ワイルドカード5巻「不滅ならざるもの」その6

                   不滅ならざるもの   

                   ウォルター・ジョン・ウィリアムス  

「オペレーターにも問題はある」トラヴニセクはまた語り始めた。
フェルミ粒子は二次元ワールドの世界−平面感覚上に存在するのであって、時空D次元感覚に基づくものではないからだ」どうやらレンスラークリニックの緊急ルームのストレッチベッド上で、またトランス状態に陥ってしまったようだ。
そこでトラヴニセクの言葉の一節が精神をよぎった<ゴーストオペレーター>彼はそう口にしたのだ。
「Gパリティ領域にさえスペクトルを位相して・・・スペクトルからタキオンを除外するなら・・・」
ワイルドカードだな」Drフィンの口調からもはや疑いようはないようだ。
「しかし妙な症例だ、スペクトルが何を意味しとるかはわからんがね」
そこでパソコンの画面に表示された症例のデータを睨みすえ、神経質に蹄で床を叩きながら話し始めた。
「2つのワイルドカードウィルスが絡み合っているようだ」
「ゴーストフリー光円錐ゲージ・・・ローレンツ不変性がその根拠になりうる・・・」
「ともあれタキオンに知らせるとしよう」そこでDr.フィン、上半身に白衣のみを羽織って聴診器をひっかけたポニーサイズのケンタウロスは、トラヴニセクに目をやり、それからアンドロイドに目配せしつつ口を開いた。
「ところで治療の承諾は可能かね、おそらく血清、すなわち投薬が必要になるだろうから聞いとるんだが、あんたは身内かね・・・」
「私には法的権限などありませんから、承諾書にサインすることなでできはしません、わたしは人ではなく、第六世代機械知性体なのですから」
フィンはそこでようやく事態を飲み込めたようだった。
「まぁともかくタキオンを待つさ」そういって腹をくくったようだった。
そこで合成樹脂のカーテンが開かれて現れた異星人のスミレ色の瞳が驚きに見開かれ口から言葉があふれ出た。
「戻ってきたのですか」タキオンが主語を省いて話すのは珍しいことだ。
タキオンは白衣の上に金のレースで彩られたルリタニア親衛隊の騎兵風のジャケット
を羽織り、銀と青緑色の貝殻を散りばめた黒いガンベルトに、コルトパイソンをさげて吊るしている。
「Six Gun(6連回転式拳銃)を持ち歩いておいでですか?」モジュラーマンが尋ねてみると、ようやく驚きから立ち直ったと見えて、ぞんざいに手を振りながら、
「再生の喜びを寿ぎたい、そう申し上げようとしたつもりでしたが、とんだものいいをしてしまったようです」
「わかります、ありがとう、実は診てほしい患者がいるのです」
タキオンケンタウロスから受け取った症例をカルテを見てから口を開いた。
「ふむここ3日のあいだではじめてのワイルドカード感染者です」
カルテを示して続けた。
「どこで感染したかさえ特定できれば、クロイドの足取りもつかめるというものでしょうが」
Bosonic String超弦理論Invarianceによると不変値の再パラメーター化は・・」
トラブニセクが額に、玉の汗を滴らせて、また叫び始めた。
covariantゲージ(共有値)を保つのだ!」
カルテをみたタキオンの目が興味深げに細められた。
「ふむ2種類のワイルドカードウィルスが絡み付いているようだね」
そういってから「古い感染と、新たな感染が結びついているんだ」と補足してのけたのだ。
モジュラーマンは衝撃を感じつつも、博士を見つめ、様々な確立を吟味して、博士がモジュラーマンを建造しえたのは、確かに博士の才能のたまものといえるが、それはうまれついてのものではなく、ワイルドカードの作用によるものと気づいてしまったのだ。
タキオンがトラヴニセクに視線を沿えて
「この状態からの覚醒は可能ですかな?」
「わかりません」
タキオンはストレッチベッドに寄りかかって、トラヴニセク博士に視線をすえ意識を集中している、何らかの精神の力を使ったのだろう、博士は叫びながら、博士の腕を払いのけてから、腰を下ろして、視線を返した。
「あのくそったれなローレライだ!・・
「あの売女が、チップをはずまなかった腹いせをしたに違いない、お陰でこのざまだ」タキオンは呆れつつも、トラヴニセクに目をやって話を始めようとした。
「あの、ミスター・・」しかしトラヴニセクは指をひらひらさせて制止してのけ、
先鞭をきってのけようとすらしたのだ。
「ピーピー言わんでくれんかな、わしが何をしたと言うのだね、請け負ってもいいが、何の危険もあるまいに」
「そうではなくてですね・・
「ここ数日に誰に会ったかを書き出していただきたいのです」
トラヴニセクの額に汗が滲み始めた。
