ワイルドカード5巻第14章おうさまのおうまもⅥその6

               おうさまのおうまも・・・Ⅵ

                 G.R.R.マーティン 

ことは遅々としてなかなか進まなかった。
夕闇が舞い降りるころ、トムは忍んでいた地下室を出ることにして、
注意深く辺りを探ると、喧騒も静まっているように思える。
それでもミッシュマッシュは「きっとひどいめにあう」と言って、
闇に忍ぶのすら怖がっていたためおもいきれなかったのだ。
黄昏が這いよる頃にようやく移動することを承諾したので、トムが先に
数ブロック様子を見に出ると、家々の窓には明かりが灯り始めており、
3階の窓から漏れ出るテレビの音と、遠くから依然として聞こえてくる
パトカーのサイレンの音が混じり合って聞こえてくる以外は、死に絶え
たかのように静寂に包まれているようだ。
戦争映画のGIのように民家の軒先をわたりつつ歩を進めると、車も通ら
ず、歩行者も皆無であり、すべての店先は闇に包まれ、蛇腹状の格子と
鉄のシャッターに守られて閉められ、隣家に連なる柵すら閉ざされている。
進む内に、窓ガラスが割られているのも見たし、交差点の真ん中に、焼
焦げたパトカーがひっくり返って巨体をさらしているのと、マルボロ
広告版が、「ジョーカーを皆殺しに」という赤い文字で汚されているの
も目にして、ミッシュマッシュを表から連れまわすのはまずいと判断した。
戻ると、かのジョーカーはちゃんとそこにいたが、ドアの方に、スーツケース
とショッピングバッグバッグを動かそうとしていた様子だったので、「触る
な、と言っておいたはずだよ」とあわてて釘を刺すと、微かに返って
きた声の縮み上がった様子に罪悪感を覚えはしたが、バッグを持ち上げ、
「行くよ」と声をかけて、外に歩を進めた。
するとミッシュマッシュもよたよた
と秘めたダンスを踊るような体の足取りで後についてきた。
ゆっくりと、きわめてゆっくりだが進み始めたのだ。
通りを一つ横切るたびに様子を伺い、休み休みカナルの南に位置する脇道を
進んでいった。
歩みを進めるごと、ブロックを経るごとに、スーツケースが重さを増して
いるように感じられてくる。
チャーチストリートを抜けたところで、通りの入り口に、徒歩で移動する州
の警備員6人ほどを従えた戦車が通りすぎるのが見えたため、ごみ置き場に
潜み、息をつめてやりすごす気だったが、彼らの一人が目ざとくミッシュ
マッシュの影を目にしたようで、銃を構えなおしたのを見て取れ、そこでトム
が立ち上がって、ミッシュマッシュに駆け寄ると、その瞬間警備員と目があって
しまったのだ。
トムにしてみれば子供のような年齢だ、おそらく19か20歳以上ではないだろう。
しばらくトムを見つめていたが、銃を降ろし、うなずいて歩き去ってくれた。
ブロードウェイは暗くひっそりとした様子ながら、乗り捨てられた車の合間を縫って、警察の囚人護送車が1台駆け抜けていくのをトムは見送ったが、ミッシュマッシュはゴミ箱の陰に隠れ縮み上がっているようであり、トムが「行くよ」と声をかけると、
「見つかるよ」と答え、「ひどい目にあう」と付け加えた。
「そんなことはないよ」とトムはうけおい、「こんなに暗いんだから」と説得して
ようやくブロードウェイを半ばまでに至り、車の間を進んでいると、突然街灯が静かに灯り、闇を追い払った。
ミッシュマッシュが鋭い叫びをあげ恐怖を示すのを見て、トムは「進むんだ」と
急ぐよう促し、先を争って通り過ぎようとしたところで、
「手を上にあげて止まりなさい」と歩道から声がかかった。
慎重に、手榴弾を扱うように慎重に対処しなければなるまい。
その声に応じつつゆっくりと駆け寄ると、そこに警官がいて、つけたガーゼの白い外科マスクのため声がくぐもっており、その口調はまじめさがにじみ出ており、腰のホルスターは開かれていて、中の銃がその手に握られているのだ。
「その必要はないよ・・」トムが神経質に応じると
