ワイルドカード4巻「ザヴィア・デズモンドの日誌」ⅩⅠその2

ストックホルムという街は、これまでのどの街より過ごしやすく、スウェーデン人の多くは実際英語を話すため不自由もありませんし、今回は自由行動(もちろん厳しいスケジュールの合間においてではありますが)が認められています・・・
王も我々すべてに対して親切であります、おそらくここにはあまりジョーカーはいないのでしょう・・・この極北の地において、我々全員が極めて平静に歓待されているのです、それはジョーカーが一生で受ける好意を超えたものにすら感じられたほどでした・・・
そして何よりも、ここに来て、ようやく後世の人々に語る価値のあることを書き記すことができる、これから語ることは歴史家の多くが、立ち上がって興味を示す事柄であるといえましょうから・・・
それは近代の中東の歴史認識というものに、新しく驚くべき見解を付け加える一石となることでしょう・・・
それは使節の多くのものが、ノーベル記念館の管財人たちと午後を過ごしていたときのことでした・・・
彼らがハートマン上院議員と会うことを望んでのことだったと思います・・・
実際は惨劇で終わったとはいえ、彼のシリアにおけるヌール・アル・アッラーとの交渉における、その勇敢さと平和に対する努力、その双方が来年のノーベル平和賞の候補として妥当であると判断されたのでしょう・・・
当然他の使節もグレッグと行動をともにすることになったのでありました・・・
もちろん友愛の念もありますが、それが刺激的なものになると期待したのでしょう・・・
そして我々を歓待した人々の一人が振り返りました、彼はエルサレムで、和平交渉を行ったフォルク・ベルナドッテ伯の秘書の一人だったのです・・・
悲しむべきことに、その交渉の二年後に伯は、テロリストの銃弾に倒れることになったのですが、かなり魅力的な逸話の多くを語ってくれたのでした・・・
そしてその困難な交渉の個人的記録を見せてくれました、それは実に賞賛に値するものでありました・・・それには協定の報告といったメモに日誌、そして写真も含まれました・・・
そのときはちらっと目を通しただけで、他の使節に手渡していましたが、カウチに腰掛けて欠伸を噛みころしていたタキオンに渡されたとき、その写真の多くが妙に気にとまったようでした・・・
それはベルナドッテ伯と交渉チームとデヴィッド・ベン・グリオンにFaisalファイサル王が一緒に移った写真や、砕けた様子の随員たちがイスラエルの兵士と握手を交わしていて、ベドウィンのテントで食事をともにしていたもの・・・
そしてアラブの同盟に罅を入れ、ヨルダンの情勢を劇的に変化させた湾岸のエース部隊、ナスルの連中に取り囲まれたベルナドッテ伯の写真もありました。
中央のベルナドッテの横にはコフが写っていて、その黒衣は死神のように思われますが、皮肉なことにそこに写っている若いエースのほとんどは多くの表向きは語られていない紛争に介入しながらも生き延びており、コフ自身は年をとっていないように感じられます。
しかしタキオンの関心をひいたのは他の、よりありふれたものに思われる一枚で、それはホテルの一室でベルナドッテ伯が、彼のチームとともに写した写真であり、中央に紙くずを散らしたテーブルがあり、その端に他の写真には写っていない、
痩せぎすで、暗い髪の若い男が辺りに鋭い視線を向けながら愛想笑いを浮かべているものでした・・・
その男はカップに口をつけていて、極めて無害に思われましたが、タキオンは長い間その写真を見つめたのちに、あの秘書の男に個人的に話したい、と伝えたのでした・・・
「記憶を試すようで申し訳ないのですが、この男を覚えておいででしょうか、少しそのことが気にかかったので・・」そうして写真の男を指差して尋ねた。
「あなたがたのチームの一員ですか?」
彼は、腰を屈め、写真をじっとみつめたのち笑顔を浮かべて答えた。
「ああ彼ですね」はっきりとした英語で続けた。
「彼は使い走りを意味するスラングで呼ばれていた妙なやつでして・・」
「Goferゴーファー(雑用係、語源はアナネズミ)ですね・・」私がそう答えていました。
「そうですゴーファーです、たしか若いジャーナリズムを学ぶ学生でジョシュア、たしかジョシュアという名だったと思います・・後学のために、交渉に立ち会うことを願い出てきました・・・
