その4

    メリンダ・M・スノッドグラス
        午前10時


タキオンがグレッグのスイートに入って、後ろ
手でドアを閉めると、ちょうどグレッグは
サムソナイトの旅行鞄に荷物を詰め込んでいたが
顔を上げていて・・・
「ドクター!」そう声をかけられ・・・
「こんなに早く来てくれるとは思わなかったな、
ついさっきエーミィに呼び出すよう頼んだばかり
だったからね・・・」そう言葉を継がれたが・・・
「あなたに対する負い目があるとお思いかもしれ
ませんが・・・」
異星の男は己を保つよう肩をきつく握りしめて、
ペイズリー織の鮮やかなブルーの絹のシャツの
くしゃくしゃになったレースの襟の上に顎をつき
だすようにして・・・
そうした頑な態度をとりながらも、タキオンからは
明らかに衰弱しきっていることが見て取れた・・
肌は蒼褪めているし、目は落ちくぼんでいるのだ・・・
そこでグレッグはタキオンが切り落とされた方の
手を後ろに隠しているのに目をとめて・・・
「私は自分のしたことに罪の意識を感じてはいません、
何度でも喜んで同じことをするでしょうね・・・」
グレッグはその言葉に頷いて返し、旅行鞄を閉じて
留め金を掛け、鍵をしっかり閉めてから・・・
「これから病院に行ってエレンを迎えにいくところ
なんだ」きわめて打ち解けた様子でグレッグはそう
言っていて・・
グレッグは荷物を床に下ろし、手で座るように
示してみせられたタキオンが腰を下し、菫色の瞳に
全くの無表情を装っていると・・・
「さて、この茶番に幕を下ろさないか、とっとと
終わらせよう、他に会わなければならない都合も
あるからね・・・」
グレッグは何とか主導権を握ろうとそう言って
見つめ返したが異星の男はその鋭い視線を瞬き

すらさせず揺らがない調子でいて・・・
「何も言うことができないのかね、わかっている
のだよ、まだ話すことができないでいるのだろ?」
その瞳を曇らせて暗に不快感を滲ませているタキオンに・・・
「そうとも、あんたは言いはしないさ」
グレッグはそう言い募り・・・
「あんたが記者に私のことを話すということは、
バーネットが正しかったということを証明する
ことになるからな、政府を陰で操り糸を引く秘密の
エースの存在が明らかにされたなら、ワイルドカード
保菌者に対する恐怖はいやますというものだろう・・
ナットどもが己の身を守るために何かをしなければ
ならないと言い出すだろうからな・・・
話すがいいさ、ドクター・・・
古き法などというものは自由な無秩序に席を譲ることに
なるだけだ・・・
わかっているのだよ、20年ものつきあいがあるからな、
あんたがどう考え、どう行動するかなどはお見通しだ、
そうとも、あんたは話さない、だからあんたは昨日
あんなことをしでかしたのだろうからね・・・」
「その通りです、あなたの言う通りですよ・・・」
タキオンはため息をついて、腹部をそこが痛むかの
ように抑えてみせながら・・・
「結局のところ、私は自分を縛る規範というものを
はみだしてしまいましたから、古い規範ではなく、
新しい規範に基づいたとしても、それは軽挙でも
きまぐれでもなく・・・
他人を殺害したものは、その報いを受けねばならない、
という考えに基いてのことです」
そこでタキオンは再び纏わりつつある失意と気怠さを
振り払うように首を振ってから・・・
「船は星に辿り着かねばなりません、そうでなくては
何一つ行うことはできなくなりますから・・・」
「一体どういう言い回しだね、<覆水盆に返らず>を
表したタキスでのものかね?」
グレッグは部屋の中をふらふら彷徨いながらもなんとか
タキオンの前に立つと・・・
「ともあれこれだけは言っておきたい、私がやったわけ
じゃないのだよ・・・」グレッグはそう言って・・・
パペットマンのやったことだ、ワイルドカ−ド能力だ、
すべてワイルドカードのなしえたことだ、私ではない、
あいつを内で飼うということがどういうことだかあんたに
はわからないだろうね、内で蝕まれ壊されていったのだ、
私自身ではどうしようもなかったんだ、しかし今はそれ
から解放されている、新しいスタートが切れるというもの
だろう、再び始めることできるというものだ・・・」
「何ですって?」そう叫んで言葉を遮ったタキオンに・・
「そうとも、パペットマンは死んだんだ、あの演壇の前でね、
ディマイズがそいつを取り除いてくれたんだ、さぁ私の精神を
探ってみるといいよ、ドクター、そこで何を見たか話してくれ
るといい、もう何の心配もありはしないんだ、もはや悪魔は
存在しない、あんたに操られたときにはすでにね、私は解放
されていたのだよ」
グレッグはタキオンの手に取りすがり、目を潤ませて・・・
「私は良い大統領になったかもしれないのだよ、ドクター、
最も偉大な大統領になったかもしれなかったんだ・・・」
グレッグはそう言葉を被せてきたが・・・
タキオンはその瞳に揺るがぬ意思を込め・・・
