ワイルドカード7巻 7月19日 午後9時

     ジョージ・R・R・マーティン
       1988年7月19日
         午後9時


静寂に押し包まれるように感じながらも、ともあれジェイは
気を取り直し安置室に戻ると、驚いたことにジョー・
ジョリィはドアの傍に立つのを放棄したようで、代わりに
ウォルドー・コスグルーヴがそこに立っていて……
小さな手を揉みしだくようにして恐縮している姿を眺めながら
中に入ると、凍り付いたような沈黙に包まれていた。
部屋の真ん中には二人の男が立っていて、弔問客は思わし気に
距離を取って、その二人の動向を見守っている態のようだった。
その一人、ジョリーが折り畳み椅子の列の間の通路に立って
いるが、その顔は昏く怒りに歪んでいて、
「今なんて言った、あんた」と押し出すような声を出している。
もう一方の後から来た男は、棺の傍に立っていて、長身で痩せ
ぎすな黒いウールのスーツの上にフードのついた外套を被った
その姿は死神を連想されるもので、最初にその顔を見たときは
マスクをつけていると思ったものだ、えらく味気ないマスクも
あったものだくらいに思っていたが、一旦話し出すと、その
黄色く鼻のない歯が剝き出しになって苦笑のかたちで固まった
ようなその顔が彼の素顔であることがわかった。
「もう一度申し上げましょう」そのジョーカーは昏く冷たい声で
そう言って、「あれは、いや、これはクリサリスではありえない」
そう言葉を継いで、棺の上を手袋をはめた手で示した。
あれがクリサリスでないとしたら……
ジェイは突然その言葉からそんな思いに沈みこんでいた。
ジェイの見つけて棺に納められている死体が別人のものだとしたなら、
クリサリスはまだ生きていて、あの電話をかけてきたとしたなら……
「あんたの考えなど聞いてはおらん」そう言ったジョリィの声は
強いストレスを押し殺したように暗く響いていて、
「場が乱れるのがおわかりでないようですな、お引きとり願いたい」
そう継がれた言葉に、
「そのつもりはない」黒い外套の男はそう応え、
「クリサリスに最後の別れを告げに来たのというのに、それがこのざまだ。
まるでナットが夢見るファンタジーのような姿が棺に安置されていて、
おまけに部屋中の誰もその本当の名を口にすることさえできないときたものだ」
「デブラ・ジョー・ジョリィが本名だ、儂の娘なのだぞ」
首に青筋を浮き立たせてジョリィはそう言い返していたが、
「あの人の名は」ジョーカーは冷たくそう言い放ち、
「クリサリスだよ」そう言い添えた男の傍に烏賊神父が寄り添っていって、
「チャールズ、オクラホマから来てくれたんだよ、何も知らないのだからね、
その哀しみに敬意を表すべきじゃないかね」
「それなら他の人間への敬意はどうなる」
「まぁそういきりたたなくてもいいではありませんか」
司祭はそう言ってとりなそうとしたが、
「この茶番に黙っていろと」そう言って男は暗く奥まった瞳でジョリィを
見つめていたが、ウォルドー・コスグローヴがびくびくしながらその間に
分け入ってきて、
「皆様、どうか皆様、お騒ぎくださらないようお願い申し上げます、
クリサリス、デブラ・ジョー、どちらでもよろしいではございませんか、
このような諍いをあのお方も望みはいたしますまい」
「問題おおありだ」突然ジョリィはそう言いだして、
「この醜い御仁はここから摘み出すべきじゃないかね、コスゴローヴ、
聴こえんのか?あんたがその気がないのならわしが摘み出してやろう、
どこぞの路上に放り出してやろう」そう継がれた言葉に、ウォルドーは
途方に暮れたというように周りを見回していて、この混乱の収拾を望んで
いるのは明らかで、ジェイはその姿を気の毒に感じていると、葬儀社を
切り盛りするその男は、
「チャールズ、お願いだから聞いてくれ、こういう場合には遺族の求めを
優先することになっているんだよ」ジョーカーにそう言っていて、
「そうかい」チャールズはそう返しつつも、手を広げ、部屋全体のジョーカーを
示しようにして、
「我々は皆家族のようなものだ、ウォルドー、この男ではなくな、第一この
男はあの方の名前すら知らなかったではないか」男はそう言い放ち、
ジョリィに背中を向けると、コスモのところにつかつかと向かっていくと、
