ワイルドカード7巻その5

                ジョン・J・ミラー

               1988年7月18日

                   正午


17号線を転がしながら、ジェニファーのことは考えないよう努めている。
クリサリス殺しの犯人を捜す旅なのだから、手をかすことがなくとも責める
いわれなどありはしない、結局ジェニファーが正しいのだろう。
静かで美しい暮らしだったのだ。
なぜブレナンは死しか待ち受けていない街に戻るというのか、
そんな理由などありはしない。
庭をつくる暮らしではなく銃弾をかいくぐる日々、
暴力とすえた匂いを放つ汚物にまみれた路地に戻ろうというのだから、
結局口に出しはしないが悟っていたのだろう。
ブレナンがクリサリスの影を振り払えなかったということを。
ジェニファーの横に眠りながら、時に他の女を思い出して目を覚ます
ことのあったことを。
愛を交わす際に、闇の中で、蠢きあげる声、
その繊細な透明な肌が情熱に赤く染まることを思い出している
ということを、
愛を囁き、守ると誓った記憶のあることを、
ジェニファーに対して持つ過去の記憶がずきずき痛む傷のようにブレナンを
とらえてならないなか、
トムリン国際パーキングにヴァンをとめ、タクシーでマンハッタンに
向かい、ジョーカータウンの端にある安いが汚い宿に部屋をとり、
最初に決めたことは、クリスタルパレスに向かうことだった。
おおよそ一年ぶりにマスクを被りホテルを後にした。
弓矢のケースを背に負って。


            ジョージ・R・R・マーティン

             1988年7月18日

                午後3時


 <スペードエースキラー、ジョーカータウンのバー店主を殺害>
ポスト紙に見出しが躍る。
ジョーカータウンクライ紙の場合はより対象が明白にされている。
<クリサリスが殺された>という具合で、二枚写真が添えられている。
この街でジョーカーの写真が恒常的に載せられているのはクライ紙のみだ。
民主党員ジョーカー、アトランタに集結か>タイムズ紙の一面見出しはこうだ、
大統領選の最有力候補、グレッグ・ハートマン上院議員の応援として何千人という
ジョーカーが南に向かっているという。
とはいえ今年の民主党の候補者選びは混戦の体をなしていて、
どの勢力が多数派を占めるかは不透明であり予断を許さない状況だ。
とくにハートマン候補は暴力沙汰をさけたいところながら、
ハートマン支持のジョーカーとレオ・バーネット支持の原理主義者の間で、すでに
醜い小競り合いが始まっているという話だ。
ジェイはというと、有料トイレ設置で名の知れた中古車のセールスマンをいつも
推してはいるのだが、
ハートマンの苦戦しているらしい様子が気にならないわけでもない。
ハートマンを支援している人間にも多少の義理がある。
たとえばエーシィズハイの支配人ハイラムはハートマンの有力な支援者で、
何度も断りきれずただで飲み食いさせてもらっているのだ。
それにグレッグ上院議員自体、知的で印象深く、思いやりに溢れていて、
誰が大統領になってほしいかといえば、彼が一番適任であろうし、
彼が選出されるというジョーカーたちの希望を摘むのも忍びない。
一面を眺めていたが、政治情勢に関する記事ばかりで、クリサリスの
ことはどこにも書かれていない。
明日の死亡記事欄に名を載せてそれで終りにするのだろうし、それ以外
載せる気はないということなのだろう。
つまりジョーカーが残虐な死をとげたところで、紙面にのせるまでもない、
という考えが透けて見える。
それがジェイには腹立たしくてならない。
「わずか3日でどれだけのジョーカーが冷たくなっているか知っているのか?」
新聞売りの男がジェイの怒りの声に対してそう応えた。
その声は平坦で感情が一切こめられていない。
その声にはもはや哀しみが日常と化して意味をなさなくなっていることを告げている。
紙面に向いていた視線を上げると、その声の主、バワリーにヘスター通りといった、
いわゆるジョーカータウンの一部というようにありふれたジューブ・ベンソン、
いわゆるウォールラスの姿がそこにあった……彼自身ジョーカーであり、
300ポンドの青黒い肌がてかてか光り、口の端からはカーブを描いた牙が飛び出て、
丸いドーム型をした頭から硬い赤毛の束がぶらさがっている。
ジューブの洋服ダンスの中には、特別拵えのハワイアンシャツが詰め込まれているに
違いない。
今宵はというとやはり赤紫のパイナップルとバナナ柄のものに袖を通しているが、
ハイラムあたりが見たら顔をしかめることだろう、
ジョーカーのジョークを語らせらジョーカータウン一ということだが、
今回は気がついたら落ちを語ったところだった。
「匂わなければ気づかれもしない」と。
「あそこはあんたの帽子より古株だったろうにな、ウォールラス」
そうくたびれきった声をあげたジェイに、
ジューブはへりのあがったフェルト帽に薄い三本指をひっかけ、気障ったらしく
回しながら言葉を投げかけてきた、
「一度も笑ってくれなかったよ」さらに言葉をついだ。
「何年もの間毎晩パレスに通って、新しいジョークを披露したがね、
これっぽっちもあの人から笑いがとれはしなかった」
「あの人はジョーカーを笑いものにする気になれなかったんだろうな」
「あんたは笑えたのか」ジューブはさらに言葉をかさねてきた。
「あそこにいたんだろ?」帽子をかぶり直してさらに言葉をついだ。
「あんたが見つけたと聞いたよ」
「たしかにそんな気になれなかったな」ジェイはかろうじてそう応えた。
「違いない」ジューブも同意を示してくれた。
「前の晩に電話をくれたんだ……ボディガードの依頼だった、
期間を尋ねたが答えてくれなかった、いつまでかあの人にも
わからなかったんだろうな・・相手の心当たりも尋ねはしたが。
それも笑ってはぐらかすばかりだった。
今思えば声が震えていて、すぐにも来てほしかったんだろうな、
いつも以上にクールを装い、英国風のアクセントで話すように
してはいたが、どこか脅えているようでいて、早口に感じ、
なぜだろう、と思ったものだったがね、あんたに心当たりは
ないのか、ジューブ」
「新聞に書いてある以上のことは知らないよ」
ジェイはそう応えたジューブに一瞥のみを返して物思いに沈んでいった。
クリサリスは情報のブローカーをしていて、ウォールラスはその情報源の
一人だったはずだ。
ジューブは販売スタンドに立ってジョークを口にして新聞を売る一方で、
様々なゴシップをも耳にしてきたであろうから
「そいつぁないだろう」とつい口にしたところで、
ジューブが神経質にあたりを見回してから応えた、
「ここでは話せない」そして太った身体をもてあますように続けた。
「店じまいをするから、家で話そう」と。