ワイルドカード7巻 7月19日 午後8時

  ジョージ・R・R・マーティン
     1988年7月19日

       午後8時


遺体安置所に張り込んでいる警官もかなり
まばらになってはいるが、
それでも曲がり角の近くで屋台のフランク
フルト売りをしているものもあれば、
半ブロックほど道を下ったところで車を
留めて見張っている人間も二人ほど見て
とれる。
それ以外でも通りの向こうの屋上に潜んで
いる者もいて、これだけ見張りをしていると
いうことはエルモが犯人だとは断定できて
いないということを物語っているか、
それともヨーマンが現れて何らかの行動を
起すことを期待しているのかもしれまいが、
CosgrooveコスグルーヴMortuary葬儀社は
三階に亘ってヴィクトリア様式の装飾の
施された威容の巨大建築を誇っていて、
まるで別の時代から打ち寄せてきた難破船の
ような風情すらある。
一方の角には円形の小塔が張り出していて、
もう片方の角にはゴシック様式の高い塔が
立てられていて、建物全体も木製のporch
ポーチで囲まれており、至る所に精緻な彫刻が
見て取れていて、いかにもクリサリスが生きて
いたなら気にいったであろう代物だ。
ジェイが階段に脚をかけたと同時に、ドアが
勢いよく開かれてLupoルポが飛び出してきて、
A bloody farceとんだ茶番もいいところだ、
まったく」
そう唸ってジェイを一瞥したが、頭の横の耳を
怒りで水平に膨らませているではないか。
「おい、俺が誰だと思ったんだ?」
ジェイがそう返して肩を竦めてみせたが、ルポは
応えずに行ってしまった。
foyerホワイエ(広間)の壁には暗い色が
使われていて、多くのアンティーク、日めくりや
壁際にはガラスの棺といった調度で占められていて、
三名の遺体の起かれているのが確認できた。
東のparlor応接間にはワイドマン、西の応接間にはジョリー、
そして円形の部屋にはムーアという名が示されているが、
ジェイはクリサリスの本名を知らないことに思いいたって
頭を抱えていると、
Oh(これはこれは)」と穏やかな声が掛けられて、
「ミスター・アクロイド、ようこそおいでくださいました」
と言葉が継がれていた。
Waldo Cosgrooveウォルドー・コスグルーヴだ。
ウォルドーは丸い体格をした70年代風の物腰の柔らかい男で、
卵のように禿げあがった頭に小さな湿った手といった体で・・
ハイラムから見ても充分な格好をして、香水の風呂にでも入って
きたような匂いを後に振りまいているが、おそらくふんだんに
タルカム・パウダーをつけた結果に違いない。
ジェイは数年前にこの男に雇われたことがあった、死体置き場から
とりわけ変形の大きいジョーカーの死体が盗まれたことがあって、
あの時はこれまでにないほど慌てていたものだったが、今は
これまでにない程恐縮しきっているように思える。
とはいってもこの男の商売ではこうして小さくなっているのが
通常営業といったところだろうが。
「こんにちわ、ウェルドーさん」ジェイがそう声をかけ、
「で、クリサリスはどこだ?」と言葉を継ぐと、
「ミス・ジョリーは西の応接間に安置されています、一番上等な
部屋です、勿論ご存知のように単に大きいということではござい
ませんよ、あの方は多くの友人に恵まれておられたようですからね、
こうして悼まなければならないのは家業故とはいえ悲しくてなり
ません」
そう返された言葉ははっきりとしたものでありながら、いつもよりも
悲しく感じられるもので、この年長のコスグルーヴもたまには慌てて
いるかもしれないが、などと考えつつも、
「何があったんだ?」そう切り出して、
「ルポはなんであんなに機嫌を悪くしていたんだ?」
と言葉を継ぐと、
ウォルドー・コスグルーヴは慌てた様子で。
「私どもが悪いのではございません、ミスター・ジョリーが
些か口をだしすぎたということではないでしょうか、
あの方は父親なのですから、その思いが悪い方向に働いたと
いうことなのでしょうね、それが他の方々の反発を招いて
いるようですが、それは私共と致しましても望むところでは
ないわけでして」そう言い繕ってきたウォルドーに、
「ミスター・ジョリーが財布を握っているということかな?」
ジェイはそう言って取り成しながら、
