ワイルドカード5巻第1章第3節

             死がいこう町・・・その名はジョーカータウンⅢ
                     ジョン・J・ミラー

守衛の男に、彼の持っていたハンカチで猿轡をかませ、レージィ・ドラゴンが倉庫から見つけ出してきた梱包用テープで手足を拘束したから、次はデッドヘッドをどうにかせねばなるまい。
グルーバーの脳を貪ったあとは、壁にもたれかかって支離滅裂なことをもごもご呟いているのだ。
守衛をころがしたのち、このいかれぽんちをなんとか安置室から連れ出したブレナンは、思わずレージィ・ドラゴンが喋れたら説明してもらえただろうに、と考えている自分に苦笑せざるをえなかった。
「うまくいったのか?」
ブレナンはそのウィスカーズの問いに答えず、ビュイックの後部ドアを開け放ってデッドヘッドを押し込み、ぴしゃりとドアを閉めて、前の席に自分が腰掛けてからようやく口を開いた。
「ああ、デッドヘッドはたらふく喰ってご満悦というところだ」
ウィスカーズはその答えにうなづいてから、車を発進させ、路肩から車が離れたところで、レージィ・ドラゴンが胸のポケットから飛び出て、シートに登り、危なげながらバランスをとりつつ、もとの身体に飛び移った。
その少しのち、レージィ・ドラゴンは眼を覚まし、欠伸をして、屈伸してのけ、ネズミの方は、姦しい様子はもはや失せて、ただの石鹸のかたまりと化して横たわっている。
「うまくいったんだな?」
運転しながら、ウィスカーズがフロントミラーで後ろに視線をむけつつ、再び声をかけてきた。
レージィ・ドラゴンはジャケットのポケットにしまっていたネズミの彫り物をとりこぼしながらうなづいて答えた。
「計画通りさ、デッドヘッドはブツを見つけて・・晩飯を終えたし、カウボーイもよくやってくれたしな」
「上出来だな、デッドヘッドが味を覚えているうちにボスのところに連れて行かなくては・・」
「なぁ俺たちゃだちだろ・・」ブレナンはことさらなまりを強調して尋ねてみた。
「そろそろ話してくれてもいいんじゃねえか?
前に割り込んできたドライバーに、中指を立てて威嚇しながら、ウィスカーズが答えた。
「ああ・・・まぁいいだろう、デッドヘッドはだな・・・」くすくす笑いながら続けた。「まぁエースみたいなもんだ、脳みそを喰らうことで、そいつの記憶を吸いだすんだ」
ブレナンは驚いた表情をしてみせ「てこたぁ、グルーバーの野郎は、マオの旦那が知りたがってることを知ってたってことだな」
ウィスカーズはうなづきながら赤信号を無視して、ビュイックをさらにとばしつつ言葉をついだ。
「そう思うし、そう願うがね、ボスのマオ子飼いのエースにフェードアウトって奴がいて、レイスって名のエースを探しているらしい、グルーバーは、そのレイスとの仲買人をやってたが、ばらされちまったって〜ことらしいからな、それでマオの旦那はグルーバーの記憶に目星をつけて、レイスってやつを見つけ出そうとしてるらしい」
それを聞いたブレナンは笑みが浮かびそうになったが、唇を堅く閉じ合わせてこらえなければならなかった、なぜならこの中で、実はレイスに一番詳しいのは他ならないブレナンなのだから、フェードアウトがワイルドカード記念日にレイスを捕らえようとして失敗したことすら知っているし、グルーバーを殺したのがもちろんレイスでないことも*、彼女から聞いて知っているのだ。
「随分長く安置されてたみたいだが、何で今なんだい?」
ブレナンの問いに、ウィスカーズが肩をすくめて答えた。
ワイルドカード記念日に、デッドヘッドがだな、死体相手に路上でやってることをさつに見つかってぱくられちまったんだ、それで病院みたいなとこにいれられちまって、弁護士がそこから出すのに数ヶ月かかっちまったてぇわけさ」
ブレナンはうなづきつつ、新参者であることをさらに印象付けるべく、あえて答えのわかっていることを聞いてみた。
「フェードアウトの旦那はどうしてそんなにレイスって奴にご執心なんで?」
ワイルドカード記念日早朝に、キエンの日記を持ち出したからにきまっているのだ。
