ワイルドカード4巻「零(ゼロ)の刻 その2

            零(ゼロ)の刻

                      ルイス・シャイナー

泡立てた石鹸を、プラスチックの桶で体から丁寧に洗い流し、身体を清めて風呂桶に入るのは日本固有のエチケットだ。
日本においては、石鹸を身体につけたまま、Ofuroおふろに入ることは許されない、それは靴を履いたまま、Tatami Matたたみにあがることと並ぶ、許されざることなのだ。
日本人がよくするようにタオルを腰に巻くことも忘れはしない、そうして華氏115度(約摂氏46度)のお湯につかると、額から汗とも湯気ともつかない水滴が顔に滴り落ちる、ちょっとした忍耐が必要だが、浴槽に腰掛けて目を閉じると、身体も思いがけず熱で緩み、無関心を装っている人々の心持ち同様心地よくもある。
日本に来てすでに6ヶ月になるが、あまたの日本人と同じく、規則正しい生活が身についている。
この時間の入浴だけではない、朝は9時に起床し、一時間ほどニューヨークでもほぼ毎日行っていたと同様、瞑想と鍛錬を行い、週の内2回はChiba City千葉の港を横切ったところにあるZen Shukubou禅の宿坊に通ってもいる。
午後には、ブリジストン美術館でフランス印象派の絵画を見たり、リッカーで木版画を楽しみ、皇居の庭園を散策し、Ginza銀座でショッピングを楽しんだり、神社仏閣を訪ったりもし、
夜には、Mizu Shobaiミズ・ショウバイの街に赴く。
そこには伝統的なGeishaゲイシャの住まいと娼館が軒を連ねており、あらゆる喧騒と快楽がひしめいている。
鏡張りのナイトクラブからRed Light赤提灯のぶらさがった小規模な酒場と舞台は様々ながら、夜もふけ、Sakiサキ(日本酒)が回ると、ホステスがフォルマイカ塗りのカウンターに乗り、一糸まとわぬ姿で踊ることもあるという。
どこの国に行っても、こういった色をまかなうショウバイは尽きない、実際フォーチュネイト自身ニューヨークではGeishaゲイシャと名づけた高級娼婦の斡旋をしつつ、紐のごとく生活に身をやつしていたのだから、色んなことがわが身にふりかかって、そこから逃げ出してきて、いっときは修道院に入ろうとも真剣に考えたものだ、それでもこんな場所にいる、己をとらえるWoman色からは抜け出すことはできなかったとみえる。
そこでJo-San(お嬢)という名のホステスと会い、言葉を交わしてから手狭な部屋に帰宅して、Masterbate己で慰める、するとムーラダーラのチャクラが回りはじめ、焼け付くようなワイルドカード能力、すなわちタントラパワーが戻ってきて己に漲るのだ。
お湯の熱さが苦痛を伴わないようになると、湯船を出て、再び泡で身を包み身体をこすり上げ、洗い流してからOfuro湯船に再びつかりながらも、こころは同じところに戻っていき、同じ問いかけを繰りかえす、そうして己に言い聞かせているのかもしれない。
ここが思案のしどころだ、ホテルに出向いて、ペレグリンと、いや一行を出迎えるか、一週間程度街を離れて、Chiba City千葉のShukubou宿坊に篭るのもいいかもしれない、それでも何らかの偶然が重なって出くわさないとは限らないわけだが、そうだ、第三の道がある、このままいつも通りに過ごし、運命に身を委ねるのだ、それで顔を合わせるならば、それだけのことだ、何ほどのこともないのだ、と・・・