ワイルドカード」7巻 7月23日 午前9時

       ジョン・J・ミラー
         午前9時


ブレナンが教会に入っていくと、丁度クオシマンが
ジ*ザス・クライスト・ジョーカーの受難の姿が
ステンドグラスで嵌め込まれた窓を拭いていたところだった。
そこで「おはよう」と声を掛け近づいていくと、
長い持ち手のついたsqueegee柄つきワイパーを床に
放り出し、それがまるで槍ででもあるかのように
もたれつつ出迎えてくれた。
そこで「烏賊神父に会いたいんだがね」と声をかけると、
ワイパーを握った手が落ちたと思うと突然姿を消していて、
まるで少し前の自分を静かに見つめているように上に
移動していて、ブレナンが冬の到来を予感させるような
冷たい風と、猛烈な悪臭を感じていると、
後ろに回した手でワイパーを握んだクオシマンから、
「あの方は中で瞑想しておられます」とようやく
応えが返された。
それは何も変わったことが起こっていないといった
平坦な声だった。
それにブレナンは頷いて返し、
「なら場所はわかるというものだ」
そう応え、行こうとしたところで、クオシマンが
傍に来て、手首を掴まれたかたちになった。
なんて冷たい手だろう、とブレナンは思っていたが、
クオシマンは気づいていないのか、気にしていない
様子のまま、「誰がやったかまだわからないのか?」
と声をかけてきた。
ブレナンがかぶりを振って応じると、
「まだ助けが必要か?」と被せられた言葉に、
「ないとも限らない、といったところか」と応えたところで、
手を離してくれた。
「ならば待ってる」そう言ってから、
「望みも捨てない」と言い添えていた。
もちろん諦めるつもりなどない。
ブレナンもそう思いつつ、単に頷いて返し、
先に進むことにした。
執務室でゆったりと瞑想している烏賊神父の姿を認め、
「おはよう、Seargeant軍曹」と声を掛けると、
静かに目を開き、顔を上げてブレナンを見つめ、
口の周りにぶらさがった触手を震わせて微かな笑みを浮かべて
迎えてくれた司祭に、
「どうやら昔のようには気配を消せていなかったようだな」
ブレナンはそう言葉を返すと、司祭の前にあるデスクの前の席に
腰を下ろしていた。
すると烏賊神父は快適な椅子でまどろんでいたと見えて
はにかみつつ頷いて、
「年をとるとはこういうことでしょうかね、以前より
よく眠れるようになりました」ブレナンはその言葉にこめられた
おかしな響きに微笑みつつ、
「俺も同じだよ、短い間ではあるようだが」と応えると、
「それを手放す必要はないのではありませんか、私のように
穏やかに過ごせるというものですよ」
「努力はしているさ」ブレナンはそう応え、
「禅寺にいったりもしてるんだ」
司祭の顔に浮かんだ驚きの表情を見つめ微笑んで、
「とはいえ良い生徒とはいえないようだ。
暴力というものは、それがまるで招かれざる闇のように着いてきて、
俺を覆いつくそうとする。しかも身を隠しても無駄ときたものだ」
「それはそうとして、神父と呼んでくれた方が落ち着くのですがね」
それにブレナンは肩を竦めて応じ、
「何と呼ぼうが変わりはしない。軍役には何度行ったんだったかな?」
烏賊神父は微笑んで、
「4回ですよ」と応えたところに、
「そんなに徴用されていたとはな」
「それは私だけではありませんよ」とこともなげに返された。
「拒否することもできたのではないか」とブレナンが重ねて訊ね、
Jokers Brigadeジョーカー兵団に入れられるなどというものは、
合法的に間引きされるようなものではないか?」
「それはそうでしょうが、悪い兵士でもなかったと思いますよ」
烏賊神父はそう言って微笑み返し、
「実際悪い待遇ではありませんでしたよ、羽や毛皮や触手が
あろうと、手に口が並んでいたとしても、誰も気にしません
でしたからね」
「戦友というのはそういうものだ」ブレナンは穏やかにそう応え、
「互いに信頼する以外にないというものだから」
そこでしばらく沈黙が流れた。
おそらく互いに15年ほど前の過去を思い返していたのでは
あるまいか。
「除隊後はどうしていた?」ブレナンがそう言葉を投げかけると、
「口にできないことをあれこれ、とはいってもどれもジョーカー
兵団にいたときとさして変わらないことをしていて、ジョーカー
タウンに腰を落ち着けることになりました。
実際他の国に比べれば、アメリカの方がジョーカーの扱いは
ましというものでしたからね」
そう言って大きな肩を竦めてみせると、
「いろいろしでかしましたが、実際そうした悪さが私の人生に
おいて善行より大きな比重を占めるのではないかと思えて
恐ろしくなることもあるのです」
「そういえば聞いたことがある」ブレナンはそう言って
「確かブラックドッグとつるんでいた中にスキッドフェイス
烏賊頭という名があって、気にはなっていた」
「それが私ですよ」司祭は不承不承そう応えると、
「あのときのことは後悔してもしきれないというものです。
我が同胞の名のもとに行われた身の毛もよだつようなあれこれは
懺悔しても消し去れないものです」
「誰でも間違いぐらい犯すものだ」ブレナンがそっとそう告げると、
「忘れることがないからこそ、善行をつもうとするのじゃないだろうか」
「そんなところです」司祭は瞬きをしたと思うと、
「だからこそ魂の救済を求めたのでしょうね、あなたもそうでしょう」
ブレナンは微笑んで
「あなたはそうかもしれんが、残念ながら俺には救済はふさわしく
ないというものだ。とはいえあなたの協力は必要かもしれんが」
「クリサリス殺害の件ですね」と返されて頷いて返し、
「どうにも手詰まりになっている。手がかりが見つからない中、
昨日あなたが受け取った形見分けのことを思い出した。
それにもしかしたらクリサリスが残した情報について
聞いていないかと思ってね」
烏賊神父はかぶりを振ってから、
「形見分けは札束が入ってスーツケースでしたよ。
おそらくあの方なりの贖罪のつもりでしょうね。
貧しい者達に施すよう望んでおられました。
そうですね、それで殺されたかもしれないわけですね」
ブレナンはその言葉を受け止めつつ、
「殺される理由といったことは何も話していなかったわけだな」
「もしそれが話されたとしたなら、懺悔の場においてでしょう
けれど、その場の話は漏らすことはいたしませんよ」
「それで殺した相手が野放しになったとしてもか……」
司祭は持て余したといったため息をついてから、
「例えそうとしたところでもです」と応え、
ブレナンは司祭を見据えたまま腰を上げると、
「だとしたらそれは変節というものだ」ブレナンはそう言うと、
「少なくともスキッドフェイス軍曹は、正義と名誉が、
あらゆる法や規範より優先されることを弁えていたはずだ」
「時によりけりですよ。Captain少佐。私とて自分がお粗末な司祭
ではないかと心から絶望することもあるのです、あなたの禅以上に
お粗末かもしれませんね」
それにブレナンは微笑んで返し。
「お粗末同士ということか」そう応えると、
司祭は触手を揺らして笑いころげ、
「あなたには敵いませんね」司祭はそう言うと、
「確かに、クリサリスから懺悔として話されたことはあなたに
話すことはできませんが、世間話くらいならお伝えしてもいいと
いのものでしょう」司祭はそこで思わしげに一呼吸置いてから、
「隣人がいるのですよ、ダニエル」烏賊神父はそう言うと、
「地下に隣人がね」烏賊神父は腰を上げ、
「それではお暇いたしましょう。10時のミサの準備がありますから」
そう言い添えていたのだ。