「誰にもあっとりゃせんよ、ここ三日間はロフトにこもって冷蔵庫のとこにいってピザを出して喰っとったくらいかの」そこで突然博士の声が甲高く跳ね上がった。
「あのローレライだ、そうだ、あの女のせいに違いないんだ」
「それでは接触されたのは、そのローレライさんだけなのですね」
「Jesus,Yes(いまいましいがその通りじゃ)」
トラヴニセクは首を上げ、手に持った靴を掲げて足を示して見せた。
「おかげでこのざまだ」
「どこに行けばその人に会えますか?どこかに隠れていらっしゃるのですか?」
「シャングリラ貧民窟におる、ガイドにもあるじゃろう、そこで呼び出せばいい」
そこで博士の瞳に怒りが灯りつつも忌々しげに言い添えた。
「タクシーならば5ドルくらいで行けるじゃろうて」
フィンがタキオンに視線を移して尋ねた。
「ここ3日の間で、クロイドが女性に変化した可能性はあるものでしょうか?」
「ないとも言い切れまい、それにそのローレライさんを探すことで、クロイドにつながる手がかりが得られるかも知れませんから、ともあれ分隊には連絡して、警察には知らせておいた方がよさそうですね」
「そうしましょう」フィンがそう答えると、蹄で優美にタイルを踏みしめてから、
カーテンで仕切られた区画から駆け出て行ったところで、タキオンはトラヴニセク
に視線を戻して尋ねてみることにした。
「これまでにワイルドカード感染の記録・・・つまり兆候はありましたか?」
「もちろん、あるわけないとも」
そう答えつつ、トラヴニセクは足に手をやりつつも、邪険に手を振ってから言い添えた。
「脚のことならほっといてくれ、忌々しい話だがな」
「それは兆候です、ワイルドカード二度目の感染のです、あなたは一度感染していますね」
そこでトラヴニセクの頭は驚きに跳ね上り、噴出す汗がコートを湿らせすらしたのである。
「なんじゃと、すでに感染しておっただと?そんなことがあってたまるか」
「それがあったのです、あなたの遺伝子はウィルスによって書き換えられてしまっていたのですよ」
「わしゃぴんぴんしとったぞ、このやぶ医者が」
「博士」そこでアンドロイドがたまらず口をはさんだ。
「並外れた知覚の兆候はあったではありませんか・・超弦理論に関する不変値の再パラメーター化などに関して話しておいででした・・」
そこで博士はしばらく沈黙に包まれていたが、ようやく理解したとみえて、その面に
恐怖を滲ませつつ祈りにも似た言葉を発した。「My God(そんな)」と。
「それでも」そこでタキオンがようやく口を開いた。
「血清を用いれば、20%の確率ではありますが治療は可能です」
トラヴニセクはアンドロイドに視線を泳がせたまま、言葉を返した。
「治療とは何じゃ」そして搾り出すように問いを発したのだ。
「感染が取り除かれたらどうなるというんだ」
「すべてよくなる可能性があるということです、もちろん危険も伴いますが」
そこで蹄の音が響いて、カーテンが開いた、フィンが戻ってきたのだ。
「準備できました」ケースのようなものを抱えていて、それを開くと、中には
瓶と注射器のようなものが入っているのが伺える。
「血清をご用意いたしました、もちろん拒否も可能です」
そこでトラヴニセクは初めて、ケンタウロスの存在に気づいたように、声を荒げて
応じた。
「近づくな、このうま公めが・・」
フィンの目が細められ、タキオンの表情が嫌悪に歪められたのが見て取れた。
タキオンの声には抑えがたい怒りが滲んだものであったからだ。
「フィンはきちんとライセンスを持った優秀な外科医です、それに・・」
「ライセンスがあろうがなかろうが関係ない、だったらセントラルパークにそいつを持ってってジョーカーどもにそいつを使うがよかろう、やつらが大本なのだからな、
じゃがわしは御免こうむるぞ」
そう答えつつも、脚に目をやってしばらくは躊躇していたが、ようやく覚悟が定まったと見えて、その瞳に決意を思わせる強い光を宿して、靴を床に放り投げて見せてから、啖呵をきってのけた。
「実際。わしにはそんな血清なぞ必要ないんじゃから」そしてアンドロイドに目配せしてから決然と命令を発した。
「ここから出るぞ、今すぐだ」
Yes.Sir(かしこまりました)」不安が回路をよぎりはしたが、もともと造物主の直接命令に逆らえるようには設計されていない、従うより他になく、博士を脇に抱え、宙に浮き上がると、タキオンは腕組みしながら不快感を露にしたまま黙っていて
「待ちたまえ」とフィンが必死に制止を口にしたが止めようもありはしなかった。
「退院し、治療を拒否なさるにはサインが必要です」
