「手繰られしものたち」その15

「また雨だ」タキオンにすがってザヴィア・デズモンドがこぼしている。
真顔を通し、何度も聞いたその言葉を聴いて同じように丁寧に応じる。
デズは友人なのだから、と己に言い聞かせながら・・・
そうして添えた手を傘にずらしてデズと一緒に耐えながら、スコールが
とっとと通り過ぎたらいいのに、と思わずにはいられなかった。
鬱蒼と蔦の茂るTiergartenティーガルテン公園をベルリンの人々が散策している、Bundes Alleeブンデス アレー通りに面した路肩をいそぐ人々も伺える。
ハンブルグの年老いた人々に、乳母車を押している若い女性、暗いウールのセーターに身を包んだ感傷的な若者に、桃を詰め込んだかのように頬を膨らませたソーセージ売りと、皆一様に長いプロイセンの冬の後に訪れた、この崩れた天候をすらも味わおうとしているかのようだ・・・
そんな中、丸い巨躯のレストラン経営者ハイラムは、細いストライプの入ったスリーピースのスーツに身を包み、粋に乗せられた帽子に、カールした黒髭を見せびらかし、片手で傘をさし、もう片手に黒いカバンを捧げもって、その傍らにはセイラ・モーゲンスターンが近づきすぎないよう脇をかためている。
安い傘からはみ出した、タクの羽のついた帽子を雨が濡らしていき、その雫がデズの鼻まで滴り落ちて、タキオンは思わずため息を漏らしてしまった・・・
なぜ私は同じ言葉を繰り返しているのだろうか?もう4回か5回目になるではないか・・・これではまるで道化だ、間抜けにすぎるというものだ・・・
ハイラムが言うには、西ドイツの資産家が匿名を希望に、身請けの資金を提供してくれたということだった・・・
セイラの立ち姿はぎこちなく、震えているかのようにすら感じられる・・・
その顔は着ているレインコート同様蒼白で、瞳の青さを際立たせている・・・
タキオンとしては連れてきたくはなかった、たしかにセイラは視察団の中でも第一級の記者であるし、ハートマンを誘拐した一団との取引から目をそらせておくのは難しく、かつ彼女自身の個人的感情というものもその裏にはあるのだろう・・・
そこでハイラムが言葉を発した「来たぞ」その声はいつもより上ずったものに感じられた。
タキオンが首を動かさず、右側に視線を動かすと、西ドイツ広しといえども見まがいようのないジョーカーの姿がそこにあった。
トゥルース・ロートレックの描いたような髭面、ベージュのアリクイを思わせる上体に鹿のような脚がついているジョーカーだ・・・
「トム」ハイラムが言い放ったかすれた声に
ギムリだ」そのドワーフが訂正を加えたが、
いつもよりは落ち着いて見えるものの、その目はハイラムの手に握られているカバンに暗い視線を注いでいる・・・
「もちろん・・・ギムリだとも」
ハイラムは傘をセイラに手渡して、カバンを開くと、ギムリはそれに頭をつっこまんばかりに爪先立ちとなり、その唇は口笛を吹くかのような喜びの形で結ばれている・・・
アメリカドルで2百万、残りの2百万はハートマン上院議員が解放されてから渡そう」
それに対してギムリは乱抗歯を向いて答えた
「値切ったものだな」
ハイラムがむきになって言い返した。
「電話では同意したではないか・・」
「信頼の証として申し入れを考慮することに同意したまでだ」ギムリに同行してきた二人のナットの一人がかわって答えた、レインコートを着ているものの、その下の巨体がうかがえる背の高い男だった。
くすんだブロンドは幾分後退していて、額がかなり広くなっていて、その髪は降ったりやんだりを繰り返している雨に濡れている・・・
「私が同士ウルフだ、我々の同士アル・ムアッジンの自由の件は考慮していただけたかな・・」
「ドイツの社会主義者にとって、ムスリム原理主義者であるテロリストの生命に何の価値があるというのだね?」タキオンが尋ねると
「西側の帝国主義に対抗する同士だということにしておこう、それならばかつて己を犬のように追い立てて、国外に退去させられたタキス人が、どうしてその国の上院議員のために己の身を危険にさらそうというのかね?」
タキオンは一瞬虚をつかれたようであったが、すぐに持ち直したように微笑んで返した。
「なるほど、追いたてられた同士というわけですな」そうしてウルフと、それならば理解できるとばかりに視線を交わしていたところにハイラムが言葉を挟んできた。
「我々が用意できるのはお金のみです・・我々ではハッサニ氏を解放することはできないのです、それを留意いただきたい・・」
