「手繰られしものたち」その10

          手繰られしものたち
                 ヴィクター・ミラン

同士モルニヤはため息をつきつつ、腰を下ろした。
鋭敏な感覚に反応しているのだろう、首筋と手甲の毛が逆立つのを感じている。
とはいっても能力としては高いものとはいえず、対処の手段もみつからない。
おそらく互いの不協和音というものがストレスとなって感じられているにすぎないのだろう・・・
それでも一応グローブは着けておいた、己自身の婚礼の晩に、水族館で起こった
惨劇を思わせた、その記憶が呼び覚まされてしまったのだ・・・
そこで自嘲しながら考えた
この張り詰めた感触は何なのだろう
名前くらいはわかっているが、世界的に知られたというほどではない。
我々と彼らの間の交渉において、有利を保障する駒にすぎんだろう・・・
そうに違いないのだ。
ああ、俺は何を考えているのだろう?正気とは思えない考えが渦巻いている。
血に飢えて政治家として神経を尖らせているボスとねじくれ曲がった哀れな者たち、
どっちがより悲惨なのだろうか、と・・・
ある意味、これは十年来の好機なのかもしれない、そうも思えた。
もしアル・ムアッジンはBig Kに囚われているとするなら、脱出に手を貸せば、
彼自身からも何らかの見返りがあるのではあるまいか、我々の代わりとして
働いてくれることもありうる。
それにより光のアッラーにつなぎを付けることも可能となるかもしれまい・・・
それだけの危険を冒す価値があるだろうか?さらに自問は続いた。
10年にも及んで築かれたドイツとの秘密裏の接触による関係というものを
台無しにすることになる。
それはマスコミが声高に訴え続けた勝利なき戦争、すなわち不毛なる大戦にも
発展するのではあるまいか・・・
何しろレーガンという大統領は、カウボーイ上がりの狂人だといわれている男だ・・・
後押ししてやるだけでいい、何しろ79年のクリスマスに、命令を受けたとはいえ、
堅く閉ざされたカブールのBala Hissarバラヒサールに進入を果たした最初の男、
ヒーローであるエースなのだ、それ以上の働きをしてくれることだろう・・・
それ自体に躊躇する理由はないが、やり方は考えねば・・・

傲慢で自惚れすぎていて脚を引っ張り合っているKomitet Gosudarstvennoi Bezopasnosti国家保安委員会(KGB)は構わないとしても、GRUロシア連邦軍参謀本部に目をつけられるのはまずい・・・
愛国心によってのみならず、彼らとしても、ダウド・ハッサニ(アル・ムアッジン)はKGBに対する諜報戦略の切り札として価値を持つと考えるだろうから・・・
己はともかくとして、妻と娘、そして残してきた祖国は心配だ・・・
そういったところにも危険が及びかねない、それでも実行すべきだろうか・・・
そう考えながら、ポケットに手を突っ込んで煙草を取り出し、火をつけた。
「侘しい習慣だな」ウルリッヒがそう朴訥に言っていたのが思い返される。
その言葉に顔を上げると、ウルフが微笑んでいる、その顔からはいつもの険が感じ取れない・・・
「小僧、そういう風潮もあるだろうがな、ありし日々、同士マインホフはいつも紫煙をくゆらせていたものさ」
モルニヤは何も言わずに、ウルリッヒにめくばせしたが、ウルリッヒはそのモンゴルの血筋が感じられる瞳を気まずげにそらしたものだった。
何を感傷に浸っているのだ。
殺しを厭わない獣というものには何らかの制御が必要なのだ。
Spetunazスペツナツを除隊になって、ソビエト中央情報局に配属されたことによって暴力を行使することがなくなりはしたが、その任務として血を流すことが当然のことと考えているこの獣たちにつきあわねばならなくなったことが皮肉というものか・・・
ああMilyaミーリャ、Mashaマーシャ、生きて再び会うことができるのだろうか・・・


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