ワイルドカード5巻第1章第2節 後編

             死がいこう町・・・その名はジョーカータウンⅡ

                     ジョン・J・ミラー

それは紛れもなく活きたねずみのものであったのだ。
ブレナンがちらと後ろに目をやると、レイジィ・ドラゴンは眠ったままのよう、一方ウィスカーズの
ニクソンマスクの下の表情はうかがい知れないものの、変化した様子は見て取れなかった。
「みごとな手品だな」ブレナンは無感動に話しかけたが、
「これでいい」ウィスカーズがさえぎって指示をだしてきた。
「そいつを運ぶんだ」
さながらレイジィ・ドラゴンの活力のみならず魂までも宿ったかのような、ドラゴン自身が彫り上げ
たそれは、ブレナンの肩に登ってから、ちょこまかと腹におりたったのち、ヴェストのポケットに滑り込んでおさまった、そうしてこの代物ときたら、その爪をポケットの淵にひっかけてのぞきみているかのようではないか。
どうにも厄介な代物にとりつかれたような気がしてならない、それでも夜が明けるころにはもっと厄介なことになっているに違いない、そういった確信すらブレナンにはあったのだ。
「よし」ウィスカーズの声だ「やるぜぃ」

何をしでかすつもりなのだろう?

そうして裏手脇の非常階段を拠点として、従業員口からモルグ(死体安置所)に忍び込む手筈となり、侵入を果たしたところで、レージィ・ドラゴンはヴェストのポケットから躍り出て、ズボンを降り、薄暗い灯りのともった通路をちょこまかと駆け出したのであった。
そこでデッドヘッドがついていこうとしたが、ブレナンがおしとどめた。
「ネズ・・いやレージィ・ドラゴンがもどるまで待ったほうがいい・・」
その言葉を受けて、デッドヘッドの目が奇妙な輝きを放った、おそらく普段よりいらついているのだろう、かくしの瓶から薬錠を取り出して口いっぱい頬張ったところで、数ダースものカプセルをコンクリートの床にぶちまけてしまったのだ。
その滑るような音に、自嘲的な笑みを一端浮かべた後、口の端を苦痛をこらえているようなしかめっつらのかたちに引き結んでみせた。
石鹸で彫られたネズミに導かれ、そばにいるのはいかれぽんちときている、そうしてモルグ(死体安置所)の廊下でいったいおれは何をしているというのだろう?
そんなかきみだすようなブレナンのわけのわからない思いは、満足な答えらしいものが導かれることのないままに中断された、レイジィ・ドラゴンがもどってきたのだ。
その小さな脚の歩みは、世界で一番飢えた猫においかけられているかのようにすばやいものだった。
そしてブレナンの足元で立ち止まったドラゴンは、何かを伝えようと躍起になっているようにみてとれる。
そこでブレナンが嘆息しつつかがんだところで、ドラゴンはブレナンの手のひらに飛び乗った、そこでブレナンはかがんだまま、ドラゴンを載せたまま、手を顔の前に引き寄せた。
ブレナンの手の平の上で、尻をついて座り込んでいるドラゴンは、その知性を宿したビーズを思わせる目を輝かせ、右の前足で喉をかききるようなしぐさを何度も繰り返している。
ジェスチャーのつもりなのだろう、ブレナンはあきれつつも、確かめてみることにした。
「何があった?」さらにつっこんでみる「危険か?誰か廊下にいたのか?」
ドラゴンは興奮した様子でうなづいて返してから、前足の爪を一本持ち上げて見せ、「ひとりか?」ブレナンの問いに再びうなづいてみせた。
「武器は持っているのか?」
人がするように肩をすくめてみせた、どうやらそれはわからないらしい。
「いいだろう」ブレナンはドラゴンをおろして立ち上がったのち、ドラゴンに
「ついて来い」と声をかけ、デッドヘッドに向き直って
「あんたはここで待っていてくれ」と念をおし、デッドヘッドはいらだたしげではあったがそれにうなづいて応じた、そこでブレナンは通路に踊り出、ドラゴンがちょかまかと後につづいた。
しかしなんでデッドヘッドのような信頼のおけない人間が同行してきたのだろう、難問だな、ネズミの方がしっかりしているようにすら思えるのだから。
通路の突き当たりの向こうに、一人の男が鉄の折り畳みイスに腰掛け、サンドイッチを頬張りながら、ペーパーバックを読んでいたが、ブレナンの接近に気がついて顔を上げ、口を開いた。
「何か御用ですかい、だんな」
太った禿頭の中年男で、読んでいたのは<エースアヴェンジャー49号:イランでのミッション>だった。
「宅配でさぁ」
男はうろんな顔で応じた。
「おれは夜勤の守衛だぜ、宅配なんてのは昼来るもんだ」
ブレナンはわけ知り顔でうなづいて「特別便ってやつだ」
そういいつつ、距離を縮め、背後に回って、ヴェストの下のベルトのさやにおさまったナイフを抜き放ち、その刃を男の首筋にあてがった。
守衛の男は驚きのあまり本を取り落とし、その唇をO(オー)の字に見開いたのだった。
「後生ですぜ旦那、なにをなさるんです?」
そうしてかすれた息のもと、ようやく抗議の声をしぼりだした。
「長期保存室はどこにある?」
「あっちだよ、その向こうだ」
