ワイルドカード4巻第10章その1後編

                 綾なす憎悪

                        パート3

                 スティーブン・リー

                     1986年12月23日 リオ

「奥にしまいこまくてはね・・」だと。パペットマンがうなる、セイラの精神を引き裂いて侵入し、その感情を貪ろうと精神の障壁を叩きつづけていたのをずっと抑えていたのだ。
ニューヨークで侵入をはねかえした憎悪の障壁はもはやない、それのみかひかれている感情すら感じるのだ、その放射される暖かい朱色の感情は、血中にしみわたる塩分のごとく華美な味わいがするに違いない。
容易いことじゃないかパペットマンがすすり泣いている。そうだろう、
その芳醇で、満ち溢れた感情を、圧倒的流れに育て上げるだけでいい、ここに連れてきたら、出してくれ、と哀願することだろう、そこで思う存分味わえるのだ、痛み、屈服、そうだ、望むすべてが・・・おねがいだ
グレッグはかろうじて、パペットマンをおしのけつつも、何故、必死にそうしているかを自分でもつかみかねていた。
たしかに、彼の内に潜み、他人の痛みや苦しみ、といった赤黒い怒りを含めて貪るパペットマンの存在はこの旅においては不安要素だ。
ニューヨークやワシントンでは問題がなかった、そこかしこにパペットが放牧されている、それらを利用して手を汚すことなくことを行うこともできれば、適当にみつくろって精神を開き、いくらでも貪ることもできた。
だがここでは細心の注意をはらい、すばやく捕食せねば、覆い隠すことも難しくなるだろう。
ここでは駄目だ、この旅のあいだだけは・・・
一人歩きが多くなれば、説明が必要となり、無用な疑いを招きかねない。
注意深くあらねばならない、飢えはそのままにしておけばよいのだ。
とはいえニューヨークを発ってのちは、貪るのは週一と定め、最後に貪ったのはグァテマラにおいてで、ずいぶん耐え忍んできた、といえるだろう。
それでも飢えはしだいに耐えがたくなっており、これ以上パペットマンを抑え続ける必要もないのかもしれないと思えてきた、そこでグレッグは餌を放ってみることにした。
マリウを憶えているか?
触れたときに、溢れるような流れを感じたことだろう、手をのばし、ふたたび感じるのだ、わずか数ブロック先ではないか?数時間もかかるまい、貪るがいいさ。
だがセイラは駄目だ。アンドレアやサキュバスのようなことは二度とごめんだからな、セイラには決して手をだすんじゃないぞ

