「一縷の望み」その11完結

木曜午前7時35分

セイラはジョーカータウンクリニックの南側の一角におちつかなげに立ち尽くしていた、カナダから移住してきたなら涼しいともいえる場所だというのに・・・
横切る雲が、路面に染みのように広がるのを見ながら、また腕時計を見つめることになった・・・
もう一時間にもなるのにミーシャは来ていない・・・
「そこに行きましょう、約束しますよ、セイラ、もし私がそこに現れなければ、私は何者かに止められたということです」
乱れる心を抑えながらも、その言葉が浮かんだことを、己の感じることを呪いながらも考えずにはいられなかった・・・
「ならばとる道は明らかなはず・・」
そこにタキオンの声が被さってきた・・
「私にできることはございますかな、ミズ・モーゲンスターン」
タキオンの深い声に驚きながら、視察旅行の際には、この赤毛の異星人が自分に好意を示していたときはわずらわしく感じたものだったが、そういった感情すら懐かしく思え、つい笑って応じてしまった・・・
「いいえ、ドクターその心配はありません・・・
私は人を待っているのですから、ここで会う約束が、あったのです・・」
タキオンは大仰に頷いてみせたが、ほっておいてはくれなかった・・・
「どうもナーバスになっているよう見受けられたので、よろしければ診察を受けていかれませんか・・」
「いえ結構です」はっきりと断ってから、しいて笑顔を浮かべてみせた。
「帰りかねていただけです、待ち人はこなかったようですから・・」
頷いて、しばらく黙ってみつめていたが、しまいには肩をすくめて口を開いた。
「旅が終わったからといって、疎遠になる必要もないでしょう、いつかディナーでもご一緒できたらいいですね」
「けれど・・」そこでセイラは黙り込んでしまった、一人になって、考えたかったのだが、それはここでは適わない、と思い立った・・・
「別の機会に、ということで・・」
「それを楽しみに待つこととしましょう・・」
そういってタキオンは、ヴィクトリア朝の王侯のように優雅に腰を屈めて、わずかな一瞥ののちにクリニックに戻っていった・・・
空は霧雨がかかったような状態になっており、その雨で暮れはじめの街の灯りがぼうっと霞んだようで、顔を上げ、通りをみやると、脚の捻くれた甲羅に覆われたようなジョーカーが、通りからせわしくクリニック入り口のひさしを通り抜け入っていくところであり、雨がゴミで溢れた側抗に溢れる様に激しさを増している・・・

鏡に映った、姉妹のようなもの・・・

そんな言葉を内に反響させながら、ようやく通りに出て、そこに停車していたタクシーを呼び止めた、ナットの運転手がミラー越しに怪訝な視線を向けている、その視線は乱暴で遠慮のないものであり、セイラが視線をそらしていると・・・
「どちらまで・・?」と声をかけてきた。
その声にははっきりそれとわかるスラブ系のなまりが滲んでいる・・・
「ともかく出して・・ここから離れたいの」
と声をかけながらも、あの言葉を思い出していた・・・

私に対するあなたの愛する人の振る舞いは、あなたへの振る舞いに重なることでしょう・・・
彼が傍に来たときに、変化した感情がありはしませんでしたか、それを不思議に思いはしませんでしたか?

嗚呼アンドレア、私はなんてことを・・・
セイラはシートに腰を沈めながら、窓に映るマンハッタンの鐘桜が雨に塗りつぶされるのをじっとみつめながら、ようやく己の内に沈んでいったのだ・・・