ワイルドカード7巻 7月21日 午後7時

         ジョン・J・ミラー
           午後7時


ブレナンは一人チッカディを見渡しながら途方に暮れていた。
ジェニファーは外で待っている。
どうにも興味をそそられないと言って中には入らなかったのだ。
ともあれバーに入って、タラモアを頼んだ。
そうして沈黙の内に佇みながら、得るところのない雑多な思考を
締め出していると、、掠れた酔っ払いの声が耳に飛び込んできた。
「あんた、わしの娘の知り合いじゃなかったかね?」と言っている。
幾分苛立ちながら視線を向け、ともあれじっとその男を見てみると、
確かに話し方はジョー・ジョリィのものでありながら、姿は変わり
果ててしまっている。
顎がなくなっていて、鼻は豚のように突き出して、2インチ程の
犬歯がだらしなく緩んだ口元から飛び出していて、小さく丸い目は
数時間飲んだか泣きはらしたかのように紅く潤んでいる。
「何があったというんだ?」ブレナンがそう訊くと、
ジョリィは居心地悪げに肩を竦めつつ、
「わからない。昨日の夜バーに行ったんだ。
裏通りにあった店で、全身黒づくめのドアマンがいて、幾分妙な
感じの笑みを浮かべていて、中に招き入れられた。
何も心配ないだの何だの言っていたような気もするが、ともかく
そこで中の連中に娘の話をしてやったんだ。
いかに美しかったかにも関わらず、ウィルスでどんなことになって
しまったかとかね。
奴らはわしに酒を勧めて、娘がジョーカーになり果ててしまったことを
気の毒がって、それをもっと話すように言い出した。
そこでわしはステージに上がって、身の毛のよだつような話をして
やったんだ。
オクラホマでジョーカーがどう扱われて、いかに後ろ指を指されて
嗤われたかとかね。
奴らは笑って聞いてたかと思うと、突然叫び始めたんだ。
『今度はあんたの番だ!』とか言ってた。
それから用心棒のような醜い男が現れてバーから放り出されて、
気が付くと別の場所にいて、わしを見て笑う声がするじゃないか。
そこでわしは何が起こったをようやく悟っていた。
誰かがマスクをつけて、外せなくしたんだろうとね。
それで意識をうしなうまで浴びるように酒を飲んで、朝になって
バーにもう一度行けば、元に戻してもらえると思っていたんだ。
ところが路地にはバーはなくなっていた。
そこから消え失せてしまっていたんだ……」
そこで声は激しいすすり泣きに代わっていて、そこでブレナンが
いたたまれない気持ちになりつつ、ひどい状態になった男に
憐れみを感じていると、「ジョーカーズ・ワイルドだ。死者で
あろうとただじゃ出てこられない。入っちゃ無事じゃいられない。
変えられちまうんだ。しかも良くなったためしはないときたものだ」
という囁き声が耳に飛び込んできたではないか。
「助けてくれんか……」ジョリィが咽び泣きながらそう訴えている。
「何ができるというんだ?」ブレナンが気を静めてそう答え返すと、
「わしの顔を戻してくれまいか」またそう訴え返してきた。
ブレナンはかぶりを振ってみせてから、
「それはできない」穏やかに響くように心がけそう応えると、
「だったらボトルをおごってくれまいか。昨日の晩にむしり
とられちまったんでね。有り金も、顔もぜんぶ……」
ブレナンはその様子をじっと見つめがら、バーテンダーを呼び寄せて、
カウンターに20ドル置いて、ボトルが出されてくると、ジョリィは
それを掴み、小脇に抱え込むと、逃げるようにそこから離れていった。
ブレナンはジョリィが人混みの中に消えていったのを見つめていて、
そこに蒼い唇の女もいることに気付いた。
男とバーにいて、男が何か言うたびに笑いさざめいている。
そうして膝を太股で挟むようにして男に乗るようなかたちで
ぴたりと身体を合わせている、そしてしきりに指で髪をくるくる
まくようにして弄んでいる。
どうにも見覚えのある女だ、と思いながら、エスキモーのクインが
ラプチャーのお披露目をしていた夜に、そこにいたLoriローリィと
いう女のことを思いだしていた。
確か自らドラッグを試して、それがいかに安全で手軽かを見せて
いたのではなかったか。
ブレナンはタラモアのグラスを掴むと、バーの中を進んでいって、
同伴している男の前で立ち止まり、見上げてきた男に微笑み返しつつ、
「その女性に話がある」と告げると、
「いいんじゃないか、旦那」男はそう応え、
「ここには女ならたくさんいるからな」などと言っている。
そして男は女から身を離し、カウンター前の椅子から降りて、
ブレナンが代わりにそこに収まると、ローリィは男が立ち去るのを
見送ってからブレナンに関心を寄せてきたと見えて、青い唇と歯茎を
歪めて笑顔を作り出すと、その間から覗く白い歯と紅い舌が際立って
見えると思っていると、
「あまりみかけない顔ね」と声をかけてきた。
どうやらブレナンのことは覚えていないようだ。
そういえばあのときはメイ・ウェストのマスクをつけていたか。
「そんなところか」そう曖昧に応えると、