「ところで俺に電話はなかったか?」と言葉を継ぐと、
「お電話でございますか?あなたさまに?ここにですか?」
アトランタのハイラム・ワーチェスターに連絡をとろうと
して何度か電話していたもんでね」ジェイはそう説明して、
「ここに連絡するようホテルに伝言を残しておいたんだ、
ともあれ電話があったら知らせてほしいんだがね」
「ああ、さようでございましたか」ウォルドーがそう応えた
ところで、弔問客が数人出ていくところが目に入った。
あれは確かクリスタルパレスのホステスではなかったか、
どちらにせよあまり好ましい様子に見えず、
ジェイは実際どうなっているか確認することにした。
西の応接間は、長い淀んだ感じの部屋で、天井が高く、
花で満たされてはいるが、その花は部屋からはみだしていて、
ドアの脇には記帳の用意がされていて、それ以外にも
対照的な人間がそこに控えているのが目に飛び込んできた。
弔問客に何やら声をかけている背が高くがっしりした
体格の男がクリサリスの父親に違いない。
白いシャツに黒いスーツに身を包んだその姿は、
ある種の白黒はっきりつけなければ気が済まない
人種を思い起こさせるもので、どうやら居心地の
悪さを感じているように思える。
それはスーツが窮屈だとかそういうことではなく、
おそらくそれは時と場合によるものか、あるいは
Ying‐Yangでたらめに思える人間がそばにいるから
だろうか、ともあれ話しているその様子からは
とりたて変わったところは見て取れない。
応接間はジョーカーでごったがえしていて、
ジェイはその男に近づいて行って手を差し出して、
「ミスター・ジョリー、このたびは深くお悔やみ
申し上げます、あの方は娘さんなのですね」
ジェイはそう声をかけ、
「娘さんは、なんというか稀有な方でしたね」
そう言葉を継ぐと、
「そうだな」しっかりと手を握ってそう応えた
ジョリーの声は甲高く、クリサリスの洗練された
英国訛りのそれとは程遠いものだった。
「デブラ・ジョーはいい子でしたよ、あの子と
親しかったのですかな、ミスター……ええと?」
ジェイはあえてその言葉には応えなかった。
おそらくジョリーとて何の気なしにその名を
口にしたのだろうが、ジェイはあえてその気まずい
空気の正体に踏みこむことにして、
「あの方の本名にはどうも耳に馴染みがないもので、
申し訳ないのですがね」そう口に出していたが、
「デブラ・ジョーだ」ジョリーは取り合わず、
その名を繰り返していて、
「偉大な開拓民である祖母からその名を受け継いだんだ」
「あなたはオクラホマ出身ですか?」
ジョリーは頷いて、
「タルサだ、ニューヨークはどうにも性に合わなくてね」
「クリサリスはこの街が好きでしたよ」ジェイはそう静かに
言い添えて、
「俺の知ってるあの人にとっては、この街こそが故郷でしたよ」
そう言葉を継いだが、
「あの子の故郷はタルサだ」ジョーはそう言い募り、
「別にあんたに含むところなどないが、儂の前でその名は
口にせんでいただきたいものですな」ジョリーがそう
言い放ったところで足音が聞こえてジョリーは振り返って
いて、その瞳に悪意が宿っているように感じていると、
ジューブ・ベンソンが小脇に新聞を抱えてよたよたと
入ってきたところだった。
嫌悪より世間体が勝ったと見えて、ジョリーは笑顔を浮かべ、
手を差し出していて、
ジェイが応接間に入ると、そこには折り畳み椅子が広げられ、
百人ほどの人々が参列できるようになっていて、その部屋は
三階全体を占めている広いもので、そこには1ダースほどの
人々がひしめいていて、部屋の隅でぺちゃくちゃ話し込んで
いる姿が見て取れる。
大よそ8割ほどがジョーカーで、Mushface Mona(潰れ顔の
君)の棺のそばにYing-Yangでたらめに見える男が膝をついて
おり、天井ではFloaterフローターが首を振りつつトロール
静かに話し込んでいて、トロールが身振りするたびに、その巨体の
緑の腕がシャンデリラにぶつかりかけていて、その立てる微かな音が
風鈴のようなささやかな響きを上げ、Hot Mama Millerホットママ・
ミラーは盛大にすすり泣いて、レースのハンカチで涙を拭うのに
余念がなく、プルーンのように皺くちゃなその小さな顔の横で
烏賊神父が慰める言葉を囁いている一方で、部屋の外では身なりの
よい警官達が、箱に入れられた干しブドウのように整然と灰皿の
