ワイルドカード6巻第五章その1

       スティーブン・リー
        1988年7月22日
          午前6時


そろそろ闇に薄明が照り始めるころ合いだろうか・・・
エアコンは寝惚けたたちの悪い獣と薄闇に跳ね回る悪魔が競って
天井を目指しているかのようなひどい音を立てている・・・
グレッグは手の震えと不安衝動の高まりを感じながら、それに
耐えかねて叫びを上げてしまっていたのだ・・・
「グレッグ?」傍でエレンがそう囁いて・・・
やさしく腹部をさするようにして言葉を継いだ・・・
「まだ6時だわ、寝てなくちゃ駄目な時間よ・・・」
「わかってはいるんだけどね・・・」
そうしてようやく言葉を片言絞り出したものの・・・
次に口を開いたらまた叫んでしまうのではないかと恐れていると・・
頬をぴしゃりとはたかれて・・・
ゆっくりとパニックが薄れていきはしたが・・・
その影を色濃く感じたままでいると・・・
肌の下をぬらぬらとのたくるようにして・・・
パペットマンの意識が立ち上がってくるのを感じていると・・・
「党大会なんてもう終わってくれるといいのにね・・・」
そうエレンが声をかけてきた・・・
「ひどい状態なのはわかっているよ、エレン」
そう再度応え目を閉じてはみたものの・・・気持ちはまったく静まらず・・・
瞼の裏でまぼろしが踊っているようにすら感じられるしまつだ・・・
「どんどん崩れていっているように思えてならないんだよ、あらゆる
なにもかもがね・・・」
「グレッグ・・あなた・・」
エレンが手を広げ、包み込むようにしてグレッグを抱きしめていた・・・
「やめてちょうだい・・ストレスを感じすぎているのじゃないかしら・・
だったらいっそのこと、タキオンに会って何か処方して・・・」
「いらないよ・・・」
激しく遮るように言葉を重ねてしまっていた・・・
「医者にどうこうできることじゃないからね・・・」
エレンはそれで怯えたように離れはしたが、すぐにグレッグに視線を戻して
言葉を継いだ・・・
「私はどうなの・・」と・・・
その声を虚ろに感じながらも・・・
「わかっているよ・・・」
とため息交じりに応え・・・
「わかっているとも・・・私の持てる最上のもの・・・それが君だよ・・・
理想的なまでに・・・私の望んだままにね・・・」
わずかな間・・・
ほんの一瞬といって差し支えない間・・・
洗いざらいぶちまけてすべてを終わりにする・・・
そんな考えがよぎりはしたが・・・
パペットマンが内で蠢いて・・・
ものそんな考えなど一掃してしまった・・・
話すことなどできはしない
そうして囁いてくる
そんなことをさせてなるものか、と・・・
「心配のしすぎなのよ・・・指名されなかったとしてもそれが何なの・・・
今年は駄目でも、92年ならいいとこまでいくのじゃないかしら・・・
待てばいいのよ、かえってこの子を育てる時間が持てるというものだわ・・・」
そう言ってエレンは勇ましく微笑んでいる・・・
そうして些か夢見るような顔をして言葉を継いだ・・・
「男でも女でも忙しくなるわよ、今はまだ小さいけれど・・・ささやかな幸せと
いうのもいいものよ・・・」
エレンはそういってグレッグの手をとり、日増しに目立ってきている腹部にその
手をあてがって・・・
「どうかしら?」エレンがそう訊ねてから言葉を継いだ・・・
「たまに中からお腹を蹴られることもあるのよ、そうしてどんどん大きく・・・
強く育っているの・・・意識もあるのじゃないかしら・・・
パパに挨拶しようとしているようだわ・・・」
そう囀るように投げかけられた言葉を聞いて・・・
その通りだったらどんなにいいことだろう、と思わないでもなかったが・・・
そうもいくまいという思いも消しきれないままに・・・
あの忙しい世界旅行を共にきりぬけてきたのだった・・・
という感慨とともに・・・
エレンの言葉を受け入れようとする考えが自分の中にあることを驚いてもいる・・・
確かにその通りなのかもしれない・・・
暴力や憎悪ではなく・・・
そうした日常があってもいいではないか・・・
エレンの妊娠を知って数か月立つうちに・・・
そんな風にも思えるようになっていたのだ・・・
すべてに嫌気がさしていたということだろうか・・・
エレン同様に新しい生命を迎えることを望んでいる自分もまた存在しているのだ・・・
そうして夢想するのだ・・・
誇りとされ頼りにされる父親になるという日々のくることを・・・
そうなれば内にある他の存在も幸福を共有することすらあるかもしれないじゃないかと
そう考えていたところだったのだ・・・
今はまだ小さいけれど・・・
誇りも愛も希望すらも・・・
パペットマンの望むままに遠ざけてきたのだ・・・
そうして触れた指先からかすかな動きが伝わってくるのを感じたとき・・・
だんだん大きくなっていくのよ・・・


火箸にふれたかのようにびくっと一瞬手を放していたのだ・・・
そうして言葉は段々大きくなっていく・・・
知っているぞ
パペットマンが内でそう断言しているではないか・・・
こいつに覚えがあるというのだろうか・・・
パペットマンがゆっくりと鎌首をもたげ・・・
ここ数か月かすれて弱々しくなっていたあいつの痕跡を告げているのだ・・・
段々強く、大きくなっていくのよ・・・
Oh my god(なんてことだ)!」そう声にだして囁くと・・・
胎児が再びエレンのお腹を蹴るのが感じられて・・・
パペットマンが滑り出てそれに触れていた・・・
そして理解したのだ・・・
エレンの中に育ちつつある胎児の本質というものを・・・
感情が綾なす複雑なパターンというべきものを・・・
それはグレッグにとって馴染みの深いものであったのだ・・・
そういえばあいつは言っていたではないか・・・
違う、死ぬわけじゃないんだぜ、姿を変えるだけだ・・・そして戻ってくる・・・、と。
「まだ信じられないでいるのよ・・・」
エレンはそう言って微笑んでいる・・・
「新しい生命が・・・育っているのね・・・
私たちのこどもが・・・
私のお腹の中で・・・」
グレッグはその感覚に慄きながら・・・
その腹部と自分の手を見つめながら・・・
「そうだね・・・」とようやく応えていた・・・
「まだ信じられないでいるのだよ・・・」
そう言葉を継ぐと・・・
「どんな子が産まれてくるのかしら・・・」
エレンがそういってグレッグの手を叩くようにして言葉を継いだ・・・
「あなたそっくりな子になるのかしらね・・・」と・・・
そんなことはありえない・・・
そう己に言い聞かせながらも・・・
あっていいはずもない・・・
グレッグにはわかっていたのだ・・・
それが間違いである、ということが・・・