もちろんそんな事情を知る由もないワーウルフの男は肩をすくめて答えるしかなかった。
「俺はフェードアウトのとりまきじゃないんだぜ、知るものか」
ブレナンもうなづいて、知らずの態を決めこむことにした。
実際彼の過去は痛みにみちており・・・
忘れ去れたらと思うこともすくなくないのだが。
そんな中でもレイス、ジェニファー・マロイの記憶は異彩を放っている。
あの9月のワイルドカード記念日に、危険を共にしただけではない、そこで不思議な信頼のようなものを感じたことも認めざるをえないし、それは仲間意識のようなものなのだろうと考えていると、突然背が高く、健康な彼女の姿が思い起こされてくる、理由はわからない、知る由もないことだ。
ともあれシャドーフィスト会がレイスを狩り出す仕事をブレナンに下してくることもあるだろう、そのときはフィスト会の魔の手から彼女を救い出すチャンスも産まれるだろうから。
もちろんグルーバーの記憶から彼女の居所が知れて、囚われたとして、決してジェニファーはブレナンの名を口にはすまい。
そして実際グルーバーを信用していなかったレイスは、仲買人にすら本名を明かしていないと語っていたから簡単にはみつかりはしないだろう。
そんな物思いにふけっているうちに、エンジンの音がとまった。
ジョーカータウン中心にある赤茶けた3階建ての砂岩造りの建物の前に停車したようだ。
ウィスカーズが声をかけてきた。
「おいカウボーイ、レージィ・ドラゴンと2人でデッドヘッドを運ぶんで手伝ってくれないか、消化中のこいつは自分じゃどうにもならないようだからな」
ブレナンが左手をとり、レージィ・ドラゴンが右手をとって、ひきずりながら歩道を横切って入口から入り、玄関に続く階段のつらなりを登っていく。
そこでは、すでにウィスカーズがロビーに立っていたイーグレッツのひとりと何やら話していた。
そのまま建物の内部へ進む。据付電話で手短に話していたイーグレッツの守衛に、上に行くように指示される。
デッドヘッドを引きずりながら、階段を二階も上ってゆくのはまるで、半ばセメントの詰まった袋を運ぶようなものだが、ウィスカーズは手伝おうともしない。
三階につくと、さらにイーグレットがいて彼らに顎で方向を示す。
すり切れたカーペットを敷かれた通路を先へ進み、ホールの終点にあるドアをウィスカーズが慎重にノックする。
「入りたまえ」奥から男の声が響く。ウィスカーズがドアを開け中に入り、ブレナンとレージィ・ドラゴンがデッドヘッドを連れあとに続くと、そこはブレナンの見たところ他の部屋より豪華な調度の整えられた応接間であり、そこにいる男は身なりの良い30代のハンサムな男で、酒瓶の充たされたカートの前に立っている、酒をたしなんでいた、というところだろう。

「首尾はどうだ?」
「上々ですよ、フェードアウトさま、上首尾でぇ」
ブレナンはその男と面識がなかった、ワイルドカード記念日に会ってはいるはずだが、そのときこの男は姿が見えない状態であり、そのままレイスによってごみ箱のふたで打ちのめされて気絶し、路上に放置されたから当然だろう。
そしてイーグレッツにとりまかれたこの男に視線を向けたが、この男もあのとき覆面をしていたブレナンを覚えておらず、気がついていないようで、「こいつは?」とブレナンをあごで示して問いかけてきた。
「カウボーイと言う名の新入りで、心配ねぇですぜ」
「ならいいがな」フェードアウトはそう言い放ってから、酒瓶のカートから離れ、そばの快適そうないすに腰を降ろしてから、「すきにやりたまえ」と酒瓶のカートを示して言い添えた。
がっつくウィスカーズが酒瓶に飛びつかんばかりのいきおいで迫り、ブレナンとレージィ・ドラゴンが半ばもごもごコカインの相場らしきことをつぶやく夢心地のデッドヘッドをいすにおろしたところで、つんざくような爆発音が建物を揺るがして響いてきた、出所は屋根のようだ。
フェードアウトは飲み物をこぼしてスーツに染みをつくり、ウィスカーズは酒のカートにつっぷして、レージィ・ドラゴンとブレナンはデッドヘッドの上にたたみかかる格好になった。
