ワイルドカード7巻 7月25日 午後1時

      ジョン・J・ミラー

        午後1時


      その時だった……
ブレナンの精神が万力のような強い力で、
掴まれていたのだ。
僅かな間パニックに陥ったものの、すぐに
何らかの力に囚われたのだと思い至った。
おそらくタキオンに違いあるまい。
タキオンに精神を制御されているのだ。
怒りのまま、その軛から精神と肉体を
解き放とうともがいたが、無駄だった。
わずかに自由になったのは眼球のみで、
それでジェニファーが壁を抜けて、室内に
入ってきたのが見て取れた。
「いいぞ、ドク」アクロイドはそう言っていたが、
「さぁこいつを」そう言いかけたところで、
「駄目です」とタキオンが応じ、
「おいおい、こりゃ一体何の真似だ」とアクロイドがぼやき、
「決めました。話しあいましょう」
「話しあうことなど何もない」
「そういうわけにはいきません」
タキオンは断固としてそう言い放っていて、
「少しは私の立場というものを考慮して
いただきたいものですね。アクロイド。
三人の友人の板挟みになっているのですから」
などと言い出したではないか。
それを聞いた探偵はブレナンに視線を向け、
「友人だって」と露骨に反発していたが、
タキオンは構わずゆったりと車椅子に腰を戻して、
落ちつけていたが、その顔には強い緊張が見て取れた。
実際万力のような強い拘束は緩んでおらず、
ブレナンは動けずにいるのだ。
「それでは話しあうとしましょう」
小柄な異星の男はそう言い張って、
「もちろん平和裏にです」そう告げると、屈んで
ブーツの鞘に納められていたナイフを抜いて
床に落とし、ジェニファーもその横に銃を
落とさせられていた。
それからタキオンはブレナンに視線を向けると、
「ダニエル、あなたの武器も下ろしていただきますよ」
精神を掴まれている以上、どうにもならないと
思いつつも、ともあれ頷いて応えた。
ほんの微かな顎の動きだったが伝わったようだった。
そこで「あなたもですよ、アクロイド」タキオン
そう言って促して、「いかがですか?」と言葉を継ぐと、
Takisian Bullshitくそくらえだ」などと悪態をついていたが、
「あなたをコントロールしたまま、代わりに会話することも
できるのですよ、そうさせないでいただきたい」と断固として告げられて、
「ああ、わかったよ」と探偵は応え、
「腕をポケットにいれていただきますよ、お願いします」
そう言われたところで、ブレナンの拘束が解かれ、
タキオンの足元に銃を放り投げていた。
そして目に怒りを籠め、小柄な異星の男に視線を据えると、
「信義を裏切るというのか」そう言い放ったが、
「私は殺し合いを阻止したまでです」そうきっぱりと言い切られ、
「自衛というものだ」と返したものの、
「もうたくさんです、お願いですから、勘弁してください。
どう取り繕おうが、殺し合いは殺し合いにすぎませんよ。
ジェイを殺すのは、トゥームスに送ろうとしたからと言い、
ハイラムを殺すのは裁きを下すためだと言いますが、
結局は同じことではありませんか、死体が転がるだけです。
だから止めたのですよ」
タキオンは痛みを振り払うかのように、手の付け根を
頭上に掲げ、そうまくしたてて、口をつぐんでいたハイラムに
向き直り、
「ハイラム。あなたはどうするつもりですか?」
と言い添えたが、
「話すまでもないことだよ」ジェイが口を挟み、
俺達は……」と言いかけたが、
「黙っていてください、私はハイラムに訊いているのです」
と再び遮られ、
「ニューヨークに戻り、当局に出頭して、その判断に身を
委ねるつもりだよ」
ようやくハイラムはそう応え、
「ならばそれを受け入れるとしよう」
ブレナンも自然とそう応えていた。
それならば妥当な解決策ではあるまいか。
クリサリスも納得してくれるに違いない。
そう思い定めていたのだ。、
「あんたの意見など訊いてないがね」
などと言ってジェイが茶化してきたが、
「まるで考え直して欲しいような口ぶりだな」
ブレナンはそう応え、ワーチェスターに視線を据えて、
「もし空港まで行ったところで、気が変わって、
逃げることにしようと決めたならば、もはや
穏やかにくらすことは適わなくなる。
どこまでも貴様を追いたてにいくからだ」
そう念を押すと、
「なんてことを言いだすやら、ダニエル。
どこまで自分勝手なのでしょうね」
タキオンはそう言って、
「あなたは神ではないのですよ。
あなたの裁きが全てにおいて優先されるわけでは
ないというものでしょう」とまで言ったではないか。
どうにも笑いが堪えならなくなって、
「どの口がそれを言うのだ、タキオン、だったら
