第五章その13

    メリンダ・M・スノッドグラス
         午後6時


電子顕微鏡の画面の上には、ワイルドカード特有の
水晶に似たパターンが映し出されていて、
Jesusなんて」
アクロイドから息を飲んで感嘆する言葉が続いていた。
「美しいんだ」と。
タキオンはアクロイドの背中を擦りながら、
「そうです、そうなんですよ」
と応じたが、アクロイドは渋い顔のままだ。
「このウィルスは我々タキス人の美意識に基づいて
創られたものですからね」
そう言ったところで突然ハイラムが倒れこんできた。
どうやら気を失いかけたようで、アクロイドの上にのしかかっていて、
「アクロイド!」と声を立てていた、
そうして互いにハイラムの手を掴んでいて、
タキオンも手を掴んで、そっと床に下した。
そこでハイラムは顔の前に手をかざし、
「すまない、急に目の前が暗くなったものだから……」と
もごもご謝りだした。
タキオンはフラスクに手を伸ばし、ハイラムの口に当てると、
ハイラムはブランディを一口飲み下し、
手を両脇にだらりと垂らしたさまは、
さながら首がガラス細工でできていて、体重を支えることが
できなくなったかのようで、
その様子に首筋に目をやると、目立つ大きなかさぶたのような
ものができていて、
タクが注意深く額に手を当てると、
突然ハイラムがびくっとしように背筋をのばしたところで、
「ところで俺も一口やっていいか?」
と顎でフラスクを示しながらアクロイドが声をかけてきた。
It‘s been a Hell of a weekまったくやれやれだ」
探偵はそう悪態をつくと、それがアダムの林檎であるかのように
ブランディを呷ってからため息をついて口を拭っている。
「疑いの余地はないのか?」
ハイラムは懇願する目を向けてそう訊ねてきたが、
「ありませんね」と応えると、
「たとえあの方がエースであったとしても、
だからなんだというんだね。
認めはしないだろうし、気づいていなかった
ということもありうるだろう」と言ってきた。
そこで三人の間に沈黙が流れたが、
タキオンは膝を抱えて蹲り、思わせぶりに天井に視線を
向けていた。
エレン・ハートマンの病室はここから三階上にあるのだ。
失った子供の夢を見ながら、夫が秘密のエースどころか冷酷な
殺人鬼であるかもしれないなど思いもしていないのではある
まいか、まさか全て承知でもあるまいに。
そこでジェイが咳ばらいをしてから声をかけてきた。
「でどうするんだ?」と。
「どうしたものですかね」そうため息をついて応えると、
「そうも言ってられんだろう?」と返されてきて、
「私とてすべての問題を解決できるわけではありませんよ」
と応えると、
「これ以上の証拠になる何かがあればいいのだがね」
そうハイラムが口を挟んできたが、
「これ以上の証拠がどこにあるというんだ?」
アクロイドはそう言って顕微鏡を親指で指し示している。
「あの方は何か過ちを犯しただろうか?」
「クリサリスを殺させたじゃないか!」
怒りのまま二人が鼻をつき合わせるようにして言い争いを始めて
しまった。
「あの方が過ちを犯したというならその証拠が必要だと言っている
までです」
ハイラムは不意に思いついたとでいうようにそう言い放ったが、
「これがその証拠というものだろう」
アクロイドも譲らず、そう叫んでスクリーンを指し示している。
そこでタキオンがたまらず
「もうそのくらいでいいでしょう」
と声をかけたところで、
ハイラムがタキオンの肩を掴んで、
「あの方のところに行って、話してみたらどうだろうか?
何か納得のいく言葉を聞けるかもしれないじゃないか?
これまでのあの方の行いを考えればありうる話ではないかね?」
「そうかもな」
言葉に滲んだ毒を隠そうともせずにアクロイドがそう言い放って、
フラスクから一飲みしてのけたところで、
「第一そんな話が知れたらどれだけの痛手になると思っているんだ」
ハイラムがそう叫び返して、
タキオンに嘘を聞かせるだけじゃないか?
そうでないとどうして言える?」そう切り出したジェイに、
「私に嘘は通用しません」
そう応えたタキオンの肩から手を放し、
一歩下がったハイラムに対して、
できるだけ気丈な風を装って、
威厳をこめるようにして言い聞かせていた。
「私が彼に会うということが、何を意味しているかはわかって
いますね?」
その言葉にハイラムの瞳は憐れな光を湛えていたが、それでも
ゆっくりと頷いていた。
「そこで私が彼のこころを読んで知ったことはどんなことで
あろうとも受け入れる覚悟があるのですね?」
「ええ」
「精神を読んで得たことは証拠として認められていないことも
ご存じですね?」
「そうなりますか」ハイラムがそう応えたところで、
意を決してジェイに向き直り言い放っていた。
「ミスター・アクロイド、そのジャケットは処分していただけますね」と。
「待てよ、こいつが唯一の証しじゃないか?」
「まさか公表するつもりですかな?
考えてもみてください、そんなことをしたらアメリカ中の
ワイルドカード保菌者がどうなるかということを」
「だがクリサリスは殺されたのだぞ、このままじゃ何の罪もない
エルモが代わって裁きを受けることになるんだぞ」
タキオンは髪をかきむしるしぐさをしてから
「なんて忌々しいことを言ってくれるやら」
と言葉を絞り出すと、
「俺にもどうしようもないんだ。それに俺はクリサリスを殺した人間を
そのままにしておくつもりはないからな」
「それは血と名誉にかけて誓いましょう、私とてエルモをこのままに
しておくつもりはありませんからね」
「それじゃどうするというんだ?」
「さてどうしたものか?」
タキオンは顕微鏡のスイッチを叩くようにして電源を落として、
そこに置かれた血の染みの滲んだ繊維を流しにおいて洗い落としてから
ドアに視線を向けると、
隣りに立って同行の意思を示してきたハイラムに手で制し、
「それはいけませんよ、ハイラム、私は一人でいかなければね」と
言葉をかけていた。
「それであのチェーンソー男が現れたらどうするんだ?」
そう訊ねたジェイに、
「それくらいの覚悟ならできています」
そう応えていたのだ。