「一縷の望み」その7

火曜午後10時

オフィスのドアを開けて、目の前のデスクの上に裸足の脚を放り投げた侏儒が腰掛けているのを目にしても、クリサリスはそれに構わず、落ち着きはらったままドアを閉じた・・・
クリスタルパレスではこれがいつものことででもあるかのように・・・
「こんばんは、ギムリ
クリサリスのあまりにも驚きの感じられないその瞳にギムリは居心地の悪さを感じながらもなんとか言葉を搾り出した。
「お見通しというわけだ」
筋肉と腱の上に浮かぶ唇を笑みのかたちにしてクリサリスは応じた。
「そう戻ってきたのはここ1〜2週間の間だったかしら、それももう古いニュースね、風邪の具合はいかがかしら?」
背中を氷の塊のような薄ら寒いものが伝い落ちるのを感じながら鼻を啜って応えた。
「最悪だ、ここ2日は熱も下がりやがらねぇ、口の堅い誰かがいるなら、そいつに来させてもよかんだが・・」そこで意味ありげな笑みを浮かべたところでクリサリスが言葉を引き取った。
「風邪をひいても靴もはかずに来たというのは、
さる包みのためかしら・・」
「Fuck(なんてこった)」そう吐き捨てながら、
脚をデスクから下ろし、苦笑しつつも椅子から飛び降りつつも、眩暈のようなものを感じながら、デスクにもたれかかり、己を落ち着かせねばならなかった・・・
「いきなりの直球だな、で答えはどうなんだい」
「まだ頼みを聞いていないもの」
その答えは短いが渇いた響きを伴ったものだった・・・
「政治的問題が絡んでいるから、ジョーカーだろうが、あんただろうが、手を出したら安全とは限らないだろうしな」
「それはハートマン上院議員絡みのことね」
鼻息を荒くしてギムリは応えた。
「どうにもベルリンからこのかた調子が狂ってならねぇ」
「せっかく関心してくれているのだけれど、連邦の捜査網をかいくぐっているイーストリバー沿いの隠れ家にも穴はあるというだけのことよ」
「Leak漏れがあるにもほどがあるってもんだな」
首を振ってそう言い放ちつつも、よろめいてデスクにもたれかかり、椅子に身体を落とし、目を閉じてしばし気持ちを落ち着かせながら己に言い聞かせた・・
帰ったら、すぐ横になるんだ、そうして一眠りすりゃ良くなるってもんさ
「どうにも具合が悪くていけない」
「悪い感染症じゃなければいいんだけれど」
「こんな姿になる以上の感染などあるものか」
血走った横目をクリサリスに向けながら本題に入ることにした。
「話すまでなく、あんたはハートマン上院議員がくそったれなエースだってことは知ってるんだろ?」
「そうなの?」
鼻で笑いながらさらに畳み掛けた。
「それだけじゃない、ダウンズの奴も疑っていて、あんたも気になっちゃいたんじゃないか?」
「それが真実だったとして、それが何なの?
エースが大統領になっても構わないじゃない、
すくなくともJJSなんかより、ジョーカーの利益になることをしてくれるわよ」
具合の悪いのは吹き飛んでいて、怒りを抑えるために俯かずにはいられなかった・・・
「ジョーカーの権利を守れるナットが一目置く組織はJJSだけだぜ、おいぼれた象の鼻で何ができるものか、誰もデズの言うことなんかにゃ耳をかしちゃいないじゃねぇか、ときには実力行使も必要なんだ、JJSよりハートマンの野郎の方がましなんてたわごとあんたから聞きたくなかったものだな」
「それでもあなたは手を引くべきだわ」
「俺がそうしたら、あんたが代わってこの包みを役立ててくれるのか?」
クリサリスの思案する顔を見ているうちに、怒りは静まっていた・・・
そうさ、こいつが欲しくてたまらないのだろう、すました顔をしちゃいるが、
見てればわかるというものだ、まぁミーシャはいい顔をしはしないだろうが

「あなたが一人でどうするか決めていいのかしらね、ギムリ、それに対価ぐらいは必要というものでしょう?」
「こいつを公表してくれさえすればいい、それならば提供してもいいというものだ、それにダウンズも一枚かんでくれさえすれば、ハートマンの野郎が候補じゃいられなくできるというものだろう」
「そうかしら?彼がエースだと言い立てることは、ギムリの個人的復讐でしかないのじゃないかしら」
くしゃみをしかけながら、歯軋りしてそれをこらえ応えた。
「政府の自己中な役人どもとあいつが結びついちゃ危険なんだ、エースの能力で好き放題できるというものだからな」
「ハートマンが降りたら、次の大統領はレオ・バーネットよ」
「Shit(そうじゃないだろ)」そう吐き捨てると、クリサリスの鉄壁の冷静さに隙ができたのが感じられた。
「党公認というだけで、大統領候補ですらまだないはずだ、それにあいつはナットで、何を望んでいるか明白な分対処もしやすいというものだが、ハートマンの野郎は手札を見せてすらいない、
何を企んで、何をしでかすか、知りあぐねているんじゃないのか?」
「いい方向に向かわないとも限らないかも」
「悪い方向に転ぶことだろうな、あいつは他人を食い物にして、その屍のみを残していくだろう、ジョーカーも例外じゃない、俺も利用されたし、ヌールの姉をも利用したんだ、
こころをどうにかしちまうのさ、ベルリンでもそうだった、次に何をしでかすかしれたものじゃない、あいつはニトロのボトルのようなものなんだ」
そう言い放って、反論を待ったが、それもなく、
ポケットからティッシュの束を取り出して、鼻をかんでから、再びクリサリスに視線を向けて続けた。
「あんたも同じ疑いを持ってるはずなんだ・・・
あんただって真実を知りたいから、俺をここに招きいれたってことぐらいわかってるんだぜ」
「証拠なんてものは漠然としたものよ、誰もゲーリィ・ハートの疑惑に対してはそれすら求めはしなかったわけだけど・・」
「血は嘘をつかないぜ、ワイルドカードに感染したかは血でわかる、ここに奴の血があるんだぜ」
そこでミーシャの持ってきたジャケットを取り出して、デスクの上で広げ、その血の染みを示して見せ、シリアでのことを話すと、クリサリスの透明な皮膚の下がかすかに赤らんだように見え、興奮しているのは感じ取れた・・・
「ただでかまわない」そこで咳き込んでしまい、痰が喉につかえ、それが落ち着くまで待ってから
言葉を続けた。
「クリサリス、俺も色々やらかしちゃいるが、
嘘はつかないことぐらい知ってるだろ、こいつは
真実ハートマンの血さ、まぁ信用できないなら、
調べてみりゃいいじゃねぇか・・・気になるだろうから」
ジャケットを取り上げ、血の染みをそっとなぞってから応えた・・・
「ともあれ預からせてもらうわ・・・
信用できる友人に検査してもらいます、ともあれ2〜3日頂戴、そしてこの血がエースのものだと判明したら、それからの取引になら応じてもいいわね」
「それでかまわない・・あんたがハートマンの野郎に疑惑を持ってくれたら、それだけで収穫というものだから・・・
ともかくそいつは大事にしてくれよ、あとで連絡するから・・・
・・・それじゃ一端帰るよ、死にそうなんだ・・・」
そう言い放つのもギムリにはやっとのことであったのだ・・・