ワイルドカード7巻 7月19日 午後9時

          ジョン・J・ミラー

          1988年7月19日
            午後9時


Ann Marieアン・マリィは妊娠し8ヶ月になっていて、
互いの愛の営みは緩やかで優しいものとなっている。
ブレナンはその前で片足を伸ばし、もう片足を曲げて
挟むこむようにして、その姿を眺めていた。
アン・マリィは本来はかなり華奢な身体つきながら、
今は胸は母乳で張り、乳首は昏く尖り、子宮は胎児で
満たされて、指先で触れることに対しても極めて敏感に
なっていて……
唇でそっと愛撫すると、その顔はフランス系の血筋よりも
ベトナムの血筋の方が色濃く浮かぶようで、美しさが
際立つが、その美しさすらも触れることに飢えている
ように感じられて、
その愛の営みの、互いの身体が刻む緩やかな動きにリズムも
拍子すらも動きに完璧なまでに重なってきたように感じて
いると……
愛を交わしていたはずのアン・マリーの姿が変わり始めて
いた。
肌の色がなくなっていて、皮膚が消え、身体を巡る血管が
浮き出て、骨や内臓が、そして子宮の中の胎児すらも見えた、
と思った瞬間に、
胎児の姿は解けたかのように消えていて、アン・マリーの姿も
また変化していった。
大きく力強く、腰と胸が広がっていきはしたが、透明でなおかつ
その表面を通う血管と乳房のみが暗く浮き上がっていて……
そうこうしているうちに互いの態勢も入れ替わっていて、
ブレナンの上に覆いかぶさっていたのはクリサリスで……
その謎めいた顔に夢見るような情熱が迸ったかと思うと……
ブレナンの上にのしかかった透明な身体ごと乳房が撓んで、
長くゆっくりと、そして激しく腰が打ち付けられていて、
たまらず呻きを漏らし……
温かく柔らかいその透明な腰に手を伸ばすと……
煙のようにそれは変わっていて、クリサリスの姿がゆっくりと
消え失せていったかと思うと……
温かさとぬるっとした感触はそのままに、まるで幽鬼のように
再び身体は繋がっていて……
それでいて掴みどころのないように感じていると……
胸は小さく固くなり、身長が伸び、引き締まった筋肉質な
ものなっていて……
「ジェニファー」そう囁くと。
哀し気に微笑んだかと思うと離れて行って……
すべての温かさをはぎ取られ、たった一人で何一つ身に
纏っていないように感じ、何度も何度も撃ちすえられた
ように涙すら流していると……
痛みと涙に紛れるかのようにその姿はゆっくりと消えて
いって……
その名残……
霧の中を泳ぐかのような顔の視線を感じつつも……
「ジェニファー」しわがれて乾いた唇を感じ、息が
つまるように感じながらそう声を絞り出したところで。
「目が覚めたようですね」
聞き覚えのある絡みつくような声が聴こえてきて、
「我々があなたをここに連れてきたのですよ」
と言葉が継がれたが、
ブレナンは手も足も動かすことができずにいた。
感覚自体は失われていないようで、上腕を掴む
腕を感じることはできていて、3か所か4か所に
分けて針のようなものを肌に差し込まれている
痛みを感じ、
ブレナンは口を開いて抗議の声を上げようとしたが、
舌も唇も思い通りにはならず、
何かわけのわからない言葉を口にしたように思いは
したものの、それは自分自身にすら理解できないもの
でありながら、それでも話そうとして、
ほんのわずかの後に突然鼓動が次第に速まったと
思うと、周囲の視界が回復し、霧の向こうにはっきりと
焦点があって、激しい光が明滅するのを感じ、
立とうとし、そこから叫びながら逃れることをも望みは
したが、突然革でしめつけられるように椅子に縛られて
いることに気付いていた。
拘束はきつく、歯を食いしばり身をよじってみたものの、
革で肌が傷つけられたのみで、激しく理不尽な怒りに
咆哮したところで立つことも椅子から逃れることも適わず、