横に腰を下し、紫煙を燻らせている。
そしてオーディティは最後列に腰をかけていて、ジェイが
視線を向けて、その姿を眺めていると、その視線に羞恥を感じた
のか、黒い衣服の下から何かがでてこようとするかのように
身をよじったかと思うと、単に身体そのものが形を変えた
ようでいて、そのままもぞもぞ止まらず動いていて、しまいには
フェンシングマスクから覗いていたその瞳まで奥に引っ込んで
しまっていた。
ジェイがそうして眺めながら部屋を横切って、棺に近づいて
いくと、でたらめな身体の男が立ち上がり、ジェイはそこで
驚いで立ち止まっていた、そして開かれた棺を見つめながら、
そんな莫迦な、と咄嗟に思いはしたが、棺の安置された背後に
広がる影の中に、コスモ・コスグルーヴがいて、喧騒の中に
あってすらまるで色がないかのように動かず静かに折り畳み
椅子に腰かけているのを見て合点がいった。
コスグローヴ葬儀社は兄弟三人で切り盛りされている。
常に畏まっているウォルドーがフロント担当で、姿を見せて
いないTitusタイタスは遺体整復師で最年少のコスモは家族
唯一のジョーカーだ。
50年代風の格好をした華奢でやせた男で、頭は他の兄弟同様
禿げあがっているが、肌から灰色のカビのようなものを分泌
していて、触れたものに付着させることができて、そいつは
身体の光を保つのみならず、特殊な効果もある。
コスグルーヴをジョーカータウン髄一の葬儀社にしている
deuce二の札の能力、それは死体を美しく見せる能力だ。
その力で生前より美しく見せることができるのだ。
ジェイは棺の傍に歩み寄って、クリサリスを見つめながら、
まるで眠れる森の美女だ、と思い、ルポが怒るのも無理も
ないと納得してもいた。
素朴な昏い色のドレスに身を包んでいて、控えめであり
ながら、それでいてスタイリッシュな装いでもある。
喉元にはアンティークのカメオが巻かれていて、組んだ
腕の下には聖書を握りしめ、長いブロンドの髪が朱子織の
枕まで靡き、閉じられた目は、まるで眠っているかのようだ。
頬に淡いピンクの陰が指しているさまは35歳程度の歳に
見えて、実際よりも10ほど若く思える。
そうして棺に横たわるその肌は実に柔らかく思えて、つい
指で触れてその暖かさを感じたくなるほどでありながらも、
ジェイはそうしはしなかった。
コスモがどうにかできるのは視覚のみであって、触覚まで
どうにかできるわけではない、棺に手を差し入れて、実際に
触ったならば、神のみぞ知る真実の姿を感じることができる
だろう。
いかなコスグルーヴであっても、骨と脳髄から頭を再生する
ことまではできはしないのだ。
「なんと哀しい日でしょう」烏賊神父がジェイの傍に来て、
そう声をかけてきた。
歩くたびに立てるびちゃびちゃ水を潰すような音で悲惨の慈母
教会の牧師であるこの男が近づいてきてもすぐわかる。
「あの方のいなくなったジョーカータウンはまるで違う場所に
なったように思えてなりません、より昏い場所になったようで
恐ろしくさえ思えるのです。昨年ザヴィア・デズモンド氏が
なくなったばかりだというのに……」
「まるで昨日のことのようだ」ジェイはそう言って同意を示し、
「デズのときは、これほど弔問客はいなかったと思うがね」
「クリサリスはコミュニティーにおいて深い敬意をもたれた
いましたから」烏賊神父はそう言って、
「その一方で怖れられてもいました、デズは親しまれていた
ばかりでしたが、率直な方でしたからね、あの方もそれは羨ましく
思っていたかもしれませんね」烏賊神父はそう言ってジェイの肩に
手を添えながら、
「そういえば、あなたは犯人を捜していると聞きましたが」
そう口にだされた言葉に
「それはそうなんだがね」そう応え、
「どうにもうまくいかなくてね、ところで神父、よかったら
教えてほしいんだが、あちらのオーディティという御仁は
ご存知かな?」と言葉を継ぐと、
「三人の魂が共に救いを求めてせめぎあっているのです」
司祭はそう応え、
「あなたがどう思っておいでだかは存じませんが」
「別に含むところはないがね」ジェイはそう返したところで、
ドアの横にウォルドーが姿を現して手招きをしているのに
気がついて、
「すまない、神父、どうやら電話にでなくてなならない
ようだ」そう言いおいて、ウォルドーに従って葬儀社の
