ワイルドカード5巻「一縷の望み」その2

              一縷の望み
                  スティーブン・リー
                 金曜、午後6時10分

       「うわさは本当だったんだな、あんた戻ってきたんだ」
その声は彼の後ろ、中身の溢れかえったゴミ溜め・・・その影から届いてきた
ものであり、ギムリは悪態をつきながら振り返らねばならなかった。
夕立の残した残滓、その脂ぎった水溜りに脚を突っ込み、跳ね上げてしまった
のだ。
「誰だ、きさま・・」
侏儒の左手の拳は脇で握られていたが、右手は暖かい夜にも係わらず着ている
ジッパーをはずしたウインドブレーカーの胸元にとどまっている。
そこにはサイレンサーを装着した38口径がずっしりと吊るされているのだろう。
「2秒もあればてめぇなんざGossipクズ記事の山に(身元不明の死体と
して)埋めることだってできるんだぜ」
「そう尖がんなって」返ってきた若い男の声にギムリが意を決して前に出ると、
街灯の灯りでようやくクズ入れの陰から人の姿が見て取れた。
「俺だよ、ギムリ・・クロイドだ、その物騒なものから手を放しなよ、おまわり
じゃないんだから・・」
「クロイドだと?」目を細めつつも、その名を耳にして幾分落ち着いたかに見えたが、そのずんぐりした筋肉質の身体を低くして警戒自体は怠っていない・・・
「エースの力ってやつか、前はこんな面じゃなかったじゃねぇか」
その言葉に、男は感情のまったく伴わないくすくす笑いで返した。
露出した顔に腕は、磁気を思わせる白さで、虹彩は気だるさをたたえたピンク、暗い茶色にしたばさばさの髪がその肌の蒼白さを一層際立てている。
「まぁね、この有様じゃお日様の下にでれやしない、もともと夜型だからかまやしないけれど、髪を染めて、サングラスくらいは用意した方がいいかな、影が薄くなっても、力自体は失われちゃいないのは幸いかも・・・」
そうして話し始めたのを受け流しながら、ギムリは思案を始めた。
こいつが本当にクロイドならば好都合だ、もしそうでなくとも、どちらにせよ隙は見せない方がいいだろう・・・
どうもニューヨークに戻ってからピリピリしてならない、Polyakovポリアコフ(GRUの高官)には月曜にならなければ会えはしないは、ハートマンの野郎には出馬の噂があり、ジョーカーを嫌っているアラブの女がのべつまくなくヴィジョンだかなんだか、と訳のわからないことを喚き散らしているわ、ヨーロッパからロシアと旅しているうちにJJSの同胞も妙に腰がひけてきてるわ、目先でシャドーフィストとマフィアが抗争しているだけでもたまらないのに、バーネットの世論操作も強まっているときては、安全なところなどどこにもないようにすら思える・・・
倉庫にこもっているから気が滅入るんだ、夜間なら外に出て気晴らしもできるだろう
などと考えたが、そいつがそもそも間違いだったのではなかろうか・・・
闇の中、至るところに敵の姿が見える・・だからこそ生き延びてこれたのだ、悪いことに今ではハートマンの野郎は、連邦当局をも動かせる、かつてのJJSのネットワークすら掘り出すことができるに違いない・・・どこから脚がつくかもわからないのだ
それでなくともジョーカーとナットの裏社会での小競り合いのせいで、街の至るところに警察がいるときている、うかつに姿をみせようものなら、公務執行妨害といった適当な理由をつけられて醜態をさらすだけならまだしも、そのまま撃たれてはハートマンの思う壺というものだろう・・・用心に用心を重ね、注意に注意を重ね、死体のように息を潜めねばなるまい・・・
「姿が変わって、誰にも気づかれないというのは逆に羨ましく思えるがな・・」
近寄ってきて、白い肌の下の赤く見える歯茎をむき、歪な歯を見せたクロイドのその顔は、さながらB級映画のゾンビのような代物に思えた・・・そうして発した言葉もまた意表をついたものだった・・・
ギムリ、あんたスピード(麻薬)はやってんの?もしくはそれに対するコネがあるとかさ・・」
「もう手を引いたさ、今はまずい状況だ」
「スピードがないなんて、何てこった」
ギムリは首を振って応じながらも悟らざるを得なかった、こんな間抜けな言葉を発し、脚をぶらぶらさせているこの男は、いまいましいがクロイド以外の何者でもあるまい・・・
「まぁいいさ・・別を頼るよ、もっとも底をついてたら干上がっちまうわけだけど・・
そういやJJSが再結成されたって噂も聞いたよ、ベルリンでのことも聞いたから、一言言わせてもらえば、ハートマンからは手を引いた方がいいんじゃないのかな、あんたがどう思ってるかはしらないけれど、あの憐れなバーネットよりはずっとましな人じゃないか・・・
もし次に目覚めて、ちゃんとした力があったら、彼に手を貸そうと思ったくらいだよ、そうした方がジョーカーもみな喜ぶんじゃないかな・・」
「考えてはおくさ」
白子は再び笑顔を浮かべ、乾いた笑い声とともに言葉を重ねてきた。
「まだ僕だと信じてくれてないんだね」
その言葉にギムリは肩をすくめて、ウィンドブレーカーの中に手を差し入れて、警戒をあらわに白子の男を見つめ口を開いた・・・
「まだ生命を永らえさせている、それで充分じゃないと・・」
クロイドかどうかはわからないが、その白子は吐息の匂いが感じられる距離までそっと近づいてから答えた
「そうだね・・もしかしたら次に会うときには、
あんたを叩きのめして、今よりアスファルトと仲良くさせてやれるかも、クロイドがそういっていたことを覚えていたほうがいいかもね、トム・ミラーさん」
そういいながら、クロイドは痰を切るような音をたて、血で汚れていたそでで鼻をこすりながら、上目遣いでギムリに視線を向けてから、それを外した・・・
クロイドでなかったとしたらどうだろう・・・だとしてもとんでもないへまをしでかしてしまったのでなかろうか・・・
そんなものおもいに囚われながら・・・
ギムリはクロイドがそこから離れるのを止めはせず・・・
角を曲がって、その姿が見えなくなるまで様子をうかがって、戻ってきていないのを確認してから、イーストリバー沿いの朽ちかけた倉庫に戻り、ようやく後ろ手でドアを閉じたのであった・・・