右腕に意識を集中して全力で何度も何度も引き抜こうとし、
動かしていたが、腕から血が流れてきたのみで、それでも
なお力をこめていると、
「申し訳ないのですがね」そう誰かの声がして、
「どうも使う薬の加減がうまくいかなかったようでしてね」
そう継がれた言葉と、安心しろというかのように微笑んでいる
その顔、そしてなれなれしく添えられたその手から落ち着く
ことを求められているのを感じながら、ブレナンはこの男が
誰かを理解していた。
確か以前Chikadeeチッカディーであったことがある、
そうだ、Quincyクインシィだ。、
キエン子飼いの化学者、エスキモーのクインと呼ばれている男だ。
一見善良な人間に見えるがとんでもない、一旦この男が関わると、
誰もが快楽の内に飛び込むことになるのだ……
ブレナンは右腕を見つめ、どうして血が流れているのだろうと
考えていると、
「それでいい」と満足げな声がかけられて、微笑みと共に上腕に
かけられた手が離されて、そこでブレナンは三本の指に鋭い針が
指されて突き出ているのに気づいたところで、突然クインシィの
指が背後に動いて視界から消えたと思うと、
Xanaduザナドュー(桃源郷)へようこそ、ミスター、ヨーマン」
そうかけられた言葉に、意識をその男に集中しようとし、
「ここで何をしている?」とようやく言葉を絞り出すと、
クインシィは肩を竦めながら、
「ご存じではないですかな、私の機械の斥候が庭でこそこそ
しているあなたを捉えたのですよ」
「キノコの上の芋虫か」
ブレナンはそう口にだし、突然思い出していた。
「その通りです」クインシィはそう言って、
「私の自信作の一つでしてね、資金さえ順当ならば、
デxズニーランドから機械仕掛けの技術者を引き抜きたい
ものと考えているところでしてね、ともあれ一つ望みが
適えば次から次と欲しくなるというのは快楽の園の常と
いうものです、そういうものではありませんかな?」
ブレナンはかぶりを振りながら、今ではすべて思いだして
いた。
エーシィズ・ハイで妙なメモを渡されたこと、庭園で
芋虫に出くわしたこと、そして捕らわれたこと、
そして見た夢また夢のことすらも。
目を閉じると、全てがまざまざと蘇ってくる。
最後に愛を交わしたのは、アン・マリーがそのまだ生まれて
いない赤子と共にキエンのさし向けた暗殺者の手にかかる前の
ことだった。
クリサリスとのことも、ジェニファーのことも……
「何をお望みですかな?」そうかけられたクインシィの声に、
目を開けて、「クリサリス殺しの犯人だ」そう応えると、
Oh myなんてことでしょう」クインシィはそう声に出していて、
「ここにはそんな人間いはしません、ここは私の快楽の園です、
暴力などお呼びではありませんよ」
その言葉にブレナンは辺りを見回してみたが、この部屋には
他に誰もいないようだ。
床には高そうな色鮮やかなカーペットが敷かれていて、
絹織のタペストリーには、半分には乙女が、もう半分には
ギリシャ風の細身の若者が織り込まれているのみで他には
人の姿は全く見受けられない。
それと同じように部屋のあちこちには高そうな家具が散り
ばめられている。
天蓋付きのベッドの上には、絹とビロードのクッション、
そして枕も散らばっているではないか。
「誠に申し訳ないのですが……」クインシィは物思わし気に
そう言って、
「重要な計画の最後の段階に取り込んでいたところでしてね、
こんなことをしている場合ではないのです、よろしければ
ここで失礼させていただきたい」
そう言って針を指先に引き戻していた、まるで骨のような
色の針だ、その真ん中から液体が跳ねたのを見たところで
ブレナンはようやく理解していたのだ。
クインシィが再びそれをブレナンの腕に刺そうとしている
ということを。
そして言ったではないか。
「痛むのはほんの一瞬のことです」と。