第五章その12

        ウォルトン・サイモンズ
            午後5時


スペクターは病院の待合室にいて、リーダーズ・ダイジェスト
眺めている・・・
座った長椅子は赤く固いビニールで作られていて、銀色の粘着
テープで補修されているようだ・・・
上を見ると、蛍光灯の灯りがちかちかと揺らめいていて・・・
ここには独特の臭気が感じられる・・・
消毒薬と病の匂いといった病院で感じられるものとは異なる
匂い・・・
ジョーカーの発する歪さを感じさせる独特の臭気だ・・・
おそらくこの街では彼らを受け入れるのはここだけなの
だろう・・・
若いが疲れた目をして柳のようにやせ細った看護婦が現れて・・
「お会いになるそうです、205号室においでください・・・」
手に持ったボードから顔も上げずにそう告げていった・・・
スペクターは立って、背伸びをしてから・・・
すりきれたリノリューム張りの床を進んでいきながら・・・
契約は反故にしようと決めていた・・・
バーネットやその取り巻きどもをに与してホワイトハウスに送る
義理などないのだから・・・
報酬はすでに受け取っているのだ・・・
こいつを元手にしてどこかで新しいスタートをきることもできる
だろう・・・
先ずはティーネックに帰って落ち着いてから旅立つとしよう・・
地球儀を回して、指さしたところに行くのもいいな、そう映画で
見たように・・・
その能力をいかせる場所ならどこにでもあるというものだろう・・
追ってがかかるかもしれないが構うものか・・・
そんなことよりともかくトニーの顔を見て快方に向かっているのを
確かめてから次の便でジャージーに帰るとしよう・・・
そう己に言い聞かせ205号室のドアを軽くノックしてから少し
開いて中を覗くと・・
トニーは目を開けて微笑んでいるが、歯はやはり何本か折れている
ようだった・・・
「どうぞ・・」
その声に応じて中に入り窓際の椅子に腰かけた・・・
トニーは片方の目をガーゼで覆っていて、もう片方の目の下には醜い
痣ができていて、頬と額には縫い目が見える・・・
唇は腫れていて青白くなっている・・・
「ここから連れ出して欲しいんじゃないか?」
「そいつは明日にしといてくれないか?医者からはまだ本調子では
ないから今晩までは安静にしといた方がいいと言われているもんで
ね、だからもうしばらくはあの方と同じ病院で・・・」
そう言いかけて目を瞑ったトニーに、スペクターは頷いて言葉を
かけていた・・・
「話すのも、辛いのだな?」
「瞬きしても痛むんだよ、そういうことさ」
トニーはそういってから身体を起こしてから言葉を継いだ・・・
「あんたも大分やられたのじゃなかったか?」
「俺は心配ないよ、目的はあんただったんだろうな、まったく連中と
きたら厄介なものだな・・・」
スペクターはそこで首を振ってから言葉を継いだ・・・
「歯医者にいったら喜ばれるだろうな、いいおもちゃというものだから・・」
そこでトニーは少し黙り込んでから話を変えてきた・・・
「エレンさんのことなんだがね・・・」
「知ってるよ、<ハートマン夫人の流産>は本日の第一面を飾っていたからな、
おっとちぃと無神経な物言いだったか?」
「いや構わんさ、俺とてこの話を聞いて、党大会を有利に運べると考えたくらい
だからな・・・」
そこでトニーは鼻を掻く仕草をして渋い表情をつくって見せてから言葉を継いできた・・・
「悲劇といえば悲劇だが、それに見合った効果もあったというものだろう・・・」
スペクターはベッドの脇にある置時計に視線を向けてから言葉を返した・・・
「そろそろおいとまするよ、トニー、野暮用があってね、また会えたらいいんだがな、
俺はいつもあんたの方をペンシルバニア通り(ホワイトハウス)の連中より高くかって
いるからな・・・」
「それじゃついでにひとつ頼まれてくれまいか?」
「いいよ、なんだい?」
「マリオットに置いてきたものがあってね、おそらく今晩にでも指名があるだろうから、
指名受諾演説の原稿を書きあげてしまいたいんだ、部屋の寝室から黒いブリーフ書類カバンを
とってきて欲しいんだ、中にノートパソコンやCDプレイヤーが入っているんだが・・・」
トニーはベッドの上に腰かけながら可能な限り真剣な顔を向けて言葉を継いだ・・・
「エレンさんの不幸は事故だとしても、暗殺者の影がちらついているとも聞いている。
気はすすまんが、あんた以外に頼める相手が思いつかなくてね・・・」
「おいおい、みくびらないでくれないか、あんたの部屋から荷物を持ってくるだけだろ、
鼻歌まじりにできるというものさ・・・」
「それじゃ頼むよ、多分警備の人間がいるだろうから、彼らに言伝を書いておこう、
そいつを見せれば中にいれてくれるだろうから、それと受付にいる看護婦を呼んで
預けてある部屋の鍵をあんたに渡さなくちゃな・・・」
いやとはいえない状況になっていた・・・
断りたいにも関わらず出た言葉は・・・
「いいだろう、なぁにそんなに待たせはしないさ、渋滞でもあれば話は別だがな」と
応えていたのだ・・・
トニーは微笑んでいる・・・
裂けて紫色になった唇にもかかわらず、その笑顔は実に魅力的なものであったのだ・・
そしてスペクターの手を取って振りながら・・・
「チームは健在ということだな・・・」と言ってきたではないか・・・
「そうとも」とスペクターはそう応え、紙とペンを手渡してから言葉を継いでいた・・
「あんたを出歩かせるわけにはいかないからな、そうするにはマスクが必要な面だがな」
と言うと、トニーは肘で小突いてきて・・・
「それはいい考えだな、ジム、マスクか、ジョーカーの権利を擁護する立場を表すには
それもいいかもな・・・」
トニーはそっとスペクターを促して手を上げて・・・
「いつの日か、アメリカ市民のすべてをマスクをつける日がくるかもしれないな、それは
人より劣った人々に対する労りか何かを表すのかもな・・・」
スペクターは少しの間沈黙してから応えた・・・
「それにはまだ一働き必要だろうな」
「かもな、だが俺は信じてるよ」
トニーはそういって言伝を書いて・・・
「すぐに戻ってくるからな」スペクターはそう応え、振り返りもせずに部屋を出て行った
のだ・・・