「グレッグ、パペットマンなどは存在しなかったのです、
どこにもパペットマンなどいはしなかった、いたのはグレッグ・
ハートマンあなただけです、あなたの弱さそのものと言っていい
でしょうね、あなたの精神の最も暗い一面を糧にして異星の
ウィルスがもたらした能力にすぎません、ですから問題は
ウィルスにはないのですよ、グレッグ、問題はあなたが他人の
痛みを食い物にする、その嗜好なのです、その嗜好に対する
罪の意識に対する言い訳として、あなたは闇の人格を作り出すことで、
己の精神が穢れ無きまっとうなものである振りができると考えたの
でしょうね、その子供騙しな理屈で自分自身をも欺いていたのです」
その言葉にグレッグは頬をぶたれたような衝撃を感じながらも、
タキオンの言葉を覆そうと怒りを露わにしつつ・・・
「死んだのだ!」グレッグは感極まったようにそう叫んでいて・・
「それを証明することだ、さぁやるがいい」グレッグにそう促されるまま・・
「頼む、私の精神に入って、そこで見たものを話してくれないか・・」
タキオンはため息をつきながら目を閉じて、グレッグから目を背けるように
その前から離れ、しばらく沈黙を守って窓の前に立ったところで・・・
再び目を開け再びグレッグを見つめつつ、不思議と同情する感情を滲ませて
いるタキオンに・・・
「わかっただろ、言った通りではないかね?」グレッグは安堵したような
笑みを浮かべつつ・・・
パペットマンは昨日死んだ、そうだろう?そうとも清々したというものだ」
グレッグはそうして笑い出したくなるような激情に包まれつつ、一旦深く
息を吸ってタキオンの表情を伺っていたが、タキオンは強い意志を崩さず
その視線を受けている、そこでグレッグは再び口を開いて・・・
「そんな莫迦なことがあってたまるものか、いかに間抜けで飲み込みづらいと
したところで、これが真実なんだ、實に申し訳ない話しながらね、だって
そうじゃないかね、私は実際のところ、パペットマンギムリのせいで自分の
子供まで失っているのだよ・・・」
「聞いていなかったのですか、パペットマンなどいません、ギムリはとうの昔に
死んでいますから、もちろんギムリもいはしません・・・」
グレッグはその言葉を飲み込むのにかなりの時間を要したようだったが・・・
「何だと?」怒りに縋るかのようにもがくようにして・・・
「何を言っているのかわかっているのか?ドクター、ギムリの肉体は死んだかも
しれないが精神は生きていたんだ、そして私の子供の体を見つけ出してそこに
入り込んでしまったんだ、私の頭の中からね、実際あいつは私からパペットマン
制御をほぼ奪ってみせて、私を脅してみせた、パペットマンに私の人生を台無しに
させることができると言って・・・」そう被せてきたが・・・
ギムリは死んでいます」タキオンは無情にもそう繰り返して・・・
「すべてあなたの作り出したまぼろしです、パペットマンを作り出したと
同じように作り出されたまぼろしにすぎないのです」
「嘘だ!」グレッグは怒りに顔を赤くし、そう叫んでいたが・・・
タキオンは冷たくその感情を受けとめながら・・・
「私はあなたの精神に入っているのですよ、もはや何の秘密もありはしません、
あなたは自分の人格を切り離していたにすぎません、あなたが己の行動の責任を
多い被せる人格としてパペットマンを作り出し、その罪の意識が手に負えなくなると、
今度は次の言い訳をつくりだしたのです、つまりそれがギムリです」
「違う!」グレッグはそう叫び返してきたが・・・
「そうなのですよ」タキオンは辛抱強くその感情を受け止めながら・・・
「何度でも言います、ギムリなど存在しなかった、もちろんパペットマンもです、
すべてあなたのやったことです、あなたが自分でやったことなのです」
ハートマンはその言葉を乱暴に振り払うように首を振り、瞳に縋るような光を
滲ませて、痛みと傷をみせびらかすようにして・・・
「違うんだ!」己に言い聞かせるようにして・・・
ギムリがそこにいたんだ」
恐ろしいものを見つめるように目を見開いて・・・
「私は・・・私は自分の子供を殺してはいないはずだよ、ドクター」
そう言い募っていたが・・・
「あなたがやったのです」タキオンはグレッグの瞳にその傷が見えるように
感じながら、その魂を切り裂くように言葉を被せていったが・・・
グレッグは認めず、おそらくうわべのみは落ちついたように見せかけて、
片手で髪を梳いてみせていて・・・
「ドクター、あなたが何を望んでおられるかわからないし、まったく何が
言いたいかすら・・・」
「助けが必要ですね」
強い調子で放たれたその言葉だったが・・・
Hmmまさかそんな?」
呑み込みかねてそう唸っているグレッグに・・・
「協力しますよ、セラピストを探さなくては、セラピストを見つけなくてはなりませんね」
唐突にそれが不可能であることをタキオンは悟っていた・・・
セラピストにすべて打ち明けることなどできはしないではないか・・・
それでは全て露見してしまうということになるではないか・・・
