ワイルドカード7巻7月19日 午後11時

     ジョン・J・ミラー
      1988年7月19日
       午後11時


ブレナンはドアを開ける前から匂いを感じていて、
中に入ると同時に、素早く的確に動きそこにいた
男の肘を掴んで、難なくその身体を壁に押し付けると、
ジェニファーがどこからともかく実体化して
ドアを閉めていて、
「声を出さず、動くな」手首を捩じりながら
そう命じると、探偵は背中に回された手の痛みに
たまらず「Jesus Christちくしょう」などと
呻いていたが、壁に顔をおしつけられたままで、
「鼻が折れたかもしれないじゃないか」と探偵は
抗議の声を上げていたがブレナンは取りあわず、
「いつから飲んでいたんだ、酒を浴びでもした
ようなひどい匂いだが」そう言葉を継いだブレナンに、
「確かにそうだな」そうアクロイドが返したところで、
ジェニファーに捩じられていない方の腕を後ろに
回されて、もう一方の手と一緒にして縛り上げられた
アクロイドに、
ブレナンは視線を据えつつ、、部屋の中を見渡して
わずかに豪華に見えるクロームと革の張られた
ソファーに向けて押されたかたちになった探偵は、
長椅子の上に倒れこんで、「Oooofう〜ん」などと
呻きを上げることになっていた。
アクロイドは鼻から滴った血が腹まで滴っているのを
感じながらも、
「ヨーマンだな、知ってるぜ、親しい友人からはこう
呼ばれているのかな、ダンとね」と強気な言葉を絞り出した
アクロイドに、
「どうしてその名を知っている?」
そう落ち着きはらった声を返されて、アクロイドは肩を
竦めてみせようとしたが、腹に血が飛び散ったかたちでは
まったくしまらず、
「探偵学校で最初に習ったのさ、マスクを着けた自警団きどりの
本名なんかを探り出す方法とかね」と軽口をきいてみせたが、
「なぜ質問に答えない」そう簡潔に返された言葉に、
「だからどうだというんだ」そう強がって返しつつ、
少しでもましな姿勢をとろうとソファーの上で身を
捩りつつ、
「思い通りにできると思ったら大間違いだぜ」
そうアクロイドが言葉を重ねたところで、
二人の間にジェニファーが割って入って、
「乱暴をするつもりはなかったのですよ、ミスター・
アクロイド、私もこの人も」そう言って、ハンドバッグから
ティッシュを取り出すと、鼻から血を拭ってくれていた。
そしてアクロイドの頑なな態度が和らいだところを見計らい、
「折れてははいないようですね」そう言って、匂いが気になる
様子で表情を曇らせつつ、少し離れたようだった。
そこで不承不承ながら「礼をいう」とアクロイドが口にすると、
ジェニファーはブレナンに思わせぶりな目くばせをしていて、
ブレナンはそれに対し大きく息を吸ってみせてから、
「俺の名が漏れたとするなら、必ず面倒なことになる」
そう漏らされた言葉に「面倒だって」
アクロイドが遮るようにそう言葉を重ねると、
「どんな面倒だろうな、それはあんたに殺された連中も
そう思ったのじゃないかな、一体何人殺した、もう憶えちゃ
いないかな?」アクロイドはそう言葉を連ねてきたが、
「すべて覚えている」ブレナンはゆっくり、断固とした
口調でそう応え、どっしりと揺るがない調子で視線を向けてきて、
探偵を見つめながら、
「俺が気に食わないとしても構わない、俺はやらねばならない
ことをやるまでだ」そう言葉を継いだブレナンに、
「罪のない人間もいたかもしれないじゃないか……」
そしてアクロイドがそこで一端言葉を切って、
「俺は指を指すことで相手を飛ばすことができるが、
その相手は選んでいるぜ」そう継がれた言葉に、
「罪のない人間など一人も殺していない、奴らは
行いに相応しい報いを受けたに過ぎない、その
行いに気づいていようとなかろうとも、状況に
気づかない愚鈍さを責めるつもりは俺にはない」
「報いだって」アクロイドはそう言葉を返し、
「あんたにどうしてそれが決められるんだ?」
そう重ねられた言葉にブレナンは怒りを露わにし、
「自分の行いを正当化するつもりなどないが
これだけは言える、俺は……」そこで一端言葉を切ると、
ジェニファーに視線を向け、幾分自分を抑えながらも、
「シャドウ・フィストを相手にしていた、たった一人で
組織を相手にしていたんだ、できることは何でもやったし、
そのことに対して後悔もしていなければ、忘れることも
ない」
「そうしなければならなかったと言い張るのか?」
「それだけのことだ」ブレナンは感情の籠らない声で
そう応え、
「重要なことは、相手が友でもなく、互いに好意は
抱いていない場合であろうとも、手を組むことは
できないにせよ、情報を交換することぐらいは
できるというものだ」
アクロイドはその言葉に頷いて返し、縛られた手を乱暴に
振ってみせながら、
「だとしてもこの状態で話す気などないがね」そう言い放つと、