「まぁいいわ」ローリィはそう返し、その顔に笑顔が広がり、
瞳が輝いたと思うと、
「上にいきましょ、ハニー、経験したことのないものを見せてあげる」
と言ってきた。
「どういうことだ?」
「そこは信じてもらうしかないわね」ローリィはそう言って手を曳いて
ブレナンを椅子から下ろした。
ローリィは汗ばんでいるようで、身体から微かな匂いが漂っている。
あまり上等ではない香水でもつけているのではあるまいか。
そうして誘われた部屋は、懶惰な感じのするベッドのある小さな部屋で、
ローリィは後ろ手でドアを閉めると、幾分はにかみがちな笑顔らしきものを
浮かべていて、
「野暮は言いっこなし。仲良くしましょうよ、ね」と声をかけてきた。
そう言ってきたローリィに頷いてみせると、
「今のところは100ドルくらいでいいけれど、もう150ドル出せるなら
何か特別なこと、そう変わったことができると思うのよ」
「つまりどういうことだ?」ブレナンがそう応え、先を促すと、
ローリィは立てつけの悪い引き出しを開けて見せて、
ラプチャーと言うのよ、ハニー。とびきりの気分が味わえるわよ」
中の蒼い粉の入ったガラス瓶を見せている。
以前見たものと変わっていないように思っていると、
ローリィは中から取り出してみせたが、手の先から離したくないかの
ように弄んでいるさまは、ある種の魔法の王国の鍵であるかのように
思えるほどだった。
「それをどうすると?」ブレナンが近づいてそう言葉をかけると、
「どうするのかしらね?」そう言って迷いを振り切ったように
ガラス瓶に人差し指を突っ込んでから、色のついた唇に含んで、
青く染まった指を素早くしゃぶってのけた。
まるで極上のソースを味わうかのように。
「すでてが新しく感じられて、最高の気分が味わえるようになるの。
これをあなたのものにすりこんだら、世界が変わったような感覚を
味わうことうけあいだわ」
「危険ではないのか?」
ローリィは笑顔でかぶりを振ってみせ、
「心配ないわ。私がずっと使ってるもの」
そう応え、ブレナンに顔を近づけ、ゆったりと微笑んで、
「私はいつもこうしているのよ」ローリィはそう言って、
指でブレナンに絡みつくようにしてきた。
「そういうことか」ブレナンがそう言って距離を縮めると、
ローリィは焦点の定まらないとろんとした目をしながら、
ブレナンのジーンズの間に指を差し入れ、中を手探りし始めた
ところに、ブレナンは微笑んでみせてから、
「その必要はない」そう言って、ローリィからガラスの小瓶を
取り上げると、
「なんのつもり」と声を荒げたローリィに、
ラプチャーを使う必要もあるまい」そう言葉をかけると、
「その方がいいに決まっているじゃない」そう返された言葉に、
「変わったことなどしなくていいんだがね」
「使った方がいいのよ、本当にそうなんだから」
熱に浮かされたようなローリィの声を聞きながら、
クインシィの言っていた言葉を思いだしていた。
ある種の娼婦にとっても、セックスより良いものに感じることも
あると。
ラプチャーなしでどう違うと?」
ガラス瓶を奪い返そうと伸ばされた手を搔い潜り、そう応えると、
「ありきたりのものになるわね」吐き捨てるようにそう返し、
「退屈極まりないものになる、耐えがたく、冷たいものよ」
そう継がれた言葉に、
「食べることを比べるとどうなる?服用していないとどうなると?」
「スカスカの段ボールみたいに味気ないものだわ」
そういかにも嫌でたまらない感情をこめて返された言葉に、
「ワインは、シャンパンはどうなる?」と言葉を投げ返すと、
「ただのぬるま湯のように思えるわね、汚水よりましといった
ところかしら、それを頂戴!」ブレナンはガラス瓶を持ち上げて、
ローリィから遠ざけつつ、かぶりを振ってみせ、
「こいつがいるんだ。興味を持ってる友人がいるんでな」
そう言ってとりあわずにいると。
「大声で人を叫ぶわよ」そう言いだしたローリィに、
ブレナンはもう一度かぶりを振ってみせ、
「その必要はない。全部いるわけではないからな。
ともあれ縛らせてもらおう、聞かれたら奪われたと言えばいい」
「二本残しておいて。一本は後で使うから」
喘ぐようにそう漏らされた言葉に、
「いいだろう」と応えると、激しく頷いてから少し落ち着いたと
見えて、小さなブリキ缶からガラス瓶を取り出すと、ブレナンに
小さな鏡を手渡して、そこに映った自分の姿を見ながら、
鼻にガラス瓶につっこんだストローをあてがって、粉を
吸ってから、後ろにふんぞりかえって笑顔を向けてきたローリィに、
「それでどんな具合だ」そう言葉を投げかけると、
「いいわよ」夢見るようにそう応え、
「いいにきまっているじゃない」そう言葉が継がれたところで、
頷いて返し、ベッドに行くようローリィを促し、おとなしく座った
ところを見計らって、ベッドからシーツをはぎ取って、それを
使って、ローリィの口と身体を縛り上げていた。
そうしてその部屋を後にしたのだ。
ラプチャーが抜けた後でどんな顔をするだろうかとふと思いながら。