椅子にかけていたコスモは顔を上げたが、自制を発揮して役目を果たそうと
していた。手の甲からきらめく菌を出しつつ、顎の下には無精ひげが
見て取れる以外何の動きも見て取れず、何もいわないでいると、
「あの方に会いたいんだよ、コスモ」チャールズはそう言っていて、
「会わせてくれないか、本当のあの人に」そう継がれた言葉に、
「駄目だ」ジョリィはそう叫んでいて、
「そんなことは許さん」コスモに詰め寄って指をさし、
「聞いておるのか、小僧」そうかけられた言葉に、
コスモは顔を上げはしたが、やはり何も言わず、それからチャ−ルズに
視線を向けると、息をのむ音が聞えたと思うと、皆の視線は
棺に集められていた。
デブラ・ジョーの柔肌から色が抜けていっていて、
Godammn youなんてことだ」ジョリィはそう呻き、コスモと
ウォルドーの顔を見かわしていたが、
「貴様、なんてことを、警察を呼んでもらおうか、今すぐにだ」
そう浴びせられた言葉に、ウォルドーは顎を震わせながら黙って
いると、棺の中の、バラ色だった肌の色はすでに消えていて、
骨のような白になったかと思うと、乳白色のような滑らかで青白い
色となり、蝋のような透明に変わり始めていたのだ。
「ならば儂が呼ぼう」ジョリィはそう言って電話に手を伸ばそうと
していたが、ツーバイフォーの木を何層も重ねて一度に叩き割った
ような音が響いていた。
皆が立ち止まり、ジョリィがその音に恐る恐る顔を上げると、
眉の辺りが盛り上がった9フィートの巨漢が立っていて、
ジョリィを見下ろしているではないか。
トロールだ。
再び拳を握って指を鳴らして見せると、
人一人分はあろうかという緑のその手を拳のかたちにしたまま、
「そいつはよした方がいい」トロールは最も深い墓地の底から
響くような声でそう言っていて、
部屋中の人々が頷き合って囁き交わす中、蝋皮紙のようだった
棺の中で肌の色は消え失せていて、その下の血管すらもすでに
見えるようになっている。
ジョリィは振り返り、いきなり棺の蓋を閉めると、
「ここから出ていくんだ!」そう叫び、慌てふためきながら、
「みんな出ていけ!」ジョーカーに嫌悪の視線を向けながら、
「貴様ら」そう言って、
「どいつもこいつも、こんなことをしていいと思っているのか、
このくされ外*……」
そう言いかけたところでジェイはポケットから手を出していて、
指を指すと、ジョリィは姿を消していて、弔問客はようやく
何が起こったか悟った様子で、ようやく室内の緊張は止んだかのように
消えていて、
烏賊神父は首を振って見せ、それに合わせて首周りの脚を揺らして
から、
「それでどこに送ったんだね、そうかけられた言葉に、
「エーシィズ・ハイだよ」ジェイはそう応え、
「飯はうまいし、飲めもする、出るころにはさぞ気分はよくなって
いるだろう、幾分優越感にも浸れはするだろうがね」
そう言っていると、チャールズは棺に駆け寄ると蓋を開けていて、
そこに横たわるクリサリスの肌は上質な水晶のように透明になって
いる、完全に透明になった肌の下には、筋肉の房や筋がぼぉっと
透けていて、その下の骨や内臓すらも見えていて、その上を蜘蛛の
巣を思わせる赤と青の血管が取り囲んでいて、それはある種はかなく
思えはしても、まぎれもなく彼らが望んだものだった。
まるで生きているようなクリサリスの姿がそこにはあったのだから。
その身体を見つめているうちにジェイの内にわだかまっていた迷いも
わずかに残った望みすらも消え失せていた。
クリサリスは死んでいる。
あの電話の声はその名を語る偽物に違いあるまい。、
チャールズは随分長い間その姿を眺めていたが、顔を上げ、満足した
様子で、コスモの肩をポンと叩くと、そこから離れて行った。
ホット・ママは何もなかったように膝をついて、手を振り煙を立てつつ
すすり泣いていて、他の者たちもおすように棺に寄ってきていて、
静かに黙とうしている中、オーディティは隅の方で、立ってその姿を
見守っている。
ジェイはそこで部屋から出て行こうとしていた骸骨のような顔の男に、
「チャールズ・ダットンですね」と声をかけると、
「いかにも」振り返った死神を思わせるその顔の瞳に視線があった
ところで、「ジェイ・アクロイドです」と名乗り、手を差し出すと、
「少しお話を伺ってよろしいでしょうか」と言葉を継いでいたのだ。