ワイルドカード5巻第1章第4節

             死がいこう町・・・その名はジョーカータウンⅣ

                     ジョン・J・ミラー

西13街区のヘリポートは骨を断つような冷気に包まれており、その冷気は氷の鞭となり、薄汚れた作業着を通してブレナンの身体をうつかのようであり、大気は雪の芳香で満たされているかのように思えるが、グリスとオイルの匂いで、ようやくヘリポートの位置を嗅ぎわけることができる、そこでメカニックになりすまし、辛抱強く待っていた。
待つのには慣れている。
そこを根城にして2日の昼夜にわたり、サウスハンプトンのコヴェロの橋頭堡を監視してきた。
そこはコヴェロによってマフィア、すなわちシャドー・フィストとの抗争の舞台となることを想定して築かれた橋頭堡のようであり、重火器で武装したマフィアの1連隊で壁面が包囲されており、如何な総攻撃が行われても安全が確保されるよう考慮され尽くしている。
地上において、ここに入るのが許されているのは、ドンに食料の補給を行う運搬車のみだが、それもフロントゲートで止められ、厳重にチェックされている。
もう一つの進入路は屋上のヘリパッドで、そこにコヴェロのヘリが一日に何度も行き来しているのを実際に見ている。
そこで高価な装いの女と黒服の男たちが入れ替わり立ち代り出入りを繰り返しているようだ。
黒服の男たちの何人かはブレナンがレンズ越しにとらえた写真から判断するに、他のファミリーの高官であり、女たちはコールガールのようだった。
偵察を切り上げ、コヴェロの所有するヘリが発着するマンハッタンのヘリポートでじっと待つことした、壁の中に押し入るのは容易でなくても、ヘリに押し入るのは容易いだろうから・・・
夜の帳が降りる頃、ヘリのパイロットが、震えつつも毛皮のコートに身を包んだ3人の女とともに姿を現した。
ヘリの近くに人影はない、ブレナンが近づいていくと、操縦士がキャビンから梯子を降ろさせたが、初めに乗り込んだのは女性で、踵の高いブーツを履いており登るのに難儀しているようだった。
想いの他、簡単にことは運んだ、パイロットに拳を喰らわせ、後ろによろめいたところで、ヘリを背にしてボディに叩き込みのびるに任せたが、その一撃でヘリは揺れ、コールガールの一人が梯子を掴んでいた腕が激しく空を切り、バランスを失ったところで、ブレナンが腰に手を回して、安定を保たせた。
「ちょっとあんた!」パイロットに対する仕打ちに対してか、腰に当てられた手に対してか、その女は非難の声をあげてきた。
「プランの変更があった」3人に言い聞かせる「帰るんだ」
胡散臭げな目で見られたが、その内の一人のみが言葉を返した。
「支払いはまだよ」
ブレナンは満面の笑みを浮かべ答えてのけた、「まだ殺されてはいないだろう」そう告げて懐に手をやり、財布の中身を全てぶちまけて空にし
「タクシー代にはなる」としめくくった。
3人は目を見交わしあっていたが、ブレナンから背を向けて、一人はヘリから降り、寒さに背中を縮めぶつくさいいながら歩み去ると、他の2人もそれに従って去っていった。
ヘリのキャビンにパイロットを放り込んで、寒さに鼓動が強く高まるのを感じつつ、しばしその男を見やった、結局のところ、ブレナンにとっても何も意味をなさない人間であり、敵ですらない、
たまたま目の前に転がった石ころのような存在にすぎないのだ。
そんな感慨からか、つなぎのポケットから硬い麻紐の玉を取り出し、男を縛って、猿轡をし、キャビンに転がしておくことにした。
それから薄汚れたつなぎを脱ぎ捨て、丸めて隅に放り投げ、キャビンを通って、パイロットシートに滑り込む。
「さて離陸だが・・・」虚空に呟きながら、状況を見極め、そしてサウスハンプトンの方角に的確に飛ばさねばなるまい、と己に言い聞かせる。
ブレナンが最後にヘリを操縦したのは十年以上前だったが、こいつは商用で軍用よりは扱いやすい、すぐに手にかつての感覚が戻ってきた。
管制塔に離陸を要請し許可を得て、キャビンのクリップボードに止められたフライトプランに几帳面に
従いながら、ニューヨーク市の宝石のごとく輝く何百万もの灯りをあとにしてヘリを飛び立たせた。
ロングアイランド上空の夜を彩る冷たく静謐な空気は、肌を刺しつつも、失った何か呼び戻されてくるような不思議な感覚を伴っていた。
すぐに明るい光で彩られたコヴェロの個人用ヘリポートに到着し、羽のごとく慎重に降り立たせると、
アサルトライフルを構えた守衛が、腕を振りつつ、近づいてきた。