「くそったれが」足元に唸るようなオートマチックの銃火を浴びたフェードアウトは、悪態をつきつつ、千鳥足でドアを目指した。
フェードアウトの後に従ったブレナンは、ウージィをかまえた3人の男の姿が、銃火で開けられた風穴の向こうに確認できるが、フェードアウトは恐怖に固められたかのように立ち尽くすのみであった。
そのエースに、咄嗟に飛び掛って伏せさせ、襲い掛かる銃火をさけさせたブレナンは、小型マシンガンの銃火が頭上の壁を引き裂くのを確認しつつ、肩に索具で引っ掛けていたハイパワーブローニングを降ろして構えつつも、そんなものでは銃火に対応できないことはわかっていた。
次の銃撃で、彼は床に打ち付けられて、忌まわしい敵のかたわれどもと死の運命をともにすることになるのだ。
その時である、何かがひらひらと部屋の外にはためいていった、それは丁寧に折りたたまれた紙片のよう。
ブレナンがオートマチックの引き金を引くより、襲撃者たちの銃火の方が早く、あわやというときに、ねじれた煌きとともに、紙片が形をかえ、大きさも変えて、息吹も荒く唸る、生身の虎となって外に姿を現した、目は爛々と輝き、口元には長く鋭い牙が光を放っている。
その虎が銃火を浴びつつも歩みを止めず、3人の男を通路の端においつめ、そこで骨を砕くような鈍い音が響いた、まずは一人。
ブレナンは膝をつき、ブローニングを構えて狙いをさだめる。
レージィ・ドラゴンは前脚で一人の男を押さえつけ、素早く無駄のない動きでその喉を掻ききったのだった。
レージィ・ドラゴンを射程に入れ、狙撃しようと構えた男が飛び散る血潮にパニックに陥った瞬間をブレナンは見逃さなかった。
その男の頭部に赤外線の赤いドットで狙いをつけ引き金を引いて阻止した。
と同時にレージィ・ドラゴンは残ったひとりに全体重をかけて押し倒していて、
フェードアウトはすでにその能力を発揮して姿を消している。
そこでブレナンは中腰で廊下に出たまま、蟹のように横走りしながら進んでいき、ドラゴンの脚の下で必死に逃れようともがいている男の頭に弾丸を叩き込んだ。
そこでようやく膝をつき、巨大な猫科動物を見上げた。
屠ったものたちのものか、彼自身のものか判別がつかないが、全身が血塗られており、傷も多く、息も荒い。通常の生き物なら致命傷というところだろう。
ブレナンはなすすべもないまま、これが彼の本体にいかなる影響を及ぼすのだろうか、などと思いをはせつつ気遣わしげに一瞥したのち、すばやく行動に移った。
階下に響く自動小銃の砲火の轟きを耳に留めつつ用心深く2階に降り、さらに1階に降り立って見回したところ、ロビィの2重ドアは開け放たれたままのようであった、半ダースと思しいイーグレッツが銃火に倒れ、大理石の床に散らばっているが、どうやら襲撃者の生き残りは数人でイーグレッツの守衛と増援の砲火に
さらせれており、正面ドアの残骸から押し返されて、闇に覆われた外の通りまで撤退を余儀なくされているのが、遠くに聞こえる銃火の響きから確認でき、そこでようやくブレナンは立ち上がったのであった。
「いまいましいイタ公どもが」
悪態とともにブレナンの右肩のあたりに、青い一対の目が出現し、その周りに神経線維が巻きつくように現れ、さらに何がしかの体組織が徐々に出現し、床から5フィート半ぐらいの高さに不気味に浮かんでいる。
おそらくフェードアウトだろう、その目は瞬きして存在をアピールし、目の周りに出現した皺を見るに、かなり怒りに震えているようだった。
「マフィアか?」ブレナンは平然とたずねた。
「そうだよ、カウボーイ、リコ・コヴェロの手のものさ、連中の資料で見た醜いつらがあったからね」
そこでフェードアウトは怒りから安堵に表情を切り替えてブレナンに向けた。
「借りができたな、もしあそこで飛び掛って伏せさせてくれなかったらこの命はなかったからな」
ブレナンは肩をすくめて応じた。
「どちらにせよ、レージィ・ドラゴンがいなかったら、2人ともずたぼろの肉塊と化してましたよ、彼の無事を確認したほうがいい、かなり撃たれていましたからね」
