ワイルドカード6巻 その33

              スティーブン・リー
              1988年7月19日
                 午後5時
 

グレッグは当然のことながら他の候補のほとんどをパペットにしている・・・
さほど難しいことではない・・・
数秒触れるだけでそれはことたりる・・・
名残を惜しむかのように握手をするだけでいいのだ・・
するとたちまちパペットマンがするりと橋をかけたようにその精神に滑り込んで・・
精神の洞に澱んで潜む欲望や感情の熾火に再び火を点てる・・・
そうしてリンクが築かれれば・・・
もはや触れる必要はなくなる・・・
とはいってもパペットマンを跳ばすことのできる距離は数百ヤードに限られていて・・・
それでもグレッグは選挙期間の間もパペットにした他の候補を巧妙に疑われることなく
配置につけて操ることができていたのだ・・・
それが予備選終盤にギムリがでてきてからはそうもいかなくなった・・・
なにしろパペットマンが手におえなくなって・・・
使うこと自体が危険となってしまっているのだ・・・


ことにジェシー・ジャクソンは実に魅力的で影響力が強く弁も立つ男で・・・
グレッグも一目置いていた牧師で・・・
これほど明白に対抗馬になる男はいない・・・
とりこんでしまえばその脅威はなくなる・・・
その男がまさに手の届くところにほぼ一人でいるのだ・・

この男は理想主義者ではあっても、目的のためには手段を選ばないという
タイプではない・・・
つけいるとするならまさにそこだろう・・・
グレッグとて経験から差別というものが身に染みている・・・
たいていの人間はそれにたいして同情はしても、けして立ち上がりはしないのだ・・
それがジョーカーに対する差別であろうと、黒人に対する差別でもさして違いはない・・
仮にパペットマンの能力が彼にあったとして・・
彼が候補になれたとしたところで、その差別ゆえにけして大統領になれはしないだろう・・
今回はという条件がついて、今はまだ、というにすぎないわけだが・・・
もちろんそういったことをグレッグは公に口にしているわけではないにしろ・・
それでもジャクソンほどその事実を身に染みて弁えている人間は他にいはすまい・・
それゆえに・・・
彼の予備選における身の振り方というのが興味深くあるのだ・・・

そんな風に考えていると・・・
パペットマンが己を解き放とうと内でぐずり始めたではないか・・・
押さえ込もうというのは間違いではあるまいか・・・
解き放ったほうが話が早くなるのではあるまいか・・・

その逡巡を他所にジャクソン師父はグレッグに向かい合う形で、
ゆったりした革の施された肘掛椅子に腰を下ろした・・・
仕立てのよい黒いズボンを履いて、首には高価な絹のタイをきつく締め・・・
選挙事務所にしたスイートで傍らには秘書がいるが無関心なふりをしっかりと
装って・・・
彼の二人の息子も木の椅子に掛けて控えている・・

「バーネットはジョーカーが権利を得ることなど鼻で笑っているのでしょうね」
グレッグはそう話を切り出して続けた・・・
「そうしてことの根幹を曖昧にして人々の関心すら失わせようとしていていると
いうのに、私一人ではその流れを止めようがないということなのです」
ジャクソンは口元を人差し指でさすりながら信じられないというように言葉を
搾り出した・・・
「つまり上院議員は私に協力を仰ぎたいと・・?
一旦表向きの討論が終わったところで、よくある裏取引をなさるというのですか・・
バーネット師父と私はなんら相容れるものはないとしても、政策の現実味というもの
くらいは理解できる・・・
ジョーカーの権利条項というのはあなたの十八番ではありませんか、上院議員・・
そんな条項に頼らなくとも、あなたはこの国の有望な大統領になれるでしょう。
つまるところ、あなたの一番の問題は、党の意向というものに耳を貸さないところに
あるのではありませんか・・・」
ジャクソンはそういって悦に入っているように思える・・・
      俺に任せろ、出してくれ
パペットマンの怒りを感じる・・・苛立っているのだ。
自制を揺るがして、ジャクソンの鼻っ柱に一撃をくらわしたがっている・・・
 手を出すな、なぁにほんのしばらくの間だよ、私で充分だ  


