その6

         ヴィクター・ミラン
         1988年7月21日
           午前9時


そのときは問題ないと思えていたのだ・・・
気がついたら眠気眼を擦りながら機械的にインタビューを
こなしていて・・・
日曜日の第三面に載る補足記事のようなあるいはタンク機関車が
給水のために停車するような小じんまりした街で10時に
流れているような・・・
ようするにありふれた話ばかり集めていたのだ・・・
アメリカでジョーカーとして生きるのはどういうことか?
報道と呼ぶのも憚れるような・・・
下世話な話・・・
死亡したスペースシャトルの乗組員の身内からの話
どのようにレイプされたか?

とかだ・・・
もちろん報道がどうとか言っている場合じゃない・・・
生き残るために行動すべきだろう・・・
それに気づかれずに動けるというのもいい点ではある・・・
ここで寝起きしているジョーカー達はカルフォルニアにアイダホ、
バーモント州から来ているものもいれば、わずかながらアラスカや
ハワイから来ているものまでいる始末だ・・・
新聞を良く読む者なら名前くらいは知られているかもしれない・・・
何しろワイルドカード問題についてはそれなりの権威として知られる
身ではあるのだ・・・
とはいっても顔が売れているわけではない・・・
誰もがコニー・チャンの顔は知っていても、セイラの顔自体を知って
はいないし、セイラ自身もそれでいいと思っているところがある・・・
とはいえここにはジョーカータウンから来ている古い友人が多くいるのも
確かだ・・・
彼らがどういった反応を示すかということに考えが及んでいなかったの
だから・・・
毛で覆われた鉤爪状になった手で肩を捕まれて強引に振り向かされる
までは・・・
あれは二人の子供を連れた母親のジョーカーに話を聞いていたときだった・・・
この女性はかつて死肉をあさるような連中からひどい暴力をふるわれていたと
いうことだった・・・
「なんのつもりだ?」
セイラはなかばパニックになりながらその声を聞いていた・・・
きっとあいつだ、どうして銃を持ってこなかったのだろう、リッキィ、嗚呼リッキィ
だがそれもその声の主が誰だかわかるまでのことだった・・・
見紛いようもない・・・
身長6フィートの丸い頭から尻尾の先まで毛皮に覆われた黒い湿った鼻に
丸い耳を突き出していて、お腹周りだけ銀色となってその周りを黒い毛が
覆っているその女の顔を・・・
アニメに出てくるフェッレットを擬人化したような女が・・・
ハートマン陣営のスローガンの書かれた緑色のちょっきのみを着て
立っている・・・
どうしてノーマルじゃなきゃいけない?
ナットをランチに
といったJJSがよく口にする過激なやつだ・・・
そうだ・・・
たしかセントマリーのスカートに野暮ったい青い格子縞のシャツを合わせて着た
まだ十代のイタリア娘がいたのを覚えている・・・
そいつに初めて出くわしたのは、ドウボーイの釈放運動をしていたときでたしか
まだ14歳でなかっただろうか・・・
Mustelinaムステリーナね」
つい軽く声をかけていた・・・
「あら久しぶりね」
「ここで何をしていると聞いてるんだ、このbitchくそ女」
、その突っ掛かる様子を見ているとおかしくなってきた・・・
アニメだとあの下顎に兇悪に突き出た牙は描かれていないだろうが・・・
そんなことを考えながら尋ね返した・・・
「どういう意味かしら?」
かなり長い間ジョーカー達とつきあってきたのだからこの
程度の女相手でひるみはしない・・・
こういう手合いは餌食になる生肉を求めてさ迷っているものだ・・・
幸いジョーカータウンならば鼠にことかくことはあるまいが・・・
ともあれそうこうしている内にジョーカー達が集まってきた・・・
大概のジョーカーは素性を隠すようにマスクをつけているものだが・・
ジョーカータウンから来た連中はその歪な姿を誇示するよう練り歩く
傾向があるとみえる・・・
ざっとみただけでGlowbugグローバグにMr cheese、それに
固い殻に覆われたピーナッツの姿が確認できたが、その瞳は穏やかならざる
光を宿しているようだ・・・
彼らは友人だと思っていたが・・・
どうやら今はそうでないとみえる・・・
「我々をバーネットに売り渡して今度はどうしようというのかね?」
信じられない思いで瞬きしつつ聞き返していた・・・
「何の話かしら?」
「グレッグ上院議員をおとしいれようとしたじゃないか」
額のところが白く塗られ、目のところにふちどりのあるカブキの
マスクをつけた男が南部訛りでそう決め付けてきた・・・
「ハ−トマンを裏切ったんだ」それはムステリーナの声だった・・・
「我々を裏切っておいて、よくおめおめとここにこれたものだな」
「そうとも、裏切りものだ」そこに次々と声が被せられていった・・・
「ナットだからな!」
Fucking Jew bitch***のメス豚が!」
なんとか顔をそむけようとしたが・・・
至る所から声がぶつけられきて・・・
その歪んだ顔に囲まれているさまは・・・
まるでホクサイにゴヤ、ボスの地獄絵図に迷い込んだかのようだ・・・
どうしてこんなところに来てしまったのだろう?
ハートマンは彼らの味方ではないか・・・