「そうだな」
フェードアウトの答えを確認して上に戻ったブレナンは、フェードアウトの椅子に心地よさげに腰掛け、部屋に入ってきた2人を見上げたドラゴンの姿に安堵するとともに、心配した自分に無性に腹が立ったのであった。
「終わったのか」ドラゴンの声に
「そうとばかりも言えんがな」フェードアウトもまたもや怒りをにじませて応じた。
「助かったといえ、これだけこけにされちゃぁな」
そこでフェードアウトは、怒りの矛先を、部屋の真ん中で所在なげに立ち尽くしているウィスカーズに向けた。
「この糞ジョーカーが、きさまはここで何をしていたんだ」
ウィスカーズは肩をすくめこたえた。
「デ、デッドヘッドに誰かついてた方がいいと判断したんで・・」
「人と話すときは、そのふざけたマスクをとったらどうだ?」
フェードアウトが激しい怒りとともに命じた。
「もうそのニクソンのつらにはあきあきしているんだ、どんなに醜かろうとその面よりましだろうからな」
レージィ・ドラゴンの目が好奇心をたたえて値踏みするように光り、ブレナンが腰のホルスターに収まったブローニングに手を添えるよう動いた。
ワーウルヴスはその激しい気性ゆえ死地においてマスクをとって闘うことで知られている、しかしウィスカーズは、マスクを外していない、すなわち闘ってすらいないことを示している、それは獰猛なるワーウルヴスにはあるまじきことなのだ。
いまに及んでようやくマスクを外し、部屋の真ん中に立ったウィスカーズは、極めて所在なげで落ち着かない様子であった。
彼の顔は、双の眼球を除けば、舌すらも厚く乱雑な毛に覆われており、その舌は神経質に口周りを舐めまわしている。
おそらく今声を出せたとしても、弱弱しいものにすぎないだろう。
そのウィスカーズに、フェードアウトが「これだからジョーカー野郎は〜」とか
何とかブレナンが聞き取れない抑え気味な悪態をわずかにがなりたてたのち、ウィスカーズから視線を転じてからうちきった。
「ここを離れたほうがいいだろう、じきにサツがふみこんでくるからな。
ドラゴン、あんたとウィスカーズはこのいかれ野郎を連れて行くんだ」そういっていすに沈み込むような状態のまま、まだもごもご呟いているデッドヘッドを顎で示した。
そういって振り返りつつ、「車を用意し、フロントまで回すんだ、カウボーイ、
あんたは俺と来てもらおう、被害報告もせにゃならんからな」
立ち上がったドラゴンの前にブレナンが立ち止まり、2人はしばし視線を交わすことになった。
いまだレージィ・ドラゴンのエース能力の全貌は知れず、用心してしかるべきであったが、不思議にそんな気分にはなれなかった、なによりもこの男に一度は生命を救われているのだ。
「奥の手の虎があって幸運だったよ」
ドラゴンが笑って応じる。
「ああ、常に予備はかかさないんだ、ねずみだけでは無用心だからな」
ブレナンはうなづいて返し「借りができたな」と応えていた。
「覚えておくよ」ドラゴンはそういって、ウィスカーズの方にデッドヘッドを運ぶ手を貸しにいってしまった。
階段を降りると、5人のイーグレッツの死体と、6人のマフィアの死体がころがっており、イーグレットたちがまるでその周りを飛び交う働き蜂のように忙しく駆け回り、後始末をしているようであった。
それを眺めながら「くそったれどもが、調子に乗りやがって、リトルマザーもお喜びにはなるまいに」そういって頭をふった。
その言葉に強い興味を覚えたブレナンであったが、それが表情に出ないようつとめてこともなげにふるまい、口調ににじむのを用心して何も口ははさまなかった。
リトル・マザーとはイマキュレート・イーグレッツのボス、シュー・マの渾名であり、フェードアウトがキエンの組織で中尉程度だとするならば、彼女はまさしく大佐といえる存在であろう。
ブレナンが調べたところによれば、べトナムの中華系少数民族の出身であり、1960年代後半に、アメリカに現れ、当時1ペニー賭博を扱うストリートギャングであったイマキュレート・イーグレッツのリーダー、ネイサン・チョウの妻におさまった。