奥にある事務所に入った。そこは昏く静かであって
それなりにプライバシーも保たれている部屋だった。
そこでウォルドーが出ていってドアが閉じられたところ
まで待ってから受話器を取って、「やぁハイラムだな」
と声をかけると、背後に騒音は聞こえるものの、
はっきりと大きな声で「ポピンジェイか?6回もホテルに
電話をくれたそうだが、一体どんな緊急の要件なんだ」
聞えてきたハイラム・ワーチェスターの声に、
「ハイラム、面倒なことになっていてね、ところであんたは
どこからかけているんだ、まるでパーティ会場みたいな音が
聞えているんだがね」そう返すと、
「ハートマン上院議員のトレイラーからだよ」ハイラムはそう応え、
「党の綱領を巡る綱引きが続いているんだ、そっちはテレビの前で
眺めていりゃそれでいいかもしれんが、この国の将来がかかっている
というのに」そうぼやき始めたが、
「こっちはそれどころじゃないんだ」ジェイはそう応え、
「こっちにはこっちの事情があるからな、俺に何を期待
してるかしれんがね、こっちはクリサリス殺しのやまを
追っているんだ」と被せると、
「あの事件は解決したと思っていたがね」ハイラムはそう
言い出して、
「確かスペードエースの殺し屋だったかな、あの異常者が
クリスタル・パレスに押し入ったというかたちで決着した
のじゃなかったかな?」そう被せたハイラムに、
「そう言われちゃいるがね、あの男の犯行じゃないと
思っているんだ」ジェイはそう応えたが、
ハイラムは聞くに堪えないとでもいうかのように
咳ばらいを一つしてから、
「どう嗅ぎまわろうと、それは時間の無駄というもの
じゃないかね」などと言い出したではないか。
「まぁそういつは今にはじまったことじゃないわけだが」
ジェイはそう応え認めつつも、
「ハイラム、今から話すことは他言しないでほしいんだ、
誰の耳に入るかしれたものじゃないからな、というのも
あの人は殺される前に、殺し屋を雇っていて、そいつが
どうやらもうアトランタにいるらしい、という話なんだ
がね」
その瞬間、背後で無線にどなりちらす声以外、何も聞こえ
なくなって、ハイラムが絶句しているようだと考えていると、
そのしばらくの沈黙を破って、
「バーネットだって、それは確かなのかね」というハイラムの
かすれた声が聞えてきて、
「そう考えたら筋が通ると思ったんだ」ジェイはそう応え、
「バーネットはジョーカーを強制的に収容所にいれたいと
考えている候補者で、そしてクリサリスはジョーカーだ、
そこから導き出される結論からはそういうことになるかな」
はたしてそうだろうか?それが実行されたとしたら、
バーネットが暗殺されること自体が、バーネットの主張の
正しいことを裏付けることになるのでなかろうか?
クリサリスがそんな迂闊なことをするだろうか?
何かを見落としているのではあるまいか……
「……バーネットならば、ジョーカーの権利条項を
骨抜きにするためなら手段は選ぶまいが、だとしても
暗殺なんてことが許されるとも思えない、だからジェイ、
あんたはその話を通報しておくべきだと思うんだ」
と被せられた言葉に、
「おいおい、そんなことをしてどうなるというんだ」
ジェイはそう声を荒げていて、
「ジョーカーが二人、暗殺を囁き合っている、
エースをさし向けたから、レオ・バーネットの政策が
お気に召さないからと、そんなことを言ったところで
一笑に付されるだけだぜ、単なるキャンペーンの一環と
みなされるのが関の山だろうな」
God(なんてことだ)」ハイラムはそう声に出してから、
「おそらくあんたが正しいのだろうな、ジェイ、だとしたら
これからどうするつもりなんだね」と囁くように言葉を
被せてきたハイラムに、
「ようするにこの話を表沙汰にすることなくバーネットも
いかしておかなくてはならないと、また何かわかったら連絡
するよ」と返すと、
「そうしてくれると」ハイラムはそう言って、
「実にありがたい」冷淡に響く調子でそう言い添えていた。
「誰かに協力を仰いだ方がいい」ジェイはそう言って、
「信頼できる誰かに、例えばタキオンのような、他は望み薄かも
しれんがな、ともあれ用心するにこしたことはないから、
バーネットの身の安全を図る方法を考えた方がいいだろうな」
そう言葉を添えたが、
「すべての候補者の安全を確保すべきだろう」とハイラムが言い出して、
