ワイルドカード7巻 7月20日 午後7時

       ジョン・J・ミラー
       1988年7月20日
         午後7時


ブレナンとジェニファーが教会に着いたそのとき、
烏賊神父は<永遠なる悲惨の聖母教会>の前にいて、
「あなた方が最後ですよ」と声をかけてくれた。
「少し待っていただけたら、話を聞けると思います。
クオシマンは今穏やかならざる闖入者に備えて警備を
していますから、それでいいですね」
「いいだろう」ブレナンはそう応え、
「念のためその前に聞いておきたいのだが、クオシマンは
今どこに?」そう言葉を継ぐと、烏賊神父が指差した先に
視線を向けると、尖塔があって、そこの頂上に被さった金属の
螺旋飾りにもたれるようにして歪な姿をしたジョーカーが
立っていて、遥か遠くを見つめているようにも思えば、
ブレナンもジェニファーも、烏賊神父すらも見えていない
ようにも思える。
「降ろせるか?」ブレナンがそう訊くと、
烏賊神父が、その大柄な肩を竦めるような仕草で応じて、
「やってみましょう」そう応え、上を見上げ、口に手を
スピーカーのようなかたちにして添え、
「クオシマン!」と叫んだが、
聴こえたそぶりも見せず、烏賊神父が溜息をついて、
もう一度さらに大きな声で叫ぶと、今度はクオシマンが
顔を下に向けたかと思うと、尖塔の梁に手をかけて、
くるっと回ったと同時に、尖塔から手が離れ、いきなり
斜面を滑り落ちるのかと思い、ジェニファーが息を飲んで
見つめていると、クオシマンは何もない宙に飛び上がったかと
思うと、突然姿を消していて、離れた場所でポンという音が
したかと思うと、今度は教会に続く脇道にいるブレナンと
ジェニファーの横に立っていて、
「それで?」と声をかけてきた。
ブレナンは少しの間その姿を見つめていたが、
「聞きたいことがある」そう言葉を絞りだすと、
「聞きたいこと、とは?」クオシマンが繰り返すように
被せてきたその言葉に、
「そうだ、クリサリスが殺されて、その犯人を捜している
ことは知っているな。どうやら、それにエースが関わっている
らしい、とてつもない怪力のエースだ。
そいつを探し出すのに手を貸して欲しい」
そこでクオシマンは烏賊神父に縋るような視線を向けてから、
かろうじてそうとわかるかたちで頷いて、
「わかった」そう応えた。
「礼を言う」ブレナンはそう言ってから、畳まれた財布くらいの
大きさの小型な電子部品のようなものを差し出して、
「いつか、助けが必要になったときに、これで君を呼ぼう」
と言葉を添えると、
クオシマンは胡乱な顔をして受け取って、
「わかった」そう言ってその機械を見つめていたが、すぐに
瞳が淀んで、こころがどこか遠くに漂っていってしまったような
茫洋とした表情を浮かべているではないか。
「ご存知とは思いますが」烏賊神父はそう言って、
「クオシマンは、それほど頼りになるという類の人間では
ありませんよ」そう継がれた言葉に、
必用なことだ、他の人間では務まるまい」
ブレナンはそう応えながらも、通信機を手渡したもう一つの
理由については話しはしなかった。
感度の良い送信機でもあって、もしクリサリスを殺した相手に
接触しようとしたなら、その居場所が確認できると考えたのだ。
「いいですね」ようやく意識が戻ったように思えるクオシマンに
烏賊神父がそう声をかけると、「今でなければ、そうする」
と応えてくれた。
それからクオシマンから離れて教会に向っていくと、教会内の
信徒席の最前列4列は、クリスタルパレスの従業員達で占められて
いた。
頭の小さいジョーカーのJO-JOジョジョに、パレスの共同出資者である
骸骨のような顔をしたチャールズ・ダットンはいるが、エルモと
サーシャの姿は見えない。
エルモは警察に身柄を抑えられているからということか。
そこにはジョー・ジョリィもいて、ブレナンとジェニファーが
声をかけようと傍にいくと、銀の携帯用フラスクを手にしていて、
大分飲んでいるのが見て取れた。
哀しみを紛らせようとしているか、多くのジョーカーに囲まエている
ことを忘れようとしているかわからないにしても、あまり同情の
余地のない姿だと思っていると、
烏賊神父がその大柄な姿を現し、辺りを見ますと、人々の囁き交わす
声は止んでいた。
「クリサリスに最後のお別れを告げるためここにお集まりいただき
嬉しく思います。
あの方の残された遺言は内々のものでありますから、弁護士の立ち合いも
ありませんし、警察も来ていません。
法律的な形式というものは後で整えればいいと考えましたし、呼ばれたの
も身内のみですから構いはしないでしょう」
烏賊神父はそう言うと、茶封筒を取り出して、中から何枚か紙を取り出して、
束にしてつまむと、
「個人的にではありますが、こうしてあの方から意思を聞いていて、こうした
かたちで預かっておりました」
そこで咳払いをして話し始めた。
「私、クリサリスは、ワイルドカードの影響を受けはしましたが、正常な
こころと身体を保ったままである内に遺言を認めることにいたしました。
私の残した遺産というものについては、クリスタルパレスにかかわった
全ての人々、そしてそれ以外にあなたが判断した数人を集めて伝えて
欲しいと望むものです。
最初に、烏賊神父、そしてジーザス・クライスト・ジョーカー教会に。
この封筒には貸金庫の鍵が入っていますが、その貸金庫の中身を。