「それはどうかな」と返して
「君達は外出禁止令に違反している」と言い添えた。
「外出禁止令だって?」と尋ねると、
「おい、ラジオを聞かなかったのか」と尋ねはしたが、答えも待たず、畳み掛けてきた。
「ID(身分証)を出したまえ」
トムはバッグを慎重に路面に降ろしてから答えた。
「僕はジャージーから来たんだ、僕は家に帰りたいんだけどね、トンネルがふさがっていて通れなかったんだ」と言い放ち、忙しく財布から免許書を取り出して、警官に手渡した。
「ジャージーか」免許書を確認してトムに返してから言葉をついだ。
「なぜ港湾管理局に行かない」
「港湾管理局だって?」トムは困惑しながら尋ね返した。
「証明センターだよ」そう答えた警官の声は、粗野でいらだった様子だったが、ようやくトムたちに危険はないと判断してくれたようで、銃をホルスターに収めて続けた。
「街の外からの人間は港湾管理局に報告して、医療検査をパスされてはじめてブルーカードが渡され、ようやく戻ることが許される、わたしだったら、まっさきにそこに向かうがね」
港湾管理局に向かうのがベストだろうが、おそらくそこに至るバス停にしたところで、今は旅行者や勤め帰りの人間でごったがえし寿司詰め状態だろう。
また多数のマンハッタン市民が、そのふりをして街をでようとし、検査の順番待ちをしているだろうし、検査が終わったところで、検査済みの街から出る人々がバスに乗ろうと順番待ちをしているに違いないのだ。
警察と州警備隊が治安維持につとめているところで、42番街で巻き起こったような悪夢の再現を予期することは難しくないだろう。
「知らなかったんだ、そこにいってみるとするよ」と答えたが、その言葉はもちろん嘘だ。
ミッシュマッシュをジョーカータウンにまで連れ帰らなければならないのだから。
そこで警官がミッシュマッシュに目を据え、渋い顔で忠告めいた言葉を口にした。
「そいつをつれ回すのは感心しないな、保菌者はアルビノ(白子)という話だが、誰も頭が一つとは断言しちゃいないからな、闇夜じゃジョーカーの区別など容易にゃつかないだろう、州警備の連中はあんたらを目にするなり、飛び上がって撃ち殺してから、安心してIDを確認しにかかるだろうからね」
「そんなひどいことになっているのか・・?」その言葉はトム自信の予想をにじませて暗く響いたが尋ねてみた。「何が起こってるんだ?」
「ラジオをつけてみることさ・・
「そうすりゃ頭を吹き飛ばされずにすむというものだ」
その警官の言葉に重ねて尋ねずにはいられなかった。
「何を探しているんだ?」
「ジョーカーだって話さ、そいつが新たなワイルドカードらしいウィルスをこの街に撒き散らしてしまったのさ、そいつはやっかいでいかれてるって話だ、危険なんだ。あんたが連れている連中のお仲間さ、そしてエースと行動をともにしているらしい、そのエースは普通に見えるが、どんな弾丸も跳ね返してしまうらしい、悪いことはいわない、そいつは港湾管理局につきだした方がいい」
「ぼくは何もしないよ」ウィッシュマッシュが抗弁した。
それはようやく搾り出した声で、低く弱弱しいものでかろうじて聞き取れるものであるにも係わらず、返ってきた警官の言葉はおそるべきものであった。
「黙りやがれ、舌がすべりもしたかもしれねぇが、黙って聞いてりゃそれでいいんだ」その言葉はミッシュマッシュを沈黙させるのに充分なものであった。
その声に滲んだ悪意に驚きつつも、何かがトムを突き動かした。
「何てことを言うんだ?」
後悔してもおそかった、もはやとりかえしなどつきはしないのだ。
外科マスクの上から覗く警官の目が細められ声が絞り出された。
「なんだそりゃ、ジョーカー愛護の精神ってか」
くそったれが、怒りと共に思わずにはいられなかった。
ぼくは無敵の勇者タートルだ、シェルの中にいさえすれば、持ち上げて、きさまを相応しいゴミために放り込んでやるというのに、しかし実際に口から出したのは思いとは別の言葉だった。
