのだろう。
バーにブラジオンのじたばたする音と震えた声が響き渡った。
憐れな啜り泣くような声が。

ワイルドカード7巻 その18

         ジョージ・R・R・マーティン

             午前11時
 
  
ディガーの部屋は、ウエストヴィレッジ、Horatioホレイショに
あるエレベーターの無いアパートの5階にあり、
通りに面した場所には公園があって、
シャツを肌に貼り付けた十代の若者がバスケットに興じて
いる。
ジェイが立ち止まってその光景を眺めていたのはほんのしばらくの
ことだった。
その内女性は二人きりで、些か侘しいものだった・・・
そしてビルの戸口にある階段には鬚の剃り跡の目立つ強面の男が
腰掛けていて、
Rheingoldラインゴールドの缶を持って飲んでいた。
ジェイが上ろうとすると、
立ち上がってドアの前に立ちふさがって、
「ここに何の用だ?」
そう言い放った男はジェイより3インチ程度背が高いが体重は
50ポンドは余分にありそうで、
盛り上った右上腕筋に鷹のタトゥー、片方の耳に金の輪っかを
ぶらさげているときたものだ。
「ディガー・ダウンズを探している」とジェイが言い放つと、
「帰ってないぜ」
「そいつは自分で調べるさ」
「五体満足じゃすまなくなるぞ」
ジェイはそうして押し問答しながら嫌になる感覚を堪えて訪ねた。
「何か問題でもあるのか?」と、
その男は持った缶を握りつぶして答えた。
「貴様自身がそうだといっているんだ」
ジェイは使われていない地下鉄にこいつを飛ばすという誘惑に
駆られつつももっと単純な手を使ってみることにした。
「何が起こったか知りたいだけなんだ]
そう言って、ポケットから札を数枚出して見せた。
「それならミスター・ジャクソンに聞くといい」
「ミスター・ジャクソンがどいつだか知らないんだがね・・」
男が応えた。
「ならTen-spot(10のふだ:10ドル札の意)でどうだ、
そうすりゃたちどころだぜ」
10ドルですむなら願ったり叶ったりといったところか。
ジェイは10ドル札を広げて、薄くて硬い男の手に捻じ込んでいた。
「来な、あまり手間はかけられんからな」
入り口の通路は小さく暗い。
中に入ると、
呼び鈴の下に郵便受けがあって、
そこから男が手探りで鍵をとりだした。
そしてダウンズの部屋の呼び鈴を鳴らしたが返事はなかった。
「ディガーに用があったとしてもだな」
そうぶつぶつ言いながら、中の保安扉を開けて続けた。
「さっきも言ったがな、やっぱりいないぜ」
ドアを通り抜けると手すりが視界に飛び込んできて、
「血の跡が見たいならそこに4つだか5つ着いてるぜ。
俺は通るたび見ないようにしてるがね」
「何が起こったか話すまでに、一体何回質問したらいいの
だろうな?」
「おいおい、誰だって知ってるこったぜ、ここに警官が乗り込んで
きたなんて話はな、あんたポストは読んでないのか?
二人殺されたって話さね」
Oh shit(なんてこった)!」
ジェイは胃の底に冷たい塊があるように感じながらそう呟いていて、
「ダウンズなんだな?」そうようやく言葉を被せると、
Nah違うね、Mrs Rosensteinミセス・ローゼンシュタインだった、
ダウンズの向かいの住人さね、それに管理人のJonesyジョンジーだ」
「とどのつまり」逸る気持ちを抑えながら、
「殺されていたと?」そう言って促すと、
「どうだかな」と返された言葉にいかにも驚いたというように、
「違うのか?」そう訊ねると、
Nahありゃ違うだろ、なんせばらばらに切り刻まれていたんだ、二人ともだぜ、
チェーンソウをもったNutcaseまともじゃない奴が滅茶苦茶に
破壊したって感じだった、俺もそいつを見つけた一人だったんだぜ、
Godくわばらくわばら、あんたも自分で見たら吐き気が抑えられんだろうな、
昨日の朝早くに、家に帰ってきたら、玄関前に転がっていてまともに見ちまったんだ、
Fuckまったくたまったもんじゃない。しかももう少しで踏んじまうとこだった、なんせ血溜まりに覆い隠されていたからな、
肉屋のゴミ箱もかくやという有様だった。
無造作に散らばっているって感じだ、わかるだろ?
脚で踏みかけてようやくそいつが何か気づいたのさ」
前屈みになって話す男の口から酒の饐えた匂いを感じていると、
「ジョンジーの貌だった、しかも全部じゃない、半分だけが、
おそらく手摺りの辺りから落ちてきたんだろうな、残りは4階の踊り場のところに
転がっていたからな、どうしてそんなことになったかしったこっちゃないが、
腹は切り裂かれて、中身がよれよれになったクーパーの玄関マットに飛び散ってたんだぜ、
手はそいつを押し戻そうとするようなかたちで固まっていて、
ありゃ何て言ったかな、そうだ腸だ、そいつが5階まで散らばっていたんだ。
こっちはミセス・ローゼンシュタインだったというわけさ、あんな長いなんて知りたくも
なかったがね」そこで男は肩を竦めてみせて、
「警察は死体を片付けていきはしたが壁に飛び散った血はそのまんまでね、大家も
新しい壁紙を張らねばなるまいて、半年は我慢しなきゃならんだろうがね」
「それじゃダウンズはどうなったんだ?」たまらずそう口を挟むと、
Fuckくそ何度も言ってるじゃないか、帰ってないのさ。
警察は鍵も調べていたようだったが、かかったままだったという話さ。
あのFuckingくそ雑誌に載せる話でも集めてたんだろうぜ。
まぁ出た先で家の方で事件があった日にゃ目も当てられんだろうがな、
とんだお笑い草だ」
「ひどい有様には違いないがね」そう応えながらも、
人が死んでいるのだ、ディガーとて笑いごととは思うまいが。
そう思いつつ。
「そういやNewark city jailニューアーク市留置所に行ったことはあるか?」
そう声をかけ、
Fuck No(あるわきゃないだろ)」
そう怒気を含んだ言葉が返されたところに、
「それじゃよかったな」こともなげにそう言って、
「一晩過ごしたことがあるが、本当にひどいとこだったぜ」
そう駄目押ししつつ指を向け、
しゃっくりを思わせる<ポン>という音が響くと同時にそこには
ジェイ一人になっていた。
ジェイは階段を見上げ、微笑みつつ、
まったく無駄な時間をすごしたものだ。
ともあれこんなことをしていたらいつか訴えられる日がくるかもな。
そう自嘲しつつ、
これでよし、
と己に言い聞かせ、
三階の踊り場に残された赤茶けた染みに目を留めていた。
三階と四階の間にある木製の手摺にも飛沫は散っていてるが、
特にひどいのは四階の壁で、
二箇所に亘り赤黒い縞になって壁紙が消えかかってすらいる。
おそらく出血したまま壁を背にして逃げようとしたところで
手を振り回してつけたといったところか。
それもまだどうやら序の口だったらしい。