伯ははじめは莫迦げたこととして手を振って断ったのですが、彼はあきらめず、直接彼と話す機会を得すらして、非公式ながらチームに同行することが許されたのです、最後までその場にいてあまり優秀な雑用係とはいえませんでしたが、妙にですね、皆に好かれていて場を明るくする男でありました、おそらく記事などは書けていないのではないでしょうか・・」
「そうとも」タキオンがうめくように答えた。
「彼は文章を書くのは得意じゃなかった、チェスはよくやったものだが・・」
そこで思い出したことがあるようで唇を舐めて秘書だった男が答えた。
「そういえば、チェスもやっていたようですが、彼をご存知でしたか?」
タキオンはわずかな悲しみを滲ませてシンプルに答えた。
「ああ知っている」
そうして本を閉じ、話題を変えてしまった。
タキオンとは長年の付き合いであるゆえ、そこは察することとし、午後になってから、好奇心に耐えかねて、ジャック・ブローンの席の傍に腰掛けて、食事をしながら2〜3尋ねてみました。
別に不審にも思われなかったようで、フォー・エーシィズが行ったことや、行おうとしたこと、行った場所、そしてここが肝心なのですが公式には行かなかった場所についての思い出を聞き出しました・・・
そうして一人で飲んでいたタキオンの部屋にいくと、彼はこころよく迎え入れてくれました・・・
過去を思い出しているらしく、幾分不機嫌な面持ちではありましたが、あの写真の若者について尋ねると・・・
「誰でもない」と答え「ともにチェスを指したことのあるだけの少年だよ」
なぜかはぐらかそうとしているようでした・・・
「ジョシュアなんて名じゃないのでしょう」そう声をかけると驚いた様子を示しました。
おそらく奇形は脳にまで及んでいるとでも思っていたのでしょう・・・
「彼の名はデヴィッドで、あの四人は公式には中東に介入していないことになっているようですね、ジャック・ブローンに聞いたのですが、1948年後半にはメンバーは散り散りになっていて、ブローン自身は映画を撮っていた時期だそうですが」
「ひどい映画だった」タキオンは悪意を隠そうともせずに答えました。
「その影で・・平和のEnvoy使者もいたのですね」
「たしかあのときは、ブライズと私にヴァケーションにでかけてくるといって二ヶ月姿を消していた、係わっていたという記憶はないよ」
もちろん誰も知りはしない、彼はとりたて信仰深くありはしませんでしたが、ユダヤ人であり、湾岸エースやアラブ軍がイスラエルの平和を脅かしつつあったときにたった一人で行動しようとした男がいたのです・・・
彼の力は、平和をもたらすものであり、争うためのものではない、恐怖の砂嵐を起こすものでも、晴天に雷を呼び寄せるものでもない、彼のフェロモンは人々の気持ちを穏やかにし、彼に同意させ、交渉を成功させる後押しをしたのです・・・
それでいて彼が誰で、そのフェロモンで行ったことも、その存在同様明らかにせず、国際問題としての危険の大きさを鑑み、すべてを秘密にすることを注意深く選んだ、そうしてエルサレムの平和のみを残したのです・・
おそらくベルナドッテ伯すらあの雑用係が何者かをしらなかったことでしょう、とはいえ今彼はどこで何をしているのでしょうか・・・
そうして彼が注意深く秘密裏に行ったことが、ブラックドッグがエルサレムで言ったこととは逆の道を示しているように私には思えたのです・・・
エルサレムの壊れやすい平和の由来を人々が知ったらどうなってしまうのでしょうか・・・
その影響を鑑みるに、おそらくこのページは出版の依頼が来る前に破棄すべきでしょう、あとはタキオンさえ酒にその記憶を紛れさせてくれたら、その秘密は保たれるのですから・・・
彼が再び現れたら、と願わずにはいられません、
Huacによる捕縛に着せられた不名誉、徴兵といった数々の困難をかいくぐり、そうして姿を消してしまったのです・・・
彼の行った以上に、賢明な交渉はあったでしょうか、もちろん適わないことは承知しているのですが、グゥアテマラに南アフリカエチオピアエルサレム、インドにインドネシア、そしてポーランドで目にした様々な事柄を思うにつけ、世界はいまこそ彼の力を必要としているのではないでしょうか・・・
そう争うためではない、平和のための力こそを・・・