タキオンは強いフラストレーションに翻弄されつつも・・・
唯一の答えを噛みしめて・・・
「随分長い間共に過ごしてきたではありませんか」
そう言葉を絞り出すと・・・
「だから何だと言うんだ?」と返されたが・・・
「つまり今でも私はあなたの主治医だということです」
そう辛抱強く言葉を被せると、グレッグは吐き捨てるように
笑いながら背中を向けて・・・
「断る!」と言い放ち・・・
パペットマンがいなくなった以上、もはやそんな手間をかける
必要もないというものだろう、地球人ですらないあんたに人間の
心に立ち入る資格があるかどうかすら疑わしい話ではないかね・・・」
「妥協することです、その代わり私は沈黙を守ることをお約束します」
「あいつはもういないんだよ、すべてあいつのやったことじゃないか?」
「またその話を蒸し返すのですか?私の話した事実を認めることです、
グレッグ、あなたは目を背けているかもしれませんが、私にはあなたの
罪の意識が感じとれているのですよ、あなたがいかにその事実を拒もうと、
自分自身に対して嘘をつき続けようとも、それが真実なのです、先ずは
その現実を受け入れることです」
長い沈黙の後にグレッグが口を開いて・・・
「いいだろう、ドクター、妥協しようじゃないか、それは政治家に常に
求められる資質の一つだからね、それにあんたも基金が打ち切られるかも
しれない以上、顧客を囲っておく必要もあるということかな・・・」
そのひどい言い草に傷つきはしたが取り合わず・・・
「ニューヨークに戻ったらともかく一度連絡しましょう」
と事務的に応え・・・
「いいとも」ハートマンも溜息をつきながら、作りなれた笑顔を浮かべようと
したがうまくいかなかったようで、旅行鞄を持ち上げ、ベッドの上でその上に
跨って足をぶらぶらさせながら・・・
「それはそれとして、エレンのところに行ってやらなくてはね、相当まいって
心を痛めているだろうから・・・」
そう言ったところで、ようやく笑みを浮かべてみせて・・・
「エレンにも謝らなくてはね、一旦お別れだ、すぐに会うことになるとは思うがね」
ハートマンはそう言って片手を差し出してきて・・・
タキオンにはそれが彼なりの精一杯のジョークであると悟っていた・・・
おい、許されたんだろ、手を握り共に手打ちと行こうじゃないか、またお仲間というわけだ、だがあんたのその手じゃそれも適わない、ろくでもない話だが、
あんたにもそれはわかっているはずだ
とそう考えているのが感じられたが、ハートマンもそれに気づいたと見えて、
いきなりばつが悪そうに手を引っ込めて・・・
ハートマンはドアのところまで行って開けて見せ、二人で出た
ところで・・・
「エレベーターまで一緒にいきますか?」そう声をかけてみたが、
「遠慮するよ」と返されてきて・・・
「それでは後日連絡いたしますから・・・」
そう言い繕ってから、部屋に戻ろうとしているグレッグに視線を向けてみると、
重そうな体に、髪にはだいぶ白いものが目立ち、生え際も後退しているのが
目について・・・
見た目の印象すらも能力で操作していたのだと気づきながら・・・
真実を話すべきではなかっただろうか?もしそうしていなければあの男はパペットマンギムリの存在を信じていることができていただろうが・・・いいえ!裁きを逃れることができたとしても、せめて罪の意識ぐらいは感じて
もらわなくてはならないというものでしょう・・・
パペットマンの能力がなくなっているにせよ、そういうグレッグの姿に
つき合っていかなくてはならないとも気づき、暗澹たる思いに襲われ
ながらも・・・
異星の男は階段に辿り着き、コンクリートの段に腰を掛け・・・
頭をその冷たい鉄の手摺にもたれ掛けさせていると・・・
腕がずきずき痛み始めて、肩から引きちぎりたい誘惑にかられつつも・・
ジャックもこんな気持ちで生きてきたのかな・・・
などとぼんやり考えていた・・・
そうして俯きながら・・・
グレッグに殺された彼の子供のように・・・
私も葬り去られたのではなかったろうか・・・
もはや歩く死体のような身になり果ててしまったのではなかろうか?
7月のたった8日間で、地球でも最も古い友情というものを失って、
グレッグ・ハートマンという男に対する信頼も敬意をも失って
しまって、ジョーカー達からの愛情も尊敬すらも失ってしまった・・
手も・・・
無垢ゆえの無知、そしてその精神すらも・・・
それでもジャックは生きることを選んだのではなかったか・・・
あの男は死ぬことを選びはしなかったではないか・・・
「自分を憐れむのはやめにしましょう、ティス、生きることに
目を向けなくてはね・・・」
それにしてもあのハートマンという男ときたら!
また内心ぼやきつつも・・・
「タフでなければ務まりませんね、もしかしたらそれで死後にAMA全米医師協会から
表彰されることもあるかもしれませんから・・・」
そう口に出して立ち上がり階段に脚をかけ上り始めた・・・
しっかりと・・・