「一縷の望み」その3

              一縷の望み
                  スティーブン・リー

屋根にはVideoヴィデオがいて、あの女に手を振って否定を示しながら、影がかたちを
とったように現れたシュラウドにうなずいている・・・鉄骨を通しながらも、ギムリには
くぐもった声によるそのやり取りを雷鳴のごとく聞き取ることができた・・・
「またやってやがる」そうひとりごちた・・・
シュラウドは束帯で吊るされたマシンピストルを担ぎなおして肩をすくめて答えた。
「いつもの座興というものさ・・ベルリンのときよりはましというものだろうから」
ギムリがドアを押しあけると、くぐもった声がはっきりと聞き取れるようになった・・・
Fileファイルが腕を組んで立ち尽くしているミーシャに向かって叫びを浴びせている一方、
Peanutピーナツが粗いやすりをかけたような皮膚をしたジョーカー、ファイルをなだめようと
している・・・
ファイルは拳を握り締めて激昂している様子だった・・・
「ビッチが・・・これだから盲目の狂信者というものは、自分しか見えていないんだ、
あんたやヌールも、アラビア人だというだけでバーネットと変わりやしない・・・あんた
たちのいう尊大な魂というものが実際にあるならお目にかかりたいものだ、その魂は
さぞや美しい憎悪に彩られているのだろうね・・・」
そこでさび付いたドアのヒンジの軋む音が響き渡った、
ピーナッツは、その肘から先が長く、血が滲んだような色でありながら、ナットのものより遥かに長持ちするに違いないキチン質のファイルを抑えた手を外さないようにしながら、その音の発した先を見渡して、「ギムリ」と訴えるような声を向けてきた。
そこでピーナッツはファイルから腕を振り払われ、痛みからうめき声を上げていると
ファイルがミーシャを指差して、侏儒に視線を向けて叫んだ。
「もう耐えられない・・このあまを何とかしてくれ」
そう言いながら、身をよじってピーナッツからさらに身体を離した。
「まったくなんてざまだ」ギムリは背後のドアをぴしゃりと閉めながら、視線を強めて言い放つ・・
「外にいてもまる聞こえだぜ」
「これ以上の侮辱は我慢ならない」
そういってファイルはミーシャに掴みかかろうとしたが、その間にギムリが割り込んで制した。
「烏賊神父も死んだら、地獄に落ちると言ったんだ」ピーナッツがはさみをハンカチで拭いながら、説明してくれた。
「その人はわかってないだけなんだ、といったんだけど・・」
「私は真実を語ったのです」ミーシャは理解を得られない苦しみを示してか、罪の意識を振り払おうとかするように、首を振り、手を広げて荒げた声を返してきた。
「神が不興を示したゆえ、その司祭はジョーカーにされたのでしょう、その不興ゆえ地獄に落ちたとて不思議はありませんが、アッラーはまた慈悲深くもありますから・・・」
「もうわかったから」ピーナッツがおずおずと会話をしめくくろうとしたが、ファイルはやはりおさまりがつかなかったようだった・・・
「そうかい、俺もギムリもジョーカーは皆、一緒に裁かれるってんだろ、まったくへどがでやがる」
そういってファイルは、ミーシャに向けた指を忌々しげに引き、踵を返し、ドアの閉まる音を響かせ、すぐに出て行ってしまった・・・
ギムリは肩越しにミーシャをみやりながりため息をつかずにはいられなかった・・・
野暮ったい喪服を思わせるドレスを着ているにも係わらず、割とさまになっているとはいえ、やはり西洋の衣服には居心地の悪さを感じているようだ、そしてなによりそのずけずけとしたものの言い方は到底受け入れられるものではなく、ことにファイルにシュラウド、Marigoldマリゴールドなどはあからさまにミーシャを嫌っていたが、なぜかピーナッツだけは、おつむが弱いのか受け入れようとしていて、そのさまはのぼせ上がっているようにすら思える・・嫌悪しか示されていないというのに・・・
ギムリ自身は、もはや嫌うことにした・・・
というのもベルリンの騒動のあとで、ハートマンを追いつめる証人になるだろうと、この女をポリアコフから引き受けてきたのはギムリ自身であり、今ではそのことを悔いてすらいるのだ・・・
ジャスティスデパートメントにも匿名のたれこみがあったという、ハートマンの行ったことの証人をロシアの情報網が得たというものであった、その証人こそがこの女であったのだ・・・
それで掻っ攫ったわけだが、厄介なことにこいつらエースは自分たちのことしか考えちゃいない・・・ナットよりも面倒な代物だったというわけだ・・・
「うまくやったと思ってやがるんだろうな」そう皮肉ってみたが
「私はアッラーから伝えられた言葉を伝えているだけです、そこには過ちなどありえません」
「ジョーカータウンで長生きしたいなら、まずはその口を閉ざすことだ、それこそが過ちなき真実さ」
「私は殉教者になることなら恐れはしません」ミーシャはきつい不協和音を生じるように響く横柄な調子で答えた。
「むしろ諸手をあげて受け入れましょう、なにしろあの獣ハートマンに公然と反旗を翻しているのですから・・・」
「ハートマンはジョーカーには色々してくれているよ・・」ピーナッツはそういいかけたが、
そこまでで制止しておいた・・・
「あと少しの辛抱だ、ジューブから聞いたんだが、月曜にルーズベルトパークで集会があり、そこでハートマンが話すことになっている、何か発表があると期待されているが、それ以前にポリアコフが我々に接触して、彼の所業を明らかにする手はずを整えることになっている、我々が動くのはそのときだ・・」
「セイラ・モーゲンスターンにコンタクトをとらなくては、ヴィジョンが・・」
「それは駄目だ・・」言葉をさえぎって続けた。
「ポリアコフがここに来るまではだが・・」
「ではその公園にいきましょう、そこで再びハートマンに会えるのでしたら・・・」
ミーシャの瞳が、暗く凶暴な光を帯びた、獰猛にすら思えるほどに・・
「あんたは近寄らない方がいい、町中から人が出てきて、セキュリティがうようよしているんだから・・」
その言葉に刺すような視線を向けてきて、ギムリは思わず瞬きをしてしまった・・・
「あなたはわたしの父でも兄でもありません」
そこで子供に言い聞かせるようなゆっくりした調子で続けた。
「私の夫でもなければ、ヌールですらありません、他のものはともかく、私には命令できないのですよ」
その反応に、ギムリは抗いがたい怒りを感じながらも、なんとか自制してのけた
あと少しの辛抱だ・・わずか数日じゃないか
そうして嫌悪の瞳に囲まれたミーシャにめくばせをしたところで
「ハートマンならいい大統領になると思うんだけど・・・」囁きのようなピーナツの声が割り込んできた。
誰もそれには同意を示してはいないようで無視を決め込むことにした、そのピーナッツのうでの引っかき傷には血が滲んでいるのが見て取れる・・・
「ここにはうんざりしています・・出たいのです」
ミーシャはそう言い放ち、ギムリのめくばせをも外してしまった・・・
「みなそう感じているとも」その言葉にミーシャの瞳は細められたが、ギムリは勤めて悪意のみえないよう笑顔を作って見せた。
「あと数日の辛抱だ・・そこですべては片がつき、ファイルだろうと誰だろうとあんたを止めはしないだろう・・」
「そこで好きなだけ考えをいえばいい」そう皮肉をつけくわえずにはいられなかったのだ・・・