そして彼女が現れたと時を同じくして、組織は急成長し、資産をも増していったが、チョウはその栄華を長くは謳歌できなかった、1971年に原因不明の急死をとげたのだ。
そしてシュー・マがあとをつぎ、組織はさらなる繁栄と、拡大を続けているという。
まだキエンがARVN(ベトナム政府軍)の将軍だったときに、悲劇のヒロインとして利用するため渡米させた娘にすぎなかったはずなのだ、それが今では疑いなく、キエンの組織の高官であり、最重要人物といっていい存在となっているのである。
「サツが来る前にずらからなきゃならんわけだが・・・」
フェードアウトはそう呟きながら、イングラムにはりついているイーグレットに、「必要なファイルはすべて持ち去るんだ、あらいざらいな」と指示をだし、イーグレットがうなづいて応じ、慇懃かつ早口の中国語で何か指示をまくしたて始めた。
「行くぞ」フェードアウトが念を押して、死体を注意深くさけながら歩みはじめたところで、「どこへだ?」ときわめて朴訥にくだけた調子でたずねてみた。
「チャイナタウンのリトルマザーのところだ、何が起こったか話さにゃならんからな」
リムジンはウィスカーズがとめた無傷の状態のまま幸い路肩脇に残っていた。
そこで後ろの席にデッドヘッドを乗せて、レージィ・ドラゴンが付き添い、さらにフェードアウトが乗り込んで、ブレナンがあとに従った。
身体全体をワイアーが引き締められたような興奮に包まれながらもそれを押し隠しつつ、ウィスカーズが運転してたどった道筋を記憶していった。
そうしてたどりついた場所は、ガレージが立ち並んだ通りの、予想外にうす汚れた今にも崩れそうなちっぽけなガレージの前だったのだ。
その一帯に対する違和感はブレナンの鉄の自制心と呼べるものをどうしようもなく激しくゆさぶったが、なんとか押さえ込み、平静を装ったのであった。
ウィスカーズは再びマスクを被りなおしており、レージィ・ドラゴンはフェードアウトの命を受けて、デッドヘッドをリムジンからひきずって降ろしていたが、
ブレナンの関心はそちらになく、キエンの組織の中核と目される人物とつなぎのあるフェードアウトという存在に向けられている、組織にくい込めには絶好の機会なのだ、そうすればそれを崩壊させるのは、カードで組み立てた小屋を崩すようにたやすくなることだろうから。
そうして立ったドアはえらく薄っぺらな感じのするものであったが、フェードアウトがノックしたところ、しっかり施錠されガードされているのが、のぞき穴を通して守衛と思しき男の目が覗いたことからも伺えた。
それから中に通されたが、守衛の言葉はそっけないものだった。
「シュー・マさまはお休みになっておられるのですぞ」
そう話した門番は、長い中国風のドレス、伝統的なだぶだぶのズボンを履き、チュニックトップをなめし皮のベルトでとめた男だった。
そしてそのなめし皮のベルトに、ピストルが吊るされているさまは、極めて時代錯誤なものであったが、それはシュー・マという人間の伝統に対する強い意識をブレナンに感じさせるに充分なものであったのだ。
「あのお方もお会いになりたいはずなんだ」フェードアウトは冷笑気味な言葉に
「とりあえずは応接間に頼むよ」と付け加えた。
その声にうなづいて応じた守衛は、やけに現代的に思えるインターコムに向かって、ブレナンの聞き取れない早口でなにか中国語をまくしたてている。
通された応接間は、崩れかかったようなビルの外装に反して豪華なものであり、
中華王朝をモチーフにした装飾が施されている。
床にはきらびやかな敷物、壁は美しい色合いで塗りこめられており、いたるところに繊細な陶磁器や、一対のブロンズ製テンプルデーモン。
チーク材と黒檀等の希少な木材によるテーブルには象牙翡翠といった様々な貴石がちりばめられており、レイスが見たら、さぞ気に入ることだろう、とブレナンに思わせる煌びやかさであった。
見極めることのできる目と、それを適度に配剤できる腕によってなされた匠は圧倒的な効果を見るものに与えることだろう、いわば美術館に迷い込んだような錯覚すら覚えさせるのだ。