5階の踊り場ときたら身体だかその一部だかで壁一面が赤黒く
なっていて、カーペットもまるで血に浸されたように赤黒く
染まっていて、廊下に飛び散った血が蕁麻疹か何かのように
思え、
上を見上げると天井に出ることのできる跳ね扉があるが、
そこにすら染みが飛び散っているのだ。
そうして現場を見渡しながらも、ジェイは昨日クリスタル・
パレスで見た惨状を思い起こし、あれもひどかったがこっちは
滅多切りといったところか、などと不謹慎にも考えていた。
確かにあの喧しい男の言ったとおりの惨状だ。
<ウエスト・ヴィレッジチエーンソウ虐殺>なんて見出しを
ポスト紙ならつけるのではなかろうか。
ともあれ比べてみるならば、クリサリスの方はほとんで出血
していなかった、バラウスに僅かばかりの血痕がついていた
くらいか。
壁にも少し散ってはいたが、これに比べれば殆どなかったと
言っていいくらいだろう。
どちらも凶悪な犯罪であることは間違いないにしてもクリサリスの
身に起こったこととはまったく一致するところはありはしないのだ。
あえていうならどちらも胃がむかつくくらいか。
そう内心ぼやきながらディガーの部屋のドアを見つめていた。
確かに仰せの通り鍵はかかっているが、
ジェイならばばね仕掛けの鍵ならばクレジットカードを使うように簡単に
開けられるし、この手の安全錠もお手の物とはいえ、
ピッキング道具と10分もあれば開けられるというものだろう。
ジェイは慣れた手つきと具合の良いピッキング器具の助けもあって、
なかなかしっかりした鍵ではあったが、
ついにガチャッという音と同時に扉は開いて、
チェーンがついてはいるが、どうやら見たところそいつは駆けられて
いないようで、警察の非常線も貼られていない、ということは中から
ロックされていたことを意味する。
そこで中を一瞥したジェイは、
Oh shitなんて有様だ!」と呟いていた。
中は相当にとっちらかっていた、というよりひどく荒らされていた、
という表現が相応しい有様だった。
そこでジェイは用心しつつ中に入ってみると。
中はあらゆるものが放り投げられ潰されたといった状態で、
死体か、もしくはその一部でもあるではないかと身構えて
入りはしたものの、
リビングはそこでブリザードでも巻き起こったかのように
散らばった紙で床が覆われていて、古めかしいZenithゼニス社の
console televisionディスプレイモニターが床にたたきつけられた
ようでガラスを散らばらせている中、古いLPのようなものを
踏んでしまい割ってしまっていた。
そこで寝室を見てみるとベッドは真っ二つになっていて、
シーツは切り裂かれ、破れたマットの中身が散乱し、背表紙
から真っ二つにされた本も散らばっていて、
キッチンは腐ったジャンクフードで覆われていて、食べ残しに
虫がたかってしまっている。
食器棚はすべて叩き割られていて中身は乱雑に散らばっていて、
古くて大きい冷蔵庫がリノリウム張りの上に鎮座していて、
ジェイが屈んで調べてみると、
鋼鉄のドアにまでギザギザの裂け目がついていて、
Jesus Christなんてこった!」
と悪態をついて立ち上がり、
振り向いてリビングを見返すと、窓に格子がついているのに
気づいた。
この手のアパートの窓に格子が嵌められているのはけして
珍しくないとはいえ、全ての窓に鋼鉄の格子が嵌められていて、
タイル張りのバスルームの窓にまで嵌められいるのだ。
しかもそれはここ一年に施されたように新しく思えるものだった。
つまりディガーは身の危険を感じてこれをつけたのではなかろうか、
そうクリサリスと同じように。
つまり鍵をかけておくだけでは充分ではないと考えたということ
ではなかろうか。
とはいえ窓も鍵がかけられていたにも関わらず、そいつはこの部屋に
入れたということになる、もっともジェイ自身は鍵を開けて正面から
入ることができたのだが。
勿論壁をすり抜けることができたなら話は別だが。
そこでジェイはスペードエースのカードが置かれているのではないかと
探し回ってみたが、見つけることはできなかった。
ヨーマンは確かに非常な男かもしれないが、彼の殺し方はプロの手際で
あり冷徹なまでに効率を重んじたものだ。
これはどちらかといえば人の所業というより獰猛な獣が暴れまわった
ように思える。
ジェイには容易くその殺し屋の人物像が想像できていた。
そいつはおそらく口から泡でも吹いて手当たり次第に破壊の限りを
尽くしていたに違いない。
それからジェイは最後に室内を念入りに調べていて、ベッド脇の床に
有名人達の身の上や、ヴィクトリア風の下着に身を包んだ女がぼんやりと
写されている表紙の作者不明のペーパーバックに混ざって何冊かのノートが
あるのに気づいた。
5冊の内一冊はましな状態に復元することができた。
背表紙に結線が貼られていたノートで、散らばったページをつなぎ合わせる
ことができたのだ。
そこでハードカバーの本が目について、三冊、いや4冊分のパーツといった
ところか、ともあれ急いで判別できる部分には目を通しておいた。
一冊などは大きく斜めに切り裂かれていたがあらかた読むことはできた。
ノートには日付を振られていて、ジェイはディガーのマットの残骸に慎重に
腰を落ち着け、
最近の日付のついているものを開いた、ディガーが最後に書き残したものは
<パーク・アヴェニューの農夫>というもので、
8歳の女の子がパーク・アヴェニューにある父の別荘の床一面にミニチュアの
農園を作り上げたというものだった。
その農園には模型の家に、川も描かれていて、草におもちゃの車やトラックも
もあって、農地の周りには電車も走っていて、家畜たちは本物に見えるほどだった。
牛などは4インチ程度ながら、小さくてかわいい牧羊犬や子豚などがcockroache
油虫サイズで再現されている。
小型の農夫の染みだらけの顔には動物たちを愛する気持ちまでそっくり縮めた
ように思えるほどだった。
もちろんジェイとて8歳のJessica von der Stadtジェシカ・フォン・
デル・シュタットが何らかの容疑者だと思っているわけではないから、意識を
本来の関心に戻すことにした。
そうクリサリスの殺され方についてだ。
何らかの口封じか。
それとも愉快犯の仕業か。
チェーンソーは使われたかそうでなかったか。
それから大統領候補を護衛しているエースの経歴や、胸を舐めるように写した
ペレグリンの経歴写真を写した人間の連絡先やハイラムのチョコレートマンゴー
パイのレシピやらミストラルが父から初めて飛び方を教えてもらったときの
話やらを最後に目に留めてから、
しまいにはうんざりして放り投げ、何かに突き動かされるようにこの部屋を後にした。
いたたまれない思いを胸にいだきながら。




