ワイルドカード4巻第10章 その2

                 綾なす憎悪

                        パート3

                 スティーブン・リー

                     1986年12月26日 シリア


ミーシャが硬直し座りつくしている。
夢で見たものに肌をぐっしょりと汗で濡らしながら、恐怖のあまり実際に叫び声をあげてしまったのだ。
サィードもベッドに腰を降ろし、立ち上がりたい想いを抑えつつもミーシャに声をかけた。
Wallahワラー(何事だ)、女よ」
サィードは、神のごとき肉体と英雄的外見たる身の丈10フィートの体躯を備えた男で、神話に現れる漆黒のエジプト巨人を思わせる体躯の、ヌール・アル・アッラーの片腕にして懐刀、それが彼なのだ。
たとえムアッジン(時の番人)の名を冠する超人テロリストごときが刃を隠し持とうとも、信仰の名のもとにサィードが立ち塞がりアッラーの加護を受けしヌール・アル・アッラーの生けるシンボルたることを示すであろうことも囁かれている。
またその明晰なる頭脳は、物資豊富で兵器の潤沢なイスラエル兵をゴーラン高原の戦いで戦術により打ち負かしているほどだ。
ヌール・アル・アッラーとその信望者が数で絶望的な不利を強いられようとも、アサッド家の支配するバース党コーランのしろしめす法を踏みにじろうとしたときも、ダマスカスにおいてスンニ派とアラウィー・セクトの同盟をヌール・セクトでお膳立てして阻止させたのもサィードだった。
キリスト教よりのドルーズ派リーダーが、イスラムの教義を脅かそうとしたときも、信徒をベイルートに派遣して取り締まるようにヌール・アル・アッラーに口入れしたのもサィードであり、群れ子の母が、地球に侵攻したときも、ヌール・アル・アッラーを守護し、信徒を勝利に導いた。
ジハードの際には、サィードこそが、アッラーに授けられた、サィード・ヒクマ(サイード神智)とも称え称される叡智を発揮するであろう、とも囁かれてはいる、だがミーシャのみが知ることであるが、サイードが授けられたのはその叡智のみではない、呪いもまた与えられているのだ。
ヌール・アル・アッラーはジョーカーを罪人であると宣言している、なぜなら神に
よって真の信仰者に仕える奴隷たるべく歪めて作り上げられた存在であるのだから、その罪ゆえシャリアの法のもと駆除されてしかるべきとも囁かれている。
サィードは明晰な頭脳を備えたヌール・アル。アッラーの戦術家ゆえ、賢明に覆い隠してはいるが、ジョーカー同様不具の身であるといえよう、サィードの類まれなる筋力をもってしても、身長が2倍となった際には、体重は4倍にもなる、その体重を支え得なかったのだ。
サィードはその欠落を単に動きがゆるやかであるかのように装い、移動の際には尊大さを示すかのようにしつつ乗座を用いねばならなかった。
人々は湯船において、サィードが如何に雄渾たらんや、と噂したが、実はサィードの男性自身も身体同様不具であることをミーシャのみが知っている。
その不具ゆえ、サィードはアッラーを叱責してしかるべき身であるにもかかわらずにそうはせず、その不具へのいらだちはときにミーシャにのみぶつけられるのだ。
今宵も、彼の重く浅黒い腕がミーシャの身体にのしかかり、素早くミーシャを打ち据えるのにミーシャは諦めすら感じていた。
ときにミーシャは、その抑えられた体躯ゆえ、尊大なるそれが立ち上がることはけしてない、そう思うにいたっていたのである。
「なんでもないのよ」ミーシャは囁くように呟いた「ただの夢、あなたを起こすまでもない夢幻」
サィードはまぶたを眠たげにこすりながら、ミーシャに目を据えつつ、あえぎながらなんとか己で身体を起こし、腰を座すかたちに落ち着けて口を開いた。
「ヌール・アル・アッラーに伝えねばならぬヴィジョンではないのか」
「その片腕同様、弟にも眠りは必要でしょう、妨げないでおきましょう」
「何故逆らわずにいられぬのだ、女よ」サィードは不機嫌を顕にしながらも、憂さを晴らすべく、ミーシャを打ち据えたことにきまりの悪さを感じており、許しを求めていることがミーシャにはわかっていたため黙って聞くにまかせた。
「話すのだ」うながしつつサィードはさらに言葉を重ねていく。
預言者に告げる必要があるか判断せねばならぬ」
「カーヒナは私です」思わず口を開いていた「アッラーから恵みを受け、ヴィジョンを授かるのが私ならば、ナジブを起こして告げるかどうか決めるのもあなたではないはずです」己が発した言葉は、痛みを伴って己に響いてくる。
「私自身も混乱しているのです」とりなしつつ言葉をついだ
「私が見たのは、ロシア風の衣装を身に着けた男で、その男はヌール・アル・アッラーから様々なGift恵み*を手渡されていましたがすぐに消え去り、変わってアメリカの男が現れ、様々な恵みとともに預言者の足元にひれ伏していました。」
そこでミーシャはそこで感じたパニックを思い出して乾いた唇を湿しつつ言葉をついだ。
「その男は一見何の危険もないように見えますが、彼の指には蜘蛛糸のごとき紐が結びついており、その糸は様々な人間に絡み付いているのです。
そして彼の傍らに潜む、恵みを受けた化け物が私の前に現れ、その恵みを示す、私はその恵みを恐れるのです、開けることに恐れを感じつつも、引き裂いて開けてしまう・・その中には・・・」そこで身震いしつつようやく締めくくった。
「私のみがそれを見ることができ、夢以上のものであるように感じました、そこで目覚め、そのときには確信していました、恵みを受けしものが来たる、それはまもなくであると・・・」
アメリカ人か」サイードの声
「そうです」ミーシャが答える。
「それならば聞いている、西側から旅客機がこっちに向かっており、預言者はそれを待ち構えているそうだ、着くのは一月先か、もっと後という話だが・・・」
ミーシャはうなずいて安堵したかのように装いつつも、そこで感じた恐怖に囚われたままであったのだ。
        あの男がやってくる、そして微笑みつつも、恵みを示すのだ
「明朝ヌール・アル・アッラーに告げます」そう宣言し、サィードを気遣う。
「あなたの休息を乱したくなかったのです」サィードが答えて返した。
「話をつづけようじゃないか」とサィード
「あなたも私も疲れているでしょ」とミーシャは返す。
「目が冴えてしまったんだ」言い募るサィード。
「サィード、あなたを困らせたくなかったのです」
ミーシャはそこでの話のみで終わりにしたかった、それでもそうならないこともわかっていたのである。
サィードはそれを憐れみととったのか下を見つめてうめきはしたが何も答えはせず、息を荒げて、ガタゴト音立てて必死で移動し、巨体をミーシャのベッドに横たえた。
サィードはミーシャに見下ろされるかたちとなり、闇のみではない暗い影が部屋に満ちたように思えてならなかった。
「今宵こそ」荒い息で繰り返す「今宵こそは・・・」
そうそれは今宵ではなくけしておきはしない、カーヒナでなければそう思えたというのに、その思いがいつまでも暗い影となって己にまとわりつき、けして消え失せることなくもつれ絡まる糸となって己を縛るように思えてならなかったのだ。

Gift(恵み)には能力という意味もある、そのギフトとは・・・