そこでシュー・マはすでに待っていた。背後の壁一面を占めるつややかなシートに腰掛け、まだ眠気のさめないまぶたをこすっている。
ぽっちゃりとした丸顔に切れ長の目、暗くつややかな髪の30代前半と思われる
女性で、フェードアウトに不快感をまるだしにした視線を送りながら、あくびをかみ殺している。
「必要なことだといいのだけれど」デッドヘッドとそのつきそいにうろんな目をむけながら、ブレナンには関心を示しているように思える。
その話す英語は流暢でありながら、わずかばかりのフランスなまりを感じさせるものであった。
「実はですね」フェードアウトが、砂岩造りの建物でマフィアに襲撃されたことを仔細ありげに語り始めたところで、若い女性が小さなカップの乗ったトレイを提げて現れ、お茶を注いでいった。
そのお茶に口をつけつつ、フェードアウトの話を聞いていたシュー・マは、表情をさらに険しいものにしながら口を開いた。
「耐え難いことです」
フェードアウトの話をさえぎるかたちで続けた。
「あの三文芝居を続ける犯罪者たちに、忘れえぬ教えを叩き込まねばなりません」
「同感です」フェードアウトは応じつつ報告を続けた。
「スパイの情報によると、コヴェロはハンプトンに逃げ込んで、そこを本拠としたそうで、そこは2重のフェンスに囲まれた要塞とも呼べる代物で、内側のフェンスには、電流が流されており、武装したマフィアによって厳重に警護されているようです」
シュー・マは、そのほぼ黒い目に冷酷さをたたえてフェードアウトの言葉に応じた。
「シャドー・フィストの武力を持ってすれば破ることはできるでしょう」
フェードアウトは首をふりながら反論をこころみた。
「たしかに可能ではありますが、それでは犠牲もでますし不毛な報復合戦の口火となります、それに大規模な襲撃は、不要に衆目をひくことになるでしょう、得策ではありません」
そこでお茶を含みながら冷たい視線を向けるシュー・マとフェードアウトの間に、いたたまれないような沈黙が流れた。
そこにブレナンはつけいることにした。
「差し出口で恐縮ではありますが」さわりのない口調でするりと割り込んで「
多数ならば警戒もされますが、一人ならばかえってうまくいくこともあるものです」そう言い放ったブレナンに、フェードアウトが慌てて視線を向け言葉を搾り出した。「そいつぁどういう意味だ?」
ブレナンが肩をすくめつつ言葉を継いだ。
「大部隊ならば望み薄の作戦も、一人ならばなしとげられると申し上げたのです」
そこでシュー・マの射抜くような視線がブレナンを貫き、言葉が迸った。
「誰なのです、この男は?」
「カウボーイという名だそうで」フェードアウトが答え、「新入りです」と途方にくれたように補足した。
そこでカップの中身を飲み終えて、トレイにカップをのせてさげさせてからシュー・マがようやく口をひらいた。
「どうやらましな男もいるようですね、いいでしょう」そこでようやくブレナンに直接たずねた。
「あなたがその一人に志願するというのですね」
敬意をこめたおじぎとともに頭を下げ。
「志願しますよ、ダーマ(マダムの砕けた言い回し)」ブレナンの作法がおかしかったのか、不敵なその答えが望みどおりだったからか、一瞬シュー・マの満面に笑みが広がったが、それはフェードアウトの次の言葉で帳消しとなった。
「そいつぁ危険だ、並みの危険じゃないんだぞ」フェードアウトの取り乱した言葉を、「愚かなことです」とシュー・マが再びけわしくなった視線とともに一蹴してのけ、さらに続ける。
「復讐を求めるものが、危険にしり込みするのはおやめなさい」

その言葉を聴いたブレナンは笑ってかえそうと思ったが、やめておいた。
シュー・マの言葉のみならず、その存在が、こころに重くのしかかったように思えたのだ。



*グルーバーを殺した人間は視線で死の記憶を相手に送り込むことにより死に至らしめる能力を持ったエースである、その男とは・・・
                  「審判の日(上)」参照のこと。