その20

    ウォルター・ジョン・ウィリアムズ
          午後7時


痛みは思ったより強く、頭から脚の先まで、全身の神経に
筋肉、肌全体に及ぶまで焼け付くように感じられて、
脳は超新星と化し、心臓はターボ装置のように脈打って
いて、目はまるで溶けてしまったように感じるなか、
全身の細胞が火を噴き、DNAの螺旋が生来のコードに
逆らおうとしている。
ブラッククイーンだ、ジャックには理解できていた、
ブラッククイーンを引いたのだ。
身体が痛みに抵抗して感覚を閉ざそうとしているのを
僅かずつ感じていると、
巨大なビルのブレーカーがすべて落とされたかのように
突然痛みは止んで、
驚きの表情のまま横たわっている自分の顔をみつめて
いた。
殺し屋の男が傍にいて、
ジャケットを脱いで頭を覆い隠すようにして被っている。
ずたずたになった顎からの血も止まったと見える。
「おい!」ジャックはそう声に出して呼びかけて、
掴みかかろうとして、
「止まれ」とはいってみたものの、
男がすり抜けるようにして離れていったところで、
「よぉかっぺ君」
そのアール・サンダースンの声に驚いて顔を上げると、
アールはジャックが最後に見た時よりは若返って見えて、
ラトガースを卒業したくらいの歳で、階級章を外した
空軍の制服、332番航空隊のフライングジャケットに
黒いベレー帽に長いシルクのスカーフといったいでたち、
ブラックイーグル、学者にしてスポーツマン、公民権
闘う法律家にしてエース……もちろんジャックの親友だ。
「やぁアール」ジャックがそう返すと、
「遅かったな」アールはそう言ってから言葉を継いだ。
「さっさとここから飛び出そうぜ」と。
「俺は飛べないんだよ、アール、あんたとは違うんだ」
「遅かったじゃないか、かっぺ君」
アールはそう言ってにやにやしながら、
「遅いぜ」と呟いている。
驚いたことにジャックの身体も浮き上がっていて、
マリオット・マーキスがどんどん遠ざかっていき、空に
向かっていった、どうやら太陽に向かっているらしい。
太陽がどんどん輝きを増していくなか、
「なぁアール」と声をかけて、
「これはどういうことだろうか?」
「遅かれ早かれわかるというものだよ、かっぺ君」
そう声が聞こえる一方で、
日の光が眩しくて、光ももはや黄色というより白く感じる
ようになって……色がすべて消え失せたところで……
そこには多くの人がいることに気付いた。
共に朝鮮に出征した第五分隊の仲間たち、父親や兄までも
浮かんで共に空に昇っていく中で、
傍らにブライズ・ヴァン・レンスラーが寄り添うようにして
はにかんだ表情を向けている。
「なんてこと、脈がとまってる」
その声で妙な言葉が伝わってくるではないか。
「心肺停止しました」
「何だって?」そう訪ねブライズに視線を向けると、
そこには白いリネンのスーツを着たアーチボルド・ホームズも
いて自信に満ちた表情を向けながら、パイプにつめた煙草に火をつけ
紫煙を燻らせている。
「ミスター・ホームズではありませんか」
「丁度よかった」ホームズ氏がそう言って言葉を継いできた。
「気道を確保しよう、酸素バッグはあるかね」
「どうして光ったり消えたりを繰り返しているのかしら?」
「本当に何を言ってるかわからないんだが」
肩を竦めてそう応えたものの。
「酸素吸入を開始したまえ」ホームズ氏の声が続いていく。
エピネフリン(副腎ホルモン)を気道から投与してみよう、
アトロピンも数ミリ投与したほうがいいか」
見回すとアールがブロンドで片目を隠した脚のすらりとした女性の腰に
腕を回して佇んでいて、
ジャックの肩を叩いてきた。
「レーナ・ゴルドーニ嬢だね」
ジャックはそう言葉をかけて、
「写真で見たことがある」と言葉を継いだが、
「心房細動が起こっていますが」
レーナもまたわけのわからないことを言ったところで、
「反応が弱いな」アールもそう言葉を被せてきて、
何かを振り払うように首を振って、
「かっぺ君の反応が鈍い」
スカーフを強風に靡かせてそう言っている。
デビッド・ハーシュタインがいないことを除けばまるでフォー・エーシィズの
同窓会だな。
そんなことを考えながらも、彼らに対して自分のしでかしたことを思い出し、
詫びようかとも考えたが、彼らが皆一様に幸福な顔をしているのを見て
思いとどまることにした。
他にも多くの人々が周りにはいる、名を忘れたりもしているがすべて知って
いる顔だった。
類猿人ターザンに出ていたチンパンジーのチェスターまでいて誰かの肩に
乗っていて、
「300ジュール投与」と喋りだし、
「CPR(心肺)が停止した、動け、ちくしょう、動いてくれ、ロイス、柵が邪魔だ、
どかしてくれ」と言っている。
そんな声をよそに光はどんどん大きくなって辺りを包み込んで、
心臓が軽く感じられたところで、ようやくアールが何を言っていたか理解することが
できた。
「360」と猿が叫んでいる。
「動け、動け!」と尚声が続いている。
そこでジャックは手を広げて、白い光の中に飛び込もうと身構えたが、
不意にうまくいくだろうかと躊躇してしまった。
身体の動き自体が遅くなっているように思えたのだ。
急がねばなるまい、決死の形相で白い光を睨んでいると、
白い光からも声が聞こえてきたではないか。
「なんて弱虫だ」そう聞こえている。
「このままくたばっちまうのか?」と言葉が続くなか、
ジャックは咳き込んで目を開けると・・・
ジャックを囲んでいる人々の姿が目に飛び込んできた。
男に女もいる、いずれも良く知っている顔だった。
グレッグ・ハートマンの私服警備員たちが救急救命道具を持ち出して
何かしているようだった。
鳩尾が痛んで咳が止まらないが、血まみれのコンクリートの壁と
上に張り出した傾斜のきつい階段の手摺が見えている。
「心拍正常」一人がそう言って、
「脈があります、動いています」
そう聞こえた声はアーチボルド・ホームズのものだった。
そこで歓声が沸き上がって、背の高いブロンドの女が無線に話している
声が聞こえてきた。
「救急車が向かっているそうです」
その声はブライズのものだった。
「またうまくいかなかったか・・・」
そう言いかけたがうまく話せやしない。
喉に何か管が差し込まれているのだ。
「いつもそうだ」そうぼやいたつもりだったが、
そこにとどまることはできなかった。
意識が弱まっていたということもあるがそれどころではなくなったのだった。
なにしろ救急救命隊が到着して、
そのまま運ばれていったのだから……