「すみません、そんなつもりはなかったんです、ひどい目にあったものですから、
ついね、わかるでしょ、何にしろここにはいない方がいいですね」微笑んでみせてスーツケースとショッピングバッグを取り上げ、「行くよ、ミッシュマッシュ」と声をかけた。
「何が入っているんだ」と突然警官が声をかけてきた。
もちろんモジュラーマンの首と8万ドルの現金が入っているのだ。
だがそんなことはいえやしない、法を破ったわけじゃないが、説明しようもないのも事実なのだから。
そこで「服ですよ」と言い繕おうとしたが、その前の沈黙が長すぎたのだろう。
「じゃなぜ見せられない」という答えが返ってきてしまったのだ。
「見せられないわけじゃない」何とか切り抜けようと言葉を継いだ。
「そうさせる権限などないはずだ、捜査令状もなければ、その必要もないはずでしょう」
「権限ならここにある」そう答えるや否や、警官は銃を抜いて答えた。
戒厳令下で、盗っ人を撃ったということなら辻褄もあうってもんだぜ、さぁ
バッグを下に降ろし、ゆっくりと離れるんだ、Asshole(けつ野郎)」
その時間は永劫にも続くように思えたが、何とかトムはその言葉に従うと、
「下がるんだ」と声がかかり、歩道にまで引き下がる。
「きさまもだ、Geek(見世物野郎)」その言葉を受け、ミッシュマッシュもトムのあとに続いた。
警官がショッピングバッグに駆け寄り、持ち手に手をかけて、中を見ようとした、
そのときである。
モジュラーマンの頭部が飛び上がり、顔面に勢いよくぶつかったのだ。
砕けた鼻から迸る血が、白いガーゼのマスクを染め、叫びをあげてよろめき、頭部は回転しつつ、今度は弾丸の如く腹を撃った。
もんどりうって尻餅をつき、悪態のような声を発する警官に、容赦なく襲い掛かる頭部であったが、そこで彼はようやく拳銃を持ち上げ、両手で構えて、一撃を搾り出した。
ガラスが砕け散った、おそらく2階の窓だろう、モジュラーマンの頭部が警官のこめかみを打ったことで狙いがそれたのだ。
警官は銃のバレルで首を打ち据えていたが、何かがその銃を引っ張り、手から捥ぎ取って下水の中を落下していったのであった。
「サノバビッチ(この野郎)!」
警官は立ち上がろうともがいたが、その目はモジュラーマンのもの同様に生気を失っていて、鼻からは出血し続け、そのマスクを鮮やかな赤で染め上げていた。
さらに襲い掛かる頭部を、かろうじて掴んだものの、警官の顔から数インチまで迫っており、ぎざぎざに割れた首から、ケーブルがだらしなくぶらさがっている、そのケーブルが生命を備えたように顔面に向かって伸びてきたのである。
警官は恐怖の叫びとともに、ケーブルに掴み直すと、頭部自体が飛び上がり、激しく強い音立てて警官の頭に頭突きをくらわしたのであった。
そして回転しつつ頭部は警官から離れ、警官は呻きつつ、地に伏して、立ち上がろうともしなかった。
トムが荒い息を整えていると、
「死んだの?」とミッシュマッシュがせわしい囁き声で尋ねてきた。
心臓がばくばくいっていて、言葉を発するのに時間がかかりはしたが、
ようやく言葉を搾り出した。
Fuck(くそ野郎さ)」
そう答えはしたが、なんてことをしてしまったのだろう、という思いと共に何もかもが急に思い返されてきた。
空を舞っていたモド・マンの首が落下し、どぶに落ちて転がった。
トムは警官の傍らにひざをつき、心音を確かめる。
「生きてる、呼吸は弱いし、あれだけぶつかったんだから、頭蓋骨を骨折しているかもしれないけどね」
そう答えたトムにミッシュマッシュが近寄って耳打ちした。
「殺すんだ」その恐ろしい言葉にまじまじとかのジョーカーを見返しつつ、棘のある声で答えていた。
「正気か?」
シャツの胸の下から、紫色をした猿面が伸びてきて、怪しく輝くその唇が再び言葉を発した。
「あの男の口にした言葉を聞いたはずだよ、生きる価値など無い男なんだ、殺されかけたじゃないか、
さぁ殺すんだ」
