第五章その9

       メリンダ・M・スノッドグラス
           午後3時


         「止めなさい」
雑誌をめくる音が気に障って思わず声を荒げていたのだ。
「どうして?」口答えするブレイズの声も跳ね上がって聞こえる。
タクはブランディを含み、気を静めるようにしてから応えた。
「考えをまとめなければならないのです、いらいらさせないで
いただけますか」
「自分でションベンしてて、ブルっとしても文句言うんじゃないの?」
「ブレイズ、お願いですから……」
顎の下に受話器を挟んで、セイラの部屋に電話しているが、
誰も出てこないまま、
コール音ばかりが響いている。
何度も何度も、
テーブルをこつこつ叩いて、通話を切ってデスクに戻すと、
ブレイズの雑誌が目前をよぎっていった。
まるでうろたえ騒ぐ鳥のようにバタバタ音をたてて、
「あんたのまぬけ面を眺めているのにも飽きたんだ、出ていきたい
と言ってんの」
「あなたにはそれは許されていませんよ」、
「CIAでも来てあんたを引っ張っていってくれたらいいのに、
もちろんそんな姿見たくないけどね」
少年はそう言ってニィっと笑ってみせた。
Goddamnyouなんてことを」
そう言って拳を振り上げ、振り下ろしかけたところで、
ノックの音が響いて出てみると、
外にハイラムとジェイ・アクロイドが立っている。
ハイラムの顔色は蒼く死人のようで、
一方のアクロイドの貌は青痣まみれで膨れ上がっているようで、
そこからは何の感情も読み取れない。
タキオンは背筋が凍り胃がきりきりいうような緊張感にとらわれながら一歩下がって
二人を中に招き入れると、
ハイラムがよたよたと窓辺まで歩いていった。
どうやら普段行っている重力を制御して体重を軽くすることをしていないらしい。
スイートの床からどしどしいう足音が響いているのだ。
アクロイドはソファーに腰を下ろしているが、両足の間に衣装バッグを置いて
下げている。
三人の間に沈黙が蜘蛛の巣のように広がるのを感じていると、
アクロイドがドアの方を向いて頭を垂れつつ言葉を絞り出した。
「子供は外してくれないか」と。
「そりゃないでしょ」
「ブライズ、行きなさい」
激昂してブライズがそう言いかけたところにぴしゃりと言い放ったが、
「その扱いは不当というものでしょ?」
とブライズは祖父に対してにやにや笑いながら言葉を返してきたのだ。
「行くのです、Damnyouなんと聞き分けのないことか」
「あぁあ、ようやく面白くなりそうだったのにね」
ブレイズは手の平を上に向けて、肩を竦めるようにしてから、
「まぁ別にいいけどね」
そういって出て行ったが、ドアの閉じた後、場を支配したピリピリした沈黙に
耐えかねて、
「それでハイラム、これはどういうことですか?」
と訊ねてみたがハイラムからは返答はなく、
「血液検査をして欲しいんだ、ドク、それも今すぐにね」
とアクロイドが言い出した。
その状態に苦笑しながらともかく室内を手で示して、
「ここでですか?」と言葉を返すと、
アクロイドは渋い顔をして、
「茶化さないでくれないか、こっちはくたびれ果てている。だから相手をしてるゆとりも
ないんでね」
そう応えてバッグを開いたアクロイドの指は心なしか震えているようだった。
「こいつはシリアで、ハートマン上院議員の着ていたジャケットだ」
タキオンはそこに染みついた赤黒い染みを見つめながらも、
これ以上はぐらかすことはタキスの名誉に反するということも悟っていた。
これでセイラの話したことの真偽も明らかになるのだ。
「なぜこれがあなたの元にあるのですか?」そう訊ねてみたが、
「話せば長くなる」
アクロイドはそう言ってからさも辛そうに言葉を継いだ。
「一言でいうなら、クリサリス絡みだ。
これはあの人の遺したものなんだ」
タキオンは余計なこととはわかっていたがつい口を挟んでいた。
「それで何を調べればよろしいですかな?」と。
「ゼノヴィールス・タキス―A(ワイルドカードウィルス)があるかどうかだ」
その言葉に、反射的にドレッサーに向っていて、そこから取り出して一口飲んでから
そこに戻して、
「どこにでもあるジャケットではありませんか、例え陽性の反応が出たところでそれが
なんだというのです」
そうようやく言葉を絞り出すと、
「そうとも、その通りだ」
ハイラムが苦し気にそう同意を示して、
アクロイドを睨みつけるようにしながら言葉を継いでいた。
「あの方のものでは……」と。
「ここがシリアでなくて、あんたの部屋だとしても、こいつが上院議員の、いや
ハートマンのジャケットであるのは紛れもない事実だ」
その言葉に思わずワーチェスターの顔色を伺いながらも、
「私にどうしろというのです?」と言葉を絞り出してはみたが、
「他にどうしようがある?」
とアクロイドから返された言葉は断固としたもので、
「あったらどれほどいいことか」
そう嘆き合わずにはいられなかったのだ。