ワイルドカード6巻 その26

            ヴィクター・ミラン

            1988年7月19日
              午前10時


ラガーディアのコンコースにいる大勢の乗客が・・・

この色あせた黒いジャケットを身に着けた痩せぎすの若者が

動けるようスペースを作った・・・

汗のすえた匂いがするのみではない、あまり洗っていない

身体と服双方が匂いを強めているのだ・・・、

それでもマッキーは呼ぶ声に興奮冷めやらぬといった体で、

まったく気にもしていない・・・

マッキーを包む騒乱が、無意識の内に 泣き叫ぶ声の予感と

なって誘うようにすら感じられているのだろう・・・


そうしてマッキーが東ゲートに面したモニターを見上げていると・・

灰色の数列と文字が表示されていき・・・

乗って来た便が丁度飛び立ったことが示された・・・

その機体は偏光ガラス越しに、7月の朝日にさらされた雪片が溶けるかの

ようにその白い巨体を僅かな煌きと化してから消えていった・・・

チケットは紙ケースに入れたままだが、渡航パスは手に握られたまま

くしゃくしゃになりかけている・・・

ポケットにしまうことすらしたくはない、手から離したくないのだ・・

クリサリスは殺されて、ディガーは行方不明ときたものだ・・・

女一人を殺すだけですむならその方がいいだろう・・・

<あの女>のことは<あの人>から聞いている・・・

世界ツアーであの女のしでかした事柄を・・・

破局したにも関わらず、そのことを根に持って、

その意趣返しを目論んでいるというのだ・・・

可能ならば、手を振動させて切り裂き、血の海に

沈めてやりたいところなのだが・・・

あの人に止められている、今はそのときじゃない、

というのだ・・・

そこにきてバワリーの留守電に暗号の指示が下ったのだ・・

それはわずか30分前のことだった・・・

それでも飛行機の中が禁煙というのは気に入った・・

煙草は好かない、それがジョーカーならなお悪い・・

一度飛行機には乗ったことがある・・・

それでドイツから渡ってきて、あの人に近づくことが

できたのだ・・・

パスを持ち上げ、開いて顔の前でかざして見せたが・・・

赤い線がぼやけているようにしか思えはしない・・・

ドイツでまっとうな教育を受けたとはいえず・・・

実のところマッキーは文字がきちんと読めはしない・・

それでも英語を話すことはできる・・

母から学んだのだ、あの身持ちの悪い女から・・

チケットは東カウンターで受け取ったが・・・

駅員の顔には恐怖が滲んでいるのが感じ取れた・・・

そういえばあの女は黒いあばずれだった・・・

あの女も怯えた目をしながら、人をジョーカー扱いして

いたに違いないのだ・・・

女という奴はいつもそうだったのだから・・・

それにしてもあの人はおかしな人だった・・・

あの女に追いかけられても平然としていたのだから・・

女というものはそうするものということなのだろう・・

そう女というのはそうしたものさ・・

そこで母親のことを思い出さずにいられなかった・・

肥え太り、コニャックに溺れたあばずれだ・・

その口に咥えられたボトルの口のイメージが・・・

マッキーの中で黒い口に咥えられたにそれ変わっていって、

マッキーはそれを何度も湿った唇に咥え出し入れするのだ・・・

母は黒いやつとさかっていた・・・

いや誰とでも、というべきだろう・・・

ハンブルグザンクトパウリ 地区のリーパーバーン通り、そこでマッキーは育った。

誰かがあの女を殴るたび、あの女は酒びたってマッキーに手を上げたのだ・・・

あの女は、夫は復員兵だと言っていた・・・

ストックホルム出身のGIで、ベトナムに従軍したのだと・・・

将軍だ、とも言っていた、それはどうだろう・・・

マッキー・メッサーが性悪に育ったのは当然だ・・・

父が実際誰かしれたものじゃないのだから・・・

そして母に捨てられて、naturlichナチュールリヒ(独:当然だ)

女とはそうしたものだ、愛したところで、痛みを返すだけなのだ・・

ぼろきれか何かのように扱って捨て去ることだろう・・・

尻尾か何かを噛み切るかのように・・・

母が黒い巨大なそれを噛み千切るイメージを思い起こすと・・・

涙が迸って顔を濡らし、顎を伝って、トーキング・ヘッズのTシャツを

の襟を湿らせていく・・・

母は死んだのだ・・・あの女がまた痛みをもたらしたのだ・・・

イースタンエアライン、377便、Raleigh-Durham、アトランタ行の

搭乗を開始いたします、パスをご用意して、1から15番通路にお並びくださ

い」

天井からの声に応じ、指で涙と鼻を拭ってから大きな流れに加わった・・・

望む道に進むのだ、それでいいじゃないか・・・

そう己に言い聞かせながら・・・