ワイルドカード7巻 7月20日 午前11時

   ジョージ・R・R・マーティン
     1988年7月20日
       午前11時


ジェイ・アクロイドは午前中いっぱいを無駄に
過ごすことになった。
もう何度目かになる受話器相手の応答を終えた
ものの、現実問題として二部屋あるささやかな
オフィスのエアコンが壊れていて、窓も開けられず、
地獄のような状態の中で、飢えて汗まみれでありながら
疲れ切っているというのが現状であって、
ディガー・ダウンズについては他の誰もが
知ることのできる情報しか掴んでおらず、
「肝心の居場所がわからないときたものだ」
そう秘書に零してみると、Oral Amyと呼ばれている
秘書どのはOの字型に口をすぼめて驚きの表情を向けて
くれた。一応期待通りというところか。
ボーイトイズ社のFrench ticklers(ゴムの避妊具)に
針で刺したような孔が開いているといううわさが立ち上がった際、
相談窓口の業務を押し付けられていた女の子だったが、そのことに
ついては話したがらず、輝くような金髪の明るさのみが印象に残った
ものだ。
「どうにも悪い女にひっかったような塩梅でね」そう告げると、
エーミィはたっぷり同情の籠ったように思える視線を向けてくれている。
そしてその表情はタイヤからゆっくり空気が抜けるようにほぐれる。
ジェイは毎朝エーミィに電話するという古いやり方で、何か連絡が
なかったか聞いている。
毎朝そうしているのは電話の向こうの人間の声が安心を与えてくれる
からであり、そして知りたいことに適格に応えてくれるからだ。
その日に聞いたいい方のニュースは、死体置き場にも病院にも
ディガーらしき人間は担ぎ込まれていないというもので、
残りはどうしようもないものばかりだった。
ディガーが空港を利用した形跡もなければ、Amtrak全米鉄道旅客公社
にもGreyhound(船便)を利用した形跡もない。
ディガーはマスターカード一枚に、Visaカード二枚、それから
Discoverカードを持っているからその利用履歴を調べてみると、
ホレイショから数ブロック離れたところのイタリアレストランを
金曜の晩に利用した記録が最後のもので、利用金額の63.19ドルを
カードで支払っていた。
もしディガーが行方をくらましたならば、消息のしれるようなカードでの
支払いはしないのではなかろうか。
もちろん偽名を使ってチケットを取って支払いも済ませたということも
ありうるだろうし、DCまでMetroliner(快速列車)で移動して、そこで
車掌からキップを買ったとなれば、ポート・オーソリティからの定期バスに
乗り込んでジャージーの原野まで移動していてもおかしくないというものだろう。
さもなくば歩いてブルックリン橋を越えることもできるだろう。
そもそも脚がつかずに街をでる方法などいくらでもあるというものだろう。
そして街に隠れている方法にしたところでその倍あるというものではある
まいか。
ならば考え方を変えたらどうだろう、ディガーが潜んでいそうなホテルや
モーテルを探すのではなく、ディガーの潜んでいそうにない場所を検討して
みたらどうだろう。
実際ディガーが抜け目なくふるまうならば、簡単に見つかる場所にはいないと
いうことだろう。
そういえばオークランドに母親がいて、母の日に花を贈ってもらってから
連絡がないという話を聞いていた。
高校を出てからディガーの書いた記事はどんな小さなものでも全て切り抜いて
とっていて、息子が誇らしくてたまらないようだった。
もしベイエリアに現れたら喜んで連絡をくれるといっていて、電話番号は
伝えてあるが、そこでミセス・ダウンズはペレグリンに連絡をとってみたら
どうだろう、と控えめに言っていた。
ペレグリンが息子のガールフレンドだか何かだと思っているようで、そのことは
秘密にしておいてくれと言われたと言っていた。
ペレグリンのイメージを損なうと悪いからとも言っていたんだとか。
それから消息のしれない姉だか妹がソルトレーク・シティにいて、結婚歴は
なく、女性関係のトラブルがあったとも聞いてはいない。
「その方がいいさ」そう思わず自嘲気味に呟いていた。
ジェイ自体は離婚歴があって、面倒なめにもあっていたのだ。
大学のルームメイトはディガーを覚えてすらいないと言っているし、専攻した
ジャーナリズム論の教授は確認できたが、やはり電話のかかってきた記録も
ないとのことだった。
それからジェイはエーシィズ誌のクラッシュに連絡をとってみたが、
ディガーからの連絡はまったくないということで空振りだった。
ミスター・ロウボーイはディガー・ダウンズがとってくる大スクープの
ために8月号の紙面をあけて、途方に暮れながら待っているという話
だったが、下手をするとディガーの訃報でその穴を埋めることになる
やもしれず、そうなるとそれは大スクープといっていいのだろうか。
そうジェイが冗談めかして告げると、クラッシュはどこか雲隠れして
いるにしても、ひどいことになっていなければいいとも言っていた。
「もちろんそれにこしたことはないわけだが」ジェイはそう前置きし、
「まさか誰もいないということはないだろ?リポーター仲間とか、
ポーカー仲間とか、飲み友達ぐらいいるのじゃないか。
結婚していないにしても、そういった関係の人間の一人くらい
忘れていやしないか?」
「いないのよ」クラッショはそう応え、
「他のリポーターがどれだけ特ダネを抱えていやがるんだ、と
言ってやっかんでいるぐらいだもの、おそらくミスター・ロウ
ボーイが例の世界旅行に彼を送り込んだことでも相当陰口は
叩かれていたでしょうね、いくらでも社交的にふるまえはしても、
肝心のところは抜け目な立ち回っているようね」
そう継がれた言葉に、「Damnなんてこった」そう悪態をつきつつ、
「友達の一人もいないというのか?」
「そうなのよ」クラッシュはそう応え考え込みながら、
「そのはずというべきかしら」そう継がれた言葉に、
「ご立派なことだな」ジェイがそう言って返すと、
「そういえば首を擦っていることがよくあった、癖なのかしら、
かわいいものね、あなたは驚くかもしれないけれど、彼に取材を
受けた人間からもあまり悪く思われていないようね」
そこでクラッシュは言葉を切り、少し考えて、
「まぁ、それも記事が発表されるまでは、ということになるかしらね」
と一応訂正したところに、
「それはそうだろうな」と熱のこもらない返事を返しつつ、
「まてよ」そう言いおいて、
「もしかしたら、まさね……」
そこで思いついたことにあきれていると、
「ジェイ?」クラッシュはそう呼びかけて沈黙しつつ、
「あなた、大丈夫?」などと言い出したではないか。
「そう願いたいね」ジェイはそう応え、
「まともな神経じゃ考えつかないことだから」
そう言葉を継いでいたのだ。