「ワイルドカード」4巻第3章

          From the journal of Xavier Desmond
            〜 ザビア・デズモンドの日誌より 〜
                G.R.R.マーティン
            1986年 12月1日 ニューヨーク市

旅立ちははじまりから不幸の香りがつきまとっていました。
トムリン空港の滑走路で足止めをくらい、乗機が離陸出来ないまま1時間が経過しているのです。
何が問題かはすでに明らかになっています、降り立つハバナの方に手違いがあってここで待たされていると言うことでした。
ここで我々の乗機を紹介しましょう。747機を改装した特別機で、記者連中によって「スタックド(多層)デッキ号」と名づけられた名機です。
中央キャビンは必要に応じて、シートを取り外し、小型の医療ラボに早代わりすることが可能なようにしつらえてあり、ジャーナリスト向けには、プレスルームとは別に、小型テレビスタジオまであつらえられています。
報道の人間は後部にかたまっているようですが、彼ら自身の判断でそうしたとのことで、20分前にそこを通った時には、彼らはポーカーゲームに興じているようでした。
ビジネスクラスのキャビンは随行員、アシスタント、秘書、評論家衆であふれており、ファーストクラスが代表団用の特別貸切といった状態になっていまして、21人の代表使節は、ナットはナットと、ジョーカーはジョーカーと、エースはエースと並んで席が準備されているところは腫れ物にさわるような扱いといえ、ここにすらゲットーがあることを想起させてなりません。
そんななかでハートマン議員のみが、3つの集団のどこにいても、常に快適であるかのようにふるまい、私にすら暖かい笑みをうかべて、わずかな間とはいえ、私とハワードの間に腰かけ、記者たちに対し、熱心に旅の抱負を語っていました。
たとえ上院議員といえども、それが容易なことではないのは想像に難くありません、ジョーカータウンの票を投じる多くのものたちへのキャンペーンだとしても、彼のように、ジョーカーの権利を守るために身を粉にして働いた政治家が他にいたでしょうか?
彼の存在は私にとって希望そのものです、なぜなら彼は、ジョーカーとナットとの間であろうとも相互理解と敬意を払いあうことが可能であるという生きた証であるからです。
節度をたもつ高潔の士、それが彼です。
レオ・バーネットといった憎悪と偏見を撒き散らす狂信者に対抗する力を、ジョーカーみなが結集するための講堂ともいうべき存在が必要とされた、ということなのでしょうか。
ハートマン上院議員の隣り合わせにはドクター・タキオン、今日のタキオンは、フィルム・ノアールの外国スパイがそのまま抜け出したような装い、トレンチコートをベルトにボタン、肩章でとめ、へりのそって、ご丁寧にも紅い羽までついたしゃれたフェルト帽を傾き加減にひっかけている。
トレンチコートといったところでベルベットに青を散りばめた狂った色彩のもので、いかほどのものかは私は知りはしませんし、知りたいともおもいません、おそらく彼の出演する外国のスパイ映画は白黒で上演されていて、彼自身には憐れにもその色彩がわからないに相違ありません。
タキオン自身は、ハートマン議員同様、ジョーカーに対する偏見はないように思っているかもしれませんが、その意味合いはいささか異なっています、彼のジョーカーに対する献身や、奉仕は疑いようもなく誠実なもので、彼を聖人やヒーローと讃え称するジョーカーもいます・・・それでも医者ならざる我が身であろうともわかること、深く隠された真実がわたしにはみえるのです。
ジョーカータウンで身を削り働くことは、彼にとっては贖罪であり、彼はその事実を最善の注意をもって覆い隠しているのであります。
それでも彼の目には覆い隠すことのできない自己嫌悪とよべる表情がつねに見え隠れするのがみてとれることでしょう。
タキオンとわたしは十数年来の友人で、彼がこころの底からわたしを労わってくれていることには疑いはありませんが、それは対等の立場にたってのものではありません、ハートマン議員はわたしを人間として扱ってくれます、それはわたしが政治的集団のリーダーであり、票を運ぶ重要な人間だからでしょう、結論からいえば、タキオンにとってわたしはつねにジョーカー、彼自身の過ちと悔恨の象徴でしかなかったということです。
幸か不幸か、タキオンはわたしの癌についてしるよしもない。病の進行は友情の崩壊をも象徴しているのかもしれません。
なぜなら数年来彼はわたしの身体を診察していない、現在では、わたしの主治医はジョーカーであり、会計士も弁護士も、ブローカーも、銀行員すらも、すべてジョーカーでまかなっているからです。
もはやジョーカータウンの市長も御役御免となった今となっては、変わり果ててしまった世界に対して、個人としてそろそろ積極的に立場を鮮明にする時期にきているのではないかとすら考え始めたからかもしれません。