突然ムステリーナの顔が視界から消えて・・・
15フィート向こうに転がっている・・・
まるで紐から外れたかんしゃく球のように・・・
丸めて放り投げられたように見える・・・
見上げると騒乱の坩堝と化した人ごみの中に
白い巨体が浮かび上がるように視界に飛び込んできて・・・
そのぽっちゃりした手を差し出してきた・・・
青白く輝く未調理のDough(ドウ:パン粉)のようなその手を・・・
「大丈夫ゼイラ(Sが発音できずThと発音している)」
幼子のような舌のもつれた声だった・・・
「あ安全なとこ連れてく」
セイラがその手をとると、よろけた足取りながら
庇うように傍に来ると・・・
人々がひるんだのが見て取れた・・・
もちろん暴力を奮うわけではないが、600ポンドの
体重に3〜4人分の力を秘めている、その前にたっては
ただではすむまい・・・
Mechanoメカノのところでデレビ見た」
それはドウボーイの声だった・・・
「怖い話をししてて、みんなう裏切り者とい言ってた」
見上げると、その月のような色をした顔があって・・・
歯も唇もない顔で笑顔のようなものを浮かべている・・・
「ぼくたちともだち・・ゼイラ悪いことシしないの知ってる」
セイラはそっと抱きしめて、そのまま歩き始めた・・・
ここはハートマンに操られた人間がセイラを襲うのに恰好の
場所だろうから・・・
遅まきながら状況が身に染みる・・・
ドウボーイが来なかったらどうなっていたかを・・・
おかげで人々は遠巻きに見つめるだけで道をあけている・・・
「ゼイラさん、またキャンディくれるよね」
そして言葉を続けた・・・
「誰もキャンディをくれないんだ、ジャイナーさんいなくなってから」
そうして立ち止まって視線を向けて言葉をついだ・・・
「ジャイナーさん、いつ戻ってくるかな?」
「戻ってこないのよ」そう優しく声をかけた・・・
「知っているはずよ」
あれは1月のことだった・・・
エルドリッジのアパートでシャイナーさんが倒れているのを
見つけたのはドウボーイ自身だったのだから・・・
担架に乗せられて救急車でジョーカータウンクリニックに
運ばれたがその傍を離れようとせず、泣き続け助けを求め続けて
いたものだった・・・
誰も引き離すことはできなかった・・・
そのときにはドクター・タキオンでさえも手の施しようがなかったのだ・・・
ボタンのように丸い目に涙が溢れた・・・
「会いたい、さ寂しい」
背伸びしてだきしめようとしたセイラを見て、
ドウボーイは屈んで、ようやく首に手を回すことができた・・・
「わかってる、わかってるわ」
セイラも涙を流しながらそう応えていた・・・
「助けてくれてありがとう、今度はキャンディを持ってくるわ、いいこね」
そして頬にキスをしてから身を離して歩き始めた・・・
決然と振り返りもせずに・・・