ワイルドカード7巻 その19

          1988年7月19日
            午前11時 

           ジョン・J・ミラー



ブレナンはヘアリーズ・キッチンで卓についている。
手にもったカップからも時々わずかにしか口にしておらず。
それから注文をだそうとせず何度もその前を通りすぎる
ウェイトレスの苛立ちまみれの視線にさらされながら、
その前には新聞が数誌散らかったままだ。
クリサリス殺しの記事を探していたのだが
だいぶ後ろの方にその記事はおいやられている。
アトランタの政治紛争によって脇にのけられたといった
ところか。
ジョーカーの権利擁立が党の要綱にのるかどうかが争点に
なっているらしい。
バーネットがいかにも聖人ぶった連中を率いてハートマン陣営と
もめていて、
まったく見通しのつかない状態になっている。


もはやクリサリスの死などは古いニュースに成り果てているのかもしれないが。
Jokertown Cry<ジョーカータウンの声>誌のみが
一面で事件を取り扱っている。
現場に向かおうとしている警官の写真付きで、
ジョーカータウンからからはハーヴィー・カント、そして
そのパートナー、トーマス・ジャン・マセリークだ。
ブレナンはカップを下ろして、
厳しい表情のままウェイトレスから視線を外し、
荒く写った写真に焦点を結ぼうと写真に目を近づけた。
それはクリスタルパレスの外で写された二人の写真であり、
左側の背が高い鱗に覆われた爬虫類風の男は、
かつてやりあったシャドウ・フィストにいたワームという男を
思い起こさせたが、
隣の男、マセリークに視線を移し、
己に言い聞かせるように頷いてから、
卓を離れ,
レストランの奥にある公衆電話の前に立ち、
ジョーカータウン分署の番号を回した。
つながるまでにしばらくかかったが,

「マセリークです」
よく通るが疲れの滲んでかすれた声が向こうから応じてきた.