恐怖でひきつった目線で、ようやくその方向が指し示されたのだ。
「行ってデッドヘッドを連れてくるんだ」
「おれはそんな名前は知らないぞ」
玉の汗を額に滴らせながら抗議する太った男に
「おまえじゃない、ネズミに話してるんだ」
ブレナンは補足してのけたが、守衛の男は一言なにかつぶやいた後、
もごもごと祈りのような言葉をつぶやきはじめた、
おそらくブレナンが精神を病んでおり、殺される寸前だと思っているのだろう。
そこでブレナンは辛抱強くレイジィ・ドラゴンがデッドヘッドを連れてくるのを待ちつつ、「この階に他に誰かいるのか?」リストをきかせ、ナイフで頬をぴしゃぴしゃ叩いて素早く立ち上がらせてから尋ねた。
「いない、今のところはだけれど」
「ガードマンの類は来るのか?」
守衛の男は、首を振って否定しようとしたが、喉に当てられた冷たい感触にとどめられて代わりに口を開いた。
「必要ないだろ、誰がモルグなんかに用があるってんだ、何か月も平穏無事だったんだぞ」
「いいだろう」その言葉とともに、ブレナンはナイフを慎重に動かし、男の喉から離してみせた。
そこで目に見えて落ち着いた守衛に
「長期保管室に案内するんだ、静かにだ、おかしなまねはするんじゃないぞ」そういってナイフの先端を鼻にあて本気であることを強調したブレナンに、守衛の男は注意深くうなづいて答えたのであった。
それからブレナンはしゃがんで手の平を差し出して、レイジィ・ドラゴンをそこに登らせたのち、ヴェストの内ポケットに彼をしまいこんで、怪訝な顔を向けている守衛に微笑んでみせた。
守衛の男が好奇心に負けて、何かをブレナンに尋ねようとしているように見えたので静止してのけたのだ。
「こっちです」守衛の先導に、デッドヘッドと、ポケットから覗いているレイジィ・ドラゴンを連れたブレナンが続き、守衛が鍵をあけた暗く陰鬱な部屋に入っていった。
そこは床から天井まで、壁一面死体の入ったロッカーで占められており、ここには誰も引き取り手がなく、誰だかわからない町中の死体が集められてくるのだ。
いわば貧民墓地とも呼べる代物だろう。
そこに入った途端、デッドヘッドの神経質げな笑みは満面のものとなり、足取りは
病んだ興奮が滲み出しているかのようだ。
「さがせぇ」妙な調子でしきりだし「見つけ出すんだ」と言い放った。
「何をだ?」ブレナンは妙な違和感を覚えつつ、尋ね返した。
「グルーバーさ、冷えた太っちょグルーバーだ」そういいながらも、目はロッカーの間を幽鬼のごとく彷徨い、そのさまは壁際で死の舞踊でも踊っているかのように異様なものだった。
ブレナンは閉口しつつ、前にいる守衛を監視しながら、デッドヘッドの探している壁面の反対側の壁面を探し始めた。
ロッカーには名札がぶらさがっているが、ほとんどは不明札ながら、数枚は名がぶらさがっているようだ。
「何て名だって?」そういって守衛の男が近づいてきた、何て御しやすい男だろう。
振り返ってそばに寄ったブレナンに、守衛は腰ぐらいの高さの、3段目のロッカーを指差してみせた。
そこには<レオン・グルーバー 9月16日>という札がさがっているではないか。
「これだな」そのブレナンの声に、デッドヘッドが急ぎ足で近づいてきた、これで間違いないようだ。
そしてその死体の中には何かメッセージが残されており、それはデッドヘッドにのみ解読できるものなのだろう。
そうモルグの特別解析班というとこか・・・
「ずいぶん長いことおいてあったようだな」ロッカーを開け、引き出し式テーブル
を引き出し死体を出したデッドヘッドに声をかけてみた。
「そうだ、こいつに間違いねぇ」そこにかぶせられた薄汚れたシートを見つめながらつぶやきはじめた。
「そうして糸をひくんだ・・その糸が引きだしてくれるんだ」
「引き出す・・?」
そういいながらシートをひっぺがし、グルーバーの顔と腹部を顕わにした、グルーバーは太った若者で、柔らかく、病的に見え、その表情には今際の恐れ、いや恐怖がはっきりと焼き付けられているかのようで、その腹部には弾痕が開いており、焼け焦げているようだ。
「そうさ」デッドヘッドがグルーバーの目をじっとみつめたまま語り始めた。
「おれは収監されてたんだ・・病院に、だがな」そういいながらどこからか小さいが、綺麗にみがかれた金のこをとりだした。
そういいつつ唇がひっきりなしに痙攣し、涎を垂れ流しはじめつぶやいた。
「死体虐待ってやつだな・・」
「こいつを運び出せばいいのか」あきれつつ搾り出されたブレナンの言葉であったが、
「いや必要ない」デッドヘッドはいやに明るく答え、付け加えた。「いただくとしよう」
グルーバーの頭蓋を見つめたのち、小刀を骨に差込み、ブレナンと守衛の男が見守る前で、おぞましくも頭蓋の上部を易々と切り分け始めた、集中しながら、密かに愉悦を隠しながらかもしれないが、グルーバーの脳の塊をすくい出し、そいつを口一杯に頬張ってから、耳障りな音を立てて、咀嚼しはじめたのだ。
レイジィ・ドラゴンがブレナンの胸ポケットに飛び込み、守衛の男は嘔吐したが、ブレナンも激しい吐き気におそわれながらも、唇を固く引き結び自制し、それに耐えたのだった。