「いいだろう」
ブレナンはナイフを抜き放つと、それでアクロイドを縛っていた
紐を切っていた。
そこで二人はしばらくにらみ合っていたが、アクロイドが手首を
乱暴に擦りながら、鼻にそっと触れたところで、
「俺の名をどうして知った」と掛けられた言葉に、
アクロイドは肩を竦めながら、
「まぁいいさ、サーシャが教えてくれたんだ、クリサリスの
精神から読みとったんじゃないかな、それであんたが関係して
いると思ったんだろうな、勿論嘘をついたということもありえるがね、
なんにせひどく脅えていて、つい口に漏らしちまったんだろうな、
あんたがかなり多くのものを手にかけていたから……」
それに対しブレナンは冷淡とでもいえる口調で、
「不法に入国してはいるが、いつか罪を償っていいとも考えている、
だとしてもレイスは……」
そこでブレナンはジェニファーに頷いてみせて、
「俺の名が知られているとするなら、もちろんクリサリスも知って
いただろう」
「あんたは指名手配されているのか?」
「軍を脱走したかたちになっているからな、だとしてもその事実は
クリサリスの死とは何の関りもないことだ、勿論本当に死んでいる
ならば、ということだが……」そう思わし気に重ねられた言葉に、
「確信がないと?」
「どうだろう?本当に死んだのではなく、表向きということもありうる」
ブレナンはそう言ってため息を漏らしながら、疲れたように顔に手を
添えていて、「わからない……」
そう応えた声は弱弱しいといってもいいものだった。
「おいおい、なんてざまだ、俺も死体は見たが……」
「声を聞いたんだ、それも昨日に」
「なんだって?」アクロイドは恐る恐るそう口に出していて、
「私は今日あの人の声を聞いたの」ジェニファーもそう言いだして、
ブレナンから視線を向けられ、「どういうことだ」と詰め寄られて、
「実は俺も聞いたんだ」アクロイドはそう言って冷静に認めながらも、
ブレナンに視線を戻し、かぶりを振って見せ、
「だとしてもあの方の声とは限らない、Christそうとも、実際棺に
納まった姿もみているのだからな」
「間違いないのか?棺に入っていたのは紛れもなくクリサリスだったと?」
「他にあんな透明な肌の人間がいるかね」アクロイドはそう応え、
「俺が見つけた通りの死体だった、それにあの声の主はうまく俺をだました
つもりだろうが偽物だと思うよ、なんせ俺がクリサリスとどういう関係
だったかを知らなかったわけだから、それにあんたがエスキモーに捕まった
なんて言ってもいたがね」
ブレナンはため息をついて首を振ってみせ、
「それに関しては正しかったわけだが」
そう言ってブレナンは手を突き出して、この話はそこまでだと示したと
ばかりに、「まぁいいさ、つまり死んだことは間違いないと確信して
いるなら、それじゃどいつが殺したと考えている?誰が殺したというの
だろう?」アクロイドはそう向けられた言葉に、一瞬顔を上げて考え込む
ようにしてから、
「これが容疑者のリストだ」そう言ってよれよれになったジャケットの
胸ポケットから取り出した紙をブレナンに渡してきた。
それは湿っていて、ジェイと同じ匂いがしたが、そこに書いてある名前の
ほとんどには線が引かれていて、
「これが容疑者の名なんだな?」そう言葉を向け、後ろのジェニファーにも
見るよう促すと、アクロイドも頷いて、
「残った容疑者はそんな感じになる、他は探偵としての経験と勘、それに
心理を鑑みて除外させてもらったということだ」
「ほう」ブレナンはそう漏らし、
「それならブラジオンも除外していいだろう、あいつをスキッシャーズ・
ベースメントで今朝ぶちのめしたばかりだからな」
「あんたがかね?」
「驚くこともあるまい」
ブレナンは笑顔のようなものを浮かべそう言っていて、
「あいつはクリサリスを殺したと言い張っていたが、
どういうかたちで殺されたかも知らなかった、おそらく
名を売る目的ででまを流していたんだろうな」
「そうか」アクロイドはそう言ってペンを取り出すと、
ブラジオンの名に線を引いていた。
「それじゃあんたのいうことを信じるとして、他に
除外できるものはいるか?」
ブレナンはそれに頷いて、
「ワームはどうだろう?」
「こいつを知っているのか?」
そう返されたアクロイドの言葉に、
ブレナンとジェニファーは互いを見交わしながらいて、
「直接相手にしたことは何度かあったけれど、あんな
殺し方ができるほどの腕力があるとは思えないわね、
クリサリスは撲殺されていたと聞いているから」
「俺もそう思うよ」アクロイドはそう言って同意を示し、
「牙で噛みつくという闘い方を好むそうだから、そうじゃ
なかったか?」
ブレナンは思わずこめかみの辺りを擦りつつ、
「その通りだ」と応えていて、
「でもクリサリスに脅迫されていたという話もあるわね」
ジェニファーがそう言っていて、