あの男に違いない。
ブレナンはその声を15年ほど前にも聞いたことがあったのだから。
いまでもそのときのことを思い出すと、
墓に葬ってきた闇がつきまとっている。
マセリークはあの闇の中、ベトナムにいたのだ。
「久しぶりだな」ブレナンが静かにそう切り出すと、
短い沈黙のあとに、
ようやくギアのかみ合ったような声が返されてきた。
「誰だあんた」
「ブレナン、ダニエル・ブレナンだ」
「ブレナンだって」
「俺だよ」
「Christ本気か、あれから随分たつが、懐かしくなって旧交を
暖めたくでもなったか?」
「まぁそんなところだ・・」そして言葉をついだ。
「話がある」
「何のだ、昔話でもするのか?」
「クリサリス殺しのことだ」
「あんたに何の拘わりがある」
「個人的なものだ、俺の友人だった」
「あんたに係ると何でも個人的な話になっちまうんだな、
まぁいいさ、でどこで話す?」
そこで少し思案することになった。
マセリークから情報を聞き出したいが、
マセリークは常に口が重いというタイプではないにしても、
いささか気の短いところのある男だ。
たとえ話がこじれて癇癪を爆発させても気まずくなるような場所がいいだろう。
<エーシィズ・ハイ>で昼飯というのはどうだろう?」
「そいつは警官の稼ぎでは高すぎるな」
「俺のおごりだ」
「ならば断る理由はないか」
そう返されてきたのだ。

ワイルドカード7巻 その20

       ジョージ・R・R・マーティン

            午後1時


「おかわりはいかがですか?」Floフローがそう声をかけてきた。
「たのむよ」ジェイはそう応え、フォーマイカ仕上げのカウンター
上にカップを滑らせた、確か飲むのは4杯目だっただろうか
フローは20分前に出されたpatty meltパティ・メルトやら
フライドポテトやらの乗っていた皿を片付けながら、
Puzzle(謎)でも解いているのかしら?」そう言ってコーヒーを
注ぎなおしてくれたものだから、ソーサーにまでコーヒーが飛び
散ってしまっていたが構わず、
「まぁそんなとこだ?」と無難に応えた。
ジェイはカウンターの上に広げたのリストに載った名を食べながら
眺めていたのだ。
紙にはパティ・メルトからこぼれた玉ねぎが貼りついて透明な染みに
なってしまっている。
「何か用ができたら呼んで頂戴」フローはそう言ってから、
「TVガイドのクロスワードは毎週解いているのよ」そう言い添えて
コーヒーポットをもって奥のボックス席の方に引っ込んでいった。
奥のボックス席では、白い麻のスーツを着た兵役逃れの
chicken hawk 自称タカ派セントポールからのバスを
降りたばかりの金髪の青二才を軍隊に入れようとしているようだ。
Java Jointジャヴァ・ジョイントはポート・オーソリティ
タイムズ・スクエアの間にある42番目の通りにある店で、
Wet Pussycat Theaterウェット・プシィキャットシアターと成人向けの
本屋に挟まれたかたちになるが、そこの料理はエーシィズ・ハイには及ばないに
しても、ジェイはここが気にいっている、値段が手ごろで何よりもオフィスから
半ブロックしか離れていないのだ。
ジェイはフローから拝借したちびた鉛筆を舐めながらリストを眺めている。
残った19人からさらに11人に絞り込むことができた。
スノットマンは投獄されているから真っ先に除外できるとして次に星一つの奴も
除外しても構わないだろう
クリサリスのオフィスは象が入れるほど大きくないから、ラーダ・O・ライリーは
論外として、モジュラーマンとスターシャインは活動場所からみて犯行を行うのは
厳しいのではなかろうか
とりたてクリサリスを殺す理由がないという以外に、カーニフェックスはアトランタ
いるからジャック同様除外できる。
リスト上では星3つの表示がされているが、エルモが犯行に及ぶとは考えにくい、
とすると残りの容疑者は以下の通りとなる。


Crenson Croyd    The Sleeper     ****
Darlingfoot John   Devil John      ***
Demarco Earnest   Ernie the Lizard   **
Doe John       Doughboy      ***
Johnes Mordecai   The Harlem hammer   **
Morkle Doug      該当名なし     **
Mueller Howard     Troll       ***
Seivers Robert    Bludgeon       ***
本名不詳      Black shadow      **
本名不詳      The Oddity       **
本名不詳      Quasiman        ***
本名不詳       Wyrm         ****