きっと有益に役立ててくれるでしょう」
そこで烏賊神父は顔を上げ、
「これは受け取ってありますから、次にいきます。
次に、エルモ・シューファー、私がこの街に着いてからずっと片腕と
して支えてくれ、常に私を助けてくれました。
これは私が与えてもらった愛情には満たないものかもしれませんが
できるかぎりのものは残しておきました」
司祭はため息をついて、咳ばらいをしてから、続きを読み始めた。
「次はチャールズ・ダットンに。
クリスタル・パレスの全権をあなたに。」
そこで多くの人々が息を飲んでひそひそ話しあうのが感じられたが、
烏賊神父の低いが力強い次の言葉にかき消されることになった。
「ただし職を得ているすべての人間の現状を維持するという条件は
つきますが」
ダットンは首を傾げつつも、安堵の空気が広がるに任せていて、
「次にディガー・ダウンズに。
あなたにはコートを残しました。
着るにせよ、役立てるにせよ、あなた次第です」
それを聞きながらブレナンは考えていた。
オーディティはクリサリスのクローゼットでこのコートを探して
いたのではなかったか。
だとしたらこのコートこそがブレナンが手をこまねいて辿りつけずに
いるクリサリスを殺した相手につながるよすがになるのではあるまいかと。
「次は、愛しいお父さんに。
うんざりしてこれを聞いているかもしれないわね……」
烏賊神父はそこで立ち上がって、大きな封のされた茶封筒を取り出して
ジョリィに差し出した。
ジョリィは縋るようにそれを受け取ると封を切って、10分の8インチ
程度の厚めの紙を取り出していた。
それは座っているブレナンからでも見えるもので、も見覚えのあるもの
だった。
Ann Leibowitzアン・ルイボウィッツによる名高いクリサリスの写真で、
腰から上は一糸も纏わず、血管が透けて見えていて、心臓の脈打つのが
見えるような生々しいものだった。
「……愛しい小さな娘を思いだすよすがとなるようにこれを用意しました。
日がな一日眺めていられるように」司祭はそこで言葉を切って、
「あなたが生きているかぎり」と言葉を継いでいた。それは何か罪状でも
読み上げるように冷たい声だった。
喉元につきつけられたナイフのようだ。
ブレナンはそう考えながら思いだしていた。
クリサリスがえらく感傷的になっていたときに、まだ思春期だった頃に
ウィルスに羅漢したばっかりに、それを恥じて嫌悪した家族によって
マンションの一室に監禁されていて、そこから抜け出すのに6年かかった
と言っていたことを。
そこで烏賊神父が椅子に深くもたれるように腰を下し、ジョリィは
両手で顔を抱え込むようにしてうなだれていて、すすり泣く声以外は
沈黙に包まれたところだった。
「次に、私のアーチャーに。
私の死を知っても、この遺言を伝える場には来れないかもしれないの
だけれど、2つだけ言い残しておきます。一つは……」そこでブレナンは
立ち上がり、司祭の差し出した小さな封筒を受け取っていた。
ブレナンがそれを開けると、中にはラミネート加工されたプラスチックの
紙片が入っていた。
2.25醱3.5インチくらいの大きさの、まだ真新しいスペードエースの
カードだ。
「……私を殺した相手の胸に、つきつけてください。
もしそれがかなわないならば焼いてくれて構いません。
私はそれを受け入れましょう」
そこで烏賊神父は下にあった箱を持ち上げて、テーブルの上に載せ、
「誠に申し訳ないのですが」神父は穏やかな声でそう切り出して、
寝室にあった元のカードはひどい状態でおまけに持ってこれなかった
ものですから、別に用意したものです、お気に召したらいいのですが」
と言い添えていた。
そして箱にはクリサリスが寝室に置いていたデカンターが入っていた。
ブレナンの好きなアイリッシュ・ウィスキーの入ったものだった。
「ありがとう、神父、これは頂いておこう」
そうして残されたものが次々に人々に渡されていった。
大体それは受け取ったものが必要としたものであったか、
望みつつも、けして手にはいらないとあきらめていた代物だった。
ともあれ全ての者がこの女性にすべて見透かされていたように感じたに
違いない。
そう思っているのはブレナンだけということもありえる。それでは
ジェニファーはどうだろうかと思い視線を向けると、ジェニファーは
手を肩に添えていて、その温かさが強く感じられると共にまた考えて
いた。
クリサリスが助けを求めてきていたらどうなっただろうか、と。
再び愛することを求めてきていたとしたら。
それを知ったらジェニファーはどう思うだろうかと考え始めたところで、
遺言の公開も終わっていて、パレスの従業員達の哀しみと涙を労わるように
烏賊神父は努めて穏やかに彼らの中に歩み寄ると、ジョリィは飲みすぎたのか
眠っていて、烏賊神父はルポにホテルに送るよう言っていた。
そこで人々は立ち上がり、口々に何か話し始めたところで、ブレナンは
視線を感じたように思い、教会の奥で誰かが見つめているように感じ、
振り向くと、そこには聖歌隊席にまで達するほどの長い外套を身に纏った
巨体の持ち主の姿があった。
そこでブレナンはデカンターの入った箱をジェニファーに手渡して、
「部屋に戻っていてくれ、どうやら人と会う用事ができたようだ」
ジェニファーは頷いて、箱を受け取ると「慎重にね」そう言っていた
ときには、ブレナンは闇に滑り出していて、オーディティを追っていた。
闇の眷属が、闇に紛れるかのように。