そういってパペットマンを押し戻して、束の間の内なる葛藤を見透かされないように
シートに深く腰を沈めてみせた・・・
ジャクソンはそんなグレッグを見つめている・・じっと・・注意深く・・
肉食獣を思わせる・・・危険な射抜くような目で・・・
グレッグは汗がまつげに滴り始めるのを感じていて、当然ジャクソンも
それに気づいていることだろう・・・
「選挙があるから言っているのではありませんよ」
パペットマンから意識をそむけてそう切り出した。
「私はジョーカーに手を差し伸べたい、あなたの人種が受けているに等しい
差別を受けている人々にです・・」
そこでジャクソンが頷くと、秘書がコーヒーの乗ったトレイを持ってきて
二人の間に置いた。
「アイスティーかね、違うのか?まぁいいか」
ジャクソンは一口飲んでからグラスを置いて、何かを
測りかねた様子で、いぶかしげに考え込んでいる・・・
俺なら解き明かせる、そしてその感情を操れるだろう・・・
             黙れ
  俺が必要なんだろ、グレッギィ、なぁそうだろ
そうしてパペットマンを抑えている間にジャクソンが付け入ってきた。
「・・・噂を耳にしたのですよ、上院議員、あなたは支持者に対しても
強硬な考えをお持ちではないのですかな?
それだから彼らに怒りを爆発させたのではありませんか?
たしか76年のことで、完全に我を失っておられたと伺っていますよ・・・」
頭に血が上り、ジャクソンをやりこめたい猛烈な意思にさらされながらも・・・
そうすることがジャクソンの思う壺であることもわかっていた・・・
激昂させることこそがジャクソンの狙いなのだ・・・
強い自制で笑みを浮かべて応じることにした。
「常にそういった中傷にさらされてきたではありませんか・・師父、
あなたもそうだったのではありませんか・・
もちろん私にも強硬な面はありますが、それは強く信じるものに対して
のみです・・」
「それでも批判に対しては怒りをお感じになられるでしょう・・」
ジャクソンは手をひらひらさせながら笑みとともに言葉をぶつけてきた。
「私とてそうです、上院議員、私とて公民権運動に対してのいわれなき
非難に対しては同じ反応を示すかもしれませんね・・」
そうしてジャクソンは机の上に肘を据え、顎の下で指を組んでから続けた・・
「それでは上院議員、あなたは何を求めておいでですかな?」
「もちろんジョーカーの権利条項ですよ」
「それで私に何を求めておいでですかな?」
「ジョーカーに対する人道的見地から賛意を表明していただきたいのです」
「もちろんジョーカーのことには深い同情を禁じえませんよ、上院議員・・
それでも権利条項に対しては条件をつけるべきではないと考えています。
私が闘うのは抑圧されたすべての人々のためであって・・そのために
全力をつくすことを支持者に約束しているのです・・
あなたのように特定の利益にこだわっているのではありませんよ」
そこでジャクソンはグラスを取って、一口飲み下してグレッグをみつめながら
反応を待ち続けている・・・
「わかりました」グレッグはその言葉をようやく搾り出して続けた。
デヴォーンとローガンに条件の話をしましょう、もしあなたサイドの代議員に
協力いただけるならば、アラバマ州の最初の投票の際にこちらの代議員からも
強く推薦するというのでいかがでしょうか?」
アラバマは重要ではないのですか、あなたの支持母体の10%はアラバマの代議員
ではなかったですか?」
「その10%をあなたに進呈しようというのです、アラバマではあなたはバーネットの
次点に甘んじていますからね、重要なことは南部の票がバーネットからあなたに流れる
ことで、そうなればあなた自身にも利があるというものでしょう」
「あなたにも利があるわけだ」ジャクソンは肩を竦めつつもそう指摘してのけた。
ミシシッピィでも次点に甘んじていますよ」
この野郎が
そう内心舌打ちしながらも平然と応じることができた。
「そこも確認しなければいけませんね、おそらく同様に便宜を図ることができるでしょう」
ジャクソンはしばし躊躇いいつつも、息子たちをちらりとみてから、再びグレッグに視線を戻して言葉を
搾り出した。
「考慮する必要がありそうですね」
みすみす逃すというのか?これ以上の要求は呑む必要があるまい、
俺ならば譲歩なしで同意を得させることができるだろうにな、そうしないのは間抜けというものだぜ、
なぁグレッギィ・・・

「あまり時間がありませんね」
グレッグはとっさにそう話してから後悔することになった。
ジャクソンの目が細められて、グレッグは失言を取り繕わねばならないような意識にかられた。
「もちろんジョーカーだけというのではありませんよ、師父・・
この法案が通るということはいわば象徴となるでしょう、抑圧された人々の言葉が聞き届けられた
象徴にです・・・そのために手を携えるのですよ」
上院議員、あなたは良い人道的見地をお持ちのようですね」
こいつを俺に任せろ・・・!
「どうも時々情熱を抑えかねるときがありましてお恥ずかしい限りです」
困惑は隠せない様子ながらも、ジャクソンの瞳から怒りの感情は感じられなくなっている。
手遅れになるぞ
黙れ、手を出すな、私自身で対処できるというものだ
俺を出すんだ、いますぐに
すぐにすむというものだ、黙っていろ
「わかりました」
師父がそう言葉をかけてきて・・・
「支持者たちと相談にかけることにしますよ、上院議員、おそらく協力できるでしょう」
片手を差し出してきた・・・
グレッグはその手をとった自分の指が震えているのを感じながら必死で抑えねばならなかった。
俺の獲物だ!俺に任せればいいんだぜ!
内からゆすられているのだ・・・
叫び爪を立てて自制をとりはらおうとしているのだ・・・
ジャクソンと握手を交わしながらも、グレッグはパペットマンを抑えることに神経を集中せざるを得ず
そうしているうちにリンクは途切れてしまったのだ・・・
上院議員、具合が悪いのではありませんか」
グレッグはジャクソンに弱弱しい笑みを向けてから答えた。
「心配には及びませんよ、師父・・・
いささか空腹を覚えてはおりますが、それだけです」
やっとのことでそう答えることしかできはしなかったのだ・・・