そこでジェイは残った名前を眺めながら考えていた。
アーニー・ザ・リザードことデマルコはジョーカータウンにある
バーのオーナーだが、いくら近葉で営業しているとしても、
パレスと競合するほどではあるまい。
そう考えて除外した。
デビルジョンことデアリングフットは雇われジョーカーとして
名をはせた男で、その歪んだ脚から繰り出される強烈なキックが
有名だが、あの脚ではクリサリスの頭をああいうかたちで潰すのは
考えにくいとして、棒線を引いて除外した・・・
ドウボーイは力からは有力だとしても、あの子の精神は子供のままだ、
確か数年前にも警察にしょっぴかれていったことあったがもちろん
あの子が犯行に及んだわけではなくて、今回もこの子が犯行に及ぶ
可能性は低いとして除外した。
モーデカイ・ジョーンズはハーレム在住でジョーカータウンからは街
半分くらい離れた場所にいることになる、確か去年の視察旅行では
クリサリスと同行していたのではなかったか
可能といえば可能だが
数分迷いはしたがハワード・ミューラーについて考えることにした。
そうトロールだ。
タキオンのジョーカータウンクリニックの保安主任を務めていて、
ミューラーはパレスの常連でもある、確かに9フィートの巨体を誇る
ジョーカーで、力に置いてはゴールデンボーイやハーレムハマーに
劣らないにしても、トロールが善人であることをジェイは知っている。
とはいえもしそうでないとしたら、クリサリスが彼の過去の汚点のような
ものを探り出したとしたら、そしてそれを利用しようとしたどうだろうか、
可能性はあるというものだろう。
とは言ったものの、こんなことを言い始めたらアーニー・ザ・リザード
あろうとハーレム・ハマーであろうとスターシャインにしたところで動機
さえあれば全員そのまま容疑者となるのだ、
だとしたらそれこそ容疑者は319人にまで膨れ上がるのだから、さすがに
全員洗っているわけにはいくまい。
そう呟いてトロールの上に線を引いて除外した。
すると残るリトルインディアンは7人というわけか(マザー・グース
10人のインディアンにある言い回し)
7人の屈強なインディアンというわけだ。
ワーム、クオシマン、オーディティ、ブラックシャドウ、ブラジオンに
スリーパー、そしてダグ・モークルとそんなところか。
ワームはシャドウ・フィストの手先である醜い男で、ジェイも一度顔を
会わしたことがある、そういえばこいつがクリサリスを脅していたと
聞いたことがある、とはいっても実際、二年も前の話だ、
ワームが今更そんな昔の恨みを持ち出してきたとは考えにくい、それに
ワームの手口は噛みついて毒液で殺すというものだから、クリサリスの
死体の状態に合致しない。
そこでジェイはクリサリスの死体を思いだしてみたが、噛み跡はなかった
ように思う、とは言っても調べてみる価値はあるというものか
検死で何らかの毒物が検出されていないとも限らないのだから
クオシマンは<永遠なる悲惨の聖母教会>の墓守であり、ワームよりも
強い腕力を誇りテレポート能力も持っている、この男ならば誰にも見咎め
られることなくパレスに出入りできる、この男がある意味天使のごとく
純真であるのは確かながら、一方で精神が別の次元だかどこかだかを彷徨って
いるような状態になることもあるという、だとしたらその状態でことに及んだ
ということも考えられる、ありえなくもないといったところか、保留といった
ところだな、
オーディティはジェイが真っ先に容疑者に上げた人間でこれも外せない。
ブラック・シャドウは病的正義感を抱えた自警主義者で、犯罪を憎んでいて、
犯罪者を殺すことで知られているが、気分のよいときには武器を破壊して、
手足の一本や二本で済ませてくれることもあるとの話だ。
もしかしたらシャドがクリサリスと何らかの犯罪との関与、もしくはこの男の
本名を調べだして、そいつを公表すると脅迫していたらどうだろう、
まぁあくまで可能性がある、というだけの話だが、
やはり死体の状態に対する疑問が残る。
シャドの力が強いと言っても精々常人よりはまし程度という話だからだ。
闇の世界の住人で、血の代わりに光と熱を飲み込むヴァンパイアだと噂されて
いて、この男の犠牲者は体温を全て吸い取られて殺されているという。
頭を潰す殺し方はしないか、
そこでこの男も除外した。
ブラジオンは獰猛な7フィートのジョーカーで、右腕が棍棒のようなかたちで
固まっていることからそう呼ばれている男で、以前はシャドウ・フィストに
属していたらしいが、何か下手をこいて追放されている、以前ハイラム・
ワーチェスターと一緒にいたときに出くわしたことがあった。
あの拳ならば、骨もろとも頭を潰すことも簡単であるに違いない、
もしそうだとしたら念入りに楽しんで潰したに違いあるまい。
だとしても見かけ通りのチンピラで、こいつには単独でパレスのセキュリティを
破って侵入することはできないだろう、
もちろんクリサリスがこいつを招き入れたとしたら話は別だが、
もちろん誰かと組んだということもありうる話だ。
当然容疑は濃厚というものだろう。
クロイド・クレンソン、通称スリーパーは法の網をかいくぐって活動している
フリーランスの男で、この男の能力は眠るたびに変化する、怪力であることも
あれば、怒りの赴くまま暴れまわる怪物となることもあるが、ジェイにはこの
男がクリサリスに対して不満を零していたのを聞いたという記憶はないが、
アンフェタミンの過剰摂取の副作用で精神状態が不安定になっていたとしたら、
あるいは力を持て余したまま目を覚まして、クリサリスが何か言ってこの男を
怒らせたということもありうる。
とはいえそれもまた可能性があるというだけのこととしてこの際除外することに
した。
これで残り5人となる。
ワームにクオシマン、オーディティにブラジオン、そしてダグ・モークルだ。
「そういやダグ・モークルって何者なんだ?」そう口に出していて、フローにも
訊いてみたが、フローも知らないとのことだった。
ジェイはため息をつきながら支払いを済ませ、いつも通りチップもはずんで渡して
おいて回転ドアへ向かう途中で、
そこから離れていないブースで緑色のモヒカンの男の前に新聞紙が畳まれているのが
目について、
慌てて引き返し、その新聞を手に取っていた。
「おい」モヒカンの男がそう抗議の声を上げてきたが構わず、
Shit(なんてこった)」と呟いて、紙面を眺め直して、
「エルモが逮捕されただと」そう声にだしていて、
勘違いも甚だしいと言うものだ、と内心ぼやいていた。
街の守護者を自任する連中のことだ、嬉々としてその行動に及んだに違いない。
ともあれ思考が中断されたから、ダグ・モークルはそのまま容疑者の内に留めておく
ことにしたのだ。