それを一瞥したブレナンはそれまで感じていた静謐な感覚を頭から振り払い、再び仕事に取り掛かることにした。
守衛がゆっくりと、わずか6歩程のところに近づいたところで、ブレナンは沈み込むように窓の外に忍び出、サイレンサー装備のBROWNINGブローニングで素早く守衛の頭を撃ちぬき、誰にも見られずに屋上からドアをくぐり、マンションに侵入し、目的を備えた彷徨える魂であるかのごとく静寂とともに部屋から部屋へと行き交い、図書室と思しき部屋でコヴェロを見つけた。
そこは内装業者が装丁の美観で読まれもしない本の列を築いてみせたという感じの部屋であり、そこにフェードアウトから受け取ったファイルの写真で見知ったドンの顔に出くわしたわけだ。
そこでConsulareコンスル(執政官)とビリヤードに興じており、傍らにはボディガードが静かに佇んでいる。
コヴェロは簡単なクッションショットをミスしたところらしく、挽回を目論んでいたところでブレナンの姿を認め、不機嫌まるだしでたずねてきた。
「貴様何者だ?」
無言で銃を上げ、引き金を引く、息を呑んだボディガードを射ち倒すと、コヴェロは甲高い女のような悲鳴をあげ始め,Consulareコンスルがキューステイックを投げつけてきたが、かがんでかわし、Consulareの三つ揃いに狙いを定め、ビリヤードテーブルの向こうに吹き飛ばしてから、ドアの外に逃げようとしているコヴェロを背中から射ちぬいた。
それでもコヴェロは息絶えてはいなかった、傍らに立ったブレナンに命乞いをするような瞳を向け何か話そうとしているようであった。
頭を射ちぬき、かたをつけることもできたが、ブレナンはそうはできなかった、
それでは都合がわるかったのだ。
背中のポケットからナイロンバッグを、背中に重石のようにベルトでつるされた鞘からナイフを取り出してから、刻限を確認する。
コヴェロの悲鳴が屋敷中に響き渡った以上、援軍が到着するのに時間はかかるまい、あまり時間をかけてはいられない。
虫の息のコヴェロの傍らにしゃがみこむと、ナイフの煌きに恐れをなしてか目を閉じた。
この男は俺自身の敵ではない、しかもこの男の死がシャドーフィストの利益になりこそすれ打撃にはなりえない、それでも喉を切り裂き、神経線維を切り離しつつも、もっと安楽な死を迎えさせてやれたのではないのか、この死に方はあんまりではないのか、そんな言葉が内に響いてならなかったが、油で整えられた頭を持ち上げ、ナイロンバッグに落としこみ、屋上を目指して素早く動く、そこにヘリが待ち受けているのだ。
あとを追いかけるようにマフィアの怒号と銃火がこだまし近づいてきているのがわかる、急いで廊下にで、階下に上がらなければならなかったが、そこで数人の一団と出くわした、もちろん彼らも自分にとって何の意味ももたない人間たちであったが、それでもたいした抵抗もないままにBrowning榴弾のクリップを外し、吹き飛ばして道をあける、さらに追跡の輪が近づいてき、さらに狭まっていく。
そこで彼は間髪いれず見えざる何者かに声をかけた。
「ブツはしこんだ、今から戻る、援軍を頼む」
そう叫びつつヴエストのポケットに手をやり何かをカーペットに落として、走り去る。
小さく複雑な形に折りたたまれた紙片がひるがえりながら、手からこぼれ落ちたのちは振り返りもしなかった、巨大な猫がうなるような音と、銃火に恐怖の叫び声が混ざり合って狭い回廊に絶え間なく響き渡るのを耳にしつつ後にし、フライトプランもないまま、サフォーク・カントリー空港を目指した、助手席に黒く染みの浮き出たバッグを携えていることを考えると、陽気になれそうもないフライトといえよう。
エアポートではフェードアウトとウィスカーズがリムジンとともに待っていた。
「首尾は?」
「計画通りだ」ブレナンがそう答えつつバッグを降ろすと、ウィスカーズがそれを受け取ると、フェードアウトがうなずいて指示を出している。
「毛布か何かでくるんで、トランクにいれておけ」
フェードアウトは、嬉々として首を取り出すウィスカーズにブレナンが嫌悪の視線を向けているのに気付き、肩をすくめつつ口を開いた。
「あぁ、俺も同じだよ、デッドヘッドが役にたつのも、コヴェロの脳の情報をとりだすのもわかっちゃいるがどうにもな」ブレナンはそつなく探りをいれることにした。
「デッドヘッドは別のやまにかかずらわっているんじゃなかったのか」
世間話でもするような態を装いさらに続けた。
「たしかレイスってエースの件だったか」
