ワイルドカード7巻 7月21日 午前8時

      ジョン・j・ミラー

       1988年7月21日
         午前8時

スキッシャーズ・ベースメントはまだ混みあって
いるにも係わらず、薄暗く数日前に来たときと
同じ匂いがたちこめている。
客もバーテンダーも同じ顔触れのままだ。
もっとも今回はブラジオンは顔をだしていない
ようで、常連客達もブレナンを快く迎えて
くれていて、その内の一人から、今度はどの
エースをぶちのめしてくれるんだ、と声を
かけられたが、「今はそのつもりはない」と
笑顔で応え、
「飲みかつ友と語り合うつもりだ」と言葉を添えて、
バーの奥の方の腰掛けに落ち着いているトライポッドの
元に向かうことにした。
トライポッドの骨盤は独特なかたちをしているから
普通の椅子では座ることもできないということか。
「何を飲まれますか?」口のないバーテンがそう声を
かけてきて、「アイリッシュウィスキーをタラモアの
奴で」と返したが、バーテンはグラスを拭く手を止めず、
ブレナンの言葉に鼻もひっかけないつもりであることが
理解できた。
ブレナンはため息をつきつつも、「じゃスコッチで」と
言い直すと、「スコッチですね、承りました」バーテンは
そう応え、壁際の輸入品と思しきボトルを取って、ショット
グラスに注いでくれた。
そこでスキッシャーが水槽から胡乱な目を向けつつも、
「調子はどうだ?」と声をかけてきた。
「悪くない」ブレナンはそう応え、ポケットから5ドル
ばかり取り出してそこに置こうとすると。
「おい」スキッシャーはそう言って、
「スキッシャーは友人からの金はもらわん、そいつは
とっておくといい」
ブレナンは頷いてポケットに札をしまい、
「ありがとう、憶えておくよ」そう言ってグラスを持ち
トライポッドのところまで行くと、トライポッドはビールを
ストローで飲んでいた。
「どうなさいました、ミスターY」
といつも通り礼儀正しく声をかけてきたトライポッドに、
「何か新しい情報は?」ブレナンが静かにそう応えると、
トライポッドは渋い顔をしながら「何も、商売あがったりと
いったところですか。サーシャは行方をくらましていて、
足取りすらつかめていないのですから……」
ブレナンは頷いてグラスから一口呑むと、
「新しいことといえば、殺しと関係あるかどうかわからない
わけだが、<Raptureラプチャー歓喜>という名の麻薬のことを
知らないか?」
「それでしたら存じております」トライポッドはそう応え頷いてから、
「最新流行のぶつで、なんでも誰でも気分をよくしてしまう上物だそうで、
食事やセックスや他の薬物や、痛みよりも強い快楽を齎すとか」
「痛みだと?」
「そうです、剃刀で自分を切ることで快楽を得るような連中が、それより
ずっといいと言ってたんだとか……」
ブレナンはそれに頷いて応じながら、
「例えばクリサリスがその薬物について、何か大きなおぞましい事実を
掴んだから殺されたとかいうことはないだろうか。もちろん単にそういった
麻薬が存在する事実以上のことに違いないが」
「そうですね」トリポッドは考えこみながらそう応え、
「サーシャの恋人の赤毛の女が、妙な蒼い唇だったのが気になりましたが」
「恋人だと?」ブレナンはそう言って、「サーシャに恋人がいたのか?」
と繰り返すと、
「ええ、ご存知ありませんでしたか?確かエジリィ・ルージュって名でしたよ。
とはいってあの盲目の男だけが特別親しかったというわけではなくて、他にも
恋人はいたようですがね。赤ちゃんプレイのようなことを好んでいたとか」
ブレナンは露骨に嫌な顔をしつつ、
「娼婦だったのだろうか?」
「まぁそんなところでしょうかね。何で稼いでいたかは知りませんが金回りは
よかったようですね」
「どこに住んでいるのだろう?」
「さてそこまでは手を回しちゃいません、見かけたというだけなのですから。
天使のような眼差しながら性悪で間違いないでしょう。
あの紅い瞳と身体は聖者ですら堕落させる代物でしょうね。、
片足でも突っ込んだら碌なことにならないことは請け合いです。
もっともこの三本脚では持て余すしかないでしょうがね」
「警察はそいつを放置しているのか?それともすでに取り込まれている
ということだろうか?」トライポッドは肩を竦めてから、
「かもしれません。唸るように麻薬を使えば、警察も少なくとも
気にしているくらいあってもおかしくはないというものでしょうが」
「どういった麻薬だろう?」
「例えばH、クラック、コーク、スピード、
Ludesルーズ、ポット、PKD、ダスト、それに
ラプチャーのような特製のものまで色々考えられますね。
もしその噂が半分でも本当のことなら、軍隊を一つまるごと天国へと
送ることができてしまうことになりますね」
ブレナンは、サーシャがエジリィのようなそうした性質の悪い女に
ひっかかっていると考えて眉間に皺を寄せながらも、エジリィの
手管にかかったと考えたらどうだろうとも考えていた。
例えばクインシィ、ワーム、それ以外も考えられるか……
「どこでたむろしているのだろう?」
「いくつかございますが」そう言ってトライポッドはいくつかの
クラブの名を教えてくれた。どこもあまり評判の良くない店ではあるようだ。
ブレナンはグラスの残りを飲み干すと、グラスを置くと同時に20ドルを
二枚そこに添えていて、「礼を言う」そう言って立ち去ろうとしたが、
思いなおして立ち止まり、振り返って丁度真ん中の脚につけたポケットに
札を滑り込ませたところだったトライポッドに、
「一つ聞き忘れていたのだが、ダグ・モークルという名に心当たりは?」
と言葉を投げかけ「モークルですか?そいつぁエースの名でしょうかね?」
と訊き返されたところに、首を振ってから言葉を返していたのだ。
「俺にもわからない」と。