ワイルドカード7巻 7月19日 午後10時

    ジョージ・R・R・マーティン
      1988年7月19日
        午後10時


落ち着いて、コーヒーを一口飲みながら、
「驚きのあまりコーヒーを零すか、罪の意識に顔面
蒼白になって黙りこんだ方がよかったかな?」
そう言葉を漏らしたダットンに、
「どちらでもご随意に、自白してくれたら尚よかった
がね」ジェイはそう応え、
「ともあれ贅沢はいわんさ」そう言葉を継ぐと、
「もし私が犯人だとしたなら、疑われるとわかって
いる物件に手をつけるような迂闊な真似はしない
でしょうし、黙っていたでしょうね」
「そうか、ペリー・メイスンだったらうまくいくん
だがな」ジェイはそう返し、
「試してみてもばちはあたらんだろ」そう言葉を継ぐと、
ダットンはコーヒーを置いて、外套を後ろに下げ、蛍光灯の
灯りの下、椅子の後ろに大きくもたれ掛かると、その黄色い
肌に茶色い影が生じたのをジェイが見つめていると、
「死神の一般的イメージと重なる姿であることは否定
しませんけれどね」ジョーカーはそう言って、
「人が私に不吉な予感を喚起させられるからといって、
それだけでクリサリスを殺したということにはならないの
ではありませんか?」そう言ったダットンに、
「もちろんそんなつもりはないさ」ジェイはそう応え、
「誰か雇うだけの金があって。しかも動機があるのは
間違いないというものだろ」
「私がですか?」ダットンはさも驚いたようにそう応え、
「パレスの地所の価値など微々たるもので、サロンの
営業自体も赤字財政ですから、これから営業していくかは
自分で決めればいいだけの話だとしても、そのために
あの方を殺す必要などありはしませんよ」
「表じゃなくて裏の家業はどうだろう?」
「それも赤字でしたよ」ダットンはそう応えると、一口
コーヒーを飲むと、その熱さが喉を焼いたかのように
口元から離していて、
「あんたも裏に一枚かんでいたんじゃないのか?」
そう切り出したジェイの言葉に、
「いいえ」ダットンはそう応え、
「確かに私のビジネスに有効だと判断した場合には
私にも伝えてきたこともありましたが、それに対価は
求めてきませんでしたよ、実際互いの取り決めとして、
お互いの娯楽に関しては口出ししないことにして
ありましたからね」
「その取り決めをあんたが一方的に破ったということも
ありえるのじゃないか?」ジェイはそう言いだして、
「何か都合の悪い密告でもあったとしたらどうだろう?」
そう継がれた言葉に、
「そんなものありはしませんでしたよ」ダットンはそう応え、
「あの方の関心を引いた情報というものが、他の人間には
相当な価値を持つものだったとして、それが私に何の関りが
あるというのでしょう、それに手を汚してまで手に入れる
必要などないというものです、実際私にはそれを何回でも
買い取るだけの資産があるのに、どうしてあの方を殺す
必要があるというのでしょうね」
「それじゃ誰が殺したというんだ?」
そう向けられたジェイの言葉に、
「私にわかるはずもないというものです」ダットンはそう応え、
「あの方は確かに危険な情報も握っておいででしたし、
それがあの方の身の安全を保っていたのも事実でしょう、
うまくやっていたと思いますよ、勿論クローゼットの中に
骨を詰め込んでいて、その露見を怖れて殺したということでも
あれば話は別でしょうが」
クリスタルパレスならかなりの数のクローゼットがあるからな」
ジェイがそう応えると、
「言葉通りならそういうことになりますね」
ダットンはそう返し、肩を竦めて見せて、
「何か有益な情報でもお話できればよかったのでしょうけれど、
実際はこの程度ですよ」
「まぁいいさ」ジェイはそう応え、残ったコーヒーを飲みほして、
立ち上がろうとしたダットンに、
