ワイルドカード7巻 7月22日 正午

ジョージ・R・R・マーティン
正午


「何がどうなっているんだ?」
ジェイは思わずそう呟いていた。
打ちひしがれたジョーカーの姿がそこにあった。
その言葉に応えるものはなく、
耳を貸すものすら、いはしなかった。
数多のジョーカーがそこにいるが、
みな一様に厳めしい顔をして、沈黙の内に
悲しみに打ちひしがれているのだ。
悲しみにくれた一人の年老いた男は、
何かを己に納得させようとしているように
思え、その後ろに目をやると、
他のジョーカー達もその感情を共有しているのが
見て取れる。
そうして一様に同じ方向を向いている人々を
目の当たりにしながら、ジェイは考えていた。
彼らにとってはこの衣装バッグの中身がどんな
意味を持っているか、ということを。
そうして衣装バッグをかけている肩から、
もう片方の肩に掛け直しつつ、ふと視線を
あげると、緑色のJell-Oジェローを思わせる
透明な皮膚を持つ巨体が横を歩んでいるのに
気づいて、
「どこに向かっているのだろう?」と声を
かけてみると、
「オムニだよ」と男は応えてくれた。
そして上空には浮き上がった女性がいた。
手も脚もなく、浮かんでいるさまは、
まるでヘリウムの詰まった風船のようだ。
と思っていると、
女は「赤ちゃんを失ってしまった」
そう叫ぶと、どんどん上に上って行った。
ジェイはそうして人の波に埋没しつつ、
進んでいった。
何千とも思える人々がゆっくりと、
オムニ・コンベンション・センターを
目指して進んでいるようだ。
そして横を進んでいる男からだいたいの
あらましを聞くことができた。
それによれば、今朝エレン(ハートマンの
奥方だ)が階段で脚を踏み外し、転落した
ことで赤子を流産してしまったとのことだった。
「ハートマンは大統領選挙から手を引くのだろうか?」
ジェイがそう声にだすと、電動の車いすに乗って、
歪な身体をぼろぼろの衣服で覆い隠した男が、
「下りるはずがない。我々を見捨てるはずがない」
と言葉を返してきたが、ジェイは何と応えていいか
わからないでいた。
彼らはピードモンドパークで野宿していたジョーカー達で
エレンの件を耳にしていてもたってもいられず、こうして
押し寄せてきたのだ。
アトランタの警官達は胡乱な目つきで遠巻きにみつめて
いるものの、まだ退去させようとはしていない。
76年のニューヨーク党大会と68年のシカゴにおける
暴動の記憶がまだ生々しく残っているということだろう。
党大会の会場周辺の路上はジョーカーでひしめいている。
歩道に腰を下ろしているものもあれば、会場周辺に
点在している草むらにや駐車した車に直接座っている者も
いるが、ジョージアの身を焦がすような日差しを浴びながらも、
おとなしく言葉を発するものもなく、オムニを見つめ、
叫ぶことも会話することも祈ることもなく、プラカードを
掲げてもいない。
そうして佇むさまは、まるで沈黙そのものが党大会
会場を覆っているように思えるものだった。
おおよそ一万数千人ものジョーカーが、熱せられた路上に
ひしめく苦行といっても差し支えない状況で、グレッグ・
ハートマンの失ったものに対して静かに鎮魂の意を表して
いるのだ。
ジェイ・アクロイドは細心の注意を払いつつ、彼らの間を
縫うように進みながらも、意識が曖昧になって薄れていくような
感覚を覚えていた。
なにしろ影に入れたものはわずか数百人という状況で、
脇には汗が滲んでいるというのに、帽子もない無防備な状態で
頭を陽光に晒しているのだ。
おまけに痛み止めを飲んで納まっていたはずの頭痛もぶりかえしてきて、
目の奥の鼓動が響くかのように、こめかみがずきずき痛み、そのうえ
吐き気までこみあげてきたではないか。
静かに腰を下ろし、涙を零している者もあれば、プラ製のマスクを
つけているものもいるが、それでも皆悲しんでいるのは見て取れた。
その中でジェイはいたたまれなく感じつつも、ここにいるのが誰で、
肩から吊るした衣装バッグに入っているのが何かも、そしてそれが
彼らの夢や希望にどのような意味を持つかなど誰にもわかりは
しないのだと己に言い聞かせたが、それでも気分に変わりはなかったが、
ともあれオムニの正面入り口のドアを目指すことにした。
そこには警備に人間がいて、代議員やマスコミの人間の出入りに
くまなく目を光らせている。
そこで時間の流れがままならずゆっくりとなったように感じつつ、
どんどん熱さもひどくなったように感じていると、TV局の人間が
小型のカメラを抱えて人の海ともいうべき姿を途切れなく切り
とっていて、上空ではヘリも飛んでいるようだ。
どうやらタートルもそこを飛んでいたようで、ジョーカー達同様に
静かに音を感じさせはしなかったが、シェルの影がわずかな慰めと
でもいうように、一瞬日の光を遮ったことで、その存在を感じとる
ことができた。
それから繻子の燕尾服に山高帽といういでたちの、小柄な黒衣の女が
姿を見せて、ドミノマスク(目の部分のみを覆ったアイマスク)越しに
人々を見渡したのが目に留まった。
あれはTopperトッパーだ。
政府お抱えのエースで、確かゴアのボディガードをしていたはずだが、
そういえばゴアは指名争いから脱落したのではなかったどろうか。
そこでジェイは、トッパーに気づいてもらって、この血染めの
ジャケットを手渡すことも考えたが、信用できるかどうかという
迷いが心をよぎった。
そういうばこの女はカーニフェックスとよくつるんでいたのでは
なかっただろうか。
そんなことを考えているうちに、トッパーは中に引っ込んでしまって、
替わって騒々しい代議員の一団の姿が開いたドアから見て取れた。
その内の一人はスペード型の顎髭をたくわえた巨漢で、その体格の
わりには軽やかに動いているように思える。、
この熱さの中では涼し気にすら思える染み一つない白い麻のスーツを
身につけた男に向かって、ジョーカーの中から「ハイラム!」と叫び、
力の限り手を振って見せると、
鎮魂の静寂を破る不謹慎な声に気が付いたハイラムが顔を上げ、
まるで波を割って進むカヌーのように、滑るように人ごみを抜けて
駆け寄ってきて「ポピンジェイ」と呼び返してくれた。
そして「おいおい、なんて面だ?」などと言いかけたところに、
「そいつは気にしなくていい……」
ジェイはそう言って、
「ハイラム、あんたに話がある」
そう言葉を継いでいたのだ。