 

ワイルドカード7巻 その21

           ジョン・J・ミラー

             午後1時


ブレナンは<エーシィズ・ハイ>に入ったことはなかったが
悪くない場所だ。
古い友人が旧交を温めるにはもってこいの場所といえるだろう。
実際そこで話すのが殺しや後ろ暗い事柄であったとしてもだ
マセリークもそう思ってくれたらいいのだが。
ブレナンは一杯飲みほして、おかわりを用意しようと近づいてきた
ウェイターを手で静止して、パッと見いつも通りの忍耐強さを
発揮し続けているように思えるが、その内心はレオ・バーネットの
動きに一喜一憂するジョーカーのごとき緊張が潜んでいるのが
見て取れる。
マセリークは頼りになるタフな男で、ベトナムで一緒だったときも、
ほとんど囁く程度しか口にはしなかった。
もちろんブレナンも長距離偵察部隊を率いていた際でもそうだった
わけだが、
ベトナムではそれで妙な噂が立ったこともあったほどだ。
ブレナンはウェイターがマセリークをブレナンのいるテーブルへ
案内してきたところでマセリークであることに気が付いた
小柄な男ではあるが、ブレナン同様に無駄な動きのない優雅と
いっていい動きをするのが見て取れる。
髪は薄く暗い色合いで、青白い肌に鋭い菫色の瞳な男で、この男を
見ていると、ベトナムで味わった苦い感情が思い返されてならない。
Helloこんにちは、Captain(キャプテン:陸軍では大佐、
警察では警部の意味となる)」
滑るように目の前に姿を現したマセリークにそう声をかけると、
マセリークは幾分驚いた顔をしてブレナンを見つめて、
「その貌はどうした?」と言葉を返してきた。
そういえばブレナンはシャドウ・フィストに潜入する際にタキオン
頼んでアジア系の東洋人的な貌に整形してもらっていたのだった。
マセリークにはあの時以来会っていないから当然か。
「この目はね、キャプテン、今はアジア系がはやりだということに
しておこうか」
マセリークは納得していない様子ながら腰を下し、
「それに俺はまだLieutenant(警部補:陸軍では大尉の意)だよ」
そう零したが、ブレナンはそれに頷いて応え、ウェイターを手ぶりで
示すと、
「主役はあんただ」そう応えたマセリークに、
「それじゃTullamoreタラモアを二つ、アイスで頼む」
「畏まりました」そう言って軽くお辞儀をしてウェイターがいなく
なって、そのウェイターが飲み物をもって戻ってくるまでどれほどの
時間がたっただろうか、ただ沈黙だけが流れていたのだ。
「ご注文はおきまりですか?」ウェイターがそう言って前屈みでペンを
握ってパッドに押し付けていたが、マセリークはメニューを開きもせず
blackend redfishブラッケンド・フィッシュが絶妙なんだってな、
もっとも警察の給料では縁のない代物だがね」
「畏まりました」ウェイターはそう応えてから、ペンを握ったまま幾分
伏し目がちにブレナンに視線を投げかけながら、
「そちらはいかがいたしますか?」と声をかけてきた。
「シーフードサラダを」そう応えると、
「畏まりました」とウェイターは言ってメニューをまとめていなくなって
いた。
マセリークは一口グラスに口をつけてから、それを横にどかして、
「それで要件はなんだ?俺達はジャングルでCharleチャーリー
ベトナム解放戦線)とやりあった昔話に花を咲かせるといった
類の人間でもあるまいに・・・」そう口を開いたませりーくに、
「クリサリスの殺しについてだ・・」と告げていた。
マセリークは嫌な顔をしつつも「それがあんたに何のかかわりがある?」
そう聞き返したマセリークに、
Lovers大切な人だった」
そう応えると、マセリークは顔を上げて、
「クリサリスにゃそういう相手がたくさんいたと聞いている、あんたは
嫉妬に狂うというタイプじゃないと思っていたがね」
「勿論俺じゃない・・・」ブレナンは感情のこもらない声でそう否定して、
「そもそも俺が殺したならば話を聞く必要などないというものだ」
「俺にはわからないな」マセリークはそう言って
「他の人間に注意を引き付けるためかもしれんさ」
そう続けられた言葉に、
「弓矢を使う殺し屋が最有力の容疑者というわけだ」
と言葉を被せると、
「死体の傍には例のカードがあったと聞いている」
マセリークが注意深く言葉を選びながらそう囁いて、
「いつものカードとは違ったという話だ、どうやらクリサリスが使っていた
骨董ものなカードらしいんだ」
