「手繰られしものたち」その9

          手繰られしものたち
                 ヴィクター・ミラン

「あの悲鳴ときたら」アネッケと呼ばれた赤毛の女が囀っている。
「豚どもの一人はJewユダ公だったじゃない」
まだ朝早く、ラジオからカタカタいう雑音とともに、誘拐に対する
憶測というものが流れていて、テロリストどもが、互いの得る権益
に胸を高鳴らせ歓喜の声を上げている・・・
パレスチナで流された一人の同胞の血潮を購うにはそれ以上の血潮が
必要だからな」そうして響いたのはウルフの声だった。
「あの黒人エースはどうなった?」ライフガードを思わせる男の一人が
ウルリッヒに尋ねている「死んだのか?」
「そうはいかなかったみたい」アネッケが答えた。
「ニュースによれば、一時間もかからずに歩いて病院まで行ったというじゃない」
「Bullshit(くそったれが)マガジンの半分の弾丸をぶち込んでやったうえ、ヴァン
の下敷きにもなってたというのに」
アネッケがラジオに聞き耳を立てているウルリッヒに忍び寄って、その顎に指を
滑らせた。
「ああスウィートハート、奴ならヴァンくらい持ち上げられただろう、それにおそろしく頑丈だったのさ」
アネッケはスニーカーを履いた脚を伸ばしてつま先立ちし、ウルリッヒの耳朶にキスをしている。
「代わりに二人殺したじゃない」
「いや三人だ」まだラジオに耳を傾けているウィルフリードが訂正してきた。
「たしか警官も一人やっただろう」それは喉を鳴らすような調子の声だった。
アネッケも手を打ち鳴らしてはしゃいでいる「そうだったかしら」
「俺も殺したぜ」そのハートマンの後ろから響いた少年の声に、パペットマンが妙に熱のこもった反応を示している、落ち着け、落ち着くんだ ハートマンはそうして己の半身をなだめながらも尋ねずにはいられなかった。
これはいったいどうしたことか、触れてリンクを築く以外に、パペットを作り出す手段はないものか、リンクなしで感情を何とかできればいいのだが
だが半身からの答えはなかった。
後ろのレザーで身を包んだ少年がもぞもぞと前にでてきた。
背が屈んで見える、ジョーカーだろうか?
「同士ディエタも始末したぜ」少年は続けた「こういう具合に、ばらしてな」
そういって手を前に突き出し、振動させ始めた、その残像のみ見える手が、死を招くチェーンソウのように思われた。
エースだ!
己の心臓の鼓動が高まっていくのを感じる。
そこで振動を止めて、少年は黄色い歯を見せて笑みをうかべたが、周りの誰一人、相手にしなかった。
そこで金属が木の床をこする音が耳に入った。
椅子にかけていたコートの男が立ち上がったのだ。
「誰を殺したって」そのドイツ語は実に完璧で自然なものだった。
「なぜ殺った?」
マッキーは気まずげに首をすくめた。
「あいつは情報屋だったのだぞ、同士」
その遠まわしな言い回しに、マッキーの目は、ウルフと他の人間の間を落ちつかずに
さまよった。
「たしかにウルフの命令は捕らえるだけだった、だがあいつは、俺を殺そうとしやがったんだぜ!そうさ、銃を向けやがったんだ、だからやむを得ずばらしたんだ」
そう言い訳しながら再び手を振動させてみせた。
そこで一人の男がゆっくりと入ってきた。
中背でましな格好をしてはいるが、あまりぴっしりとしすぎてもいない、ハンサムながらとりたて特徴のない男といえるが、その手にはめた薄い皮のグローブは目についた。
それが妙に気になったのだ。
「なぜ俺に頼まなかったんだ、ウルフ」それは低い抑制された声だったが、パペットマン
怒りの叫びのような声にならない感情を感じた、それだけではない、悲しみの感情も・・それが手繰られている、疑いの余地なく、恐怖も感じられる。
ウルフはがっしりした肩をまわして答えた。
「今朝は色んなことがあったからな、同士モルニヤ、ディエタは裏切ろうとしていた、だからマッキーをやって追わせたわけだが、予想外の結果となってしまった。
だが心配ない、今は順調といえるのだから・・」
そこでふいに腑に落ちた。
モルニヤというのは雷という意味だ、そこで突然リムジンでのことが記憶に蘇った。
グローブの男はエースだ、そして私をそのパワーで昏倒させた男だ。
そこで恐怖が己の中で膨らんできた・・見知らぬエースのはずだ!なぜ私はあの男を
知っているのだ・・・?
半身は冷静さを保ったままだ、何も知らなかったというのか、
それなのに認識があるということは、パワーを知っていたということではない、
パペットとして認識しているのだ。
感情が高まり、表情に出てしまうのを必死でこらえなくてはならなかった、
こんなことがあるものだろうか?
昏倒させられた瞬間、能力が働いて、神経回線が開いたのだろう、それ以外ありえない。
マッキーは絨毯に粗相をしてしまった子犬のようにうなだれている・・・
モルニヤの唇は青白くなっている、おそらく相当の感情を抑制しているのだろう、
そうして頷いた。
「ああ・・状況判断として理解できる」
それを耳にしたマッキーが得意げにそりかえった。
「そうとも、革命の敵というべき存在を始末したのさ、そうしてるのはあんただけじゃないんだぜ」
アネッケが舌打ちしながらも、マッキーの頬を指で撫でながら口を開いた。
「個人の手柄を云々してる場合じゃないでしょ、同士なら、ブルジョワたちを見張るよう腐心なさい、そうすれば赤色軍事同盟の一員になれるかも・・」
マッキーが唇を舐めながら、顔を赤くして、こそこそとそこから出て行った。
それなのにパペットマンは彼の中に、太陽の表面を思わせる熱いいらだちの感情を感じ続けている・・・
あいつはいったい
ハートマンは尋ねた。
あいつもパペットだ、ブロンドの男同様にな、あのロシア人がお前を昏倒させたあとに、あいつも
私に触れたのだ。
あの電撃はかなりこたえたが・・・

ハートマンは顔を伏せて、必死に不快感を抑えなければならなかった。
起こったことをなぜ私が知覚していなかったというんだ?
潜在意識というものは無意識の内にあるものさ、そういうものだろう・・
はたしてそうだろうか、その答えにハートマン自身がおぞましいものを感じてならなかったのだ・・・