「冗談じゃない」トムは立ち上がって濡れた手をジーンズで忙しく拭いながら答えた。高揚した感覚はすでになく、わずかなやましさだけが残っている。
そこでミッシュマッシュが囁いた。「あんたの身元は割れてるんだよ」
そのことはすっかり失念していた「Fuck Fuck Fuck(畜生、畜生、畜生)」
何と悪態をつこうがその通りなのだ、たしかに免許証を見られているのだ。
「追いかけてくる」ミッシュマッシュが囁く。
「したことは明白なんだから、捕まえにくるよ、殺した方がいいよ、僕なら黙ってるから」後ずさって大きくかぶりをふりはっきりと断ったはずなのだ「駄目だ」と。
「なら僕がやるよ」ミッシュマッシュはそう答えると、唇をめくり上げ、黄ばんだ犬歯を剥き出して、警官の喉下目指して皺まみれの首を伸ばした。
シャツがはだけ、顕わになった首が、警官の下あごの下の柔らかい部位で蠢いている。
胴体から3フィートまで延びた濡れて光る透明な管でつながったその首が揺れている。
飢えを満たすような湿りをおびた音とともに、警官の脚がぴくぴくと弱弱しく痙攣している、柔らかい首の皮から迸る真紅の液体をミッシュマッシュがすすり飲み干しているのだ。
「やめろ」思わず叫んでいた「やめるんだ」と・・
そのとき胴体の上の映画スターを思わせる顔と視線があってしまった、下の猿首がおぞましく貪り続けているにもかかわらず、その顔は美しいまま微笑み続けているではないか・・・
トムはTKで手を伸ばした、そのつもりだったが何もおきはしなかった。
悪意をぶつけてきた警官に対する激しい怒りはもはやない、残ったのは恐怖、怖れの感情のみ。
いつもそうだった、強い恐怖の影響下では、力が抜けるように発揮できなくなってしまうのだ。
無力に立ち尽くし、針のごとく鋭く残忍にとがったミッシュマッシュの牙が、いましも警官の首にかじりつこうとしているのに手をこまねいていたが、そこで気づいた。
跳びかかって素手で止めればいいのだ。
後ろからねじくれた胴体に手をのぼし、警官から引き離す。
しばし取っ組み合ったが、トムの方が体重もあって、力も強いため、歪んで貧弱なジョーカーの身体では抗すべくはずもなく、ともに尻餅をつくかたちになった。
トムの腕の下でミッシュマッシュは弱弱しくもがいていて、ようやく警官の喉からその唇は離されたが、その長い首は怒りを顕わにしつつ、濡れて光る首に蛇のごとくからみついている。
その瞳は狂気と不満に彩られ、しなびた紫色の首自体は、血によって彩られているのだ。
そこで再び首筋めがけてのばされた真紅に濡れた牙を、回り込んで押しのけると、ちぐはぐなその脚はもつれ、どぶに勢いよく転がり落ちた。
「消えうせろ!」トムは叫んでいた。
「ここから消えるんだ、そうしなければ、警官と同じ目にあわせるぞ」
ミッシュマッシュが歯軋りしつつも、首を引き戻した。
巻き起こったとき同様突然に、激情が覚めたかのようだ。
再び表情に恐怖を滲ませて、ミッシュマッシュが口を開いた。
「やめて」囁き声だった。
「お願い、助けたかっただけなんだ、ひどいことはしないで、ねミスター」ガラスのうなぎを思わせるその首はゆっくりと縮んでいって、シャツの下にもとのごとく収まった。
ボタンの下で震えるその顔は痛々しくすら思えたが、足元にうずくまってトムにすがるような視線を一瞬向けてから手足をグロテスクに揺らしつつ一目散に駆け去っていった。
そこでトムはハンカチで警官を仮に止血し、鼓動を再度確かめた。
弱いがまだ息はある。
大量の血を失っており、急がなければ手遅れになるだろう。
辺りを見回し、乗り捨てられた手ごろな車を見定め思った。
ジョーイからイグニッションでの緊急点火を教わった記憶を呼び覚まさなければならない、ちゃんと覚えてたらいいのだけれど・・・・


*主に「変人」や「一芸にのみ秀でたもの」の意味で用いられているが、もともとはサーカスやパレードで、ヘビやニワトリを食いちぎったり、昆虫を呑み込んだりするパフォーマーのことをさしていたという・・・