「確か、この男はシャドウ・フィストの構成員で、幹部
待遇だった」
「キエンの?」アクロイドがそう言葉を向けると、
「ということは俺の獲物ということだな」
ブレナンはそう応え、
アクロイドは肩を竦めて見せて、
「いいさ、あんたの蜥蜴だ、好きにするといい」と返していた。
「クオシマンはどうかしら?」そう言ったジェニファーに、
「あいつの記憶にはスイスのチーズみたいに穴が開いていると
聞いている、確か祈りの力で死の淵から蘇ったとかで、信仰の力で
バーネットに助けられたことがあると考えているようだ、だから
バーネットの信奉者といったところかな」
「それで?」ブレナンがそう言って先を促すと、
「どうもクリサリスはこの御仁に対して誰かを雇ったらしいんだ」
「それは間違いないのか」そう言って露骨に表情を曇らせたブレナンに、
「ほぼ間違いないだろうね、エルモはアトランタにいる政治家を
始末させるよう頼まれたと言っていたからな」アクロイドがそう応えると、
「何のため?」ジェニファーがそう訊ねると、
アクロイドは肩を竦めながら、
「確かなことはわからんが、バーネットの政策がお気に召さなかったの
じゃないかな」そう返された言葉に、」
ブレナンはかぶりを振って否定しつつ、
「あいつの手に政権が転がり込めばまずいことぐらいわかっていたとして、
それにしても……」そこでブレナンが考え込んでいると、
「実はエルモの言ったことに異論のあるのはあんただけじゃないかも
しれなくてね、ともあれバーネットの関係者に探りはいれとかなきゃならん
だろうから、最初はクオシマンを当たってみるべきかな、どうだろう?」
そこでブレナンはジェニファーに視線を据えたまま、、
「烏賊神父に話を通してクオシマンの手を借りることになるかもしれん」
ブレナンがそう言うと、
「またどうして?」とジェニファーが返して、
「またオーディティを相手にしなければならないだろうから」
「オーディティだって?」ジェイがそう繰り返すと、
「クリサリスの寝室で何かを探していた、どうもオーディティはそれで
脅迫されていたように思っているふしがあるが、俺はそうとは思わない、
クリサリスはけして誰からも強請りに関しての金を受け取ったことは
なかったからだ」
「たしかにそうだな」アクロイドはそう応え、
「それじゃ話題に上がっていない名前は一つだけね」
ジェニファーがそう切り出して、
「一体全体このダグ・モークルって御仁は何者なんだ?」
アクロイドは理解に苦しむとばかりに首を振っていて、
「まぁいいさ、何か掴んだら知らせてくれるな」
そう言ったアクロイドに「いいだろう」と応え、
ブレナンはまたジェニファーを見つめて、
「それで終わりか?」と言葉を継ぐと、
「そうだな、まだ気になる人間はいるんだ」
「例えば?」
「ディガー・ダウンズという男がクリサリスと親しかったのか、
とかかな?」
「誰だそいつは?」
「一応エーシィズ誌のリポーターということで名が通った男だよ」
「そいつは知らんが」ブレナンはそう応え、
「実際86年以降クリサリスに会っていなかったから」
アクロイドは頷いて応じ、
「エルモも、あの人があんたの消息を必死で探していたと
言ってたよ」そこでアクロイドは打ち明け話でもするように
目を据えて、
「ところで普段は弓を嗜んでいるようだがチェーンソウもいける
くちか?」と突然向けられた言葉に、
「それは何の冗談だ?」と返すと、アクロイドは肩を竦めてみせて、
「いや使わないならそれでいいんだ、最後に一つ聞いときたいんだが、
パレスのお隣さんの噂を聞いたことは?」
ブレナンはさぞうんざりしたという表情をして、
「パレスに隣などない」平坦な声でそう告げて、
「あの区画にはパレスしかなかったはずだ」そう言い添えると、
「確かにそうだな」アクロイドもそう応え、
「実際その通りなんだが」
そこでブレナンはジェニファーの手を取って、
「これで貸し借りはなしだ」そう言い放って出て行こうとしたところで、
「一つ憶えといて欲しいんだがね」アクロイドはドアの脇に立ってそう
言っていて、
「今回はあんたを墓地に飛ばさなかったわけだが、次もそうなるとは
限らないということだよ」
「次か」ブレナンは微笑んで頷いてみせながら、
「それがあるといいがな」
「お別れね」ジェニファーはそう言ってアクロイドに投げキッスを
してからドアをすり抜けて行って、
ブレナンはドアを開け、最後に振り向いてアクロイドに視線を
据えながら、
「一つだけ忠告するが」そう探偵に言いおいて、
「安酒を飲んでるようだが、そいつを飲むのをやめるか、別のに
変えた方がいい、ホルムアルデヒトのプールで水泳でもしたような
ひどい匂いがしているからな」と言い添えると、
「違いない」アクロイドはそう応え、
「それだけ鋭いなら探偵になれるかもな」
そう言って苦笑していたのだ。