愛してくれる、とでもいうのか?パペットマンが嘲った。
抱擁し、口づけし、暖かさを感じることはできたとしても、本当に愛されようと思ったら、すべてを打ち明けねばならないだろう、それでも愛情を感じつづけることができると思うかね?
黙れ!グレッグが叫び返した。
黙るんだ、マリウは好きにするがいい、だがセイラは俺の獲物だ、手を出すことは許さない
そういって乱暴にパペットマンを押しのけ、無理に笑顔をつくって、クリニックを立ち去ったのが、3時間前のことで、セイラがクリニックに残ることを決めてくれたので安堵しつつ、そうしてパペットマンを力づくで内に押しとどめながら、夜の闇にまぎれでる。
サンタ・テレサは、ジョーカータウン同様、夜に息づく街で、闇の生命に満ちてい
た。
リオは眠ることなく息づいており、高い山々に挟まれた山間とスロープは、灯りが点在して溢れ返り、さながら人の作り出した美で彩られているかのようだ。
そこでグレッグは、内に沈めた力を操って、探査の糸をのばした。
マリウだ、存在を感知し、見つけ出すんだ
そう、さながら血を流したようなジョーカーの思念だ、タキオンと何か片言の英語で話し込んでいるのを耳に挟み、それは常軌を逸しているとタキオンが返していたのを思い出したのだ。
タキオンが言うには、カーラという娘にひかれたマリウは、カーラを悩ませ、カーラの夫、ジョアンから、この腐れジョーカー野郎、もしカーラから手を引かなければ、殺してやる、といわれつつも聞く耳を持たず、つきまといつづけてカーラをおびえさせたため、ジョアンに切りかかられたということだった。
そこで傷口を縫い合わせたタキオンに、マリウの包帯をまくことを申し出、そうして触れることで、おぞましきマリウの精神への通路を開いておいたのだ。
不平をこぼすパペットマンをたきつけつつ、怒りに沸き立つ感情をそのジョーカーの開かれた精神からただちに感じとった、間違いない、こいつだ。
探査の糸の切っ先に、開かれた精神を感じ取った、およそ半マイル先だ、青い上着を羽織ったまま、せまく曲がりくねった通りを進みつつ、様々な強い思念を感じとりはしたが惑いはしない、子供の集団に囲まれてポケットをさぐられたが、見つめると黙って離れ、闇に散らばっていった。
そうして進み続け、マリウを目指し、間近に見分けられる距離まで近づいた。
マリウは3階建てのアパートの外で佇み、2階の窓を見上げている。
放射されている脈打つどす黒い怒りから、そこにジョアンがいることが感じとれた。
そうしてジョアンに向けられている感情は獣じみたシンプルなものにすぎないが、一方カーラに向けられた感情は複雑怪奇極まりないものといえよう。
淡く青いレースのごとき愛情の裂け目から、抑圧された欲望が見え隠れしつつも、金属片のように思われる、揺れ動く何か尊厳じみたものに抑えられているようだ。
とげの生えた身体ゆえ、意のままにできる存在など皆無であったことだろう。
ゆえにこころの底に沈めざるを得なかった空想をグレッグは感じ取り、そこに息を吹きかけ、障壁をおろさせる、パペットマン歓喜の笑いをこぼした。
そうして掌握したマリウの精神を撫でさすり、やさしくささやきかけ、マリウを抑えつけている公共心や信仰心といった重石を取り除いた。
そうだ、怒ってしかるべきだ。さらに囁きかける、こころを怒りで充たさねばならぬ、邪魔をしているのはあのおとこだ、侮辱しこころを傷つけてきたじゃないか、怒りを解き放て、燃え盛る灼熱の想いのみにこころをはせるんだ
路上に飛び出したマリウは、内心の葛藤を象徴するかのごとく両手を振り回しながら駆け続けた、そこで、欲求、痛み、怒りが増幅されるのをパペットマンを通じて感じる。
ついにはしわがれた耳障りな声で叫びをあげ、もとのアパートの前に駆け寄った。
グレッグは目を閉じ、漆黒の壁に寄りかかりながら、パペットマンがマリウを突き動かすさまを、マリウの目を通してではなく、精神で感じ取った。
マリウがポルトガル語で怒りの叫びをあげ、木が砕け散る音が響いたところで、怒りの炎は、これまでにないほどに突然高まる。
そこでパペットマンは荒々しい感情から滋養をとるべく貪り始めた。
マリウとジョアンが取っ組み合っており、こころの奥底にまだ痛みがわだかまっているのを感じ、その痛みに気づかぬよう和らげておいた。
そこで女性の叫び声が重なり、マリウのこころのねじれが拡大したことで、ようやくカーラもそこにいたのを、グレッグは知った。
すかさずパペットマンが怒りのきらめきを増幅させ、我を忘れるようしむける。
これでマリウが葛藤に苦しむことはないだろう。
ガラスの割れる音と女の泣き叫ぶ声の後の、ドスンというにぶいがはっきりした音とともに目を開けると、車の幌に一度乗りかかってから、路上に放り出された死体が見て取れた、その身体はいびつに折り曲がっており、背骨も折れてしまっているようで、マリウは窓からその死体を見下ろしている。
そうだ、これなんだ、実に味わい深い、極上の味だ
パペットマンはそう呟いてから、マリウの怒りが緩やかに内に引きこみ、落ち着こうとするのを妨げるために、マリウのカーラへの感情を弄ぶことにした。
彼を縛り付けている信仰心を薄め、愛情を霞ませさらに囁きかける。
カーラが必要なのだろう、ずっと求めていたではないか。あの娘が歩くときの衣擦れから温もりを想像し、双の腿の合間の秘所に想いをはせ、それを感じ味わうことを夢想しながら、夜な夜な自らで慰め、身悶えしてうめきつつ放出して、その願いをおさえつけてきたのだろ
そうやってパペットマンは嘲笑し、からかいの言葉をかけ、情熱を怒りの残滓に注ぎ込むようつとめた。
拒絶されているのがわかったからな、つりあうはずもない、針ねずみなジョーカーとじゃぁね、その身体じゃ受け入れられるはずもない、みだらなジョークを投げ掛け、笑いものにしたのだろう、しかもジョアンの手がついている、そしてジョアンはこういったのだろう「マリウには決して得られない快楽が俺の手にある」とな
カーラの叫びとともに、服の破かれる音を聞き、マリウの欲望が制御を失い解き放たれるのをグレッグは感じた。
焦がれよ、想いをはせよ、乱暴に押し倒し、とげが皮膚をえぐるのにもかまうことなどない、復讐心のみを心に描いて解き放て、暴力と苦痛に満ちた稜辱を果たすのだ。
もういい、グレッグがわずかに抵抗をこころみた。もうたくさんだ
しかしパペットマンはほくそ笑むのみ。
マリウが絶頂に達し、その意識が混沌に落ち込むまでつきまとって、満足したのか、たからかに笑い声をあげてから、マリウの精神を正常にもどして、また引き込んだ。
残されたマリウは己の為したことを目のあたりにし恐怖に立ち尽くす。
そこでさらに叫び声がビルに迸るとともに、遠くからサイレンの響きが近づいてくるのを耳にしたグレッグは、眼を開け、息をのみ、瞬きしてから・・その場をあとにした。
パペットマンが精神の奥底の馴染の場所に落ち着いたのを見計らい、グレッグが閂をかける。
これで満ち足りて、よく眠れることだろう。