ジェニファーを自由にしたらどうだ」と吠えるように
言い立てたが、
「駄目です」かぶりを振ってタキオンはそう応え、
「駄目な理由がどこにある」怒りを抑えきれず、
そう言葉を絞り出し、
「すでに同意したではないか」と言い募ったが、
「俺は同意しちゃいないぜ。ハイラムは裁判を受けて、
何かの間違いで収監されるかもしれんが、こいつは
どうなる?野放しのままじゃないか。
だったらハイラムの方こそ無罪放免すべきだろう」
とジェイは言い張ったが、
「ジェイ」タキオンはまたかぶりを振って、
「少しは冷静に考えてはいかがですか。
だってそうでしょう。何の罪もないエルモが
裁かれようとしているのですよ、ハイラムの
供述が必要なのです。そうなれば法廷で
裁かれるのも必然というものでしょう」
「そうかい。ハイラムの場合は過失致死が
適用されることもあるかもしれんが」
ジェイはそう言うとブレナンを親指で指さして、
「ダニー坊やはそういうわけにはいかんだろうがね」
「だから何だというのだ」
ブレナンは冷たくそう言い返すと、
「だったらこうしたらどうだ」ジェイはそう言い出して、
「自白を書き残して、チベットでもどこでも好きな
場所に行かせてやってもいいというものだろ?」
そう言い募ったが、
「飛行機に乗る前に息の根をとめるまでだ」
ブレナンは感情の籠らない声でそう言い返すと、
「獄中ならばそうもいかんがな」と言い添えたところで、
ハイラムがゆらりと立ち上がってきたが、
その顔はもはや我関せずといったものではなく、
何かを決意した顔になっていた。
「罵りあいは聞くに堪えない」そう切り出して、
「これは私が自分で決めたことだよ。
ニューヨークに戻って裁判を受ける。
そう決めたんだ」
それからまっすぐブレナンを見つめ、
「あなたが怖いからじゃない。
もはや恐れるものは何もなくなりました」
その瞳は晴れ晴れとしたものであり、
その言葉に嘘がないことがわかった。
もはや恐怖に囚われてはいないということか。
そんなことを考えていると、
「おいおいハイラム……」ジェイがまた口を挟んできたが、
「ジェイ、君の友情には心温まるものを感じないでもないが、
これは必要なことなんだ。
長い間、私はパペットにされていた。あの男に……
それから今度はティ・マリスに囚われてしまっていた。
だから、もう終わりにするんだ。
パペットになるのはもううんざりだからね」
「ハイラムのいう通りです」タキオンも感極まったように
そう言っていて、
「おわかりになっていないのではありませんか?
エルモとハイラムだけの話ではありません。
我々全員に関わりある話ですよ。
あなた方の社会において、法というものはモラルの規範に則って
定められるものであり、法の進歩というものは、モラルの進歩と
同義であると言って差し支えないでしょう。
私の同族はその規範を踏み外した挙句、
人為的に超人を創り出し、混乱に拍車をかけてしまいました。
タートルが、装甲で身を覆い、正体を隠したままで犯罪者に
対する行為が多めに見られているのは、その規範の内に納まって
いるからです。
私が他人の精神に押し入ることや、あなたやジェイが
他人の自由に干渉することも同じことです。
それからダニエル、あなたが他人の命を奪うことも
多めに見てきましたが、
そういった法に対する無思慮を放置すれば、それこそ
バーネットの主張を裏付けることになりかねません。
そうしてモラルから目を逸らし法から逸脱しては、
文明社会というものが立ち行かなくなるというものでしょうから」
「ご高説はもっともだが」ブレナンは冷たくそう口を挟み、
「肝心なことを忘れている。俺はワイルドカードに関係ない。
ただのナットだ」そう言い放つと、
「この野郎。やっぱり俺の言った通りじゃないか。タキオン
こんな人殺しは刑務所に……」
ジェイはそこまでしか言うことはできなかった。
そこでブレナンがタキオンを見つめると、
真っ白な顔色で小刻みに震えながら、椅子から腰を
上げていて、
「そうですね」
タキオンはさもうんざりしたようにそう言っていて、
「私はもう一度神を演じて裁定を下すとしましょう。
いきなさい。ダニエル。そのご婦人と共に。
戻ってきてはいけませんよ、もしそうしたなら、
今度は私の助けはないものと思っていただきたい」
そう言い放ったところで、ジェニファーがくびきから
解放されていて、ふらついたようだったので、
ブレナンはその体を抱き留めていて、ブレナンも
解放されていることがわかった。
そこでタキオンにわずかに視線を向けてから、
踵を返し、ホテルのスイートを後にしたが、
もはやタキオンは振り返らず、
視線を向けてくることはなかった。