「あぁあれな」フェードアウトが手をひらひらと振りながら続けた。
「すんだよ、どうもグルーバーはレイスにあまりすかれちゃいなかったようだな、本名すら告げてはいなかったんだが、どうやら生年月日に関しては一度口をすべらせたらしい、それにデッドヘッドはスケッチの腕も一流でね、まぁそんな人間的才能に恵まれてるとは思いにくいやつだが、それだけじゃないシャドーフィストには政府の機関にも深いコネってやつがあってな、DMV(Department of motor Vehicles「運転免許センター」)のような組織にだが、だからそれだけでもあのビッチを囲いこむには充分な手がかりになるだろうな」
恐れとも言うべき感情のうねりがブレナンを襲い、その魂と肉体にのしかかるような感情を振り払わざるをえなかったが、それを覆い隠すべく、頬をこすって大きくあくびをしてのけ言葉を重ねた。
「そうか」つとめて何でもないように決死で装いつつ答える。
「かなり重要なやまのようだな、ひとくちのせちゃくれまいか」
フェードアウトは目を細めてブレナンを見つつ、うなずいて応じた。
「そうだな、カウボーイ、やるがいいさ、ここ2〜3日の間には決行となるだろう、それまで日はあるからしっかり眠っておくのだな」
しいて作り上げた笑顔とともにブレナンは返した「ありがたい」
寝床にしているジョーカータウンのアパートの前で降ろされてから、ひたすら連絡を待った。
それはウィスカーズのしわがれた声とともに受話器から響いてきた。
「名前がわかったぜ、カウボーイ、住所もだ」
「で誰と行く」
「俺とあんた、それにワーウルフの仲間が2人で、すでに見張りに入ってるんだ」
ブレナンはうなずきつつ、メンバーにレージィ・ドラゴンが加わっていないことを知り安堵した。
彼のエース能力と順応性には絶大な信頼を寄せると共に脅威でもあるからだ。
「問題もあるんだ」ウィスカーズがためらいがちに続けた。
「あの女は幽霊のような状態、つまり壁をすりぬけられる状態に変わる、だから簡単には襲えないことなんだが・・・」
思わずブレナンに微笑が浮かんだ、ジェニファーを相手にするのは超常現象を扱うに等しいと思い至ったからだった。
「フェードアウトの旦那は押し入って日記があればよし、もし見つからなかったら、取り引きを申し出、買い戻してもいいという腹なんだがね」そこでウィスカーズは満足げな表情ととともに次の言葉を搾り出した。
「常に幽体ではいられまい、突然背中から頭を撃たれたら、幽体になる暇もないだろうがね」
「いい計画だ」そう答えながら、すでに名前も住所すら知られていることをこころにとどめ、何とかしなくてはジェニファーの生命は一月ともつまい、もし日記がみつかり、やつらがそのページをめくり真実を知ったらどうなる、と気持ちばかりがはやる。
「それじゃ1時間後に落ち合うとして、女の住所を教えてくれ」
「そうだな、カウボーイ、すげぇ美形だぜ、幽体なんかになっちまうのがもったいないってぇたまだ、ちょっとした乱痴気騒ぎが期待出来るぜ」
「乱痴気騒ぎか」ウィスカーズからアパートの在り処を聞きだして受話器を置いてから、虚空を見つめて、Zen禅の修行で養った集中心を導引し、気持ちを落ち着けようとした、心を充たす憎悪、怒り、恐れの感情を締め出し、靜隠な状態に保つ必要があったのだ、こころの一部がウィスカーズがもたらした情報に激しい感情を示しており、こころのどこかでその理由がわかりつつも、こころの大部分はそんな感情は忘れるんだ、と己に告げている。奥に沈めて斟酌するのはあとでいい、と告げているのだ。
惑乱から抜け出す道はある・・・そうせねばならない・・・
意識を存在のプールに沈め、完璧な静寂をもたらす知識を求める、そうしてZazen座禅で培った状態から己を引き戻し、求める答えを得た。
キエンだ、あの男の力に対する恐れと、己の無力に対する感情なのだと、己の一部で無理矢理結論づけたが、なにか痛みのようなしこりが己の中に残っているのを感じつつも、受話器を取り、ダイヤルを回すと、コール音とともに電話の向こうからその声が響いてきた。
「もしもし」思わず受話器をきつく握り締めつつも、その声が誰のものかはすぐにわかった。
こんな状況であるにもかかわず、気持ちが高揚し喜びのような感情まで感じているように思えてならない。「もしもし?」再び響いた声にようやく要件を絞りだすことができた。
「やぁジェニファー、話があるんだ・・・」ようやくここから始まるのだ、何が、己の一部は知っている、しかし大部分がその答えを許しはしないのだ。