そうこうしている内に離陸の準備が整ったようです。
みなそぞろ歩きを止め、シートに戻り、ベルトを締めはじめています。
どこへ行こうともわたしにジョーカータウンはつきまとってくるようです。
わたしの隣には、ハワード・ミューラーが、その9フィートの身長と、その巨大な腕を特別あしらえのシートに押し込み、腰かけています。
通称「トロール」それが彼のもっとも知られた通り名で、彼はタキオンのクリニックで、保安チーフとして働いていますが、何故かタキオン自身はエースたちの中に席が設けられているのです。
ほかにはファザー・スキッド(烏賊神父)にクリサリス、詩人のドリアン・ワイルド、これが我らジョーカー代表団の面々で、ファーストクラスの真ん中に寄せ集められ、ジョーカータウンを形成させられています。
窓からもっとも遠い場所に寄せ集めら隔離されている、というのはうがった見方でしょうか?
ジョーカーになるということは、子供じみた恐れと被害妄想の虜となるのと同義だとご容赦いただけましたら幸いながら、国内外を問わず、政治家や国連職員といった多くの人々、そして多くのエースたちも、ジョーカーの権利獲得のため動いてくれているのですから、愚痴もこのへんにしておいたほうがよさそうです。
そうこうしているうちに、スチュワーデスが、トレイをさげるように伝えてきました。
離陸がはじまり、ニューヨークとロバート・トムリン国際空港が視界で徐々に小さくなり、我々を待つキューバの地へ近づいていっています。
聞いたところによると、最初の寄港地ハバナは、ラスベガスやマイアミ同様、アメリカと変わらぬ地であるとのことでした。
とはいえいささかいびつな退廃の色合いでそめられてはいます。
そしてそこにも数多くの友人、ファンハウスやカオスクラブを巣立っていったジョーカーのエンターテイナーたちが、ハバナのカジノで働いているとはいえ、運のつきと例え評されるジョーカーのわたしが、カジノのテーブルにつくさまを想像すると苦笑せざるをえないのです。

シートベルト着用のランプが着えるやいなや、エースの方々はラウンジへ上っていきました。
そこから漏れ出る笑い声が階下まで漂ってくるようです。
ペレグリンに、若さにあふれたミストラルは、フライングギアを装着していなければ普通の大学生であるかのよう、朗らかなハイラム・ワーチェスターに、ABT(アメリカン・バレー・シアター)出身のバレリーナ、アスタ・レンサーはファンタシーと呼ばれるエースで、群れをなし、笑いさざめくさまは、この世に不幸なことなど何一つ存在しないかのよう、輝くような人々です、そしてその中心にはタキオンがいる。何がそれほど人々をひきつけるのでしょうか?私には不思議でなりません。
20年にわたり、わたしの友人でありタキオンと深い親交のあったアンジェラは、あの人は下半身でものを考えているのよ、と愛情のこもった調子でよく冗談めかしていっていたものでした。
そして異彩を放っているのは、ハーレム出身の黒い居丈夫、ジョーンズで(ペレグリンやハイラム・Wや、トロールのようにその体重を支えるため、特別なシートにこしかけています)、スポーツ・イラストレーテッド誌を眺めながら、ビールをたしなんでいるし、ラーダ・オ・ライリーにいたっては固まったかのように、黙って窓の外を眺めています、彼女は静寂がお好みなのでしょう。
他にはジャスティス・デパートメントのエースが2人、ビリイ・レイとジョアンナ・ジェファーソンで、この2人は代表席ではなく、保安セクションと呼ばれているセカンドシートに控えています。
そしてその最たるものがジャック・ブローンです、彼の周囲には常にかわらない緊張感が漂っており、人々も一応は礼儀正しく接するものの、親しくするものはなく、ハイラムなどのようにあからさまにさけているものもいます。
タキオンは、ハートマン議員への政治的配慮からか、態度にはださないよう気をくばってはいるようですが、存在を抹消したがっているのは疑いのないことでしょうし、嫌悪の感情を押し隠す手段として、その態度を貫いているのでしょうが、そんな事情はわたしにはあずかり知らぬことでしかありません。
ブローンは幸福な人々に関心がないように装いながら、時折上階の明るい様子に目をやってはふせてを繰り返しています、一見海軍仕立てのジャケットに身を包んだおとなしいブロンドの若者に見えますが、彼は50年代のエースのユダとの悪名を持ち、実際の年歳もわたしとかわらないものなのに、まだ20代の若者にしか見えません。
まだ年若いミストラルなどは、数年前ならば夜半のプロムに年上のエスコート相手として誘ってしまいそうなそんな佇まいを備えているといえましょう。
記者の一人、エース誌のダウンズという男が、果敢にもブローンにしつこくつきまとってインタビューをこころみましたが、とりつくしまもなく、エーシィズ誌を押し付けたのみで、観念してラウンジに撤退していきました。
誰にとっても煩わしいことこのうえない男とはいえ、一応エーシィズ誌の読者ならぬわが身なれど、ジョーカーズ誌が創刊されたら熱心な読者になってもかまわないとアドバイスしておきました、あまり乗り気ではないようで残念でしたが、その時残していったエーシィズ誌の表紙が印象的で目をひきました。
赤実の夕日を背にしたタートルのシェルの写真に「タートルの生死やいかに?」という吹き出しが踊っているものです。
そういえばあの9月のワイルドカード記念日にナパームを浴びてハドソン川に沈み、ねじれて焼け焦げたシェルの破片のみが埠頭で発見されて以来、消息は聞かなくなっています、その後一度だけジョーカータウン上空を旧式のタートルのシェルが舞ったのを、おおよそ百人の人々が目撃しましたが、それ以降姿を見せないことから鑑みるに、熱夢か、希望的感傷の産物と断じざるをえません。
こう断じるのははばかることながら、残念ながら死亡したと判断するのが妥当というものでしょう、ジョーカーの中には、彼が我々の同胞であり、シェルの内部には、我々同様いびつな姿が隠されているのだ、と信じているものもおりました。
それが真実であろうとも、なかろうとも、彼が我々に示してくれた友情は真実のものであり、その記憶はとこしえに生き続け、もはや永遠に死に絶えることはないといって差し支えは無いものと思います。

