ワイルドカード7巻 7月20日 午前5時

       ジョン・J・ミラー
       1988年7月20日
         午前5時


3階建てのヴィクトリア朝風の建築に、何やら弔事に
相応しいくすんだ文字ののたくった看板が掛けられて
いて、そこに目を凝らすと、ゴシック体の文字で、
<コスグローヴ葬儀社、コスモ、タイタス、
ウォルドー・コスグローヴ合資会社>と見て取れる。
死のごとく静まり返っていて、墓場のごとく昏い
そのビルの周りを取り囲んでいる木製のポーチに
取りついて、ゆっくりと注意深く、闇夜の静寂に
わずかばかりの床板の軋みのみを響かせて進んで
いき、窓の一つをこじ開けてロビーに入り、そこで
一端立ち止まってポケットの中を手探りしてライトを
取り出し、室内を照らし出すと、そこは昏い色調の
壁紙にいくつかのアンティーク調の家具、それに
骨董が散りばめられた小さな部屋で、クリサリスが
生きていたならおそらく気にいったのではあるまいか。
そんなことを考えながら、壁に掛けられたガラスの
額に入った名簿に目を遣り、目当ての名、ジョリィは
西の応接間であることを確認し、灯りを一端消してから、
闇に眼を凝らし、腸のような葬儀社の中を移動していった。
そこにはこうした場所特有の匂い、薬品と死の混ざり合った
とでもいうような臭気が漂っていて、生命の感じられない
ある種の厳かな沈黙に押し包まれるようになりながら、
適う限りゆっくり静かに進んでいくと、ここを出て生命に
溢れた都市の空気というものをじっくり味わいたい思いに
かられつつ、目的の場所を目指した。
西の応接間は長く天井の高い部屋になっていて、生命のない
造花やしおれた花で満ちていて、むせかえるようなその強い
臭気が闇に封じられたように感じ、部屋中に敷き詰められた
花で閉じられた棺は覆われていて、それは一方の壁にまで
達している。
そこでブレナンはようやく息をつくことができた。
すでに教会に移されていることを怖れていただけにようやく
安堵できたといえる。
そこで雑多な感情を脇によけながら、静かに棺に近づいて、
そこで立ち止まり、どうしても開ける気になれず見つめて
いたが、この棺に納められているのがクリサリスかどうかを
確かめねばならない、自分の目で見定めねばならないのだ。
そう己に言い聞かせ、蓋に手をかけ、あけ放つと、闇で
覆われはっきり見えないものの、その方がいいだろう、と
考え、あえて灯りをつけはしなかった。
遺体の首から足首まで簡素なドレスで覆われていて、首には
何もかけられていない。
そして首から上がそっくりなくなっていた、おそらくあまりに
ひどい状態になっていたため修復できなかったということでは
あるまいか。
落ち窪んだ胴体の上に添えられた手は聖書を掴んでいて、透明で
透けた皮膚が見てとれる。
クリサリスに間違いあるまい。
もはやその血管に血は循環しておらず、今ではいかなるかたちで
動くことはないにしてもそれは確かだと思える。
「簡単ではなかったのだよ」そう背後から響いてきた穏やかな声に、
蓋を落としそうになりながら、何とか掴んだままで、ライトを点け、
、ライトを動かして見せると、何かが灯りから逃げるかのように素早く
動いていて、「頼むから灯りは向けんでくれ、目が弱いんだ」
再びそう声が響いてきた。
想いの他優しく悲しい声に自然とブレナンも「いいだろう」と応えて
いて、ライトを消すと、ゆらりと背もたれが垂直になったソファーから
立ち上がった男は、闇の中の微かに青白い残像にしか思えない、かなり
白く、かなり長身で、かなりやせた姿をしていて、奇妙な、強い薬品の
匂いが感じられるが、その声自体は若者を思わせるものだった。
「ここで働いているのか?」そう声をかけると、
「ああ、そうだ、遺体の加工をやってる、どうも光に過敏なたちでね、
だから夜に働いているというわけさ、それでクリサリスに最後のお別れを
しようと立ち寄ったところだったんだよ、簡単ではなかったが、最善は
尽くしたともりなんだがね」
「つかぬことをお伺いするが」ブレナンはそう言って慎重に言葉を選びつつ、
「棺に納められているのは間違いなくクリサリスだろうか?」そう言葉を継ぐと、
「間違いなく、とは?」青白い男は、むしろ甘やかとも思える声でそう返し、
「なぜそんなことが気になる?」と継がれた言葉に、
ブレナンがかぶりを振って、「いや気にしないでくれ、ただ単に確かめたかった
だけだ」そう返されたブレナンの言葉に、青白い貌の男は頷き返しながら、
「個人で出迎える分には構わんがね、そろそろお暇させていただくよ、
なんせ営業時間までにはまだ大分時間があるからね」
そう言って男は立ち去ろうとしたが、立ち止まって振り返った男のピンク色の
瞳に悲しい光がきらめいたのをブレナンが見ていると、
「あの方の頭を元のかたちに戻そうと努力はしたのだよ、それだけは
理解して欲しいんだ、ただあまりにもひどい状態になっていたものだからね、
今まで数多くの殺された人間の遺体の修復を行ってきたが、こんなひどい
ことになってはいなかった、こんなひどい仕打ちをしたからこそ、そいつは
ちゃんと見つかって罰を受けなきゃならんと思うんだよ、ミスター・ヨーマン」
そう向けられた言葉に「わかっている」ブレナンはクリサリスの遺体に視線を
向けながら、「わかっているとも」そう繰り返していたのだ。