「もう寝てもいい頃合いだからな、ところでここに裏口はあるか?」
「通りに面した出口なら」ダットンはそう応え、立ち上がると、
「こちらへどうぞ、ご案内致しましょう」ジョーカーはそう言葉を継ぐと、
物言わぬ蝋人形達の間の迷宮を縫って、長い通路に足音のみを響かせて
いると、小さな円形の部屋に差し掛かったところで、後ろから足音が
響いてきたのに気づいて、
立ち止まり、振り向いてみたが、誰の姿も見えず、
「他に誰かいるのか?」そう訊ねてみると、
「いないと思いますが」ダットンはそう応え、
「どうかなさいましたか?」そう継がれた言葉に、
「おかしな感覚があってね、つまり誰かに見られているような感覚なんだが」
それにダットンは微笑んで返して、
「別におかしくはありませんよ、部屋中の蝋人形の視線は確かに独占なさって
いるでしょうから」
そう返された言葉に、ジェイは思わず周りを見回していた。
ペレグリンAuroraオーロラ、Circeサース、そう言った美女たちに囲まれて
いるのに気づいて息を飲みながら、
「どうやらペレグリンに見つめられていたようだ」そう軽口をきいて
みたものの、どうにも違和感がぬぐえずにいると、
「こちらです」ダットンはそう言ってしっかりした足取りで先を進んで
いて、角を曲がった昏い小部屋の前でジェイがその手を引いて、
蝋と金属を組み合わせて作られたDetroit steelデトロイト・スティールの
像の前で、人差し指を唇の前に立てて見せると、ダットンは微笑んで、
そっと頷いてくれていた。
そこで確かに足音が聞こえてきて、こちらに近づいているようだと
考えていた、オーディティにしては猫のように軽やかな足音で、
おそらく靴も履いていないと思わせる足音で……
つま先立ちで、ジェイが視線を向けるより早く、どこかに隠れて
いるのではあるまいか……
そこでいきなり振り返ってみると、確かに灰色で髪のない猿のような
身体に手が何本も突き出た身体を見た、と思った瞬間に、それは
ジオラマの間に滑り込んでいって、
ジェイは指をさしてみたものの、蝋人形のジョーカーをエーシィズ・
ハイの肉入れのロッカーに飛ばしてしまっていて、
Damnなんてこった」そうぼやきながらも、
再び指をさそうとすると、猿のような怪物は蛍光灯の灯りの下から、
ジェイの頭を飛び越えていって、その姿を視線で追いつつも、
「どこに入ったんだ?」ダットンにそう訊くと、
「丸い小部屋の辺りですね」ジョーカーはそう応え、
「どうだか……」ジェイはそう呟いて、その言葉の続きを聞かず、
小部屋を指差してみたものの、結局落胆の溜息を洩らしながら指を
下して、一方の通路を追っていって、頭上のパイプの間に姿を認めた
と思い、頭上を見上げてみたものの、展示用の台があるだけだった。
まるで電線の間を縫っているようだ、そう思い、そこで胃がむかむかして
腹を押さえ座り込んでいた。
すると頭上の展示用の台が揺れ、倒れたかと思うと、ガラスが砕け、
何か柔らかくぬめっとした液体を腹にひっかぶっていて、
ホルムアルデヒト(防腐剤)の圧倒的な匂いを感じて思わず
目を閉じていると、
「大丈夫ですか?」ダットンの声がそう聞こえてきて、
「大丈夫でなどあるものか」ジェイはそう応えていた。
「先に御伝えしようと思ったのですが」ダットンはそう言って
灯りを点けると、
「ここには何があるんだ?」ジェイはまだ目を閉じたまま、
そう訊ねていた、驚くほど静まり返った中で、そこに
何があるかを悟っていたのだ。
「申し訳ないのですがご想像通りですよ」ダットンはそう返し、
「ジョーカー胎児の間へようこそ、何か希望はございますかな?」
そう重ねられた言葉に、
「あるとも」ジェイはそう応え、
「一刻も早くここから出ることだ!」
そう声を張り上げているうちに、あの猿は姿を消していたのだ。