「それがいい」ジェイはそう応え、
「こっちはまだ調べることがありそうだがね」
そう言葉を継ぐと、
「ジェイ、落ち着いて聞いて欲しいんだが、あんたはこっちに
来た方がいいと思うんだよ、クリサリスがもう死んだんだ、
あんたが義侠心を発揮して調べて回ったところで、けして
生き返るわけじゃないのだよ、むしろ生きているハートマン
上院議員ボディガードをした方が有益だと思うのだがね」
と言い出したハイラムに、
「最後にボディガードした相手がどうなったか知っている
だろうに」ジェイはそう言い募り、
「第一、候補者には政府お抱えのエースが子守についてると
思っていたがね」そう言い添えると、
「カーニフェックスなんぞ口先だけの役立たず
にすぎんさ」ハイラムはそう言い募り、
「実際街のごろつきより多少ましというだけのもんで、
それで充分とはどうしても思えないんだ、もちろん
私服警備員達も信用していないわけではないが、
少なくともバーネットにはレディ・ブラックが着いて
いる以上、グレッグの方はどうにも心もとなく感じられる、
だからあんたがいた方がいいと思うんだよ、ジェイ」
さらにそう言葉を重ねてきたが、
「そう言ってくれるのは嬉しいがね」
ジェイはそう言葉を返しつつも、
「ハイラム、悪いがそういうわけにはいかない、もう
電話を切るよ、また連絡するから、ともあれあんたも
用心することだ、それでもできることはあるのじゃ
ないかな」と言葉を継ぐと、
「ポピンジェイ、どうして聞き分けてくれないんだ?」
そう言い募るハイラムに、
「さぁどうしてだかな」ジェイはそう応え、
「あえていうなら性分かな」そう言葉を継いで、
ハイラムの返事をまたずに電話を切っていた、
そして部屋をでようとしたところで、間を置かずに

電話が鳴り始め、振り返りつつも、ハイラムがまた
懲りずに電話してきているのだろうと取り合わなかったが、
9コール目で、溜息をつきつつ引き返し、受話器を取ると、
「おい、ハイラム」そう声をかけ、
「俺はアトランタにはいくわけにはいかない、それでも
子守がまだ必要ならば、あんた自身がそれをやればいい、
俺はそれどころじゃ……」そう言いかけたところで様子が
違うのに気づいた。
「我がArcher弓手を救わなければなりません」
電話の向こうからそう聞こえてきた落ち着いた声は女性のもので、
ジェイはその声に背筋が凍り付くような思いを感じていた、声の
響き、その砕けた英国風の訛りすらも覚えがあったから、
「クリサリスか?」声を潜めてそう訊ねてみたが、
「手遅れになる前に」そう言葉が被せられてきて、
「あんたは死んだはずだ」声がかすれているのを感じ、
冷や汗の滲んだ手で受話器を握りしめ、世界が足元から
崩れていくような恐怖を感じていると、
エスキモーです……」そう被せられたクリサリスの声に、
エスキモーだと?」ジェイはそう訊ね返しつつも、恐怖が
しだいに大きくなっていき、兎の穴に落ちていくように感じて
いた、クリサリスは死んで棺に収まっているじゃないか、
それもわずか数枚の壁を隔てた向こうに……
そこからエスキモーについて話しているというのだろうか、
さすがにそいつは疑わしいというものだろう、突如そう
思い立ち、
「一体あんたは誰なんだ?」そう言葉を発すると、
しばらくの間沈黙が返されてきたが、
「クリサリスです」と返されてきた声は確かにあの人のものの
ように思えたが、
「My god(そんな莫迦な)」そう呻きつつ、
「あんた生きていたのか?Darlingダーリン……ああ愛しい人よ……
本当にあんたなんだな?」
その言葉にしばらく躊躇ってはいたようだったが、
「そうです」と囁かれた言葉に、
「ダーリン、お願いだから、弓手が危機に陥っています、
あの人が……」そう継がれた言葉に、
エスキモーに捕らわれているというのだな」ジェイはそう返し、
「あんたはうまく騙せていると思っているようだが、
おあいにく様だな、あんたはクリサリスじゃない、
エスキモーに用があるなら、フロックコートでも着こんで
自分で行くといいだろう、いいな?」
そう言い放って叩きつけるように電話を切って、
暗闇の中で腰が砕けたかのようにへたりこんで
電話を見つめていたがもはや鳴りはしなかった。
纏いつくような沈黙しかそこにはありはしなかったのだ。




ying-yangたわごと、でたらめ