Piss Off(くそくらえだ)」吼えるトラブニセクの目に、救命室のベッドが遠くなって小さくなり、廊下に出ると、灰色の髪をして、ひざに刺さった破片を取り除くため治療を待っているジョーカーの少年が、銀色の空洞に思える目を驚きに見開いているのが目にとまったが、フィンが追ってきて手にもったペンと紙を振り回し、「せめてお名前だけでも」と叫ぶ前に霞んでしまったが、それにもかまわず緊急室のドアを開け、通り抜けると、今度は7フィートもの緑色をしたジョーカーにぶつかりかけたが、回避して加速し病院を出ると
「ロフトに戻ったら」トラヴニセクの指示が繰り出された「ローレライを探し出して、ロフトに連れてくるんじゃ、ワイルドカードをつきかえさにゃならんからの」
アンドロイドが小脇に何か荷物のようなものを抱えて飛行するさまは、夜分とはいえガーゼのマスクをつけた人々の目をひいたことだろう。
その人々の様子はアンドロイドの回路に、不安ともいうべき影となってよぎりつつ大きくなって、たまらず口をひらいた。
「博士、これはウィルス感染です・・
だとしたら特定の個人から感染したといいきれないのではないでしょうか?」
Jesus Fucking Christ(このあほたれが)」自らの頬をぴしゃりと打ち据えつつ答えた。
「思い出したんじゃよ、階下には他に2人おったんじゃ」
その顔に笑みを浮かべつつ続けた。
「わしがローレライを呼ぶべく、電話のところに行こうと階段を降りとったところで、やつらは上っていくところであり、一人とぶつかったんじゃ、アパートにきとったんじゃろう、おそらくこの2人のどっちかが噂のクロイドじゃろうて」
「その男はアルビノ(白子)でしたか?」
「気にもしとらんかったし、マスクもしとったしのぉ」そこで興奮した様子で声を荒げた。「そうじゃ一人は確かサングラスのようなものをかけとったぞ、暗かったが、ピンク色の目がすきまからみえたので印象に残っとったのじゃ」
ロフトのあるビルに着いたところで、通り上空から、通気孔のあたりを旋回して、屋上に降り立った。
そこで天窓を開け、注意深く博士を降ろすと、着地した博士は、2人分の靴が乱雑に脱ぎ捨てられているのを見て、その事実から何かを導き出してのけたのだ。
それはこういったものだった。
「おそらくこのアパートにはジョーカーが紛れ込んでおるぞ・・
 一人とは階段で行きちがったことは確かじゃし、とはいえ流動ジェネレーターごときでぶつくさいうあの大家が騒がなかったことが不思議といえば不思議じゃが」
靴の片方は、テーブルの下に転がってしまっているのに目をやりながら続けた。
「やつらはここに来ておった・・それでわしはこのざまじゃ、おそらく下のどこかにおることじゃろう、見つけだしてやつらには償いをさせにゃおさまらん」
「力を制御できなかったのでしょうから」そうなだめると、博士は靴を見失ったと見えて、そいつを探しているところに被せるようにアンドロイドは続けた。
「もとに戻すこともできはしないでしょうか」
トラヴニセクは落ち着かなげに手を振り回しつつうろうろし、額に汗を滴らせながら、瞳に熱を宿らせて、さらに語気を荒げた。
「ともかくやつらを止めねばなるまい」さらに叫び声で続けた、
「さもなくば死で報いるのみじゃ」
言葉がさらに甲高さを増しながら続いた。
「わしはジョーカーにはならんぞ、この優れた天才の頭脳を失ってなるものか、
あのならずものどもを捕らえ、ここにひきたてるのだ」
Yes.Sir(かしこまりました)」アンドロイドはそう答えると、スペアパーツ類が眠っているロッカーに歩み寄り、ノブに手をかけ、ドアを開けて、グレネードランチャー2基が失われている、睡眠ガスとスモーク(発煙)グレネードもない、装填してエーシィズ・ハイの戦いに赴いたのだろう。
残るはダズラー(幻惑弾)と20mm回転砲弾が装填できるキャノンとマイクロレーザーのみ。
これでクロイド、すなわちかつて己を破壊した相手に立ち向かうのだ。
ジャンプスーツ(つなぎ)の方のジッパーを開け、スロットを開き、キャノンとレーザーを定位置にマウントすると、キャノンは以前よりも長くて、重く肩にのしかかるように思われた。
そこでバランスを調整するようソフトウェアを書き換えた。
キャノンには、回転砲弾のドラムから射出する20mm弾の装填が必要であり、ボルトによってその装填は可能となる。
装填を行いながらも彼の回路に、再び死地に赴くのではないのか、そんな思考がよぎりはしたが、流動フィールドを作動させると、オゾンはパチパチ音を立て、セント・エルモのオーラが瞳に踊ったところで、フィールドの作用で非実体化はなされる、こうしてモジュラーマンは床の中に沈んでいったのである。
彼を待ち受けるもの。それは果たして・・・