ブレナンがパレスに押し入ったときの様子を思いだしながら頷いて、
「他のカードはみつかっていないと」そう言葉を被せると、
「その通りだ」マセリークはそう応えてから
「どうしてあんたがそれを知っている?」と返された言葉に。
ブレナンは笑みを浮かべてみせながら
「確かジェイ・アクロイドだったかな、今朝パレスにいた男は」
そう話を向けると、
「その通りだよ」マセリークはそう応え、
「あの男が死体を発見したんだ」
「そいつはどうしてパレスにいたんだ?」
「そう矢継ぎ早にきくもんじゃないぜ」
「第一警察には警察のやりかたがあるからな」
「俺には俺の正義がある、それに基づいて裁くまでだ、もちろん警察が
先に見つけることもあるかもしれないが、俺が見つけた場合には、と
いうことだ」
そこですぅっと言葉を切って肩をすくめてみせると、
「おい、ブレナン」マセリークはブレナンに指を突き付けて、
「それは法を超える行為だぞ」と言い出したが、
「そっちにはそっちの流儀がある、それだけの話だ」
そう言い放ったブレナンの言葉は断固たるもので、
「適当なところで切り上げるから、そっちに迷惑はかけることは
ないだろう」
そう継がれた言葉にマセリークが何か言い返そうとしたところで、
ウェイターがやってきて二人の前にプレートを並べ、
「ご注文は以上でしょうか?」と声をかけてきた。
ブレナンは一瞬マセリークに視線を向けてからウェイターに
頷いてみせて、
「今のところはこれでいい」と返すと、
「それではごゆっくりどうぞ」と言い残し、ウェイターは
足早にその場を離れていった。
「さてそれでは応えてもらおうか?」
ブレナンが柔らかく宥めすかすような声でそう促して、
「誰かいたんだったな」と言葉を被せると、
マセリ−クはしばらくその顔をみつめていたが、ようやく溜息を零しつつ、
「まぁいいさ、その私立探偵が言うにはボディガードに雇われたんだそうな、
実際不首尾に終わったわけだがね」
考えに沈みながらシーフードサラダをつついているブレナンに、
「それで」とマセリークが言い出して
「そっちの情報はないのか?」と促され、
「オーディティを調べることだ、男か女かもしれない奴だが、昨日の晩に
クリサリスの寝室にいて何かをしていたからな」
ブレナンがカニをつついているところを眺めやりながら、
「それであんたは何をしていたんだ」と言葉を被せてきたマセリークに、
ブレナンは首を降って応え、
「疑いを晴らす証拠は何もない、今のところは、だが……」
そういって視線を外してカニを口に入れ齧り始めたブレナンに、
「警察を甘くみるものじゃないぞ」
マセリークはそう声に出したものの、
「食べたらどうだ」そうはぐらかされて、
マセリークは頷いて、魚を切り分けながら、
「そうさせてもらおう、とびっきりの魚だからな、まさに極上というやつ
だろうから」
そうして食べているうちに言葉も少なくなっていて、何か話はしたものの、
互いに考えに沈み込んでいたのだった。
そして食べ終わった頃を見計らってデザートの注文を取りに来たウェイターに
そいつを断って、ブレナンは紅茶を頼んでいて、
立ち上がりかけたマセリークに「また連絡する」とブレナンは言葉を被せ、
「早まった真似をするなよ」と忠告してきたマセリークに、
頷いて応えたところにウェイターが表れて、ティーカップをおいて
離れていった。
ブレナンがカップを持って口につけたところで、
ソーサーの下に何かメモのようなものが挟まれているのに気がついた。
そこには子供の手で書かれたような乱暴な文字が小さく書かれていて、
「シャドウ・フィストの隠れ家について知りたいならば」
と口にだしていて、
Stoney Brookストーニィ・ブルック8800番地、Glenhollow Rode
グレンホロウ・ロードに行くといい、だが用心することだ」
読み終わったところで周りを見回してみたがそんな酔狂な真似を
したと思しき奴は見当たらないが、後をつけてきた奴がいたに
違いない。
もしくは心を読んで先回りしていたか、
そう考えて戦慄と覚束ない感覚を覚えながらも、
狩人が狩り出されたということか、
そう呟いて再びメモを見つめ、勿論署名などされていないわけだが、
子供じみたふざけた小さな字を書く奴で、慌てて書いていったという
ことが何かのヒントになるだろう。
ブレナンは支払いを済ませながらも、己に言い聞かせていたのだ。
敵ではあるまいが用心するにこしたことはない、と。


