その11

   メリンダ・M・スノッドグラス
       午前11時


  「誰かつけてきていないか?」
タクシーに乗り込むやいなやタキオンはバック
ミラーを睨みながらそんなことを言い始めた。
アクロイドはタキオンの腕に手を添えながら、
「おいおい、落ち着いたらどうだ、今更そんな
ことを気にしてどうなる?」
探偵はそう言いながら財布を取り出して、
「グレイのダッジを振り切ってくれていたら
さらに50ドルはずんだんだが、後ろにいる車三台
といったところか……」などとぶつぶつ言っている。
そう聞いた黒い男は苦笑していたが、
探偵が13ドル渡したのを確認したところで、
タキオンも財布を取り出して運転手の胸ポケットに
チップを差し込んでアクロイドの膝を叩いてみせると、
タクシーはそれに呼応するかのようにスピードを
あげたままいきなり激しく左にカーブがきられて、
ブレーズが喜んできゃっきゃっと笑い声をあげている
さまはまるで猿の子供のようだ。
そう考えて、
K`ijdadパリでもこんな具合でしたね……」
思わずタキオンはそう零したが、
K’ijdadって?」そう訊いてきたジェイに、
「お気になさらずに、ただでさえあなたは
私の秘密を知りすぎていますからね」
タキオンのその言葉に、ジェイは後ろを
振り返りながら、
「まだ巻き切れていないようが、
さほど心配はないか」などと言っている。
「それでこれからどうするつもりですか?」
緊張に胃のきりきりするのを
その上を抑えた手で感じていると、
アクロイドはこともなげに、
「まだ<長いおわかれ*>には早いという
ことだろうな……」と応えたところで、
前方にモーテル6の看板が見えてきた。
「セイラはまだあそこにいるのですね」
そうタキオンが呟くと、
「やれやれ、ニューヨーク・フィル合唱団も
全員いて、ドジャースもいるかも知れないぜ」
そう茶化してきた探偵に、
「これは笑い事ではないのですよ」と返すと、
「ほうそうかい、だとしてもなるようにしか
ならんさ……」
探偵がそう応えたところで、
タクシーが街路に入って、タイヤの軋みと共に
停車すると、三台向こうにいた車も停車したよう
だった。
ジェイは肩越しに残りの10ドルを突き出すように
してから部屋に入っていくと、
セイラはベッドの上で、足を組んで背中を丸めて
枕を抱いたままテレビを見ていて、
ポリアコフはというとしばし呆気にとられた顔を
してはいたが、
ジェイがドアノブを掴んでバタンと扉を閉め、
鍵をかけると、
タキオンはセイラに視線を据えて、
セイラの手を引いてベッドから降ろすと、
ブレーズも何事かをが察したかのようにロシア人の
手にしがみついていた。
「説明している時間はないのです、ハートマンに
知られた以上、追っ手はかかっているというもの
でしょうから」
タキオンはそう言い放ち、セイラの首筋に手を
伸ばし、手品のようにドレスを脱がせると、、
セイラは叫びをあげて、手で前を隠していた。
そうしてブラだけの姿となったセイラに、
「シャワー室に入るのです、急いでください、
それから出てこないことです、それで時間を
稼げるというものでしょうから……」
バスルームに促されたセイラのブラを素早く
外したところで、
慌ただしい足音が外から響いてきた。
ポリアコフは観念したらしく神妙な顔つきで
「もう時間がないな」と言っている。
「ええ、ジェイがあなたをアトランタから
無事脱出させてくれることでしょう。
お願いですから、ブレーズ、離れてください!」
そう懇願していりると、水の跳ねる音が聞こえて
きて、ポリアコフが少年の肩に手を置いて、
そっと自分から離れさせると、
「開けろ、出てこい!」とノックの音と共に
声が響いてきた。
どうやらビリィ・レイの声のようだ。
「急いで!」そのタキオンの声に促されるまま
アクロイドが手で銃のかたちをつくると、
ポリアコフは消えていた。
ポン、という音と入れ替わるように。
それからタキオンは部屋に駆け込むと、引き出しから
ウォッカの瓶を出して蓋を開けてから、
身を投げ出すようにベッドに飛び乗ったところで、
ドアが吹き飛ばされてビリィ・レイが飛び込んで
きた。
ジェイはその前に立ちふがって後ろのブレーズを庇う
ように立っている。
信じられないことに司法省所属のエースである
ビリィの手には44マグナムが握られているではないか。
タキオンが口を大きく開け、間抜けな顔でそれを見て
いると、
「おい、あいつはどこにいる?」と訊ねたビリィに、
「あいつってのはどいつだ?」とジェイが恍けたが、
Assholeくそったれが!」
悪態と共に突き出された手に押されるようにして、
ジェイが後ろに下がると、
レイはクローゼットに手をかけて、扉を留め金ごと
引きちぎって、中の衣類を巻き散らすと、
ベッドに胡乱な視線を向けてから、バスルームの
ドアへずかずかと進んでいくではないか、
タキオンは中指を曲げて人差し指に重ねながら、
祖先の魂が近くにいてうまくことが運ぶように
導いてくれるよう願っていると、
「そこにいるのだろ、出てこい!」
レイのそんな声に被せるようにして、水の流れる
音と共にセイラの声が響いてきた。
「せっかちな坊やたちだこと」と。
その強い南部訛りの感じられる声を耳にしながら
タキオンは再び祈らずにはいられなかった、その
言葉に虚勢を感じているのは自分だけであるように、と。
レイが構わずにカーテンを引き開けると、
セイラが悲鳴を上げたのち、気まずい沈黙が流れは
したが、
頬のはたかれる音が響いてから、レイは再び部屋に
引き返してきた。
頬には平手の跡がはっきりと見て取れて、水をかけ
られたと見えて、その白いユニフォームをずぶ濡れ
にした姿で、
「ここにいたに違いないんだ、あのロシアの野郎は!」
荒い息もそのままにそう言い放ったレイに対し、
ジェイはタキオンに視線を向けたまま、
「ロシア人だって、誰かロシア人を見かけたか?とさ。
あんた、ロシア女にでもかつがれたんじゃないのかい?」
怒り狂ったエースに薄ら笑いと共にそうからかってのけると、
「それじゃなんで素直に出てこなかったんだ?」
そう言い募るレイに、タキオンはため息をついて、
ボトルの中身を大きく呷ってから応えていた。
「女を買ったところを、記者にかぎつけられたかと
思いましてね」と。
「餓鬼をつれてそんな真似をしたのか?」
そう言いつつ、手に44マグナムを持ったままブレーズを
手で示したレイに、
「銃は降ろしていただけませんか、万が一でも暴発しないと
も限りませんからね」
「誰が撃たないといった?質問に答えたらどうだ?」
神経質な咳払いをしてからタキオンは応えていた。
「そろそろ知ってもいい頃合いだと思いましてね」と。
そしてモーテルを見回すようにしてから言葉を継いでいた。
「上等な部屋とは言い難いですが、女自体は悪くない
たまです、私も自分で試しましたから。
そういえば私が父から女をあてがわれたのは14歳の誕生日
のことでしたね……」と。
その言葉を聞いたレイは黙って出て行った。
自分で壊した扉を通って、
「14歳だって?まじか?」
そう訊ねたジェイに、
悪戯っぽい笑顔と共にタキオンは訊ね返していたのであった。
「さてミスター・アクロイド、どうでしょうかね」と。




*探偵フィリップ・マーロウの台詞
「さよならは随分前に告げてある、孤独で先のない、
哀しく長いお別れを・・・」をもじったもの・・・