この旅の目的は明言されておらず、ダウンズの記事にしたところでほのめかすだけとあっては、あらぬ考えがこころをよぎり、なにやら不安ばかりがむくむくと首をもたげてくるのも無理からぬことでしょう、階上ラウンジの笑いさざめきすらが、何やら神経にさわる禍々しいものの訪れを告げるさきぶれであるかのように不吉に響きます。
この視察旅行は、数年の間検討されていながら、不思議にも今回は2ヶ月という短期ででスピード採決されたとのことでした。
そこでわたしは思うのです。
誰かが我々を、ジョーカーのみならず、エースも、そう特にエースを、外に連れ出すのが目的だったのではないだろうか、と。
去年のワイルドカード記念日は惨禍を極めました。
町のいたるところにウィルスの被害者があふれていたとはいえ、そこで繰り広げられた惨劇のレベルは並でなく、大々的に報道されてしまいました。
ハウラー殺害の犯人は挙げられておらず、ジェットボーイの霊廟のまえで、衆人環視のもとばらばらにされた少年に、エーシィズ・ハイへの襲撃、タートル(シェルのみの可能性はあるとはいえ)の抹殺、クロイスターズでの虐殺、と枚挙に暇が無く、いたるところに死体の山が築かれ、たった1週間で、市の死亡統計率がうなぎのぼりに跳ね上がったとのことでした。

その後煉瓦の壁の中から老人が発見されて、掘り出そうとしたものの、どこまでが皮膚でどこからが壁かもわからないありさまで、検死の結果、この老人の身体は分子レベルで壁と融合していたことが明らかにされました。
ポスト誌にこの老人の写真が載っていたので拝見したのですが、落ち着いて穏やかに見えました、後の警察発表によれば、彼自身エースであり、悪名高い犯罪者で、キッド・ダイナソアやハウラーの死に関わりがあって、タートルを殺害し、エーシィズ・ハイを襲撃して、イーストリバーで闘ったのち、クロイスターズの虐殺を取り仕切ったとまでいわれていて、そう数人のエースが証言しているようですが、公式には明らかにされていないようです。
ナショナル・インフォーマー誌による見識、すなわち事件はすべて既知もしくは未知の別々のエースによって引き起こされたもので、関連はないという考えが支配的であり、一般的な見解となっています。
己のパワーを悪用して法を嘲笑し市民を危険にさらした暴虐な事件の責任を、なんらかのエースの手によって死に至らされた哀れな老人に、無力だったエースと警察が共謀して、都合よく責任をおしつけたように思えてなりません。
つまり実際に何が起こったのかわからないのをいいことに、出版産業の不謹慎極まりない連中が警察の圧力によるIAD(情報統制局)の指示のもと、細菌を研究するコッホのように微に入り細にいりあることないこと掘り出して書き立て、ことを荒だているそんな想像さえ働き、恐ろしさが膨らむ一方なのです。
ジョーカーには憐れみと嫌悪が、エースには偉大な力が与えられましたが、近年は彼らの能力を恐れ、不振を募らせる萌芽が芽生え、レオ・バーネットのような男の意思が大勢を占める危険性すら出てきています。
能力を乱用する≪エース≫たちに対して、わたし自身、複雑な入り混じった感情をいだいていることを認めないわけにはいきません。
それでもわたしは・・・この旅で、昨年のワイルドカード記念日にまきちらされた恐怖と流血と、そして不信をぬぐう善意の修正液たるように努力する所存です……。

 どんな結果が待ち受けていようとも、怖れず受けいれることができる。
 わたしがそう思えるようになるには、そうする他ないのですから。