Captain(警部:大佐)
Lieutenant(警部補:大尉)

ワイルドカード7巻 7月19日 午後2時

    1988年7月19日

       午後2時

   ジョージ・R・R・マーティン


カントの顔には、露骨に歓迎していない表情が
張り付いていて、
「昨日のことでまだ懲りていないのか?」
などと言っているが、
Reptile-Ranch爬虫類博物館が閉まっていたものでね」
そう軽口を返して、
「ところであんたの相棒はどうしたんだ?」と
返すと、
「昼飯に行ってるよ……誰だって飯ぐらい
食うさ、あんたは違うのか?」
カントはそう言って歯を剥いて凄んで見せた、
ぎらぎら尖った歯が目に痛く感じながらも、
「笑ってほしいのか?」ジェイがそう返して、
くたびれた制服に視線を向けて、
「カントはお笑い志望ってわけだ」
そう茶化してみせたが取り合ってもらえず、
「勿論本気で言ったわけじゃないがね」
と取り繕ったところで、
「俺をからかうのをやめないのなら、これ以上
あんたの相手はご免被るぜ」
そう言ったカントはしかめっ面を向け乍ら、
「一体何の用だ?」といら立ちも露わに襟の下から
覗いて見えるかさぶたのようなものを掻いていて、
その外郭が剥がれて落ちているのを見つめつつ、
「エルモに会いたい」と率直に切り出してみせると、
カントは驚いたようで殻を掻きむしるのをやめて、
「放り出される前に出ていくんだな」と凄みだした
ではないか。
「飛ばされるのはお前の方だろうがな」
マセリークがそう言って入ってきた、口には
つまようじが差し込まれたままなのを観る限り
相当いいものを食べてきたとみえる。
「エルモに会いたいんだとさ」
カントはいかにもとんでもないことを聞いたと
ばかりにそう相棒に伝えたところで、
マセリークはにこりともせずに
「どうしてだ?」と切り出してきた。
それにジェイは肩を竦めてみせて
「手荒な真似はしたくない」と言葉を被せると、
「エルモはだんまりをきめこんでいるぜ」
マセリークはそう言って、
「まぁ実際黙秘する権利があると言ったから
そうしてないとも限らんわけだがね」
そう継がれた言葉に、
「俺になら話すさ」とジェイが断言してみせると、
カントとマセリークは目を白黒させながら互いを
見かわしていたが、
「それじゃ何を放したか教えてくれるんだな」
マセリークがそう切り出してきたが、
「そいつは請け合えない」
そう応えたジェイから視線を背けつつ、
「俺がきれちまう前にここから出ていくことだ、
あんたを怪我させたくはないからな」と
言い出したカントを尻目に、
「おい聞いたか?」ジェイはそう言ってのけ、
「マセリーク、あんたの相棒は警官なのに善良な
市民に手を上げるって言っていなかったか?
これは警察の横暴じゃないか?
それとも爬虫類が狂暴だというだけかね、
いやこいつが特別狂暴ということかな?」
カントはデスクを背にして必死にこらえている
ようながら胡乱な瞳でジェイを見つめていて、
「おい、Assholeこの野郎、調子にのるもんじゃないぜ」
などと言っている。
ジェイはそれに無視を決め込みながら、
「提案があるんだがね・・・」そうマセリークに切り出して、
「こいつ抜きで話そうじゃないか」
そう言葉を継ぐとマセリークはカントに目くばせをして
「少し外してくれないか、ハーヴ」と言ってくれた。
「こいつと取引をしようというのか?」
そう言い募るカントにマセリークは肩を竦めてみせ、
「話だけでも聞く価値はあるというものだろう」
と言い添えて、誰もいない取り調べ室に二人で入って
いき、マセリークがドアを閉めたところで、椅子を
回してそこに座り、背もたれを掴むようにして手を
組んで、その菫色の瞳をジェイに向けながら、
「これでいいな?」と切り出したところに、
「悪くない取引だと思うよ、あんたが興味を持つか
どうかはわからないがね」そう前置きをして、
「エルモと10分話せるなら、スペードエースの殺し屋の
名を教えてもいいと思っているんだ」
そう言い放っていたのだ。