「零の刻」その10

一時間ほど眠りに落ちていたらしい、気だるい疲れを感じながら目をさますと、ペレが後ろに立っていて、気遣わしげに見つめていた。
「大丈夫なの?」
「ああ、そうだな」
「以前のようにはならなかったわね」
「ならなかったな」手を見つめそう答えていた。
「まぁこれはこれで悪くない、力は戻ってこなかった、やはり残ってはいないんだ」
ペレに向き直ると、頬を震わせて言葉を返してくれた。
「御免なさい」と・・・
「気を使うには及ばない、半年の間、力を取り戻そうともがいてはみた、力が戻ることを恐れてもいたが、やはり戻りはしなかった、少なくともそのことは思い知らされていたのだから・・」
そうして首筋に口づけをしてから話題を転じることにした。
「子供のことについて話そう」
「話すことはできるけれど、あなたを頼るつもりはないわよ、話さなければならないことといえば、マッコイという人がいるの、ツアーのドキュメンタリーとして写真を撮っている人で、
子供のことも話してあるけれど、構わないといってくれたわ」
「ああそうか」呻くように言葉を絞り出していた「そいつは知らなかった」と・・・
「色んなことがあったの、またあなたに会うことができて、あのニューヨークでの夜を思い出しはしたけれど、それだけのこと、もう私たちの間には、何もありはしないのよ」
「そうだな・・
「何もありはしない」
そう答えはしたが、ペレの青白い腹部に手を沿わせ、言葉をつないでいた・・・
「子供など望んではいなかったが、そんなことはこの際重要じゃない、それでも責任はあるはずだ、会いはしないとしても、それは変わりはしない」
「そんなに深刻に考える必要はないのよ、私だってこんなことになるとは思っていなかったんだから」
「そうじゃなくて、君と子供の心配くらいはさせて欲しいんだ」
「心配ないのよ、苗字がつくかつかないか、それだけの話だわ」
そこでドアをノックする音が響き、気を張ってはみたが、その後の声でそれは杞憂だとわかった・・・
「ペリ?」それはタキオンの声だったのだ・・
「ペリ、そこにいるのかな?」
「ちょっと待って」そう答え、ペレ自身はローブを羽織り、フォーチュネイトに服を手渡して、それを着たのを確認してからドアを開けた。
タキオンはペレを見つめ、乱れたベッドに目をやって、フォーチュネイトに突っかかってきた。
「あなたというひとは」最悪の疑念が真実になったというように頷いて発した言葉だった。
「ペリから話は聞いていた・・助けがいるのだと」
嫉妬しているというのか、ちっぽけな男だそう考えながら、抑えて言葉を返した。
「その通りだ」
「邪魔するつもりはないのだが」
タキオンはペレをちらちら見ながら言葉を続けた。
明治神宮に行くバスが、15分後に出る、
もし行くのならば・・・」
その言葉を無視して、ペレの傍に行き、そっと口づけをした。
「連絡しよう・・何かわかったらだが」
「ええ」手を振りながら言葉を返してくれた。
「慎重にね」
その言葉を聴いてから、タキオンをやり過ごして廊下に出ると、象の鼻をぶらさげた男がそこにいた。
「デズ・・会えてうれしいよ」
とはいったものの、デズの頬はだいぶこけて、身体も縮んだように思え、かなり年老いて見える。
何らかの痛みをかかえていることは明らかだ
「フォーチュネイト」手を振って返してくれた。
「ずいぶん久しぶりですね・・」
「あなたがニューヨークから出るとは思わなかったが・・」
「世界というものが見たくなったのです、誰でも年はとってしまいますからね・・」
「そうだな・・」妙に腑に落ちて答えていた
「その通りだな」
「それはそうとして・・そろそろバスに向かわなくては・・」
「まぁ途中まで一緒にいくくらいはできるだろう」
もう終わったことではあっても、デズは一番の上客だったこともあったのだ・・・
そうこうしているうちにエレベーターを待っていると、タキオンが追いついてきた・・・
「何か用か?」思わずそう突っかかっていた
「構わないで欲しいのだがね」
「ペリから力のことを聞いた、もちろん私を嫌っていることはわかっているから申し訳ないとは思っている、どうしてだかは知らないが、
私の格好が気にいらないのかもしれないが、それに関しては個人の自由というものではないかな」
いらだちもあらわに首を振っていると、チャイムが鳴ってドアが開いた。
「次のに乗るとしよう」答えずに先を促していた。
デズが先に乗り、忌々しげな視線をタキオンに向けていると、竹の格子に覆われたドアが閉じる音と同時にタキオンの声が耳に届いた。
「力は失われていない」
Bullshit(なんだと)」
「内に閉ざされているにすぎない、葛藤と自己嫌悪に覆われた心自体が枷になっているのです」
天文学者と闘ったときに、洗いざらい使い尽くして、それ以来バッテリーが干上がったようになってしまった、終わったんだ」
「それは言葉の綾にすぎない、バッテリーが生きてはいても、イグニッションキーが切られたままでは始動することはない、キーが必要なのです」そして格子の向こうから指で額を示して言葉を継いだ。
「それはこの中にあるのです」
そういい残して降りていった。
フォーチュネイトは手のひらでエレベーターのボタンを何度も叩きながら、立ち尽くす他なかったのだ・・・