「ならば取引はなしね」ウルフに同行してきた赤毛の女が答えた。
幾分不機嫌でありながら、青い挑発的な色に塗られた柔らかい唇を尖らせているさまはタキオンには充分魅力的に思える・・・
「こんなちり紙のような紙くずに何の価値があるというのかしら、資本主義の豚どもにはさぞかし魅力的でしょうけれどね・・」
「おい、ちょっと待てよ」ギムリが口を挟んできた。
「多くのジョーカーを救える金だぜ」
「それがファシズムにつながるのを忘れたのかしらね」赤毛の女が鼻息を荒くして応じると、
ギムリは顔を真っ赤にして答えた。
「金はここにあるが、ハッサニはRikersイカース(刑務所)だ、手をのばせば届くのはどっちかな」
ギムリの言葉にウルフが不快を顕わにしたところで、エンジンのかかるような騒音が轟いた・・・
青白い顔に獰猛な瞳を備えた女が、猫のように飛び上がって、タキオンの視界から消えたところで、太ったソーセージ売りが、カートに手を突っ込んでそこからヘッケラー&コック自動小銃を取り出し構えているではないか・・・
「こいつは罠だ」そう叫びながらも用心はしてきたのだろう、ギムリはコートをはだけてKrinkov小型アサルトライフルをむき出しにしたが、タキオンがすかさずギムリカラシニコフをブーツで蹴り上げて落とさせはした・・・
ナットの女性が、コートの下からAKMを取り出し、タキオンの鼓膜をつんざく轟音が響いた・・・セイラが叫んでいる。
タキオンはセイラに覆いかぶさって、雨に濡れ芳香を放つ草むらに伏せさせた。
女テロリストが何やら銃を振り回し始めたようだったからだ、しかもその表情は喜悦に満ちているではないか・・・
そうしてハンブルグの老人に、乳母車の若い女性、セーターを着た繊細な若者が小型小銃に追い立てられて、二本の傘の下に群がり始め・・・
「待ってくれ」ハイラムが叫んでいる「違う、こいつは誤解なんだ」
他のテロリストも銃を取り出し、盲滅法に乱射しはじめたため、無関係な人々も叫びをあげ、散り始めると・・・
裏がつるつるの靴を履いた男もまた、箍が外れたように小型小銃を振り回し足下に向け撃ち始め・・・
MP5Kを持ち、ビジネスマンを思わせるスーツを着た男が、事態が把握できず動きを止めている女の乳母車に脚を取られ倒れて、と混乱は枚挙に暇ない・・・
セイラを下にしたかたちになったタキオンは、己の意に反して股の間のそれを堅くしてしまっていた、そのまま身体を密着させているのだ、セイラの身体が石像のように堅くなっているのを感じている・・・
確かに望まなかったといえば嘘になるが、こんな状況では・・・悔悟の念は拭いがたく、身体を接触させていることによる痛みに近い感情は、頭上を弾丸が行き交う恐怖よりも強く、セイラ
は頑ななままだ・・・
グレッグ、あなたには幸運の女神がついているのですから、どんな困難の中でも生き延びるべきなのだ・・・そう考えるのがやっとであったのだ・・・

ギムリは飛び掛ろうとした巨漢のナットを、ライフルを振り回して退け、その男を、身の丈に比例しない驚異的な力を発揮して、スコットランド棍棒投げのように、三人のジョーカーの鼻面めがけ放り投げた。
デズは叢に突っ伏している
なんと賢明な男だろうか、硝煙のみならず、湿った芝と土の香りを感じていればいいのだろうから
ハイラムは火を払うかのように、手を振って叫んでいる
「なんて、なんてことだ、こんなはずでは・・」
テロリストたちが撤退を始めたが、ギムリは一人のナットの脚の間に屈みこんで、摑もうとする手を打ち据えていて、それからテロリストたちの後を追おうとしたが・・・
そこでタキオンは痛みを訴える金きり声を耳にした・・・
鼻息の荒いジョーカーの一人が、腹部から真っ黒な血を流して倒れ伏したのだ・・・
ギムリが駆け寄って、丸めたカーペットでも持ち上げるかのように肩に担ぎ上げた。
そこでピーチク囀っていたカトリックスクールの女学生たちが、逃げ惑う難民を思わせる動きで、豚の尻尾で払われた虫のように散り始めた・・・
片膝をついた男が、小型小銃を構えてテロリストたちを追い立て始めたのだ・・・
そこでタキオンは、彼の精神に手を伸ばして、昏倒させ眠りに落とさせた。
そこでヴァンが咳き込むような音を立て、突っ込んできて、ギムリが開かれたドアの取っ手をしっかりと摑み、轟音とともに走り去った・・・
ハイラムは湿った草の上に膝をついて、嘆きながら草を叩いている・・・
その傍らには黒いカバン、その中の札束がタキオンには空しく思えてならなかったのだ・・・